日々是後悔也 ver.3.60

備忘録代わりのちょっとした旅行記と書き物

蔵出し画像(7

2010-06-20 01:19:37 | Weblog
でもあのオランダ相手に0-1とは。凄いんじゃないんですか?
おら、昨日の予想じゃ0-3ぐらいかt(ry



さて、7回目になる蔵出しはニッチな方面に行こうと考えてました。今回はTOPにあるように「トロッコファミリー号」。
’87~’06年までの19年間、豊橋ー中部天竜間を1往復していた編成でした。
詳しい解説はWikiにそのままでているので参照に。また、諸兄のサイトにもかなり詳しく画像つきで書いてあるので、そちらのほうが参考になるかもしれません。
わたしのHDDに取り込んで残っている画像はてんでばらばらになっていたため、いつに撮影したものなのか長らく不明でした。
編成等から推察してある程度まとまったので今回それを追いながら見て行きたいと思います。


’84年に四国で誕生した「清流しまんと号」はいまだに残るトロッコ列車の中でも草分け的存在です。
トラ90000に木製のベンチと机をつけ、ごろごろと気動車に引かれながら走行する姿は見ても乗っても楽しいものです。
名古屋圏内では(旧)越美南線に「清流ながら号」として(確か)’85年にデビュー。夏の郡上八幡に行く列車としてかなりの人気だったと記憶しています。
’86年には(旧)越美南線は第3セクター化され、長良川鉄道になったためそのままの編成を飯田線に転用したのが始まりでした。

’87,88年に牽引機は画像のDE10。(確か)本長篠駅にて。
見にくいですが、旧客のボディにはイラストが入っています。初年度はヘッドマークの柄が地味なものだったので’88年撮影と判明しました。
これ、わたしも乗っていて交換で停車したのであわててカメラをつかんで隣のホームから撮影したのですが、ほとんど誰も乗客がおらずにほぼ貸切だったのを思い出しました。
この頃凄く地味な存在だった上に、終着が中部天竜。平成以降はレールパークができたので行く理由の1つになったんですが、当時そこにあるのはダムだけ。。。地味な列車に地味な終着駅。。そら利用者も出ないわけで。。


その頃の車補券。指定席のため「みどりの窓口」で1ヶ月前から売り出しをするのですが、空席があれば普通に売ってくれました。
今はあの「じ~こじ~こ」といいながら出てくる感熱紙で端末からですが、昔は手書きが一般的。懐かしいですねー。
記事の欄に「3号車2番C席」と書いてあるのでトラ90000の時代かと。(編成の新しいトロッコは2両だけなので)
行き先が「豊川」になっているのは別にわたしが豊川で降りたわけではなく、豊川ー豊橋間が複線のために危険防止でトロッコ車にいてはいけなかったためです。
(Wikiの解説見るまですっかり忘れていましたが、そういえば車掌さんにそんなことを注意された覚えがあります)

’89年からJR東海は本気を出したのか、当時人気のあった(今でもですが)EF58を牽引機に抜擢。一気にファンの間で「予定臨だけど普通にEF58が引っ張る客車が見れる」と人気になります。
さらに牽引機を増やすのと動態保存的な存在で’92年からED18が加わり3両で牽引を交代しながらの運行になりました。

ED18が導入された同じ年、編成に変化があります。オハフ46の1両が編成から外れ、その代わりに12系2両が組み込まれました。
Wikiの解説ではED18と12系が入ったのは同じ年。翌年にはさらに編成が変化するので画像は’92のものと判断できます。

’93~95年までの画像は手持ちでまったくないので紹介できませんが、よほど人気があったのか、トロッコに増備車としてマニ44から改造したオハフ17が加わります。この間は旧トロッコと新トロッコの併結で走っていたはずです。

’96年に老朽化したトラ90000の代わりとして2両目のオハフ17を導入。さらに12系は塗装の変更をしたうえで’06年までの10年を走り続けます。

ED18は’05年8月に故障が原因で運用から離脱したため、画像は’04年のもの。
最初のうちは3月~11月のほぼ週末運行だったものが、この頃には夏休み期間中の7,8月のみになっていました。

最初のトロッコに実際に乗ってからかなりあきますが、見に行くとどうもED18にばかり当たる(w)ため、狙って撮りに行ったのが

飯田線(南)の中でも屈指のポイント、湯谷温泉ー三河槙原間。夏休み中に行くとかなりの確立でバーベキューと水泳している遊び場ですね。
これは’03年ごろ撮影。これから既に7年経っているので周りの木はもう少し育っているかと。
(隣の三河槙原すぐの鉄橋から見下ろすポイントもありますが、湯谷温泉駅を見に行ったついでに覗いたら既に線路沿いの木が育ちまくってて車体が見れないぐらいになっていました_| ̄|○ il||li)

編成の所属はずっと美濃太田でした。なのでシーズンになると豊橋まで回送があります。(シーズン中は豊橋常駐)

廃止直前の’04か’05年の回送風景。矢作川橋梁にて。
EF58の運用がないときは工臨や回送に使用されるので決まってEF58が東海道を行き来していました。

廃止のきっかけとなってしまったのが’05年のED18の故障。この頃既に国鉄から引き継いだ東海もちの客車もごくわずか。
EF58-122の老朽化もあって「トロッコファミリー号」は’06年春に運転終了となってしまいました。
時を同じくしてユーロライナー、ユーロピアも廃車となり、一足早く廃車になったEF65-112を追うように専用機であったEF64-44,DD51-1037も浜松へと送られ、JR東海では牽引機、客車が姿を消すこととなります。


今回の「トロッコファミリー号」いかがでしたか。
きっかけはぐーぐるせんせーで昨日調べたからだったりします。
「あれ。。そういえば今でもトロッコ走っているっけ・・・?」 →\(^o^)/
今や飯田線は119と373しかいなくなってしまい、魅力がかなり薄れてしまった感が否めません。
(中部天竜にあったレールパークは博物館になるからまだ納得いくんだけど。。。)
もう少し魅力のある車両を走らせても集客できるとは思うんだけど、興味ないんですかね?東海様は。
























□今日の中部天竜
TOPに載せた画像は中部天竜で撮ったんですが、先日のTOPの117と119の並びの画像と比べてほとんど変わっていないところにフイタwww
今年からJR東海ツアーは「秘境駅」を売りにするツアーが組まれていますが、車両は119の飯田線色をメインに使うとか。
もしかしてこれがトロッコの代わりだったり。。。。するのかな?

あと、結局直流標準色の157号機では撮っていなかったようでちょっと悔しい(他のサイトにはかなりの確立で乗っている)ので

伊那松島区で開催されたフェアのときの画像を載せておきます。たぶん’05年ぐらいのときのもの。
隣にいるED62は変形機。PS22+豚鼻ライトの変なやつ。JR貨物更新機カラーのED62も見受けられますが、更新しているわけでなく中身は旧型のままでした。どちらの62もほかと比べると早くに廃車になってしまいました。
懐かしいけど、今やったらパニックですねきっと。
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