午前、午後の2回の出前
アツタ先生とのおしゃべり付き

子どもたちとの毎日を頑張っている先生たち
アツタ先生は、大野北小学校への出前機会を作り出してくださった先生です。
どんなふうになっているのか、教育のことや学校のことに疎いのでわからないのですが、大野北小は、以後、カリキュラムに組み込んでくださって、毎年子どもたちに伝える機会をつくっていただいていて、それは、私たちにとって、とてもありがたいことなのです。
それだけでなく、アツタ先生は、その後の異動先の小学校でも5年生の先生方に伝えるネットを紹介してくださり、また、そのアドバイスもしてくださるのです。
そんなわけで、今年もアツタ先生のおかげで清新の子どもたちと出会うことができました。
毎日、子どもたちと向き合って頑張っておいでになるな、と感じるのは、そのアツタ先生と担任の先生方とのやりとりを見ているときです。
子どもたちの今と向き合って、子どもたちの心情を汲みながら、先生が何ができるのかを考えている、そんなことが伝わってきます。
そういう先生方の営みのなかに、伝える活動があるのだ、ということを見つめなおす大切な機会となりました。
午前中の子どもたち、午後の子どもたち、みんな違ってみんないい
とにかく専門家じゃないし、1日に2回の出前は、それなりに緊張だし、大変です。
そんな気持ちをわかってくださって、「アツタ先生とゆっくり給食を食べてください」と、特別扱いをしてもらっちゃいました。
アツタ先生と世間話から、いろいろとお話させてもらってとっても気分転換になりました。
「こんなに疲れるのに、先生は、よく1日授業できますねぇ、すごいです」ともらしたら、アツタ先生、「あんなにしゃべりつづけることは、ありませんよ」と笑いました。
投げかけて、休止、投げかけて、子どもたちの反応を待つ、みたいにするから、しゃべりつづけで終わる、ということは、ないのだ、と。
それは、日ごろ、もっと言い募るのではなくて、子どもたちと対話しながら伝えたい、と思いながら、ついついしゃべり過ぎてしまう私には、耳に痛い指摘でもあります。
ときに「あれだけ熱を込めて語られれば、子どもたちにひびく」と言ってくださる方もありますが、私自身は恥ずかしいと思っています。自分の稚拙さが恥ずかしい・・・。
でも、一方で、教育者でもない私が、上手に授業やろう、と思うこともまた不遜に思えるのです。
それでも、午前中の子どもたちのなかで涙を流していた少女とか、やんちゃな少年とか記憶に刻まれる子どもたちの表情があります。
午後の子どもたちは、あんまり良い子で聞いてくれたのをいいことに、2回目はやっぱり疲れてしまっていたので、時間を見ながら伝える、ということに神経を使い切れず、少し延長してしまいました。
言い逃れになっちゃうけど、話しながらも見えてくる子どもたちの表情のひとつひとつに、話していることの内容の検証を受けているし、まるで対話しているかのように気づいてくることが確かにあるのです。
たとえば―――。
今年の活動のなかで強く感じ返していること。
水俣病患者が教えてくれている家族の絆や、前向きに生きる姿が、なぜ「希望」になっていくのか、わかってきたような気がしています。
「希望」は、どこかにポンと置かれているようなものではなく(水俣病患者がポンと置いてくれたものじゃなく)、私たちが生きていく営為のなか、子どもたちのいのちそのものにあるんだ、って。
「水俣」の学びのなかで、「いのちの位置」を確かめ、「いのちの歴史」のなかにあることに立ち返っていくなら、私たちの、子どもたちのいのちそのものが「希望」なんだよな、って。
まぎれもなく、子どもたちと対面し、その表情を刻むなかで、そう実感してきています。
アツタ先生とのおしゃべり付き
2013年3月8日3,4時限3クラス 5,6時限2クラス
相模原市立清新小学校5クラス
行ったひと:田嶋いづみ
相模原市立清新小学校5クラス
行ったひと:田嶋いづみ

こんなふうに出前は始まります。写真を一周してみてもらって着席。
同行してくれる予定だったリョウコちゃんが風邪でダウン。
なので出前の記録写真が撮れませんでした。。。
同行してくれる予定だったリョウコちゃんが風邪でダウン。
なので出前の記録写真が撮れませんでした。。。

アツタ先生は、大野北小学校への出前機会を作り出してくださった先生です。
どんなふうになっているのか、教育のことや学校のことに疎いのでわからないのですが、大野北小は、以後、カリキュラムに組み込んでくださって、毎年子どもたちに伝える機会をつくっていただいていて、それは、私たちにとって、とてもありがたいことなのです。
それだけでなく、アツタ先生は、その後の異動先の小学校でも5年生の先生方に伝えるネットを紹介してくださり、また、そのアドバイスもしてくださるのです。
そんなわけで、今年もアツタ先生のおかげで清新の子どもたちと出会うことができました。
毎日、子どもたちと向き合って頑張っておいでになるな、と感じるのは、そのアツタ先生と担任の先生方とのやりとりを見ているときです。
子どもたちの今と向き合って、子どもたちの心情を汲みながら、先生が何ができるのかを考えている、そんなことが伝わってきます。
そういう先生方の営みのなかに、伝える活動があるのだ、ということを見つめなおす大切な機会となりました。

とにかく専門家じゃないし、1日に2回の出前は、それなりに緊張だし、大変です。
そんな気持ちをわかってくださって、「アツタ先生とゆっくり給食を食べてください」と、特別扱いをしてもらっちゃいました。
アツタ先生と世間話から、いろいろとお話させてもらってとっても気分転換になりました。
「こんなに疲れるのに、先生は、よく1日授業できますねぇ、すごいです」ともらしたら、アツタ先生、「あんなにしゃべりつづけることは、ありませんよ」と笑いました。
投げかけて、休止、投げかけて、子どもたちの反応を待つ、みたいにするから、しゃべりつづけで終わる、ということは、ないのだ、と。
それは、日ごろ、もっと言い募るのではなくて、子どもたちと対話しながら伝えたい、と思いながら、ついついしゃべり過ぎてしまう私には、耳に痛い指摘でもあります。
ときに「あれだけ熱を込めて語られれば、子どもたちにひびく」と言ってくださる方もありますが、私自身は恥ずかしいと思っています。自分の稚拙さが恥ずかしい・・・。
でも、一方で、教育者でもない私が、上手に授業やろう、と思うこともまた不遜に思えるのです。
それでも、午前中の子どもたちのなかで涙を流していた少女とか、やんちゃな少年とか記憶に刻まれる子どもたちの表情があります。
午後の子どもたちは、あんまり良い子で聞いてくれたのをいいことに、2回目はやっぱり疲れてしまっていたので、時間を見ながら伝える、ということに神経を使い切れず、少し延長してしまいました。
言い逃れになっちゃうけど、話しながらも見えてくる子どもたちの表情のひとつひとつに、話していることの内容の検証を受けているし、まるで対話しているかのように気づいてくることが確かにあるのです。
たとえば―――。
今年の活動のなかで強く感じ返していること。
水俣病患者が教えてくれている家族の絆や、前向きに生きる姿が、なぜ「希望」になっていくのか、わかってきたような気がしています。
「希望」は、どこかにポンと置かれているようなものではなく(水俣病患者がポンと置いてくれたものじゃなく)、私たちが生きていく営為のなか、子どもたちのいのちそのものにあるんだ、って。
「水俣」の学びのなかで、「いのちの位置」を確かめ、「いのちの歴史」のなかにあることに立ち返っていくなら、私たちの、子どもたちのいのちそのものが「希望」なんだよな、って。
まぎれもなく、子どもたちと対面し、その表情を刻むなかで、そう実感してきています。