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伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

水俣病事件は語られたがっている!

2013-11-08 23:59:55 | 出前レポート
立教大学社会学部
「環境と文化」ゲストスピーカーをしてきました


日時●2013年11月7日 10:45~12:15
行ったひと●田嶋 いづみ 




お話されているのは、関礼子さん。



  「100人の母たち」写真展開催をきっかけに

伝えるネットが主催者として参加した「100人の母たち~亀山ののこ写真展」のさがみはら開催は9月に900人近くのみなさんの来場を仰いで、無事に終了しました。

さまざまに、得たものがあり、果実が残りました。

そのひとつが、9月15日に関連企画として実施したトーク・セッション「水俣、福島、わたしたちのまち」です。

※現在、こちらで視聴することができます。
https://www.youtube.com/watch?v=HBJ5ef9Rv5I


このトーク・セッションでコーディネーターをしてくださったのが、立教大学社会学部教授の関礼子さん。
(関さん、わたしが「先生」と呼ぶと、怒ります・・・・)

トーカーのひとりとして参加しながら、関さんに導かれて、どんどん考えや筋道が見えてくるという、とても心地よい体験をすることができました。

このときの出会いがきっかけとなって、今回の立教大学への出前が実現することになりました。
お話させていただいたのは、題して、「水俣」の学びから「まちづくり」へ。

このトークのなかで気づいたり、改めて考えたことなどを、お話させていただきました。
とくに、音声サポート部会を立ち上げたことや、相模原の仲間と【NPO法人 ここずっと】を立ち上げることになったことなど、「水俣」から自分のまち、自分のくらしのなかで継いでいくことについての、試行錯誤を語りかけることになりました。

しかし、その試行錯誤こそが、いのちある証しとして、「希望」の始まりではないかと思っていること。



  歴史は語られたがっている、ということ


あちらこちらへと寄り道をしながら、話し終えて、関さんがまとめをしてくださいました。
まとめで言われた、ふたつのことが、わたしの胸にも強く残りました。

ひとつは、歴史は、歴史自身が、何度も何度も語られたがっている、ということ。

わたしたちは、「水俣」の事実、歴史を、何度も何度もたどらなければなりません。
「水俣」の学びがわたしたちのものになりきれていないから、探り当てきれていないから、というように、自分に課してきてはいましたが、まるで、主体をもつかのように、歴史自体、水俣病事件自体が語りたがっているのだと気づき直しました。
語りたがっているなら、そっと素直になって、耳をそばだてるのでいいのではないか。
意味づけをあせって、自分で苦しくなるより、自然体で受け止めてみる・・・。

9月8日、【環境被害における国際フォーラム】の水俣現地研修での坂本フジエさんの言葉を思い出しました。

どんなに話しても、被害者の気持ち、わたしたちの気持ちは分かってもらえないだろうと思います。
わかってもらえないだろうと思っても、言わないではいられないのです



もうひとつ。
つらい事実は、正面から受け止めたくない、できるならよけたい、と思うかもしれない。
しかし、向き合うことが必要なのだ、と関さんが言われたこと。

今年1月、水俣の永野三智さんから「かせして、もだえる」という言葉を聞いてから、ずっと、ずっと、この言葉を考えています。
ときに、「もだえて、かせする」となったり、「もだえかせ」というひとつの言葉になったり・・・。

そうして、結局、「悶える」って何かな、と思うのです。
それは、聞かなければならないけれど、聞きたくない。
あるいは、見なければならないけれど、見たくない。
自分を見据えて引き受ける、引き受けようとする、実に人間らしい途惑い、迷い、なんだろうか・・・。

自分を「当事者」と据えればこそ、悶える。

また、ヒントをいただいた気がします。



最後に、こんなふうに、現在開催されている桑原史成さんの写真展の告知をさせていただいて、この日の学生さんとの出会いを締めくくらせていただきました。




出前を終えて、関さんに立教大学近くのベトナム料理店でフォーをご馳走になりました。
コレが、素晴らしく美味しかったんです!
関さん、ご馳走様でした。深謝!!

かせしてもだえたい、と願いつつ出前

2013-06-10 12:05:16 | 出前レポート
2013年5月16日 大学生に伝えに行く
芝浦工業大学 システム理工学部 環境システム学科


報告、チョー遅れまして失礼しました。
2013年5月16日 13:00~14:30
行ったひと  田嶋です





  松下先生に感謝をこめての出前講座

「環境と文明社会」の講座に出前させていただくことになったのは、2001年からのことだと記憶しています。
伝えるネットを設立したてのころ、松下先生が、じかに相模大野にお訪ねくださって、出前をするということになりました。その松下先生が、今年をもって退職されるということで、この出前も最後の機会となるかもしれません。

思い起こせば、発意はあっても拙い私たちでした。
大学生のみなさんに伝える言葉を探して、宇井純さんの言葉や、大熊孝さんのお話や、資料をあっちこっちに用意したこともあります。
昔もいまもそんなこと、したことないのですが、1コマまるまるの講義原稿を準備したこともあります。
今年で13年間、13回目のあいだ、サポーターとして付き添ってくださった方もあの人、この人と思い浮かびます。
松下先生には、学生のことばじゃないけど、「指導していただいた」というふうに思っています。

13回目の今年、先生の注文はありませんでした。
ただ講座案内には、「患者の側に立った水俣病」とありました。

「中立に事実を知るということは、患者の立場で見るということ」という原田正純先生の言葉に、この13回の出前のなかで、少しでも近づけたでしょうか?



  かせしてもだえ、光り海へ

芝浦工大に伺う直前に届いたものがあります。
3月18日に出前した県立神奈川総合高校の生徒のみなさんの感想文集と、前水俣病資料館館長でいらした坂本直充さんの詩集『光り海』です。

そこですっかり、腹が据わりました。
私が、いま、「かせしてもだえる」ことはどういうことだろうかと考えていること、「じゃなかしゃば」とは、どんなところか、多分、私たち自身が引き寄せなければならない社会のあり方を考えようとしていることを伝えていこう、と。

九州出身の学生さんに尋ねてみました。
その学生さんにも、「かせしてもだえる」という言葉は初耳のものだったようです。
松下先生は、13年間の出前のなかでも、「かせしてもだえる」という言葉を聞いたのは初めてですね、と返してくださいました。

そして、「かせして」を「join us」とするならば、「もだえる」は、私が意訳した「do my best」なのではなくて、「do our best」であるべきでしょう、と付け足してくださいました。

「my best」は「our best」から導き出されるものかもしれません。
もし、大学生のみなさんから「our best」が萌すなら、もしかしたら、13年間つづいた出前活動もその「best」に連ねられるものになりそうな気がします。

最後に坂本直充さんの詩集『光り海』から詩を朗読させてもらいました。

世界は眠りから目覚める
一人の若者を待っている

希望は勇気とともにある



  松下先生おススメのアンケート・大学生から子どもたちへ

芝浦工大では、いつも、アンケートを用意させていただいています。
松下先生のおススメで始めたアンケートですが、その都度、自由に設問させていただいています。
今年は、松下先生にいただける時間の最後となることを意識して、率直に「57年間水俣病問題が解決しないのはなぜでしょうか?」とか「子どもたちに伝えるとしたら、何を伝えたいですか?」と質問させていただきました。
現在集計中ですが、学生のみなさんの声をちょこっと、プレご紹介。


◆4月16日の最高裁判決を知って、どのようなことを感じましたか? また、57年間、水俣病事件が解決しないのは何故だと思いますか?


● 最近あったことなのにも関わらず、自分はニュースや新聞で見たことがなかった。これは報道が水俣病に関しての見解が甘いことが原因であると思う。もっと社会的に水俣病の事の重大性を理解すべきだと思った。
解決しないのは、政府が水俣病に対する重大性を理解していないのが大きな原因であるため、解決が終わらないのだと思う。

● 生きている時に申請して、亡くなった後に認定されるというとても悲しい現実を知りました。息子さんがどんな苦労をしていたのか想像もできないほどです。水俣病という複雑な要因が関係し、原因解明が難しい病気だったため、解決が遅れたのだろうと思います。それだけでなく、国の方針や人々の差別が大きく影響したのかもしれません。

● 社会の教科書で学んだ水俣病が未だに解決していないこと。最高裁の判決がつい先月でたことを今日知って、自分の無知さ、無関心さを恥ずかしく思った。日本の歴史の1つとしか考えていなかったが、長い間闘っている人たちがいる。この年月はこの事件の重さを表している。57年間、何故、国は認めず明らかにしなかったか、責任の回避としか思えない。



◆あなたは、子どもたちに「水俣」を伝えるなら、何をいちばんに伝えたいですか?


● 自分は福島出身で大学入学まで福島に住んでいました。自分としては検査を終え、身体に影響はありませんが、当時、ニュースで取り上げられていたような風評被害があるのではないかと思いながら埼玉に来ました。しかし、みんなが現状を個人で把握していたために、そのような被害は全くありませんでした。つまり「水俣」においてもしっかりとその現状(事実)について個人が伝えていければ大丈夫だと思います。

● 自分で考え、見て、聞くことを伝えたいです。教科書に載っている言葉や、政府、メディアの言葉をそのまま鵜呑みにするのではなく、主観での考えをふまえた上で、そのような言葉を吸収し、常識(原発安全神話のような話)すらも疑ってかかるような姿勢を伝えたいです。

  
● 「水俣」を子どもたちに伝えるのならば、その「たくましさ」を伝えたいと思います。長い年月がかかって闘ってきた「水俣」は実にたくましさと強さを感じます。フクシマの人々もこれから苦しみを感じるだろうと思いますが、「水俣」のたくましさを忘れないで闘って欲しいです。自分もこのことを忘れずに闘い、子どもたちに伝えたいと思います。

● 人間が起こした事件であること。そして、人間が人間を苦しめ、また、人間が苦しんでいる。こういった事件・事故が起きて被害にあった方々がいて今の自分がいる。そのことを忘れず、ずっと思い続けていくことが大切なんだと伝えたい。



最後に嬉しかったアンケートのひとことをオマケにご紹介。

●公害ということでなく、人間、いのちとは何かを教えてもらえた気がします。今日はありがとうございます。


いえいえ、こちらこそ、本当にありがとうございました。

今シーズンのしめくくりとなる出前活動

2013-04-13 22:59:22 | 出前レポート
相模原市立横山小学校5年生3クラス99名
2013年3月21日 8:55~10:25


 



出前活動にシーズンなんてない、と思うのです。
それに、伝えることを1回、2回と数えることもそぐわない、と思っています。
でも、全国的に小学校5年生の3学期に水俣病について学習することになっているので、
3学期に出前に行くことが多くなります。
多くなると、つい回数を数えてしまって・・・・
今シーズン、谷口小からはじまって横山小がしんがり、
全部で16箇所(小学校14校、高校1校、成人1回)、のべ20回の出前活動をしました。
ま、数えることは、意味ないんだけどね、実際。
じゃ、なぜ数えちゃうのか・・・?
ま、市民ってのは、自分で自分を励まさないとやっていけないって、いうか、なんですよ・・・。




6年生が卒業したあとの出前

横山小の井上先生はこう、依頼をされてこられました。
6年生が卒業したあと、5年生の学習の総まとめとして話して欲しい、と。

6年生が卒業したあとの学校って、不思議な感じです。
この日、1,2時限の時間をいただいて「水俣」を伝えることになりました。
いつでも、お時間をいただけるだけで、子どもたちと出会うチャンスをいただけるだけで、とっても嬉しいです。
でも、さすがにシーズンの締めくくりで、1時限目のサポート者を探すのは難しかったんですね。
会場となる視聴覚室は3階のいちばん端だったし、視聴覚室をミニ写真展会場にするのですから、人手が必要となるのです。サポートしてくれるメンバーをみつけられるようにしなきゃ、です。

その不足を補ってくれたのは、もちろん子どもたちです。
つきっきりで手伝ってくれた少女たちはとても気持ちのいい子たちでした。

そして、朝いちばんの話しかけにもかかわらず、子どもたちは、とても集中して同じ時間を過ごしてくれたのでした。





朝の光のさす中での出前となりました。
しめくくりなので、もっとわかりやすくとスライドを再編成してのぞみました。




先生たちに聞いてもらえたら、ステキっ!


出前のあと、校長室で、校長先生と教頭先生とも言葉を交わさせていただきました。
呼んでくださった井上先生から、「先生たちにも聞いてもらいたいですね」と言っていただきました。

伝えるネットのなかでも、実は、そういう話はしています。
私たちが、私たちだけで、伝えるということでなく、いろいろなかたちで、また、子どもたちの身近にある先生方と共有できる伝え方を模索していくべきではないか、と。
伝えていくのに、シーズンも、1回、2回もないのですから。

出前のたびに子どもたちに渡しているガイドとリーフ、今年は、ぎりぎりで間に合わせることができました。
ひと区切りを終えて、再び、「水俣」との出会いが始まります。

高校生の実力に舌をまく環境シンポ

2013-04-11 20:42:48 | 出前レポート
県立神奈川総合高校の第11回環境シンポジウム
2013年3月18日
 






出前報告がすっかり遅れてしまいました。
ブログ運営は迅速な記事アップが肝心と知りつつ、時宜をはずれた報告でごめんなさい。
ま、ただの市民がしている活動です。こんなもんですよ。(って、居直ってる・・・?)




今年もええこたちが取り組む環境シンポジウム


去年にひきつづき、神奈川総合高校の環境シンポジウムの講師をつとめさせていただきました。

この環境シンポジウムは、生徒たちの自主参加で組織された「エコ局」が主催するものです。
「エコ局」は、いわゆる部活動のようなもので、校内でペットボトルを集めたり古紙回収などをしたり、お花の水遣りするというので、まぁ、美化委員会を想像すればいいのでしょうか。
面白いのは「カイダンズ」という取り組みで、この高校、10階建ての「おんさ」をイメージしたのっぽビルの校舎なのですが、エレベーターを使わず階段を使いましょうというものです。
神奈川県で最初の単位制総合高校ということで、ひとりひとり時間割が違い、教室移動がひんぱんな高校らしい取り組みです。

制服もなく、ひとりひとり時間割が違う自主性を重んじる校風のなか、高校生が環境シンポの計画から開催段取りまで担います。それも、3年生が卒業したこの時期に、1年生を中心としたエコ局員の手によって。
もちろん、講師依頼も「講師統括担当」の1年生からメールをもらうことで始まりました。
(この高校、1年生、2年生という言い方をしません。中途退学者や海外帰国生などを積極的に受け入れて入学年次で呼ぶのです。
だから、今年は18年次生を中心に担われておりました)


朝、講師のみなさんがあつまったところで、この日はサポーターとなる先生からの挨拶に「誇れる環境シンポジウム」という言葉がありましたが、全くその通りと思いました。

ちなみに当日の講師陣はこんなでした。
「エコ局」自身の講座を含めて、全17講座。それぞれ50分の講座を2回実施し、生徒は、事前の登録により、2回の講座を受講することになります。



去年もそう思いましたが、率直な好奇心と知識欲にあふれた、それ故にバランスの良い講座の設定に、本当に舌を巻く思いです。
講師探しから、依頼、事前打ち合わせ、当日の段取り・・・すごいです。

決して謝礼の多寡を云々する気持ちはありません。
でもこれだけの講師たちが、いろいろなところ、遠く新潟からも、一律5000円の謝礼ではせ参じさせるのには、高校生の真摯な姿勢、熱意がなければできることではない、と思います。

この熱意、真摯さこそ、私たちにとっての希望であり、そして、また、叱咤激励であるように思えてなりません。



ええこたちに「かせして、もだえる」ことを伝える

この高校生に向き合って、何をどう伝えるか――。
今回、私たちが講座概要として事前に提出した文章はこんなものです。

「かせしてもだゆる」とは、1956年の公式確認から半世紀を経てもなお水俣病の現実を生きる患者さんたちに日常的に接している水俣・相思社の永野三智さんから教えていただいた言葉です。永野さんはその言葉を石牟礼道子さんから教えられたといいます。本年は、患者さんの「現在」について語り、私たちの「かせして=加勢して=join us」「もだゆる=悶ゆる=do my best」ところから「じゃなかしゃば=そうではない娑婆=an alternative society」を考える時間をみなさんと共有したいと思います。(英語は、意訳として添えました)  終わらない水俣病を「水俣」に学びましょう。


この日のためにPPスライドを組みなおしました。



特に直前の3月15日に溝口さんの最高裁弁論があって、その報告会に参加したときに聞いたこと、知りなおしたこと、思ったことを、そのままに率直に伝えるようにしました。
今まさに、大人への入り口に立つ高校生のみなさんに、何かを偉そうに論じることなどできません。
同じ地平で、しかし、願いをもって生きたいと思っていることを伝えました。
じゃなかしゃば、へ。

「じゃなかしゃば」という言葉が、水俣であった国際会議で司会をした浜元二徳さんの口からこぼれたこと、私は、鶴見和子さんから聞きいたことを、久方ぶりに思い出す機会となりました。


ええこたち  自分の言葉をもってください

それでも、高校生のみなさんは、自分たちの熱意が大人社会のなかで跳ね返される体験をしたのではなかったかと、私は想像しています。
高校生のみなさんの発意がそのままに生かされることは、むずかしかったのではないか、と。

今回、講師依頼、事前講座確認、と、あわせてアンケートのようなものを受け取りました。
それは2問あって、そのことにどう考えるか事前に訊いて、その回答を元に全体会のまとめにしようというものでした。
とても面白いものだと思いました。
そのうちの1問を、私の回答とともに記してみます。

【設問】中国の大気汚染問題を最近よく見るが、メディアSNSでは「命に関わる」等少々大げさな気がします。
この情報を鵜呑みにしてもいいのですか。


【回答】水俣病が奇病とされていたとき、その原因はさまざまに取り沙汰されていました。
マンガンによるものとして「マンガン病」と呼ばれたこともありますし、漁の際に使われた爆薬のせいだという爆薬説を唱えた方もいます。いずれもれっきとした学者でしたし、大新聞がそう報道したこともあります。
実際には、1959年、チッソ付属病院院長の実験によってアセトアルデヒド工程の廃水がその原因だと、チッソ自身が承知していたのにも拘わらず、です。
事実と向き合うことが大切です。しかし、水俣病が起きた頃からくらべて情報の開示がなされるようになったかといえば、全くそんなことはないのです。
事実や情報は、待っているだけで、向こうからやってきてはくれないのです。
与えられるままに鵜呑みすることは、してはならないことです。
また、事実を1本のろうそくに見立ててみると、見る方向、角度によって、その姿を変えます。
事実に向き合うとき、私たちは、どこに足場を置くか、ということを同時に選び取る知性と哲学(あえて哲学と呼びます)が問われることも忘れてはなりません。
地球に海はひとつですし、大気もひとつです。
大気汚染は深刻な課題と言えます。
しかし、たとえばPM2.5は、そもそも日本の大気汚染にも存在していましたし、何が課題になっているかという視点もなく報道されています。
この報道では、放射能被害隠しのプロパガンダと言われても仕方ありません。
わたしは、事実を、弱者の視点から見ることを選びたいと思っています。



ね、興味深く面白い企画ですよね。私は、一応、2,3日考えて回答を記しました。
高校生のみなさんの顔を思い浮かべながら。

しかし、当日、このアンケート回答が生かされることはありませんでした。
朝いちばんに、企画が変更になったことを先生が説明されました。
確かに、当日の講師のみなさんのなかには企業の看板を抱えた方もいらして、発言できないということもあったろうと大人の分別で理解できます。

それこそ、水俣病患者を前にしたチッソがそうでした。
決して、ひとりの人間としての心を明かそうとしないチッソに、水俣病患者さんたちは、じれて、憤り、叫んだのでした。
「あなたは人間ですか? あなたに本当に人間の心があるなら、答えなさい」と。

私は、当日の講師のみなさんを責める気持ちは全くありません。
また、企画変更をされた先生の判断を責める気持ちもありません。
看板を背負って、ひとりの大人として高校生のみなさんの未来にかける気持ちは同じだからです。


でも、こう思います。
いま、できなくても、いま、そんな企業や社会であっても、いつか、私たちはひとりひとりが、自分の生き方をかけて発言できるような市民にならなければならない、と。
企業の看板の陰で、思考力を奪われる、もしくは心を隠して生きていく時代は変わらなければならない、と。
逆にひとりひとりが主体性と責任をもって調べ、感じ、考えることによって、社会や企業の底力を上げていく、そんな時代が必ず来る、とそう思います。

一朝一夕にできるわけではありません。しかし、萌しはある、とそう思っています。
そのための環境シンポジウムだったではありませんか。

「かなそうのええこたち」、自分の言葉で語れるひとになってください。期待します。

いっしょに行きましょう。
じゃなかしゃば、へ。

インターネットから実現した「水俣」の出前

2013-03-20 09:25:41 | 出前レポート
卒業を前にした6年生への
贈る言葉として「水俣」を伝える



2013年3月14日 13:35~15:05
新宿区立鶴巻小学校6年生35名
行った人:藤井涼子、田嶋いづみ
スペシャルゲスト:宮本裕美さん(熊本県市長会東京共同事務所)


6年生って、こんなに大きいんだっ!

ホワイトデーの14日は、新宿の鶴巻小学校へ行ってきました。
早稲田大学の近く、都会のこの小学校は6年生が1クラスという小さな学校でした。
その日はいつもと違って公害学習中の5年生ではなく、卒業を目前に控えた6年生への出前授業でした。
担任の先生の、卒業していく6年生へのメッセージを水俣を通して伝えたいという熱い想いが込められたご依頼でした。

やっぱりもうすぐ中学生になる6年生は、いつも見ている5年生とは違い、とても落ち着いていてぐっと大人に近づいていました。
大人な分、ポンポン言葉は出てこないものの、こちらが求めている答えが出てくるのが早くてびっくりでした。1時間半という長い時間、集中が切れることなく、しっかり聞いてくれました。



また、水俣市の職員である、宮本さんも来てくださり、最後に少しお話していただきました。
現在の水俣の海の写真を見せてくれたのですが、それはそれはきれいな青く澄んだ空と青い海の写真でした。
白黒の写真での説明が多い中で、現在の水俣をイメージしてもどこか暗い感じに思えてしまうのですが、宮本さんの写真を見て、あぁいまの水俣はこんなにもきれいなんだな。行ってみたいなぁと心から思いました。

担任の先生の伝えたいことと、田嶋さんの伝えたいことは、通じるものがあったらしく、先生も喜んでいました。

鶴巻小学校の6年生のみなさんへ
卒業おめでとうございます。
どうか今日感じた気持ちを忘れずに大人になっていってくださいね。

(藤井涼子)



水俣の海の写真を持ってきてくださった宮本さんもfacebookからひとこと

「水俣」について病気のことから 大切にしないといけない自分&身近な人相手を思い遣るetcなお話でした。 初参加だったので 後ろで聞いてました。
6年生が一生懸命 話を聞いてました。 いろんな きっかけ作りになりますように
宮本 裕美



 今の水俣の海を写したカラー写真を手にする宮本さん。


モノクロ写真ばかり知っている学生さんが水俣に来られて、「水俣って、色がないのだと思っていた。でも、色があるんですね」と言われるそうです。
水俣病資料館の裏手の地域で生まれ育った宮本さんに、「色つきの水俣」を伝えていただいて、水俣をふるさととされる方の気持ちをのぞいたように思えました。
地縁・血縁なく「水俣」を伝えている私たちが、ややもすると忘れがちな点です。
この日の同行に、心からお礼申し上げます。
  
(田嶋いづみ)



  6年担任の堀木先生からのメールから

遠い所来ていただきありがとうございました。
授業をしていただいて、本当に良かったと思っています。

「水俣」と田嶋さんの出会いの話、遠くでも昔でもない出来事であること、写真のまつわるエピソードなどなど、どれをとっても田嶋さんの子どもたちに伝えたいというあつい思いがあふれていました。
最後にちょっと話したように、「知る」ことを大事にして子どもたちと授業をしてきたので、すごく田嶋さんの思いを共感できる部分がたくさんあり、うれしくなりました。
また、「水俣」を通して「いのち」の話につながっていくのもとても良いと思いました。
(私にとっても、この35人の6年生は宝子です。)

子どもたちが関心を持った部分は様々ですが、卒業を控えた今、そしてこれからどんな自分になっていきたいか考える良い機会になりました。
新宿区立鶴巻小学校  堀木和子



この日、子どもたちの後ろで同じように聞いてくださった女性が、校長先生だったとは、出前のあとに知りました。帰りがけ、校長室でお茶をいただいて歓談させていただいたひと時も、私のなかでは出前活動の一場面です。
校長先生と、また、宮本さんとお話するなかで、なぜ水俣病が発生したか、しばし胸のうちで考え込みました。何度目かのことではありますが、「チッソだけが」というのではない大きな社会の渦みたいなものをイメージできてきた気がします。

それと、もうひとつ。
この日、自分がPTAのひとりだったときには気がつかなかった、子どもたちを真摯に慈しむ先生方の姿を見てとることができました。
親として、とてもうれしい気づきとなりました。

他にも「水俣」を伝える活動をされている団体はいくつもあるのに、そのなかで、私たちに声かけてくだったのは、何故かとお訊ねしたときに、「水俣」から伝えているものに共感して、と答えてくださった堀木先生の笑顔、とても嬉しかったです。
ありがとうございました。
 
(田嶋いづみ)