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伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

座間市こころ・ときめきスクールで、安心出前活動

2015-03-17 22:26:58 | 出前レポート
座間市立相模が丘小学校 5年生 3クラス

2015年2月19日(木)  3,4時限

貴重な参観者として座間の友人を迎えて


●行ったひと 田嶋いづみ
●参観してくれたひと 大島貴美子(麦っ子畑保育園)
●使用したもの 桑原さん写真の特大パネル1枚、普通パネル8枚
芥川さんの写真パネル1枚と宮本さんの写真シート11枚
PPスライドと映像2点 半永さんの写真集とあまなつの箱




座間市には学校外の講師を迎えて、科目にとらわれない深い学びの機会とする制度【こころ・ときめきスクール】があります。
ひとり2000円という金銭の謝礼が用意されているのも、制度があるおかげです。
正直、この制度はありがたいです。
(やはり、リーフ・ガイド印刷にも、写真パネルの維持にもお金がかっちゃうんですよ~。)

その制度は、お招きくださる先生方にも、また、伺うわたしどもにとっても、余裕となります。

それで、座間在住、子どもたちを信頼し、子どもたちらしさを大切にする<麦っ子畑保育園>を運営する大島貴美子さんをお誘いすることもできたのです。

大島さんには、「これから座間で出前するときには声をかけてね。お手伝いに行ける限り行くから」というお申し出を受け、その上、「座間のすべての学校でお話してもらえるといいのに」と言ってもらえました。
友人たちの支えによって、この出前活動をつづけることができます。 ただただ感謝です。




この写真も大島さんが撮影してくださいました。



大島さんからいただいた出前授業参観の感想をご紹介します。


水俣病ー初めてその存在を知ったのは学生の頃だろうか。
映画「不知火海」の鮮やかな夕日の海に浮かぶ何艘もの帆船(独特の帆を張った形の漁船)が目に焼き付いています。
石牟礼道子さんの『苦海浄土 わが水俣病』を読んだ時の衝撃。
写真展の真似ごとをしたこともー。

今回、出前授業に参加させていただいて、5年生の子ども達に語りかける田嶋さんの言葉に引き込まれました。
3、4時限休憩なし!という長時間、身じろぎもしないで聞き入る子ども達。
柔らかな感性の、この年齢にしか吸収しえない感情、驚き、切なさ…。
「みんなもそうだよね?」田嶋さんの問いかけに思わず「はい」と返る言葉に、胸がいっぱいになりました。
水俣を語り伝えるという熱い思いを受け止める先生がいて実現する2時間。
こんなステキな授業を設定する学校がどんどん増えてほしいです。



大島 貴美子



つづけて、大島さんが目撃した柔らかいこころで受けとめた感想をご紹介。

  

こんな表紙と裏表紙で届けてくださった子どもたちの感想文集からの抜粋です。
「教えられるのは、いつも大人」
そう思わないではいられない、子どもたちのまっすぐな言葉です。















相模が丘小学校に出向くのは、今回で、4回目でしょうか? 5回目でしょうか?
いろいろな学校に行ってみて、その学校独特の雰囲気、というものがあるのに気づきます。

なぜ、ここの子どもたちは、どの年にお訪ねしても同じように、とりわけ身を乗り出して聴いてくれるのだろう。


コツコツ出前を継続~浜松・16回目の出前

2015-03-10 10:46:15 | 出前レポート
浜松市立入野小学校5年生 116名

2015年2月17日(火)5,6時間目




行ったひと●小林、榊原、池谷
使ったもの●豊橋セット、PPスライド





 
今年度も、入野小学校5年生と一緒に水俣病事件について学ぶ機会をいただきました。
どんな話をしようかと準備を始めたころ、2月14日、大阪で、水俣病センター相思社の永野三智さんと水俣市久木野地区にある愛林館の沢畑亨さんの講演会があることを知り、お二人の話を聴きに行くことにしました。

そこで新たに知ったこと、印象深く感じたこと、それは「水俣病事件」が未だに知られていないことでした。
東京から水俣へ引っ越すという友だちに「うつらないでね」とのメッセージ。
「愛林館の農産物セットを購入して、水俣病にならないか?」との問い合わせをしてくる年配の男性。
だから、入野小学校の5年生のみんなには、正しく知ってほしい。そう思って、出前授業に臨みました。


永野さんからいただいたぽんかん2個を持っていき、水俣病の患者たちが「人に毒を食わされたものは人に毒を食わせられん」と、できるだけ農薬を使わないでこのぽんかんなどを作っているということから説明を始めました。

パソコン室で116人。窮屈なところで、みんな一所懸に命話を聴いてくれました。
大きなモニターテレビはタブレットと同じタッチパネルなっていてビックリ。
画面を触りながらパワポを動かしましたが、なれないことはうまくいきませんね。
途中でうまく動かせなくなって、パソコンで操作してもらいました。

水俣病事件のこと、現在の水俣と水俣で生活している人たちのことを話し、その後、質問の時間としました。

1)水俣病は治りますか?

→ メチル水銀は一度体に入るとなかなか外に出ない。
  体のあちこちに残っている。
  唯一、胎盤を通って、胎児に影響を与えることがある。
  (脳の神経細胞が死んでしまう、という答えもあったのでは)


2)助かった人はいますか?
(痙攣発作を起こした人の映像をみせたので、そのひどい症状から回復した人はいたのか、と聞きたかったようです。)

→ 一度症状が出ると、治ることは難しい。
  でも、私たちが理解することが、心の救い、助けにはなるかもしれない。
  杉本栄子さんのように、寝たきりになったけれど、その後、症状が軽くなった人もいる。



3)症状は突然なるのか、だんだんなるのか?

→ 水銀の量によっても違うし、人によっても違う。
  歳をとってから症状が出る人もいる。    


4)「4つめのまなび」を見損ねた

→ 患者や家族から、生きること、希望を学んでいる


5)今、チッソはどうなっていますか?

→ 今はメチル水銀を流していません。
  水銀を流すのを止めた話をし忘れた~。



今回の反省点です。

○ 初めの話が1時間で長かった。集中力が切れていた。40分か50分で終わらせるべきだった。現在の話に入る前で切ってもよかった。
○ 情報が多かった、写真・動画も小学生には多すぎた~。
○ 今日の画面は書き込みができるから、それを活用してもよいのでは。
○ 水俣病の症状や患者数についての質問は毎回あるので、説明のしかたを以下のような工夫をしたらどうだろうか?
・症状のピラミッドの図があるとわかりやすいのでは?
・死亡、重症、軽症、自覚ない…の表を作ってみては?
・グラデーションで線引きできない、患者数のイメージもわかるのでは。
・認定患者・一時金1995・保険手帳2010、患者数の違いの説明が必要。



今回の出前の感想です。

○ 今年は質問が多かった。よく聞いていた証拠では?
○ 座りっぱなしは足が冷えて大変なのでは
○ 先生が「知らなかったことがたくさんでてきて勉強になった」と。大人も詳しく知らない水俣病。
○ もし浜松だったら? という問いかけが必要?
「佐鳴湖=日本一汚い湖」といわれていた時があることとつなげてみたらどうか? 
自分ごととして考えるしかけが今回はなかった。
○ 写真をせっかく持っていくのに、活かしきれていない。昼休みに並べるとか、見てもらう形にしたい。
昨年は午前中で給食当番でない子が手伝って会話が弾んだ。
1~2日前から展示して見てもらうことはできないか? 裏にキャプションつければ、誰でも誰の写真か説明ができるのではないか。

(質問・感想まとめ:小林)




少しだけ言い訳を…。
パソコンの準備と写真の展示を昼休みにする予定で、13時に学校へ到着しました。
しかし、会場のパソコン室は使用中。6年生が1年生にパソコンの使い方を教える講座が開かれていました。
子どもたちの活動が終わるのを待って、慌ただしく準備。昼休みに写真を見てもらえたらなぁなんていう淡い望みははかなくも消えてしまいました。
子どもたちもなかなかスケジュールがいっぱいなのですね。

(池谷)


出前授業の後、テレビで、サリドマイドの特集をやっていて・・・こちらも50年程前の事件だったな、と改めて思いました。
私の母もつわりがひどく、サリドマイドを飲んでいたので、他人ごとではなかったと聞いたことがありました。
その中でも、幼い時はわからなかった障害が、歳を重ねるうちに発見されているという話が出ていましたよ。

公害も薬害も、何の罪もない人たちが被害者になる構図は変わらない・・・地震も津波も戦争も・・・
「水俣を子どもたちに伝える・・・」「水俣病」という歴史の事実を通して、そのことを正しく知れば、
将来、自分が被害者にも加害者にもならない選択ができるという希望を、子どもたちに伝えるような授業ができるといいな、と思いました。

もし、毎日、普通にご飯を食べていてその中に毒が入っていて・・・知らず知らずのうちに病気になったらどう思う?
もし、お父さんやお母さんが、病気で寝たきりになったら?
もし、自分が渡したものを、目の前で、洗われたら?
みたいに、自分に置き換えると、被害者の理不尽さや、未だに終わっていない事にも、もっと向き合えるような気がしました。
本当の事は、人の心を動かせると思っています。来年度は、出前できる学校が増えるといいね~。
(榊原)


毎年恒例にしてくれている小学校へ15回目の出前

2015-03-08 16:06:44 | 出前レポート
相模原市立大野北小学校 5年生 149名

2015年2月16日 月曜日

出前シーズン中盤のヤマ場を迎えて





●8:40~10:15 2クラス  10:35~12:10 2クラス 合同にて
●行ったひと 田嶋いづみ
●使用したもの 桑原さん写真の特大パネル1枚、普通パネル8枚
芥川さんの写真パネル1枚と宮本さんの写真シート11枚
PPスライドと映像2点 半永さんの写真集にあまなつ1ケ





この日、出前に出向いたのは、わたしひとり。

1時限目から4時限目まで、朝早くから、長時間の拘束のアシスト者を探すのは、けっこう、大変です。
朝早くから出向くのは、家庭を抱える者には、なかなか難しい。
しかも、準備時間は、どうしても短くなってしまうので、朝早くからこそ、アシスト者がほしい…。

ひとりで出向くしかない、とわかって、先生方にお手伝いをお願いいたしました。
幸いなことに、こちらの小学校には、毎年伺わせていただいているので、会場設定の要領はつかんでいます。
お話させていただく教室は、ランチルームで、1階、玄関近くなのです。これは、ありがたい。


先生方のお手伝いで、なんとかセッティング。
ご援助、ありがとうございました。
でも、1日に2コマお話させていただくときは、なるべく、お昼休みを入れていただくことにしています。
2回つづけて同じ話というのは、市民であるわたしにとって、やはりハードルが高いからです。


でも、学校には、学校のご事情が。。。




元気をくれるのは、やはり子どもたちです。
子どもたちの瞳に合わせて、お話していくと、しゃべり過ぎるほど、しゃべってしまいました。
(いや~、いつも反省しているんだよっ、本気でっ。しゃべり過ぎるのは、子どもたちに失礼だって。)

2回目、朝から話しつづけて、正午も過ぎて、終わりに、担任の男性の先生が、締めくくりの感想をお話になられました。
先生が最後に感想を言います、と断わられて。

「先生は、小学校5年生のときに、水俣病を勉強したきりでした。
もし、君たち、5年生の担任とならなければ、まだ、いろいろなことを知らないままだったでしょう。
今日、いろいろなことを知りました。」


どう言ったらいいでしょう。
思わず、わたし自身が赤面するような真摯さで語る先生に、感動しました。


片づけも先生方がお手伝いくださって、助かりました。
あんまりスムーズで、半永さんの写真集をしまい忘れてしまって、学校の周囲を1周して戻りましたけど…。


この日、さすがに、疲労感が強く、仕事をするために給食のお誘いもお断りしたのに、帰宅後、仕事にも戻れずに、脱力したように横になり眠りこけました。
眠りこけながら、集中した4時間、子どもたちと向き合った4時間が、「水俣」の意味をもうひと回り深くしてくれたのではないかと、あとになってですが、そんな気がしています。
(この話は、また、あらためて報告しますね。)









特別ゲストを迎えて連続16回目の出前

2015-03-06 09:39:16 | 出前レポート
相模原市市立南大野小学校 5年生 3クラス

2015年2月13日 金曜日 

「南新町から来ました」と名乗れるよろこび



●事前打ち合わせ 2月6日PM3:30~4:30
●5,6時限 3クラス  
●行ったひと 美月めぐみ・鈴木大輔(演劇結社・ばっかりばっかり)  田嶋いづみ
●使用したもの 桑原さん写真の特大パネル1枚、普通パネル8枚
芥川さんの写真パネル1枚と宮本さんの写真シート11枚
PPスライドと映像2点 半永さんの写真集にあまなつ1ケ
●報告者 田嶋いづみ




南大野小学校に「水俣」を伝えに行く出前活動は、わたしにとって特別です。
うちの子どもたちが21年間にわたり在籍した小学校だから。
うちの近所の子どもたちが通う小学校だから。

他の小学校に行くとき、わたしは市内なら「相模大野から来ました」と名乗ります。
市外の小学校に行くときには、「相模原から来ました」と名乗ります。
南大野小学校に行くときだけ、「南新町から来ました」と名乗ります。
近所にいる者だと名乗って、「水俣」の話を聴いてもらえることがうれしいのです。

今年は、さらに、<演劇結社 ばっかりばっかり>の友人二人に参観してもらうことができました。
(あ、参観だけじゃなくて、もちろんアシストしてもらいました。深謝!)


ご存じない方のために、紹介記事をのっけます。
2015年1月20日付 朝日新聞夕刊の記事です。
伝えるネットにとっては、音声サポート部会の大切なアドバイザーでもあります。





美月めぐみさんと鈴木大輔さんは、お二人でも小学校に音声ガイドのことや視覚障がいについて知ってもらう出前活動をされているので、小学校に来ることには馴れておいでです。

でも、子どもたちの方は視覚障がいのある方に馴れていません。
先天盲の美月さんがそこにいるだけで、子どもたちにとっては新しい出会い、体験になっていくのがわかります。

しかも、この日は、子どもたちといっしょに「水俣」の思いを馳せてくれたのでした。

  


子どもたちといっしょの美月さん。左写真の右端に座っていらっしゃいます。撮影は大輔さん。



どこまでできたかどうかわかりませんが、ほんの少し言葉を探しました。
あまなつから「水俣」に出会ったというはなしのときには、こんなふうにあまなつを手渡して。
もちろん大輔さんというベスト・ガイドがご一緒ですから、安心でした。


朗読活動をされている美月さんたちが、これから「水俣」についての作品も朗読されたい、と考えていることを知ってのお誘いでした。


この日、美月さんがいてくださって良かったなぁと思うときがありました。
最後の質問タイムのときです。

締めくくりは、「HIROSHIMA、NAGASAKI、MINAMATA、YUSHO」とローマ字で書いて、
みなさんはこのローマ字で世界中のだれとでも語り合うことができます、と子どもたちに伝えます。
だから、この言葉で語れることをひとりひとり探しましょう、と呼びかけるのです。

このごろ、こう加えることがあります。
「とても残念ですが、ここに〝FUKUSHIMA”というローマ字が加わると思います」と。

そうです。わたしたちが出前の際、子どもたちに手渡しているガイドの日本地図には、4大公害病の発生地に加えて福島を記しています。

子どもたちから質問が出ました。
「どうして、福島が加わるのですか?」と。

この質問は、ほかの小学校でも子どもたちから出ました。
説明が足りなかったと反省すると同時に、いまの、大人たちのありようが映っているのではないか、という疑いをもちます。
「FUKUSIMA が加わる」と言っても、これまでは質問は出ませんでした。
大人びた子どもたちのなかには、深く頷く子どもたちもいました。
……それが、今年は、説明してみせなければなりません。

社会が、大人のありようが、子どもたちに映ってはいないでしょうか?

すかさず、美月さんが声をあげてくれました。
ちょっと補足しますね、わたしは、福島出身です、と言われて。

とてもありがたかったです。


出前の後の美月さんに感想をお訊ねすると、智子さんのエピソードにご自身のご家族のことが重なって、泣いちゃった、って。
先天的に目の見えない美月さんを囲んだご家族のあたたかさまで伝わってくる感想でした。
うちの家族もおんなじだから、って。

もっとお話しする時間を取りたかったのに、わたしが話し過ぎてごめんなさい、と言ったら、大輔さんが、いいえ、とても練れていて、削るところなんかないんじゃないですか、って。
なんか気恥ずかしくて、身をよじりたいような大輔さんのお言葉でした。

もし。
もしも削ることがないほど、練れていたとするなら、その言葉に凝縮させてくれたのは、これまで「水俣」の話を聴いてくれた子どもたちです。
子どもたちとのやりとりを通じて、現在のところの形になりました。
ひとりでは、たどり着けなかった語りです。

さらに、美月さんと大輔さんが「水俣朗読会」に意欲を抱いてくださったのが、最大のよろこび、です。

美月さん、ちょうどこの日、51歳の誕生日でした。
改めて、美月さん、生まれてきてくれて、同じ時代に生きさせてもらって、ありがとうございます。


そして、オマケ。
この日、5年生の担任の先生のおひとりが熊本県出身の方でした。
そのことを、わたしは、出前の終了後、帰りがけに打ち明けていただきました。
きっと、わたしが話しにくくなるのを、気にされたのでしょう。

お若い男性の先生とお見受けしました。
そして――。
「自分には、とてもこんな話はできませんでした。
今日は、久々に熊本の実家に電話を入れてみようと思います」と。

少しでもお役に立てたでしょうか?







桜美林大学生のサポートを得て出前

2015-02-22 16:36:19 | 出前レポート
相模原市市立清新小学校 5年生 5クラス

2015年2月9日 月曜日 

「笑えるのとは違うけど、楽しかった!」



●3,4時限 3クラス  5,6時限 2クラス
●行ったひと 田嶋いづみ 齋藤裕太
●使用したもの 桑原さん写真の特大パネル1枚、普通パネル8枚
芥川さんの写真パネル1枚と宮本さんの写真シート9枚
PPスライドと映像3点
●報告者  齋藤裕太(桜美林大学 3年 リバラルアーツ学群)



  清新小学校に出向いて

 清新小学校での授業の一環として、「水俣病」を子どもたちに教える授業のアシスタントとして参加した。清新小学校では毎年3学期に田嶋さんを迎えて、小学5年生に水俣病を教えているそうです。
初対面の田嶋さんと軽く自己紹介、ミーティングを終えると授業を行なう教室にセッティングをした。
5学年の先生もセッティングを手伝ってくれ、スムーズに終えることができた。終始、先生方の対応はとても丁寧で緊張をほぐすことができました。

当初の予定では二日かけて5クラスを担当するがはずだったが、急遽1日で終えることになり、午前中に1,2,5組を、午後に3,4組を担当することになりました。
私は主に授業中の資料配布や授業風景の撮影を担当しました。



 一日の授業を通して…

午前中は3クラスともなると90人以上が収まり、広かった教室はすぐに一杯になりました。
午後の2クラスも負けずに元気でした。

授業が始まった。田嶋さんの「おはようございます!」に対して、生徒たちは大きな声で「おはよーございます!」と元気に答え、小学生のパワーは凄いな、と大学生である私は思わず考えてしまいました。
田嶋さんの「水俣って遠いところ?」に「遠―いところ!」、「今からずっと昔のことかな?」に「昔のこと!」など、田嶋さんは常に生徒たちとのやり取りを行ない、普段の授業とは違う参加型の形式だったのだろう。常に真剣な眼差しで授業を受ける生徒たちは、話を聞いていました。

最後に田嶋さんへの質問の時間、生徒たちからはたくさんの質問が飛び、授業の終わりの時間が迫るほど。
二時間近くの授業の中でどれだけの学びがあったのかを実感した瞬間でした。
特に印象的な質問は「水俣病の賠償金はいくらだったの?」という質問。
後で教えてもらったがどうしてもお金のことは聞きたかったそうだ。小学5年生にしてお金に関心があることに驚きを感じました。

一日を通して、写真を撮りながら教室全体を眺めていると、生徒たちは、積極的に発言したり、大事だと思う言葉をノートに書き残したりと各々が自由な形で授業に参加していた。そして先生方も資料を読みながら、生徒たちと同じように真剣な眼差しだった。教室にいる全員が同じ立場で授業を受けているように感じました。






   生徒たちと触れ合って

給食の時間は5年2組で生徒たちと触れ合った。
珍しくお客さんの来たことに生徒たちは大興奮。とても賑やかな教室でした。

教室では多くの生徒が懐いてくれ、給食を食べる暇がないほどでした。
昼休みは教室でお笑い芸人について盛り上がったり、グラウンドでケイドロ(ドロケイ)をして遊んだりと、元気を分けてもらいました。

生徒たちは、田嶋さんの授業を楽しかった、と答えた。
水俣病は決して軽い話ではないのにも限らず楽しかった、と答えたのはそれほど価値のある時間だったのではないだろうか。



  2月9日を通して

一つ目に、清新小学校の先生方はとても素晴らしい方々が集まっていると感じました。
生徒たちはとてものびのびと過ごしていたこと、そして訪問した私たちの緊張すらほぐしてくれたこと、感動すら覚えました。

二つ目に、田嶋さんが水俣病を通して生徒たちに伝えたかったことは大きく4つ。
1、自然は宝の塊。自然を守ることは私たち自身を守ることになる。
2、人が作った病気は人の手で止めることができる。
3、知らないから恐れる。学んで知識を増やすことは私たちの人生を豊かにする。
4、家族や友人とのつながりはどんな困難にも立ち向かうことができる。


私は田嶋さんの授業から感じ、学びました。



  そして、もうひとこと

桜美林大学サービスラーニングセンターの林先生を通じて、初めて、出前活動を桜美林大学の学生さんにお手伝いいただくことになりました。

出前当日、初対面の斎藤さんは、本当に好青年。
何より、高校生時代にもボランティア活動で中学生たちと触れ合っていた体験があるからか、あっという間に子どもたちと仲良しに。
出前の締めくくりの質問タイムにも、斉藤さんがひとこと口火を切ってくれたおかげで、子どもたちが質問しやすくなりました。

感動したのは、教室にあったストーブ近くの子どもたちが熱すぎるんじゃないかと気になって、ストーブと子どもたちの間に立ちづづけてくれたこと。
素晴らしい青年に出会えて、爽やかな気持ちの出前となりました。
斎藤クン、本当にありがとう。あなたの将来の夢、実現できるように祈ってるよっ!


そして、この日の、最大のご褒美は、給食を子どもたちといっしょにいただいたときに、「水俣」の話を聞いた感想を訊ねたときに、かえってきた言葉。
「楽しかった!」

知らないことを知り、知ることの意味にワクワクしてくれた子どもたちの姿は、わたしの心の中でも「希望」となりました。

田嶋・記