伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

特別ゲストを迎えて連続16回目の出前

2015-03-06 09:39:16 | 出前レポート
相模原市市立南大野小学校 5年生 3クラス

2015年2月13日 金曜日 

「南新町から来ました」と名乗れるよろこび



●事前打ち合わせ 2月6日PM3:30~4:30
●5,6時限 3クラス  
●行ったひと 美月めぐみ・鈴木大輔(演劇結社・ばっかりばっかり)  田嶋いづみ
●使用したもの 桑原さん写真の特大パネル1枚、普通パネル8枚
芥川さんの写真パネル1枚と宮本さんの写真シート11枚
PPスライドと映像2点 半永さんの写真集にあまなつ1ケ
●報告者 田嶋いづみ




南大野小学校に「水俣」を伝えに行く出前活動は、わたしにとって特別です。
うちの子どもたちが21年間にわたり在籍した小学校だから。
うちの近所の子どもたちが通う小学校だから。

他の小学校に行くとき、わたしは市内なら「相模大野から来ました」と名乗ります。
市外の小学校に行くときには、「相模原から来ました」と名乗ります。
南大野小学校に行くときだけ、「南新町から来ました」と名乗ります。
近所にいる者だと名乗って、「水俣」の話を聴いてもらえることがうれしいのです。

今年は、さらに、<演劇結社 ばっかりばっかり>の友人二人に参観してもらうことができました。
(あ、参観だけじゃなくて、もちろんアシストしてもらいました。深謝!)


ご存じない方のために、紹介記事をのっけます。
2015年1月20日付 朝日新聞夕刊の記事です。
伝えるネットにとっては、音声サポート部会の大切なアドバイザーでもあります。





美月めぐみさんと鈴木大輔さんは、お二人でも小学校に音声ガイドのことや視覚障がいについて知ってもらう出前活動をされているので、小学校に来ることには馴れておいでです。

でも、子どもたちの方は視覚障がいのある方に馴れていません。
先天盲の美月さんがそこにいるだけで、子どもたちにとっては新しい出会い、体験になっていくのがわかります。

しかも、この日は、子どもたちといっしょに「水俣」の思いを馳せてくれたのでした。

  


子どもたちといっしょの美月さん。左写真の右端に座っていらっしゃいます。撮影は大輔さん。



どこまでできたかどうかわかりませんが、ほんの少し言葉を探しました。
あまなつから「水俣」に出会ったというはなしのときには、こんなふうにあまなつを手渡して。
もちろん大輔さんというベスト・ガイドがご一緒ですから、安心でした。


朗読活動をされている美月さんたちが、これから「水俣」についての作品も朗読されたい、と考えていることを知ってのお誘いでした。


この日、美月さんがいてくださって良かったなぁと思うときがありました。
最後の質問タイムのときです。

締めくくりは、「HIROSHIMA、NAGASAKI、MINAMATA、YUSHO」とローマ字で書いて、
みなさんはこのローマ字で世界中のだれとでも語り合うことができます、と子どもたちに伝えます。
だから、この言葉で語れることをひとりひとり探しましょう、と呼びかけるのです。

このごろ、こう加えることがあります。
「とても残念ですが、ここに〝FUKUSHIMA”というローマ字が加わると思います」と。

そうです。わたしたちが出前の際、子どもたちに手渡しているガイドの日本地図には、4大公害病の発生地に加えて福島を記しています。

子どもたちから質問が出ました。
「どうして、福島が加わるのですか?」と。

この質問は、ほかの小学校でも子どもたちから出ました。
説明が足りなかったと反省すると同時に、いまの、大人たちのありようが映っているのではないか、という疑いをもちます。
「FUKUSIMA が加わる」と言っても、これまでは質問は出ませんでした。
大人びた子どもたちのなかには、深く頷く子どもたちもいました。
……それが、今年は、説明してみせなければなりません。

社会が、大人のありようが、子どもたちに映ってはいないでしょうか?

すかさず、美月さんが声をあげてくれました。
ちょっと補足しますね、わたしは、福島出身です、と言われて。

とてもありがたかったです。


出前の後の美月さんに感想をお訊ねすると、智子さんのエピソードにご自身のご家族のことが重なって、泣いちゃった、って。
先天的に目の見えない美月さんを囲んだご家族のあたたかさまで伝わってくる感想でした。
うちの家族もおんなじだから、って。

もっとお話しする時間を取りたかったのに、わたしが話し過ぎてごめんなさい、と言ったら、大輔さんが、いいえ、とても練れていて、削るところなんかないんじゃないですか、って。
なんか気恥ずかしくて、身をよじりたいような大輔さんのお言葉でした。

もし。
もしも削ることがないほど、練れていたとするなら、その言葉に凝縮させてくれたのは、これまで「水俣」の話を聴いてくれた子どもたちです。
子どもたちとのやりとりを通じて、現在のところの形になりました。
ひとりでは、たどり着けなかった語りです。

さらに、美月さんと大輔さんが「水俣朗読会」に意欲を抱いてくださったのが、最大のよろこび、です。

美月さん、ちょうどこの日、51歳の誕生日でした。
改めて、美月さん、生まれてきてくれて、同じ時代に生きさせてもらって、ありがとうございます。


そして、オマケ。
この日、5年生の担任の先生のおひとりが熊本県出身の方でした。
そのことを、わたしは、出前の終了後、帰りがけに打ち明けていただきました。
きっと、わたしが話しにくくなるのを、気にされたのでしょう。

お若い男性の先生とお見受けしました。
そして――。
「自分には、とてもこんな話はできませんでした。
今日は、久々に熊本の実家に電話を入れてみようと思います」と。

少しでもお役に立てたでしょうか?







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