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伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

当事者と非当事者のはざまで

2015-04-08 10:51:53 | 出前レポート
県立神奈川総合高等学校
環境シンポジウム 第6分科会

2015年3月18日 2コマ+昼食会付き

 「水俣」の事実から、わたしたちの明日へ

~福島避難者:鹿目久美さんんとともに「水俣」から考える~


●行ったひと:鹿目久美さん 深澤礼奈さん(桜美林大学学生) 田嶋いづみ
●使用したもの:PPスライド(資料として配布)
鹿目久美さんに関する掲載記事(川崎市職労 2015.1.5付け、配布資料)
桑原さんの写真パネル3枚(智子さん成人式の写真2点、漁師の手)





生徒たちの自主組織・エコ局主催による環境シンポジウムにお招きいただくこと連続4年目。
いつも、生徒さんとの意見交換を、と願いつつ、分科会の流れのなかで一方的なお話に、どうしても終始していました。
その反省を生かして取り組みたいと考え、今回は、鹿目久美さん(写真)にお手伝いいただくことになりました。

高校生への分科会内容説明には、以下のように記しました。

いま福島で起きていることは、水俣でかつて起きたことと似ている、としばしば言われています。
今年は、鹿目さんから避難体験を語っていただきながら「水俣」が伝える事実の意味をさぐり、明日を生きていくヒントを見出すワークショップとして講座を持ちます。


事前準備するなか、鹿目さんの複雑な胸中を垣間見ざるを得ませんでした。
4年目の「3.11」を迎え、社会的風化と、避難生活の長期化に揺れる鹿目さん。
※このあたりの心境については、神奈川新聞が紹介してます。 ⇒ こちら 


一度は、鹿目さんをまきこみ、「水俣」を結びつけることは身勝手ではないか、と断念しかけました。
しかし、鹿目さんはこう言われたのです。
「大切な3.11の日が来るから、高校生の意見をきく機会を大切に思う」と。

事前に打ち合わせの時間もままならぬなか、内容の大まかな相談をし、あとは「でたとこ勝負」にしましょ、と語り合いました。
まず、田嶋が「水俣」の学びから4つのことを語り、いっしょに出前活動をする機会に、鹿目さんがもらした感想「もっと早くに、水俣のことを知っておけば良かった」をもっと説明してもらうことに。
(これは、水俣の方も「どうしてそう思ったの?」と気にされていたことなのでした。)



話題の中心になったのは、やはり「事実を知る」ということの重さ。
そして「当事者と非当事者の違い」です。

広義では、当事者でないひとはいません。

しかし、面と向かって当事者となった方と、そうでない非当事者がいます。
その違いは何なのか?

どうしても想像できない痛み。
分け合うこともできない深い痛み。
それでも、想像しようとする、分かち合おうとすること。

鹿目さんは、たまたま実家という避難先のあった自分は、それでも「余力」のある当事者、と言われました。
誰もが当事者であるなら、より「余力」のある者が、それぞれ役割を果たさなければならないのではないか。

高校生のみなさんにとっては、「当事者と非当事者の違い」もさることながら、「余力」ということもなかなか理解しがたいことだったようです。(あ、もちろん、田嶋にとってもひきつづき課題です。)
この言葉について考える時間が持てたことは、もちろん、高校生のみなさんのおかげです。
関心は、昼食会に持ち越され、いっしょにお弁当をいただきながら交流タイムとなって貴重なひとときになりました。

当日、意見の引き出し役をしてくださった、桜美林大学の深澤さんの感想を紹介して締めくくりにします。

水俣病については大学に入ってから知ることも多く、解決していない問題であると思っておりました。
何十年経っても続き、今なお国の対応などに不信感を抱かざるおえない印象でした。

私は水俣病の方にお会いしたことはないため、まだまだ知らないこともあるかと思います。
田嶋さんのお話や授業、映像資料と毎回考えさせられ衝撃を受けています。
知らなかった自分に対して、衝撃を受けている自分の差別感情に恥ずかしくなります。
知らないからこその差別、知ることの大切さ、何が正しいのか判断すること…
高校生の質問も私にはないものだったので新鮮でした。

3.11から4年たち薄れてきてしまっているなか、お話を聞くことができ、これからは伝えてもらう側から伝えていかなければならない側になる年齢になってきているので、正しい知識を身につけていきたいと考えさせられました。

桜美林大学 リベラルアーツ学群 3年  深澤 礼奈
 




毎年、エコ局のみなさんには、お世話になります。
依頼をいただいてから即日のお礼メールまで。
高校生と取り組む環境シンポジウムは、楽しみとなりました。
感想を毎年まとめてくださるのも楽しみです。
今年は、さらに心待ちです。

感想文まつりで出前報告

2015-04-02 22:23:12 | 出前レポート
相模女子大学 小学部 5年生3クラス

2015年3月9日 5,6時限

抱きしめて眠りたいほど
ステキな感想文を届けてくれた子どもたち


行ったひと 野村 彩さんと天ケ瀬隆太さん(桜美林大学生) 田嶋いづみ
●使用したもの 桑原さん写真の特大パネル1枚、普通パネル8枚
芥川さんの写真パネル1枚と宮本さんの写真シート11枚
PPスライドと映像2点 半永さんの写真集とあまなつの箱


※今回の報告は、感想文いっぱい。
どうぞ、折りに触れ、子どもたちの字を追ってくださいませ。




昨年につづき、「水俣」を伝えに行ったのは相模大野にある相模女子大学の小学部。
この日も、桜美林大学の学生さんお二人にお手伝いいただきました。

お二人がボランティアを志望してくださったのは、大学のゼミで水俣病について学んでいるからだそうです。
それも中心的に野村さんがお声掛けくださったからみたいです。

いやいや、大学の先生のような伝え方はできませぬ。
緊張しかけたけど、背伸びはあきらめて、ひたすら、子どもたちに瞳の力に支えられて出前。

まず、大学生のお二人の報告から。


最初に
今回、「水俣」を子どもたちに伝えるネットワーク 様の出前授業にボランティアとして参加することになった。
水俣病については、現在所属しているゼミが環境社会学なので、テーマとして取り上げたことのある項目だった。その内容について調べていると、ただの四大公害病と学んだ社会の時間以上にいろいろなことがわかった。チッソという工場が行ったこと、国の水俣病に対しての振る舞い、患者さんの悲痛な叫びなど、学校から学ぶことから更に踏み込んだところまで行かないとわからないことが多かった。
とある日、同じゼミ生であり、今回一緒に参加した野村さんから水俣病に関連するボランティアがあると聞き、興味を持ったのが、今回の参加の経緯だ。

授業準備
 指定時間に校門に行くと、田嶋さんがすでに立っていた。軽く挨拶を交わしながら校内に入っていくと、大学附属ゆえか非常に校内が大きく驚いた。
だが、小学校の会場まで案内されると、かつて自分が通っていた小学校とほとんど同じの雰囲気を感じた。少し懐かしい感覚に浸りつつも初めてのボランティアに少し緊張もしていた。
いざ準備を始めつつ、先生方とも挨拶を交わした。先生方も明るく丁寧に対応してくれたので、連携を取りつつスムーズに準備が行えた。

授業
授業が始まった。
まず、私が驚いたのは小学生たちの知識だった。私が小学生の時には、ドッジボールとドロケイしかしていなかった思い出しかない。しかし、児童のみなさんは、田嶋さんが問いかける内容について淡々と答えていた。例えば「最高裁」だとか「食物連鎖」という言葉だ。これに私は驚きながら、今回の授業が高いレベルで行われるのではないかと希望を抱いた。
実際に児童の皆さんは誰かがギャアギャア騒いだり寝てる、といった問題行動を行わず、田嶋さんの話を真剣に聞きながら一生懸命メモをとっていた。
また、水俣病患者の動画や写真に刺激が強いものがあり、ショックを受けないのかなと心配した面もあった。だが、その心配は無用だった。年齢がやっと2桁になろうという子どもたちが、目を逸らさずに向き合っていたのを見てとても感動した。

質疑応答
今回の授業で唯一少し残念だった部分だった。前述したようにマジメな子どもたちが多い分、いざ質問を求めるとなかなか言い出せないところがあった。もちろんこれは日本人の文化として仕方ない部分もあるが、ここまでレベルが高かったので少し期待していたのも事実だ。
先に私たちお手伝いが質問を田嶋さんに投げかけさせてもらうと、チラホラと手が挙がるようになったので少し安心した。
またすごく印象的だったのは、一人の女性の担任の先生が熱心に質問をしていたことだった。先生自身がすごく水俣病に感心を持っていて、大人になっていても知的探究心を失わないいい先生なんだなと感じた。

最後に
今回ボランティアに初めて参加したので、色々と不手際があったと思いますが、この場を借りて会場となった相模女子大学附属商学部の皆様、そして「水俣」を子どもたちに伝えるネットワーク 田嶋様、このような貴重な体験の場に参加させていただき、ありがとうございました。
お手伝いをしながら、自分自身も色々と学ぶことができました。この学びを自分も、何らかの形で社会へと貢献できる力に変えていければと考えております。本当にありがとうございました。

天ケ瀬 隆太(桜美林大学3年)



真摯にサポートくださる大学生のみなさんの存在は本当にありがたいです。
そこにいてくださるだけで頼もしいです。

そして写真。写真による記録をお願いしたのですが、素敵な写真がいっぱい、でした。
子どもたちを見守る若いお二人の瞳のおかげと思いました。
ほら、こんなふうに素敵な写真。

  

そして、野村さんの感想報告は以下。

一人ひとりが「水俣」と向き合った時間
今回、相模女子大学付属小学部のみなさんと共に「水俣病」について田嶋さんから、お話を伺いました。
「水俣」で起きた出来事は、私や子どもたちからすると遠い昔にあったことであり、いまなぜ勉強する必要があるのか考えることが大切だと思いました。

私は、田嶋さんのお話から「水俣」で起きた出来事は、私たちに命の尊さを教えていること、いまなお「水俣」で戦っている人々がいることを教わりました。また子どもたちにとっても、ただ起きた出来事を知るだけでなく、自分の命や家族のことを考えるきっかけになったと思います。
真剣な目でメモを取る子どもたちの後ろ姿を見て、一人ひとりが「水俣」に対して向き合う時間を過ごせたのだと思いました。

知ること、伝えることの大切さ
私が、最も印象に残っているのは、知ることが差別をなくすために重要だという話です。
事実を知ることで、その人々に寄り添う気持ちが初めて芽生えるのだと考えました。この話から、知ること・知ろうとすることが、私たちが「水俣」のために出来ることの一歩だと思いました。
そして、今回知る機会を得た子どもたちには、今度は伝える側に立って「水俣」のことを考えていってもらいたいです。

つないでいくこと
「水俣」で起きたことは、まだ終わっていません。
問題を過去のことにしないためにも、伝えつないでいく活動が必要だと思います。

今回、一緒に時間を過ごした子どもたちと共に、「水俣」を伝えつなげていく担い手として、私も何か行動を起こしていきたいと思いました。

野村 彩(桜美林大学 学生)




その後、子どもたちから感想文が届きました。
ひとつひとつが素晴らしくて選ぶこともできず、そのまま抜粋、転載させていただきます。
なお、小学部のHPでも、トピック記事として、当日のことがアップされています。
どうぞ、そちらものぞいてください。→こちら






































わたしは――。
お礼を言っていただけるような人間ではありません。
だからこそ、みなさんの言葉に目を覚まされる思いがいたします。
どこかに置いてきてしまった、まっすぐな思いにさらされて、何がいちばん大事か思い出そうとします。

1月から始まった小学5年生への出前活動は、3月のこの日が最後でした。
子どもたちへの感謝を、大人であるわたしは、どこに捧げるかを考え始めねばなりません。










今まででいちばん長く話しつづけたかも・・・・

2015-03-27 22:14:08 | 出前レポート
相模原市立大沢小学校 5年生 4クラス

2015年3月2日(月)1,2時限と3,4時限

給食にも お昼休みにも 食い込んで
質問いっぱいの出前


●行ったひと 峯岸 凜(桜美林大学からの助っ人大学生) 田嶋いづみ
●●使用したもの 桑原さん写真の特大パネル1枚、普通パネル8枚
芥川さんの写真パネル1枚と宮本さんの写真シート11枚
PPスライドと映像2点 半永さんの写真集とあまなつの箱





朝1時限目からの出前はセッティングが大変。この日は大沢小のお隣の高校出身の助っ人が登場!



彼のサポートがなくては、運べなかった出前です。
まずは、峯岸さんからの報告を――。

アシスタントとして大沢小学校に出向き、5年生と共に授業を受けた
午前中を前後半2クラスずつに分け、計4クラスと一緒に「水俣病」について学んだ。
自分が知らない事だらけの4時間だった。

学校につき、セッティング。写真がたくさんあり、先生方や5年生の児童が積極的に手伝ってくれたおかげもあり、とてもスムーズに作業は終わった。

教室があまり広くなかったということもあり、2クラスで教室がパンパンに。
授業がはじまると、それまで元気にはしゃいでいた子供たちも真剣な表情に。
田嶋さんの問いかけに大きな声で答える児童たち。
前半のクラスも後半のクラスも沢山の情報をノートにメモをとっていました。
授業が終わり質問、感想の時間に。
前半のクラスは質問がひっきりなしに。しかし次が控えているということもあり仕方なく切り上げて後半戦へ。

後半のクラスでは、チャイ厶がなっても質問の時間が終わらず、給食の時間まで引き伸ばさなければならないほどだった。
児童たちの興味関心はしっかりと「水俣病」を捉えていた。

少し残念だったのが、水俣病の話を聞いて、魚を食べたくないと思った子供が少なからずいたようだ。
担任の先生が田嶋さんに良い解決方法はないか相談していた。
田嶋さんでも難しい問題であるようで少し熟考してからの返答だった。

授業のときに田嶋さんがあまなつの話をしたことがきっかけで、学校で育てているという夏みかんで作ったゼリーもご馳走になった。



これがいただいた夏みかんゼリー


授業では見きれなかっただろうと昼休みの短い時間ではあるが教室で写真を展示した。
まだまだ興味津津の子供たちは給食を食べ終わると途端に教室を飛び出して、写真の元へ。
片付けの作業をまで写真に食い付くようにみている子供もいた。
掃除の時間になったにも関わらず、片付けの作業を手伝ってくれた子供たちもいて作業も捗った。

たった半日だったが、自分と一回りも違う子供たちと一緒に授業を受け感じたことは、
素晴らしい先生方や伸び伸びとした環境に恵まれていると思った。
しっかりと授業で得た知識を発揮していってほしいと感じた。

峯岸 凜(桜美林大学3年生)








この日の朝、1時限目の始まりに子どもたちが会場となったPC教室に入ってくる直前、今シーズン使ってきたPPスライドの「4番目の学び」を書き換えました。

胎児性水俣病の智子さんや半永さんや鬼塚さんのはなし、とくに、鬼塚さんの詩を、子どもたちに向かって語りかけることを繰り返すなかで、もっともっと簡単でいいのではないか、と感じるようになったからです。

鬼塚さんの「生んでくれた母さん、本当にありがとう」という言葉を追って、おそらくお母さんのおなかのなかでメチル水銀のために亡くなったたくさんの小さないのちを思い、替われるものなら水俣病を替わって負いたいと願っただろう母たちのことを思い、「いのち」をもっとシンプルにストレートに讃えたい。。。
そう思うようになったのです。
眼の前の、いのちの在り処を見せてくれる子どもたちの瞳にさらされるなかで。

「よっつめ  いのちは希望」

そう書き換えている手元を、峯岸さんが覗き込んで、「ずいぶんPCに馴れていらっしゃるようですね」と声をかけてくださいました。
いいえ、馴れてるなんて。。。子どもたちに伝えたい気持ちが先走るだけです、はい。


もうもう、給食はどうするつもりなのかしら、と思うほど、質問が次から次とつづきます。先生もまったく制せず。
おかげでお昼休みはなくなってしまって、悪かったわね、と一緒に給食をいただいた子どもたちに声をかけると、「別にいいよ」って。
先生、「一日ぐらい、どうってことないですよ」って。

たくさんの質問のなかで、「魚を食べてもいいのか」という問いは、とても大切に思いました。
宿題をもらった気持ちで、これから1年間考えていくつもりです。
もし、身体の外側に、ではなく、身体の内側に海や川や山があるのだとしたら、魚たちはすでに、わたしたちの身体のなかにあるのですから。
大切な質問をありがとうね。

そして、酸っぱくて新鮮なゼリーをありがとうございました。
先生手づくりで校庭になった夏みかんから用意してくださったゼリー、4時限分しゃべりつづけた舌に癒しとなりました。
なので、再掲。





5年生11人、6年生5人に「水俣」を伝えに行く

2015-03-22 09:08:19 | 出前レポート
相模原市立湘南小学校  5,6年生

2015年2月24日(火) 3,4時限目

「バージョンアップしてますね」の嬉しい励まし



●行ったひと 村田キク江 田嶋いづみ
●使用したもの 桑原さん写真の特大パネル1枚、普通パネル8枚
芥川さんの写真パネル1枚と宮本さんの写真シート11枚
PPスライドと映像2点 半永さんの写真集とあまなつの箱


   


相模川の南側に位置することにちなんだ「湘南村」の名前を残す湘南小学校は、相模原市の北西、相模縦貫道工事のトラックが行きかう道路沿いにある小規模校です。

今年から、湘南小学校に着任された林校長先生とは、相模原総合学習センターの環境教育の手引きづくりで出会ってからのお付き合いです。
以来、着任先の小学校に、時期になるとお呼びくださる、わたしたちの活動の大切な支援者となってくださっています。

林校長先生は、だから、わたしたちの取り組みについてよくご存じです。
写真パネルを持ち込む労力を気づかいいただき、駐車場からいちばん近い教室を割り当ててくださっていました。

駐車場にいちばん近い教室・・・それは、2年生の教室でした。
3時限目から始めるために、2時限目から準備を始めなきゃならないのに、2年生の普通教室。。。

2年生は、女の子ひとり、男の子ひとりの2名。
(ふたりいる、というのが大切なんだそうです。ひとりだと、複式学級になっちゃうんだそうです)
ちょうど漢字の練習をしていました。
ときならぬ参観者に、子どもたちは少しはしゃぎ気味。
お若い男の先生がたしなめるのも、なんだか、和気あいあいで、邪魔している身でありながら、楽しくなっちゃって、子どもたちに声をかけながら出前準備をしました。
たぶん、すごく勝手な思いなのでしょうが、こういう小学校なら、先生をしてみたいなぁ・・・なんて思いつつ。

初めて出前に伺った小学校ということで、林先生が、6年生もいっしょに話を聞かせてください、とのこと。
5年生11人、6年生5人の子どもたちを前にお話しさせてもらいました。

6年生のなかには、女の子がひとりだけ。
同じ学年に女の子がひとり。。。というのは、確かに小規模校の悩みがあるかも、と感じました。
大人びた少女の横顔をみつつ、どうか、何か伝えるものを残せますように、と、ちょっと力んでしまったかもしれません。

そして、11人の5年生からは、担任の小林倫子先生からのこんな文章とともに、感想をいただきました。

先日は貴重な話を聴かせて頂きありがとうございました。
「水俣病」は遠いところであった昔の話と思うかで始まり、現在進行形の話で、身近な所で起こっている話というまとめ方の見事さに、日々授業している身としても、とても感銘を受けました。
知らないから差別になるという話も子ども達の心に一石を投じたと思います。

お話をして頂いて三日たった本日、社会科の授業で10分程度の時間をとり、思ったことわかったこと、気づいたことをお話してくださった田嶋さんに届けるつもりで書きなさいと話した所、平素騒がしい子ども達が一心に書いていました。
10分では足りず、15分に伸ばしてくれ、という声も出て、15分の時間をとりました。

本来なら誤字や文章の訂正などきとんとしてお渡ししなければならない所でございますが、今日、校長先生が田嶋様の元に伺うと聞いて、せめて子ども達の心を届けたいと思い、このままの形で恐縮ではございますが、お渡しさせて頂きたいと思います。



で、湘南小学校に置き忘れて行った水筒とともに林校長先生がお持ちくださった感想文からふたつをご紹介。









ずっと子どもたちと一緒に「水俣」を伝える話を聴いてくださった林校長先生。
「ますますバージョンアップしていますね」
そう声を掛けてくださいました。

林校長先生は、そうやって、いつもわたしたちに勇気と励みをくださいます。
そして、来年の出前の予約をしてくださいました。
湘南小学校の来年度の5年生は4人。

4人の子どもたちにどんなふうに話しかけましょうか?
叶うなら、4人だからこそできる伝え方できないかな?
いまから、ワクワク、楽しみです。



座間市こころ・ときめきスクール、連続その2、その3

2015-03-20 09:38:25 | 出前レポート
座間市立旭小学校 5年生 3クラス
2015年2月20日(金) 3,4時限

座間市立東原小学校 5年生 3クラス
2015年2月23日(月) 3,4時限

座間の子どもたちも、わたしのまちの子どもたちも。
麦っ子畑保育園・学童の指導員さんも。





●行ったひと:村田キク江(旭小のみ)  田嶋いづみ(両日とも)
大島貴美子、岡本芙紀子、鈴木勝久(東原小近くの麦っ子畑保育園のみなさんで、東原小のみ)
●持参したもの:ここのところの一揃い 
(時間がなくて、ここのところ杉本栄子さんにはお休みいただいております)


相模原の南端に位置する伝えるネット事務局から、座間市は、お隣というより、わたしたちのまち。
(どこの子どもたちも、わたしたちのまちの子、って思ってるけどね。)

今年は、その座間市の3校からご依頼を受けて、土日をはさんで、3レンチャンで出前をさせていただきました。




旭小学校でのようす、です。



去年も、おととしも伺わせていただいた旭小学校。
去年は大雪のあとで大変だったなぁ、と思い出しつつ、勝手知った裏の出入り口から写真パネルを搬入。
お気遣いいただいて、今年は、3階でなく2階の教室を会場にして実施。
(ご配慮、ありがとうございました!)

給食の準備があるので、正午には終えてください、とあらかじめお願いされていて、こうしてつづけて出前活動に取り組んでいると、その連続のあいだに言葉が増えてきてしまって(何か原稿があるわけではないので、その都度、思い出したことや言葉のつづきで言いつのりたいことなんかが出てきてしまって、同じ話にはなっていなくて、でも、子どもたちとのやりとりで、アレもコレもみたいになっちゃうんだよね。どうしても)、時間内に終えようと緊張してしまいました。

今シーズンのはじまりには、坂本しのぶさんのインタビュー映像と、杉本栄子さんのメッセージ映像とふたつ見てもらっていたのが、もう、栄子さんにはお休みしてもらうことになりました。

あ、栄子さんの映像は、こちらで見ることができます。→こちら





こちらは、東原小学校のようす。



東原小には、麦っ子畑の学童の指導員をされているおふたりが参観してくださいました。
感想をいただきましたので、ご紹介。

田嶋先生のお話を聞いて、中学校で習いはしたが、たった1ページもない深く語られることもなかった"水俣病"を深く深く知り、印象が変わりました。
昔とはいえ、約60年という月日が経っているにもかかわらず、今もまだ解決できていません。
そして同じ国"日本"で、同じ人間がこのような事件の犠牲となってしまったこと。
その裏でとんでもない事が起きていたこと。
知っていなかったじゃ済まされないという事実。
何より今も全く国の対応が変わっていないという事実にショックでたまりません。

また、水俣病の事だけでなく、"人が人とおもうこと"。
この言葉が胸に響き、改めて"思いやり"という気持ちを大事にしなくてはと思いました。
田嶋先生のお話を聞けて本当に良かったです。
社会に対する知識を増やし勉強しようと思いました。

子ども達の心にもこのお話は染みると思います。これからもたくさんの方に伝え続けていってください。
この事を知った以上、私も出来る限りの事はやりたいです。

田嶋先生、学童でお待ちしています。
本当にありがとうございました。

岡本芙紀子



わたし、“先生”じゃないんですけど…。(うふふ)
麦っ子畑の学童の子どもたちに伝える機会のきっかけになれたら、すごく嬉しいですっ!


今年30歳になりました。

水俣病については小学校の頃、授業で勉強して、四大公害病として特に勉強した覚えがあります。
自分は産まれていない頃の話で自分とは遠い出来事だと感じたのを覚えてます。

4、5年前ニュースで遺族と国、裁判とゆうワードを聞いて、今もまだ続いている問題だと感じました。
しかし、自分の知識は小学校の頃で止まっており、今回の授業でいかに表面だけを知っているかを思い知りました。

そして、小学生と一緒に聞けて良かったです。
先生の授業は解りやすく、自分がどのようにこれから対峙して行くかを示してくれるようでした。
それと同時に国や企業の恐ろしさ、不信感も感じました。
公害病、戦争、原発、どれも繋がる話だと思います。

忘れてはいけないと同時に繰り返してはいけないと後世に伝えるのが自分たち大人の役目だと感じます。
お話を聴かせていただき感謝します。

鈴木 勝久



お若い麦っ子畑のおふたりには、やっぱり“先生”がしっくりくるのでしょうかね。
大人になっても、子どもたちと同じやわらかいこころで、受け止めることは、なかなかできないことです。
その感受性で子どもたちのお世話をされているのだろうと想像しました。
おふたりには、準備も片づけもお手伝いいただいて、本当に助かりました。深謝です。
(大島さん、ふたりを連れてきてくれた上に準備のお手伝い、ありがとうね!)

東原小では、車を駐車したところから、いちばん近く、1階の工作室を会場にしてくださっていました。
そんなふうにご配慮いただけたのは、昨年、座間の立野台小学校にいらした先生が呼んでくださったからです。
異動して、ふたたび5年生の担任になったから、というのがお招きの言葉でした。

なんと、5年生3クラスの担任の先生のうち、おふたりがすでに出前を聴いてくださった先生でした。
「給食なんてなんとでもなりますから」と言ってくださって、「思い切り話してください」と言われたのも、気が楽でした。
子どもたちの質問も多くて嬉しかったです。

帰途につこうとして、送ってきてくださった先生が、再び繰り返して言われました。
「去年、立野台でお話を聴いて、東原の子どもたちにも聴かせたくて」と。
「来年は産休にはいるけれど、また、5年生を担任することがあったら、また、ぜひ」と。

初めて気づいて、改めてうかがえば、セーターのおなかがこんもり。
先生が新しいいのちを育んでいることを知っていれば、もっと、言葉を足すこともできたのに、と思いましたが、いやいや、きっとその姿で子どもたちに「いのち」の気づきを与えてくださる先生だろう、と思ったのでした。

新しいいのちへの祈りをつぶやきながら、帰途につきました。