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伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

10年ぶりに招かれて横浜の小学校で再会

2015-02-13 10:45:33 | 出前レポート
横浜市立鴨居小学校 5年生

2015年2月3日 火曜日

学校にゆる・キャラ かもドルくんのいる小学校へ



●3,4時限目  5年生3クラス
●行ったひと  田嶋いづみ
●つかったもの:桑原さん写真の特大パネル1枚、普通パネル8枚
芥川さんの写真パネル1枚と宮本さんの写真シート9枚
PPスライドと映像3点





「水俣」を子どもたちに伝えてほしい、とお声掛けくださったのは、10年前にもお呼びくださった先生でした。

そのときは、すみれが丘小学校。
大村トミエさんを含め総勢5名で伺った記憶があります。
10年のあいだに、一緒に出前活動をした仲間二人を彼岸に送りました。

記憶を残してくださって、「5年生を担任しているので、ぜひ」というお誘いは、とてもうれしく、勇んで出かけました。
けれど、今度はひとりで。

ひとりが大変なのは、このセッティング。





5年生の担任の先生のおひとりが、専科の時間で、手が空いているので、と手伝ってくださったのが、本当に助けとなりました。





10年前に1度お会いしただけなのに、「水俣」は、ひとを結びつけてくれます。
10年ぶりにお会いしたのに、再会した彼女をちっとも遠くは感じませんでした。
その安心感のもと、少し窮屈そうに3クラスの子どもたちがくっつきあって座ってくれて、話しかけることができました。



鴨居駅すぐそばのこの小学校。
創立140周年を迎えた古い小学校です。
その記念に、校長先生の発案でゆる・キャラをつくられたそうです。

これ。名付けて、かもルド。



いや~、ゆる・キャラのいる小学校って、初めて。



いろいろな小学校に行くようになって、学校の門をくぐるときの感覚、というのがあります。
言葉にはできないのですが、その学校の雰囲気を感じるのですね。温度と、いうか。

この小学校、地域に根ざした古さもさることながら、学校全体にあったかさがありました。
たとえば、校長先生の子どもたちの紹介の、初めの言葉。

「うちの子たちは、素直ないい子たちですよ~」

簡単なように見えて、紹介の言葉を、子どもたちへの褒め言葉から始めることはなかなかできません。
ひとりで出かけて、こういう言葉で、リラックスできるんですよね。



出前の時間を過ぎたあとも、校長先生が話しかけてくださいました。

「田嶋さんにとって、いちばん伝えたいことは何ですか?」って。


すごい校長先生だと思いました。
市井のひとりにすぎないわたしに、こんなふうにストレートな投げかけ、できるでしょうか?

もちろん「希望」だと答えました。
この活動を始めてから、螺旋のように繰り返し繰り返し、3.11のあとは、その衝撃をどう受け止めるべきかを考えながら、ずっとずっと考えてきた経過を含めて、お答えしました。
このところ、絶望の対極にあるのではない、いのち、と同義のようにある「希望」を考えていることも包み隠さず、お伝えしました。

多忙な校長先生は、途中、お電話がかかった様子なのに、それを断って、わたしに耳を傾けてくださいました。


わたしにとっては、あるいは、わたしたちのとっての伝える活動は、
こんなふうに、ひととのつながりのなかで、思索していくことでもあります。

出前シーズンのはじまりに、ありがたい条件でスタート

2015-01-28 09:54:12 | 出前レポート
相模原市立桜台小学校 5年生

2015年1月27日 火曜日

「どんな色が好きですか?」って、きかれちゃった!


●2015年1月27日 3,4時限 5年1組
5,6時限 5年2組
●行ったひと:村田キク江、田嶋いづみ
●つかったもの:桑原さん写真の特大パネル1枚、普通パネル8枚
芥川さんの写真パネル1枚と宮本さんの写真シート9枚
PPスライドと映像3点




  ウォーミングアップして、スタートをきる

現在の教育指導要領では、小学校5年生の3学期に公害について学びます。
なので、「水俣」の話をしてほしいと依頼される機会は3学期に集中します。
出前シーズン到来、というわけです。






始まりは、もちろん緊張します。
でも、ありがたかったのは、ご近所の小学校であったこと。
ここのところ、つづけて呼んでくださっているので、教室の勝手がわかっていたこと。
(1Fのランチルームなので、搬出入がラクなんです。)
1クラスずつお願いします、と言われて、いつもより少人数が対象だったし、間に給食(ご馳走さま!)をはさんで、内容を振り返る余裕が持てたこと。
顔馴染になった先生方がいらして、励ましをもらえたこと。

と、これ以上ないスタートをいただけたと、まず感謝です。


また、振り返ってみると、あれが、助走になってたんだな、と思いました。
今年、1月10,11日に新潟で開催された水俣病事件研究交流集会。
そちらで、発表したのですが、発表準備で発言をまとめたことが、ウォーミング・アップになっていたみたいです。




  これは、ご褒美のような質問?

おしまいに、子どもたちからの質問タイムを設けます。
これまでにされたことのない、質問を受けました。
なんと、トーカーである田嶋自身についての質問です。

「田嶋さんは、何年生まれですか?」

これは、わたしが髪を染めるのをやめたので、白髪になっちゃって、気になるのかな、と思いながら、もちろん正直に答えました。

次に「田嶋さんは、どんな色が好きですか?」

思いがけない質問だったので、途惑いました。

途惑ったけれど、うれしかったです。
個人的な関心の質問は、子どもたちがわたしを受け入れてくれたしるしです。
わたしを受け入れてくれたということは、話を受け入れてくれたことにつながると思います。

一生懸命考えて答えたけど、一方で、思い出したことがあります。

緒方さんの座り込み、旗の話が印象に残ったのでしょうか、子どもたちが緒方さんに会いたい、と言いました。
会って、いろいろ話をきいてみたい、と。
どんな話? とたずねると、水俣病のこととかじゃなくて、もっとふつうのこと、と子どもたちが答えました。
「どんな色が好きですか、とか、きいてみたい」と。

連想して思い出したことがあります。

東京シューレ・大田に、当時、川崎にお住まいだった水俣病患者の大村トミエさんとでかけたことがあります。
水俣病の話をずっとしていて、最後に、大村さんに質問を、と誘いました。
そして、なんでもいいのよ、たとえば、どんな色が好き?って患者さんにきいてみたい、と子どもたちに言われたことがあるけど、そういうことでもいいんだよ、と呼び水になるような声を掛けました。
シューレの子どもたちが、頷いて、「うん、じゃ、大村さん、何色が好き?」とききました。

大村さんは考え込みました。
そして、こう答えました。
「そんなこと、これまで、考えたこともない」って。

水俣病を抱えた日常の苛酷さを感じないではいられない答えでした。

わたしは、「どんな色が好き?」と質問されたことを、ご褒美のように感じました。
いけないでしょうか?


  1組の出前が終わって給食

村田さんが1組のこどもたちと、わたしはこれから「水俣」の話を聞いてくれる2組の子どもたちといっしょに給食をいただきました。

給食をいただいているときのエピソード。

先生が「残っているパンがほしいひと?」 と声をかけ、男の子4,5人が手をあげました。
つづけて先生が「じゃ、みんなで分けて」と言って、教室のうしろ、わたしの背後で相談が始まりました。
わたしは、すぐさま、ジャンケンが始まると思っていました。

ところが、子どもたち、本当に相談を始めたのです。
「ひとつまるごとほしい?」「半分欲しい?」って。
交渉開始です。
わたしは、すごいっ、と思いました。
忙しい日常に、工夫もせずに、ジャンケンひとつですませようとしているのは大人の方ですから。

このことを、あとで、担任の先生にお伝えしたら、「いやぁ、ほしいのに必死ですから」と笑われていたのですが、「そういうことって、当たり前の光景なので、目にしていて気がつかないものです。外部のひとに言われて、たしかに、と気づきます」と言われてました。



  どうして 一生懸命になるのか?

2組、今シーズン2回目の出前は、力が入り過ぎたかも、と翌日の朝になって思っています。

子どもたちの質問は、あまなつを買うにはどうしたらいいか、という質問から始まりました。

そうなんです。
わたし、収穫にはちょっと早めのこの時期、水俣のあまなつを子どもたちに見せてあげたくて、「はんのうれん」の大沢つたこさんに、わがままなお願いをしたのです。
先週の土曜日に。
今日中にあまなつを送ってくれませんか? って。
当日依頼の当日出しというわがままなお願い。
叶えていただいて、桜台小の子どもたちに実物をお見せすることができました。

出前授業が終わって、ひとり、立ち去り難くしている少年が近付いてきました。
彼が訊ねました。
「どうして、知らない水俣のひとのためにこんなに一生懸命になれるんですか?」って。

答えは決まっています。
「わたしは、わたしのためにやっている。このまちで一生懸命生きていきたいから」



さぁ、シーズンが始まりました。
体調に配慮し、いろいろなことをわたしに教えてくれる子どもたちに元気に会いにいかねばっ。



先生、給食のあとのあたたかな昼下がり。
大人だって、居眠りしたくなっちゃいます。
わたしに気を遣って、少しでも姿勢の崩れた子どもたちを注意されたい気持ち、理解できます。
でも、眠気に誘われても、たったひとつでいいのです。子どもたちに残るなら。
どうか、そのままにしてあげてください。
注意する先生の姿が目に入らなければ、もっと集中できたように思えてなりません。

ひとの出会いは、ご縁に満ちています。
無理なご縁は、こころに残らないような気がします。

生意気、ごめんなさい。










津久井は津久井の伝え方にチャレンジ

2014-03-13 08:14:52 | 出前レポート
相模原市立串川小学校

今年も津久井だからこそできる
「いま」「ここ」の伝え方をもとめて



行った日:2014年3月4日3,4時限
行ったひと:安川源通さん(NPO法人 里山津久井をまもる会)、田嶋いづみ



去年同様に、出前活動をセッティングしてくださったのは、安川さんです。

安川さんとは、「フォトシティさがみはら」実行委員会でごいっしょしてから、2010年の【写真展 水俣を見た7人の写真家たち】の関連企画に参加していただいて、そして、出前にごいっしょする仲に。

子どもたちに伝えるコンビ結成から、すでに4年目というわけです。




子どもたちに語りかける安川さん。
「水俣」を伝える活動との出会いを説明するのに
『写真集 水俣を見た7人の写真家たち』を掲げてみせてくれました。



わたしたちは、水俣とも水俣病とも言わず、「水俣」と言います。
「  」にこめた思いは、「いま」「ここ」のこと、というものです。


「いま」「ここ」のことだったなら、私たちは自分たちのくらしのなかで引き受けなければならないことがある、と、「水俣」からもらった「大切な4っつのこと」を伝えたあと、安川さんにバトンタッチ。

安川さんは、用意してくれた13枚のスライドを子どもたちに見せてくれました。

小さないのちに眼を注いできた安川さんが撮った写真スライドです。



「君たちだって、小さないのちにチッソと同じことをしている」


安川さんの語りかけの言葉は、きびしい、と思います。

そんな安川さんを、なんて優しい方なんだろう、といつも思うのは、このスライドを見るときです。



アスファルトの上で踏み潰されたクワガタにとまった蝶を、クワガタの魂を昇天させてくれる天使になぞらえています。

ふと、「なぜ、踏み潰された昆虫たちの写真ばかり子どもたちに見せるのだ。残酷じゃないか」とクレームを付けられたときのことを思い出します。
「残酷」なんかじゃない、いのちと向き合っているんだ、と思います。

「ひとがひとをひとと思えなく」なったら、公害病を起こしてしまうのだ、という自戒が、もっと小さな、もっとかすかないのちにまで拡がっていったのは、津久井に住み、津久井のいのちに向き合っている安川さんとつながれたおかげです。

「水俣」を伝える出前活動は、何よりも、自分自身に対する学びの場面であります。

串川小学校では、給食をご馳走になりました。
子どもたちに混じって、かわいらしいお弁当箱で配られたご飯を食べましたよ。


【浜松窓口】15回目の出前授業

2014-03-11 14:48:38 | 出前レポート
浜松市立入野小学校 5年生

2014年2月24日


出かけた人:小林芽里、榊原真理、池谷雅子
持っていったもの:豊橋写真セット





入野小での15回目の出前授業は2階のパソコン教室で行いました。
パソコン教室は特別教室なので普通の教室より大きめですが、5年生4学級126人が入るには少し狭く、この写真のようにみんな膝を突き合わせて、熱心にメモを取りながら話を聞いてくれました。

水俣病の公式確認の年月日をスライドで出した時、「すごい昔のことじゃん!」という声が出ました。

が、今も水俣病で苦しんでいる人がいること、水俣病と認めて欲しいと訴えている人がいることを話すと、過去の終わったことではなく、今も続いていることなのだと感じてくれたようでした。


入野小学校の丸井先生から「水俣」の出前授業の依頼のお電話をいただいたのは2月12日の夕方。
2000年の冬、その当時の5年生担当の先生から「水俣病の話をしてください」と頼まれて以来、ずっと出前授業をさせてもらってきました。

が、年明けに浜松市では学校給食のノロウイルス集団発生があり、先生方もその対応に大変で、今年はその時間をとれないかもしれないと思いつつ、学校へ問い合わせをしようか迷っていた時のことでした。
出前授業の後で校長先生にそうお話しすると、「毎年、5年生には必ず話して欲しい内容です。大切なことだから続けて伝えていってください。」と言ってくださいました。

(報告:池谷)





  子どもたちの質問と反省会で出た意見

Q1 患者が20万~200万人と大まかな数字なのはなんで?
→ 被害にあった人の健康調査をして来なかったから。

工夫する点: 全ての人が劇症のわけでなく、軽症や症状が見えずらい人も含むという病像のピラミッドがあるとわかりやすい。
水俣市だけでなく、1950~60年代に不知火海周辺に住んでいて、魚を食べていた人を推計すると、このぐらいの数字になることの説明が必要かも。



Q2 チッソが水銀を流してしまったのは故障? 自然に流れたもの?
→ 当時は「流してはいけない」という法律がなかったと説明したらに「えー!」の声。

工夫する点:今、中国の環境汚染、PM2.5が話題だけれど、かつての日本も同じような状態だったと説明したら実感しやすいのでは。



   講座が終わってからの質問・意見 (♪写真の片づけを手伝いながら子どもたちの質問やつぶやき)

Q1 ご飯をこぼしている「汚い!」―久美子ちゃんの写真の説明をしました。

 
→ 感覚がないから、みんなのように「おいしい」とをじているかわからない。
生きていてほしいから食べ物を口にいれてるんだよ。


 → 「病気になったら意識がないほうが幸せでは?」(写真を見ていた子の意見)



Q2 太刀魚をもったおばさんの写真に「これは何?」
 → このおばさんは漁から帰ってきた漁師さんから魚を分けてもらったんだよ。

・胸を露にしているおばあちゃんの写真に反応する女子
 「これは見せちゃダメ!」
・うちの伯父さん(お祖父さんん?)は被爆者だ。(この子はとても共感しているようでした。)
・智子さん、姉妹で彼女だけ(胎児性患者)?下の子たちは??

(質問・反省まとめ・コメント:小林)




  もったいない思いでいっぱいに

今年は、担当の先生が、本当に楽しみにしていてくれたのが、よくわかりました。
子どもたちも、水俣のことを、あらかじめ勉強してあったみたいで、池谷さんの投げかけにも反応がとてもよかったです。ほかの先生方や、発達学級の生徒さんも一生懸命聞いてくれていました。

パソコン室は、パワーポイントやDVDを見るにはやはりいい環境ですが、ちょっと狭くてかわいそうでした。

写真を廊下に並べていたので、ゆっくり説明できなかったけれど、行き帰りにみんな、興味深そうに、見て行ってくれましたが、後で考えると、もう少し階段のほうに並べたら、ほかの学年の先生や子どもたちにも見てもらえたかしらとか、そのまま、昼休みに、写真展やらせてもらったら、よかったかしら・・・とか、せっかくの写真をもっと活用できたなあ~と、思ってしまいました。
あの時間だけでは、ちょっともったいなかったですね。

毎年、感じますが、ほかの学校でもやってほしい授業です。
子どもたちが、命のことや差別のことや環境のことなど、いろんなことを考えるとても意味のある時間になったと思います。
(コメント:榊原)

「水俣」を伝えて、「福島」に思いを馳せる

2014-03-10 19:56:02 | 出前レポート
相模原市立清新小学校5年生4クラス

雪の残る小学校に
“母ちゃんず”の鹿目さんといっしょに出前



行った日:2014年2月21日 3,4時限目&5,6時限目
行ったひと:鹿目久美さん、田嶋いづみ



 写真展でもらった出会いから

鹿目さんと出会ったのは、昨年9月「100人の母たち~亀山ののこ写真展」に取り組んだおかげです。

「水俣」を考えると「福島」にたどりつかないではいられません。

鹿目さんも小1のお嬢さんのいるこのまちのお母さんです。
「水俣」を伝えに行くお母さんの仲間として、お声掛けさせていただきました。

鹿目さんは、このまちで育ちました。
そして、結婚して福島でくらすようになりました。
やがてお嬢さんが生まれ、大玉村にログハウスの自宅を建てました。
もし、地震だけ、津波だけだったら、鹿目さんは相模原に戻ってくらすことはありませんでした。
放射能からお嬢さんを守るため、鹿目さん母子は相模原に自主避難してきたのでした。




「水俣」はいのちを伝えるものだから。
「水俣」に向き合うことは、これからの希望につながるから。
そんな話をするから、「福島」の話をしてもらって補足してほしい、というのがお誘いの言葉でした。

ほんとは、恐るおそるでした。
向き合うと決めることができるのは、自分だけ。
無理やりにすべきことではありません。

「水俣」を伝えるとき、自分が水俣に地縁・血縁なき者であることを忘れません。
「福島」についても、同様です。
私は、当事者ではありません。

・・・しかし、私もまた、当事者です。
当事者であることを択びます。
いやおうもなく当事者になられたみなさんに、当然あるべきケジメを置きながら。

私たちが「水俣」を伝えるとき、必ず配布しているガイドと呼んでいる印刷物があります。
すでに22,500部印刷してきましたが、それも底をつきました。
追加印刷する機会をとらえ、この1月には、改訂を行ないました。

私たちは、4大公害病をさす地図に福島を加えました。
以下は、ガイドの4ページ目です。






  いのちをテーマに 2ラウンド


この日の清新小学校の出前は、しかも2ラウンド。

鹿目さんにとっても、私たちの「水俣」出前は初体験のことになりました。
子どもたちと同じ真剣さで「水俣のことを初めて知った」と言われ、「本当に、もっと早くに知っておくべきだった」と言われました。

そんな鹿目さんに、思いを語ってもらうだけ時間のシェアをしたくて・・・緊張しました。
うん、しゃべりすぎないように。



子どもたちに語りかける鹿目さん



先生方の理解もありがたかったです。
「水俣」が「福島」につながることを、普通に受け入れてくださって、いのちをテーマに語ることを受け入れてくれたのは、とても支えとなりました。


実は・・・。
鹿目さんに用意したPPスライドを見せて、1回目がすんだあと、どこを切っていけば、もっとゆったりと語りができるかをお訊ねしました。

「いのちの場所」と「いのちの歴史」のところは、丁寧に伝えてほしい。


って、鹿目さんは言われました。

正直、あっ、って思いました。
まさに、そこを削って話そうって思っていたからです。

そうなんだ、いのちがテーマなんだ。
「水俣」の原点を振り返る思いでした。

知らないうちに馴れがやってきて、まとめよう、まとめよう、っていう気持ちが出てきてたみたい。
こういうことがあるから、出前活動は、いろいろな方に参加してもらわなきゃね。


もちろん、この日も子どもたちは、瞳を丸くして、身体を前のめりにして聞いてくれたのでした。