横浜市立鴨居小学校 5年生
2015年2月3日 火曜日
学校にゆる・キャラ かもドルくんのいる小学校へ
「水俣」を子どもたちに伝えてほしい、とお声掛けくださったのは、10年前にもお呼びくださった先生でした。
そのときは、すみれが丘小学校。
大村トミエさんを含め総勢5名で伺った記憶があります。
10年のあいだに、一緒に出前活動をした仲間二人を彼岸に送りました。
記憶を残してくださって、「5年生を担任しているので、ぜひ」というお誘いは、とてもうれしく、勇んで出かけました。
けれど、今度はひとりで。
ひとりが大変なのは、このセッティング。


5年生の担任の先生のおひとりが、専科の時間で、手が空いているので、と手伝ってくださったのが、本当に助けとなりました。
10年前に1度お会いしただけなのに、「水俣」は、ひとを結びつけてくれます。
10年ぶりにお会いしたのに、再会した彼女をちっとも遠くは感じませんでした。
その安心感のもと、少し窮屈そうに3クラスの子どもたちがくっつきあって座ってくれて、話しかけることができました。
鴨居駅すぐそばのこの小学校。
創立140周年を迎えた古い小学校です。
その記念に、校長先生の発案でゆる・キャラをつくられたそうです。
これ。名付けて、かもルド。

いや~、ゆる・キャラのいる小学校って、初めて。
いろいろな小学校に行くようになって、学校の門をくぐるときの感覚、というのがあります。
言葉にはできないのですが、その学校の雰囲気を感じるのですね。温度と、いうか。
この小学校、地域に根ざした古さもさることながら、学校全体にあったかさがありました。
たとえば、校長先生の子どもたちの紹介の、初めの言葉。
「うちの子たちは、素直ないい子たちですよ~」
簡単なように見えて、紹介の言葉を、子どもたちへの褒め言葉から始めることはなかなかできません。
ひとりで出かけて、こういう言葉で、リラックスできるんですよね。
出前の時間を過ぎたあとも、校長先生が話しかけてくださいました。
「田嶋さんにとって、いちばん伝えたいことは何ですか?」って。
すごい校長先生だと思いました。
市井のひとりにすぎないわたしに、こんなふうにストレートな投げかけ、できるでしょうか?
もちろん「希望」だと答えました。
この活動を始めてから、螺旋のように繰り返し繰り返し、3.11のあとは、その衝撃をどう受け止めるべきかを考えながら、ずっとずっと考えてきた経過を含めて、お答えしました。
このところ、絶望の対極にあるのではない、いのち、と同義のようにある「希望」を考えていることも包み隠さず、お伝えしました。
多忙な校長先生は、途中、お電話がかかった様子なのに、それを断って、わたしに耳を傾けてくださいました。
わたしにとっては、あるいは、わたしたちのとっての伝える活動は、
こんなふうに、ひととのつながりのなかで、思索していくことでもあります。
2015年2月3日 火曜日
学校にゆる・キャラ かもドルくんのいる小学校へ
●3,4時限目 5年生3クラス
●行ったひと 田嶋いづみ
●つかったもの:桑原さん写真の特大パネル1枚、普通パネル8枚
芥川さんの写真パネル1枚と宮本さんの写真シート9枚
PPスライドと映像3点
●行ったひと 田嶋いづみ
●つかったもの:桑原さん写真の特大パネル1枚、普通パネル8枚
芥川さんの写真パネル1枚と宮本さんの写真シート9枚
PPスライドと映像3点
「水俣」を子どもたちに伝えてほしい、とお声掛けくださったのは、10年前にもお呼びくださった先生でした。
そのときは、すみれが丘小学校。
大村トミエさんを含め総勢5名で伺った記憶があります。
10年のあいだに、一緒に出前活動をした仲間二人を彼岸に送りました。
記憶を残してくださって、「5年生を担任しているので、ぜひ」というお誘いは、とてもうれしく、勇んで出かけました。
けれど、今度はひとりで。
ひとりが大変なのは、このセッティング。


5年生の担任の先生のおひとりが、専科の時間で、手が空いているので、と手伝ってくださったのが、本当に助けとなりました。
10年前に1度お会いしただけなのに、「水俣」は、ひとを結びつけてくれます。
10年ぶりにお会いしたのに、再会した彼女をちっとも遠くは感じませんでした。
その安心感のもと、少し窮屈そうに3クラスの子どもたちがくっつきあって座ってくれて、話しかけることができました。
鴨居駅すぐそばのこの小学校。
創立140周年を迎えた古い小学校です。
その記念に、校長先生の発案でゆる・キャラをつくられたそうです。
これ。名付けて、かもルド。

いや~、ゆる・キャラのいる小学校って、初めて。
いろいろな小学校に行くようになって、学校の門をくぐるときの感覚、というのがあります。
言葉にはできないのですが、その学校の雰囲気を感じるのですね。温度と、いうか。
この小学校、地域に根ざした古さもさることながら、学校全体にあったかさがありました。
たとえば、校長先生の子どもたちの紹介の、初めの言葉。
「うちの子たちは、素直ないい子たちですよ~」
簡単なように見えて、紹介の言葉を、子どもたちへの褒め言葉から始めることはなかなかできません。
ひとりで出かけて、こういう言葉で、リラックスできるんですよね。
出前の時間を過ぎたあとも、校長先生が話しかけてくださいました。
「田嶋さんにとって、いちばん伝えたいことは何ですか?」って。
すごい校長先生だと思いました。
市井のひとりにすぎないわたしに、こんなふうにストレートな投げかけ、できるでしょうか?
もちろん「希望」だと答えました。
この活動を始めてから、螺旋のように繰り返し繰り返し、3.11のあとは、その衝撃をどう受け止めるべきかを考えながら、ずっとずっと考えてきた経過を含めて、お答えしました。
このところ、絶望の対極にあるのではない、いのち、と同義のようにある「希望」を考えていることも包み隠さず、お伝えしました。
多忙な校長先生は、途中、お電話がかかった様子なのに、それを断って、わたしに耳を傾けてくださいました。
わたしにとっては、あるいは、わたしたちのとっての伝える活動は、
こんなふうに、ひととのつながりのなかで、思索していくことでもあります。