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月野岬

好きなゲーム等の文章中心の二次創作置き場です。現在三国恋戦記中心。

『周家の新婚事情』前編(公瑾×花)公瑾ED後

2013-11-22 20:06:20 | 公瑾×花
<前書き>
ちょい忙しくて気付いたら間が開いてた^^;
本当は連載をと思ってたんですが、久方ぶりだったので書く前に自分のお話読み直してました。
そうしたら結構長くて間に合わなかったと言う罠www
さすが公瑾さんです。わんわんおー!
で、11月22日はいい夫婦の日なのでたぶん前後編で新婚ものをお届けします。
ちなみにまだ公瑾さんのCDは聞いてませんよ^^



『周家の新婚事情』前編(公瑾×花)公瑾ED後

気温が秋から冬へとゆっくり移っていた。
周家の公瑾の館では、家令の指示の元に冬の支度が静かに、着々と進められていた。
本来、それは公瑾の元に嫁いだ花の仕事である。
仕事と言っても別に花が先陣をきって、邸の冬支度をするわけではない。
先日、花は公瑾に家令の同席する場で、我が家もそろそろ冬支度をする時期ですねと言われたのだ。
そう言われても正直まだ年若い花には、何をしたらいいのか分からない。
加えて妻になったとはいっても、異世界の少女だった花にこの世界の、まして人を何人も使うような邸の家政など取り仕切れるわけはない。
だから花が困ったように家令に視線を向ければ、花にとっては父親ほどの年齢の男は心得ておりますと言うように頷いた。
「奥方様のよろしき時に、整えましょう」
つまり花の指示にしますと言っているが、それは花の面目を保つためのもので、実際を取り仕切るのは家令と年嵩の侍女の役目だ。
そうして花の出仕がない天気の良い日、邸では冬支度がだんだんと整いつつあった。
と言っても、それまでも全くされてなかったわけじゃない。
全てを一緒に始めて終われるほど簡単なものでもなく、特に力仕事が主な外回りはもうだいぶ手を入れてある。
寝具や敷物などがしまわれた室からは、秋物と更にもっと寒くなってから必要な冬物が取り出され、広げられて点検されていた。
春や夏物は爽やかな色合いで薄手のものが多かったけれど、寒くなる季節はやはり落ち着いた色合いでどっしりした厚手のものが多い。
「うわー壮観ですね」
思わずと言った花の感嘆の言葉に、家令は律儀に頷いた。
「そうですね。ですが他家ではここまで取り揃えることはできませんよ」
「えっと、やはり公瑾さんの趣味ですか?」
「はぁ。まあ、公瑾さまはそう言うところに妥協はなさいませんので」
趣味の良い公瑾は、邸の中も実は凝っている。
一見遠目に見ればそこそこの規模の邸だが、広大でも華美でもない。
だが庭の木々は美しく手入れされ、季節折々の佇まいをみせる。
それでも無駄なことはせず、別に季節ごとに花などを入れ替えているわけではない。
適度に手を加え、自然を生かした美しさを見せているのだ。
それは邸の造りや調度にも言えることで、一見何気ない造りながら実は見えないところにさりげなく凝っていると言う感じだ。
繊細にして華やかな抽斗の彫刻、優美な曲線を描く椅子、美しい光沢をみせる飴色の飾り棚。
花は衝立にかかった窓に掛けるタペストリーのような布を手に取り、その複雑にして繊細な織模様にため息を吐く。
「奥方様の手にされている物は異国渡りものです」
精緻な織の敷物は肌触りも良く、毛足も長くて指先で撫ぜれば気持ちがいい。
「私もいつかこれを選べるようになるんでしょうか?」
奥を取り仕切る夫人には、確かそう言う役目もあると聞いていた。
育った文化が違えば、感覚も違う花には、あの趣味の良い公瑾の意に沿うそれらを選ぶことはとても難易度が高そうだ。
「奥方さまが不安でしたら、幾つか候補を選んで公瑾さまにお伺いすればよろしいと思います。私どももそうしておりましたが、おいおいで結構だと思いますよ」
家令は穏やかに進言すると、微笑ましく年若い少女のような邸の夫人となった少女の様子をうかがった。
「何もかもすぐには無理ですから、一つずつですね」
前向きに素直に頷く花に、本当に健やかな育ち方をした少女なのだと思う。
最初、邸の主である公瑾が年若い少女のような妻をめとると聞いた時には驚いたし、それが異国育ちの他軍の軍師だった少女と聞けば仕える彼らは不安を感じていた。
一体どんな人物なのかと思っていれば、あまりの普通さ加減に構えていた気持ちはあっけなく崩れ去った。
決して良家の姫のようでもなかったが、それでも朗らかな屈託のなさや、その振る舞いは少女が貧しくなく良い家で育ったことを示していた。
何にせよ彼らには花は特異ではあったが、決して悪感情を抱かせるような人間ではなかったのだ。
加えて少女は気付いてないようだけれど、主はこの妻をことのほか大切にしていた。
「窓にかけるのは大変ですね」
花は季節のいい時にはなかった窓の内側の枠の上に渡された棒に、そっと視線をやる。
こちらの窓には基本、ほとんど硝子と言うか玻璃ははいっていない。
だから窓によっては雨戸のような物を閉めるけれど、飾り格子の窓はそのままだったりする。
けれど今は、冬支度の為にほとんどの窓に棒が渡されている。
聞いてみれば、その棒は花の感覚で言えばカーテンレールのようなもので、ここに寒さを防ぐためと装飾のために布を垂らすと説明を受けた。
「こちらは冬支度って大変なんですね」
花はしみじみと感想を漏らす。
「奥方様のお国はあまりお寒くない土地だったのでしょうか?」
「あ、いいえ。わりと南北に長い国だったので、北と南では結構気温差はありました。私の住んでた所でも時々雪は降りましたし、たまには積もったりもしました」
異国人と思っている人たちに、うっかり変なことを言わないように花慎重に言葉を選ぶ。
「そうですか」
「ただですね。そんな感じなので、冬支度そのものは暖房器具を出したり、寝具とか着る物を冬物に替えるぐらいでした」
そもそもこちらと比べれば、現代の家は格段に寒さはしのげていたのだと思う。
気温とかいう根本的な問題ではなく、花の育った世界では家の気密性が根本的に違うのだ。
だから家にいて隙間風が入って来るなんてことはない。
「ではこちらの国の冬には、まだ慣れないのですね?」
主の公瑾から、少女は異国育ちで慣れぬ故に十分に気を配るように言われていた家令は公瑾の意を遂行するため花に確かめる。
秋の初めに婚姻を結び、花がこちらで暮らし始めて日が浅いからどちらもいまだ手探りだ。
「こちらの冬自体実は二度目なんですが、以前は京城にいたので私自身は何にもしなかったんです。それにお城ではここまで冬支度ってしなかったみたいなので」
京城の冬支度ももちろんあっただろうが、それは女官や侍従といった職分の人たちの仕事で花が関わることはなかった。
それにやはり一般と言っては少しばかり豪華すぎるけれど、個人の邸と城では色々違うだろう。
「まあこちらは幾日も雪に降り込められるような土地ではありませんから、そもそもここまで必要ないこともあります」
「比較的南ですからそうなのかもしれませんね」
花の言葉に家令は特別な否定はせずに頷いた。
もちろんそれは事実の一端であるからなのだけれど、それはあくまでも一部であって全てではない。
全てではないと言うか、本当に極僅かほんの一部に過ぎない。
本当の理由は別にあるわけだが、家令はそれを殊更言葉にはしなかった。
そこへ侍女が現れると、家令にお茶の用意ができましたと告げる。
「さて奥方様、冬支度の方はおおよその流れはこのようなものです。後は私どもで行いますので、休憩されて下さい。居間の方にお茶を用意しております」
「あ、ええっと」
冬支度と言っても実際花が忙しく立ち働いたわけではないので、休憩を勧められ何となく申し訳ない気がしてしまうのは根っから庶民育ちのせいだろう。
いまだに自分が指示を出して、人にしてもらうと言うのがどうにも落ち着かないのだ。
「今日は随分と冷え込んでおります。せっかくの休日にお風邪など召されれば、お仕事にも障りがあるのではございませんか?」
ここはさすがに公瑾に仕える周家の家令で、公瑾の様に花を動かす術は心得ている。
働くこと自体を止められてはいないけれど、結婚してから花の出仕は少なくなった。
と言うより前は公瑾と同じに働いていたので、あまりに休みと言うのがなさ過ぎたのだ。
だから今は公瑾が出仕する日でも、今日のように休みの日は時々ある。
そうして家令の言葉の裏にある言葉の意味に、花はちらりと公瑾の姿が脳裏に浮かぶ。
たぶんここで休憩なんて必要ないですって言ったところで、風邪などひいてしまってはおそらく相当にあの麗しい唇から辛辣な口調で嫌味が言われるだろう。
変な意地を張っても仕方ないと、花は今度は素直に「お茶をいただきます」と頷いた。

お茶を飲んだ花は、喉を通るお茶の暖かさと胃の温まる感じに、自分が思っていたより冷えていたことを実感した。
こちらでは十分に気を使ってもらっていつも室は火鉢を入れて暖かくしてもらっているけれど、やっぱり寒かったようだ。
お茶でほっと人心地着いたものの、花はまた落ち着かない気分になる。
人が忙しく立ち働いているのに、自分だけゆっくりするのは気が引けるのだ。
掃除や洗い物、洗濯などは当然、周家のような家柄の夫人の仕事ではない。
居心地良い室で、侍女に世話をされて刺繍や機織りをすることも夫人の仕事だと分かっている。
いや、それすらいまだままともにできない花が、公瑾の妻として少しでも上手になるようにすべきことなのだろう。
「でもね………」
花は呟きを漏らして、自分の手を組み合わせるときちんと膝に置いて小さくため息を吐く。
それらが公瑾の妻として必要ならば、花は努力して何とか身に付けようと思っている。
向こうにいた時から特別手芸や裁縫などに興味はなかったけれど、嫌いではなかったし、それほど不器用でもない。
嵌ればそれなりに凝る方だ。
ただそれはたぶん急ぐ事では無いだろうし、今それよりもしなければいけないことは公瑾が言った冬支度だろう。
いくら自分のする仕事ではないとは言え、邸の皆がそれをしている時に特に急ぐでもないことをするのは気が引けた。
以前の生活では花はそれほど自分を勤勉だったわけじゃない。
学生であったけれどバイトなんてしてなかったし、勉強はほどほど、予備校や塾なんて通ってなかった。
暇があれば友人と寄り道したり、遊んだり、母親に言われて家事の手伝いをする程度だ。
だけどここでは年端もいかぬ子どもが家の手伝いをし、家に事情によっては花よりずっと幼い子供がもう働いていたりする。
そんな姿を見れば、花だってやっぱり夫人と呼ばれる立場でもじっとしているのは酷く落ち着かなかった。
けれど身分の格差が明確にあるこちらで、まして常識も分からない花が自分の考えや気持ちのままに動けば、当然周囲は困惑するし邪魔にしかならないことも理解していた。
「奥方様?お加減がすぐれませんか?」
何やら椅子の上で考え込んでいる花に、控えていた侍女が尋ねた。
「あっ、違います。心配かけちゃってごめんなさい。少し考え事をしていただけなんです」
「そうですか?ご不快がございましたら、何なりと申し上げてください」
「はい。大丈夫ですよ」
「ならばお茶の御代りはいかがですか?」
「身体も温まりましたし十分です」
「そうですか?では今日はお忙しかったのでお疲れでしょう。紀伯もごゆっくりお寛ぎくださいと申しておりました」
そつのない家令の紀伯はもう既に十分に花の気性を見越しているようで、先手必勝と侍女を通じてあっさり釘を刺された。
「はい。じゃあ、少し書簡でも読んでます」
「では、何かあればお呼びください」
茶器を片付けて侍女が下がれば、花は大人しくきれいに丸められた書簡を手に取った。
冬支度をしていると言っても、花の室の周りは比較的静かだ。
家令に案内されている間に、様変わりした室の中はすっかりぬくぬくした雰囲気になっている。
厚手の布が下がった窓は、今は昼間と言うこともあって半ばまで巻き上げられている。
椅子ではなくそのまま床に座すことができる少し高くなった場所には、毛足の茶色の動物の毛皮が敷かれていた。
本当に冬支度なんだと思って、花は改めて生活の違いを感じた。
あちらでも衣替えやファンヒーターを出したりして季節を感じるけれど、こちらの冬支度は否応なく厳しく寒い冬が来るんだなと感じられた。
そうして同時に、こう言う支度をしなければならないほど厳しい環境なのかなと考える。
開いている竹簡の中身は頭に入って来ず、花は王朝の位階に関する書を読むのを早々に諦めた。
どうせなら冬支度を知ったのでこちらの日常や風物などがいいと控えの間にいる侍女に書庫に行く事を告げて、そちらへ一人で向かう。
外に出るときなどは侍女が付き従うけれど、邸の中では花一人でも問題はない。
個人の私邸にこの時代、書庫を備えているのは稀なことで、そこはやはり周家の財力と公瑾の純然たる嗜好によるものだ。
花は本を選ぶために、廊下を渡っていたけれど足取りは緩やかだ。
窓には新たに取り付けられた雨戸もあり、今までの邸とは外観を多少異にしていた。
その様子を興味深く眺めていた花は、密やかな話し声に何の気なしに耳を澄ませた。
「今年の冬支度は、例年と違って大変だなぁ」
「そうだな」
「まるで北部の土地のようじゃないか」
「ああ、俺も他の邸のもんに、今年は大雪でも降るのかと公瑾様が先読みでもなされたかと、真顔で聞かれた」
「それはまあ公瑾様は天候も読まれるが、さすがにそれはなぁ」
「それだけこの冬支度が、まあ大袈裟に映るんだろうさ」
「増して公瑾様がなされるんだから余計だな」
周囲の評判でも公瑾は冷静にして沈着、決して何事も大袈裟な行動をとる性格ではない。
加えて智謀の将として名高く、星読みや天候も読む軍師でもあるとなれば、彼の行いにひとは何か明瞭な意味がある、間違いはないと思う。
だからこそ周家の念入りな、まるで北の地方のような冬支度に周囲は様々な反応を示すのだ。
もしや大寒波と呼ばれる大層厳しい冬になるのか、はたまた例年にない大雪になるのかと。
だが城からそれらに関する警告や触れは今のところない。
憶測を呼ぶ周囲のささやかな困惑に、公瑾は眉一つ動かさず淡々としたものだ。
花は遠のく気配にそのまま書庫に足を進めつつ、実に腑に落ちなかった。
今の、おそらく邸の使用人と思われる二人の男の会話。
それから察するに、今日家令から説明を受けた様々な冬支度は、常の周家の冬の為の準備とは違うと言うことになる。
どういう事だろうか?
花は書簡を整理し分類した箱の表書きを目で追いながらも、その頭の中では疑問に思ったことをずっと考え続けていた。



<後書き>
花ちゃんをお嫁さんに迎えたばかりの周家でのあれこれです。
まー都督がどんな感じでツンデレしてくれるのかなぁと思いながら書いてました。
そー言えば、いい夫婦の日の都督関係はもしや2回目かと思いつつ……まっ、いいですよね。
実は孟徳さんと玄徳さんもネタあったんですが、今回も読み直しの影響で都督でいってみました。
後編、楽しんでいただけるように頑張ります。

『夢の行方』花編(公瑾×花?)羽扇エンド後

2013-10-25 22:21:19 | 公瑾×花
<前書き>
少し間が開いちゃってすいません。
ラブコレ無配本の続きで、花ちゃんともうお一方出てまいります。
まあ安定のフラグでしょうか?www
よろしければ続きをぽちりと楽しんでください。



『夢の行方』花編(公瑾×花)羽扇エンド後
都督は深層心理で恋をする

《花》

公瑾が案内した室に引き取ると、花は扉が閉まるのを見届けて今までの落ち着きぶりはどこえやら、ぱたぱたと回廊を駆け出した。
行儀が悪いと人に出くわしたら言われることだと思うけれど、もうとても我慢できそうになかった。
そのままの勢いで、建物の回廊の角を曲がると階を降りて庭に出る。
「ああ、びっくりした」
庭を少し入ったところの木の幹に手をついて、花は火照った頬を少しざらついた木の幹に押し付けた。
「キスされるかと思った」
思わず出た独り言に、花はもうどうにもならずに身悶える。
先程の行為。
回廊で公瑾が花を庇ってくれたのは、彼の貴公子的な振る舞いに他ならず、特別な何かがあったわけではない。
辛辣な物言いもあるけれど、矢から庇ってくれたことからも分かるように基本的には女性に優しいひとだと花は思っている。
それなのに髪だか、肩だか知らないけれど、どこかに付いていた花びらを取る行為を、口付けしようと勘違いしたとか恥ずかしすぎる。
いや、公瑾は女官が騒ぐように素敵な人だと花も思っている。
思っているけれど、今まで恋愛対象と考えたことはない……と思う。
自分が恋とか、そう言うことに鈍い体質なのは多少自覚している。
だからこそ男の子と付き合った経験はないし、いいなと思ってもそれは恋と言うよりは遠くのアイドルを見るような憧れのようなものだった。
だから公瑾を見て、その優れた容姿に驚いたものの、それは恋ではなかった。
現実にこんなきれいで男の人がいるのかと、驚きが主でたぶんアイドルを見る気持ちに近かったと思う。
それほどに公瑾は、花にとって現実離れした存在だった。
容姿ももちろんだけど、優雅な立ち振る舞い、傍に寄ると風雅と言うのかいい匂いのする男のひと。
残念ながら聴く機会はなかったけれど琵琶の名手だという話だった。そのくせ戦場に立ち、降り注ぐ矢にも動じることがない怜悧な姿。
あまりに身近にいる男のひととは違う姿に、花は驚いたのを憶えている。
周公瑾と言うひとは、他の誰とも全然違う印象を花に与えた。
だから強烈に花の中に公瑾と言うひとはいたけれど、それは恋情に基づいた甘く切ない想いではない。
そこは花も分かっている。
木の幹に押し付けていた頬の熱が少し引いて、花は思わず細く長いため息を吐く。
「やっぱり夢見が悪かったのかなぁ」
呟く花の声は小さく、どこか途方に暮れた響きがある。
今朝方、花は夢を見た。
とてつもなく花にとってはいやらしい夢だった。
夢の中で花は、あろうことか男性と抱き合っていたのだ。それもこう、ただひしと固く抱きしめられていたわけじゃない。
いや、男性と付き合った経験もない花だから、それだけでも大変なことなのだが、もっと内容が濃かった気がする。
もちろん色っぽいことに欠片も経験がない花だけれど、現代に暮らしていた女子高生としては知識としてはあれこれ持っている。
キスを交わし、肌を擽った手や指、果ては唇までが、自分のいたる場所に触れた気がする。
気がするだけで、実のところ花はしっかり覚えているわけじゃなかった。何しろ経験がないのだから、全てはおぼろげだ。
けれどというか、それでも自分が誰かと抱き合った感じはあるのがどうにも居たたまれない。
「まさか欲求不満とか?」
花は力なく思い当たること言ってみる。
でも彼氏いない歴イコール年齢と言い切れる花が、知らないことにそういう気持ちになるとも思えない。
「それに……憶えてないし」
誰かと夢の中で抱き合いながら、花はその相手が誰だったのか記憶にない。
ただ誰かに、自分の名前を幾度も呼ばれた気がした。せつなく甘く掠れた声で。
いや思い出せないのだけれど、うっとりする声だったことは憶えている。
そして花はゆっくり身体を起こすと、今度は木の幹に身体を預けた。
憶えていない。ただ感じたことはある。
公瑾がさっき近付いてきた時、花はなぜだか夢の相手が公瑾だった気がしたのだ。
今まで好きだとか思ったこともないのに、彼の纏う空気がそうした連想を思い起こさせたのだろうか?
それとも今朝夢を見て、あれほど近くに存在を感じた男の人が公瑾以外にいなかったせいだろうか?
空を見上げれば、梢の間から晴れ渡った空が見える。
風が吹いて梢が揺れて、葉擦れの音がさやさやとしてどこからか淡い甘い香りがした。
「もしかして公瑾さんの香?」
香りが夢の中のひとと公瑾を重ねたのかとも思うけれど、それはまた現実離れしている。
「夢の中で香りなんて、するのかなぁ?」
相手が公瑾だと思った根拠はないに等しいもので、花はまたため息を吐く。
もしかして無意識に、公瑾だったらいいと思ったのだろうか?
男のひとで、武器も扱うからがっしり大きな手ではあるけれど、指は長くその動きはどこか優美だ。
あの手が自分に触れそうになった瞬間を、花はただぼんやりと見ていた。
危機意識なんて感じず、ただ見惚れていたのだ。
そしてそのまま覆いかぶさるように、花の顔に近付いてきた公瑾の美しい顔。
長い睫毛の涼やかな目元、そこから覗く瞳の美しさに、花はあの一瞬息を詰めたのだ。
 けれど初心な花だから、それしか感じられなかった。
見る者が見れば、公瑾の瞳に在ったのが美しさだけでも、花びらを取るという気遣いでなかったことに気付いただろう。
あの時、公瑾の瞳にあったのは、男としての原始的欲望であり、本人すらいまだ気付くことのない熾火のような形を持たぬ想いだった。
恋を知らぬ少女は、ほうっといつになく色めいたため息を吐く。
淡い初恋さえ定かでない、少女の物想う様は珍しく匂うような風情があった。
それも当然だろう。異性の肌を知らないとは言っても、少女の身体は夢で見た未知の快楽の名残を身体に無意識に留めている。
そこに公瑾の情欲の視線に晒されれば、いくら初心な少女とて気付かないうちにその身体に灯されるものもあるだろう。
「自分がとてんでもなくエッチな子になった気がする」
人の行為をそんなふうに色眼鏡で見たなんて、誰にも知られたくない。
特に公瑾に知られれば、きっと軽蔑されるだろう。
それでも嫌じゃなかったと言う自分の気持ちに、花は心ならずも気付いてしまった。
本当に二人の距離が近付いた一瞬、どちらかがほんの少し動けば、おそらく唇は触れていただろう。
それほどに二人の距離は近く、公瑾の香りも、息遣いも、熱すら感じそうだった。
白皙の美貌。花びらを掴んだであろう長い指先、鼻先を掠めた香り。
思い出せば、花の胸はどくんと強く高鳴って、どきどきと鼓動は早くなった。
顔にどんどん熱が集まってくるのがわかる。
「あれは他意はないんだから、思い出しちゃダメダメ」
自分で考えたことだけれど、今更ながらに思い出せば恥ずかしさに赤くなるのがわかる。
「どれだけ私、免疫ないんだろう」
いくら男の人に免疫がないと言え、この状況は酷いだろうと思う。
そもそも公瑾にとって、花などはそんな色めいた対象として見れるわけもないだろう。
これは花が自分に対して評価が低いわけではない。歴然とした事実だ。
何しろ年齢の割に少々幼い雰囲気の見かけであることは自覚している。
だから色気なんて欠片もない。
加えて目を惹く華のある容貌でもなし、自虐的になるつもりもないけれど、公瑾の周りに集まる女性たちに比べて確実に女と言うくくりでみれば見劣りする。
こちらの女性は社会の仕組みもあるだろうけれど、総じて花の前の世界での同じ年頃の少女たちと比べても考え方も、その容姿においても大人っぽい。
早い少女では十五、六歳で御嫁に行くし、花と同じ年で子供もいる人だっているのだから不思議はないかも知れない。
とにかく纏う色香からして比較にならない。
また侍女というか花が目にする女性たちは、立ち振る舞いは優雅で、その目配りから何まで女らしい。
ついでに言えば、誰しも水準以上の美しさだ。
これは花にとって少々不幸なことだったのだが、花が目にする女性たちが多くは侍女と言うのも、花の自己評価が低くなる要因の一つになった原因だ。
この世界にあって侍女は一種のエリートで、言わばある程度以上の才色兼備な女たちが集められている。
彼女たちと比べるのが、そもそもの間違いだ。
何はともあれ、公瑾の周囲の女性たちはそんな侍女か、本当に良家の姫君たちだ。
だから花は自分が公瑾の男としての恋愛や欲望の対象になり得るとは、実のところ少しも思ってなかった。
それなのに勝手に自分が、公瑾に口付けられるかもと勘違いしたのだから自意識過剰にもほどがある。
「はぁー本当に、馬鹿みたい」

《花と師匠》

「ボクの弟子が馬鹿と言う自己申告は、師匠としては複雑だなぁ」
不意にかかった声は孔明のもので、花ははっとしたように振り向いた。
「師匠。相変わらず猫のように神出鬼没ですね」
「猫って……君のお師匠さまは世間では龍と呼ばれてるんだけど、いつの間にそんな可愛いものになったのか記憶にないんだけど」
「でしたね」
花は大人しく認める。
「で、何を独り言を木や空に向かって言ってるの?」
何気なく聞かれた言葉に、花はそれこそげっという非常に年頃の娘らしくない呻き声を漏らした。
「いつから聞いてたんですか?」
「ほぼ最初から?」
「さ、最初からですか?」
思わず言葉に詰まりながら、花は自分の迂闊さに呆れかえる。
でもこれは自分だけが悪いわけじゃない。気配を微塵も感じさせない孔明が悪いのだと思う。
「君が回廊を凄い勢いで曲がって来たと思ったら、庭に下りて何やら木の幹におでこをくっつけて、項垂れてぶつぶつやってる。最初は気分が悪いのかもと心配したけど、違うよね?」
「ああ、はい。違います」
「で、挙句の果てに赤くなったり、青くなったり、空を仰いだりしてるだろう。さしものボクも見て見ぬふりは辛くなったんだよ。何しろ弟子思いのいいお師匠さまだからさ」
「そこは……流して欲しかったです」
いつもは必要なときほど近付いてこないくせして、どうしてこんな場面には登場するのだろうと花は恨めし気に孔明を見た。
「何?その顔」
「心配するって言うより、面白がってませんか?」
「まさか!まあ少し面白かったのは事実だけど、馬鹿みたいとか言い出したらさすがに気になるよ」
飄々とはしているけれど、そこは孔明も超一流の軍師様だから当然のように状況も読めば、人の顔色や機微を読むのも得意だ。
弟子の尋常ではない取り乱しっぷりを見て、捨て置けないと思ったらしい。
ありがたいと思う半面、そこはこう乙女心とか羞恥が関係して、花は言い淀む。
「そんなに言い辛いこと?」
「言い辛いってほどでもないんですけど、男のひとの親切を私が勝手に勘違いしちゃっただけです」
「親切って?」
ぼかしておきたいところを、孔明は容赦なくついてくる。探究心は人一倍だから仕方ないと思いつつ、花は諦めて話し始めた。
「例えばこう、髪とか肩に付いた糸くずとか、ごみを取ってもらったりしたのに、自意識過剰な思い違いをしちゃったんです」
「それで身悶えてたわけ?」
「ううっ……そうです」
「その親切で、何やら羞恥を感じてしまったんだ」
「はい。普通、そんなこと考えないのに何でだろう」
「普通は考えないか。ふーん、何を考えたのか気になるなぁ」
「えっ!」
「けどボクは優しいからね。聞かずにいてあげよう。だけどさ君だって、男に親切にされたのは何も初めてってわけでもないだろう」
問題を投げかけるように言われて、花は考えてみる。
確かに花の周囲には親切な人は多い。
馬に乗る際には、手を貸してくれたりするけれど、その時には子供を抱えるように抱き上げてもらったこともある。
玄徳などは、何かと頭を撫でてくれたりとスキンシップには事欠かない。
が、彼らに対して、花はあんな想像をしたことも、狼狽えたこともなかった。
「あれ?そう言えばそうですね。え?じゃあ、私もしかして特別な気持ちとか持ってたりします?」
まさかそんなと、また顔を赤くすれば、孔明は花の初心な様子を観察しつつ苦笑する。
「はいはい。落ち着きなって。軍師たる者、そんなに狼狽えてどうするの?」
「あっ、はい。すいません」
「いくら何でも免疫無さすぎだよ」
「分かってはいるんですけど、こう思い出しただけでダメなんです」
今でも思い返しただけで、熱が出そうだった。
他のひとにとってはたかがキス。
そのはずだけど、夢の影響でされどキスというか、ついその先の想像まで生々しくしてしまうのだ。
「ちなみに親切にしてくれたお相手は誰?」
実に何気なく聞かれた問いに、花はたっぷり間をおいて答えた。
「公瑾さんです」
いくら孔明でも花に夢の中身まで知るはずはないしと思いながら、意を決して告げた名前に対する孔明の反応は実にあっさりしていた。
「なるほど。公瑾殿か。じゃあ仕方ないね」
「仕方ないですか?」
「うん。だって美周郎の異名を持つかの方に、君みたいな子が太刀打ちできるとも思えない。君はね、公瑾殿の色香に当てられたんだと思うよ」
「色香に当てられた?」
「だって彼の異名は伊達じゃない。それは他の女の人の態度を見れば分かるでしょ」
「あーはい。じゃあ、そこに特別は意味も感情もないってことですか?」
確認してくる花に、孔明はいつもの表情で淡々と頷いた。
「そう言うことだね。公瑾殿は物腰優雅にして、女性には誰しも柔和な笑顔を絶やさず、親切だよ。君だって散々あちらで見てきたんじゃないのかな?」
思い起こせば、公瑾はそうだったと花は静かに納得する。
だからこその先ほどまでの、公瑾の案内係の争奪戦だったのだ。
「尋常じゃないモテかたでした」
「だから君も公瑾殿の色香にくらくら来てるだけ。少し冷静になろうね」
孔明の整然とした説明により、この胸の動悸も、熱も、夢と公瑾の尋常でない美貌と色香の成せる業だと花はすっかり納得してしまう。
そこはやはり恋など未経験な初心な娘だった。
「なんとなく落ち着きました」
「自分の状態に理解がついた?」
「はい」
孔明を真っ直ぐ見つめる瞳は、先ほどまでの揺れ動くさまはない。
「そう。ならよかった。これから三国鼎立の会議の本番だからね。頼りにしてるよ」
「わかりました。狼狽えちゃってすいません」
「いいよ。じゃあ頑張ろうか」
「はい。私、先に行って書簡を調べておきます」
「よろしく頼むよ。ボクは少し気分転換してから向かうから」
「わかりました」
元気に行きかけた花は、それでもすぐに立ち止まって孔明を振り向く。
「師匠、今回は消えちゃだめですよ」
花が仲謀軍を使者として始めて尋ねた時を思い出したのは容易に推測がつき、孔明は飄々とした笑顔のままに手を上げて軽く応えた。
少女は晴れやかに笑うと、踵を返しそのまま今度は振り返ることなく回廊を去って行った。
残された孔明は、その姿を消えるまで見送って袖口から小さな石を取り出した。
それを右手に軽く持つと一挙動で投げる。
石は木の枝に当たりがさりと葉が鳴って揺れたが、小鳥が飛び出すようなことはなかった。
「この木に鳥はいなかったみたいだね」
伏龍の異名を持つ稀代の軍師は肩を竦めると、悪びれなく笑みを浮かべた。



<後書き>
はーい、家政婦は見た!ならぬ師匠は見た!でしたwww
さすが師匠は誘導尋問も上手ければ、花ちゃんの気持ちを錯覚に持ってくるのも上手い!
まさに伏龍先生の一端を垣間見た一コマでした。
もちろん大事で大切な花ちゃんを、恋すら自覚してない公瑾さんに欠片も、想いの片りんさえ向けさせるつもりはありません。
来る時は正々堂々自覚してきなさいってことです^^
本当は師匠のターンもあればよかったかなと思いつつ、ここで終了とします。

『夢の行方』無配本編(公瑾×花)羽扇エンド後

2013-10-17 21:31:16 | 公瑾×花
<前書き>
これはラヴコレで配った無配本のお話です。
本が孟徳×花なのに、なぜに公花と言う感じですよね。
私も作ってそう思ったんですが、孟徳さんの本を2冊も書いたので公瑾さんが書きたかった。
はい、ただそれに尽きましたwww
あ、一応15禁です。
年齢に満たない方は、申し訳ありませんが読まないでください。
では条件を満たした方は、続きをぽちりとしてどうぞ^^



『夢の行方』無配本編
都督は深層心理で恋をする

《公瑾》

「はっ……」
 まさに夢から放り出される感覚で公瑾が目覚めれば、そこは見慣れた自分の私室ではなく、また行軍の時の天幕でもなかった。
「ここは……」
そこでようやく、自分が三国鼎立の為の会議に出席するため、今旅の空の下にあるのだと思い出した。
昨夜は旅の疲れを取るためといよいよ明日、長安入りをすることもあって、少しばかり酒を飲んで床についた。
外ということもあり決して飲み過ぎるようなことはしていない。
そもそも日頃から酒は嗜む程度で、どんな場でも酔って正体を失くしてしまうことはない。
だから何故に、あのような夢を見ていたのだろうと思う。酒を過ごした為とは考えられない。
そこそこ高級な宿は清潔で、寝具の寝心地も悪くなかった。
普段ならば心地よい目覚めであったはずだ。
なのに己は、何という夢を見ていたのだろう。
「あさましい」
思わず自嘲の言葉が漏れた。
夢の影響で薄っすら寝汗をかき、不快だった。
そしてそれを更に上回る不快の原因は、猛りきった己の欲望の象徴にある。
まだ枯れ切る年でもないのだから、男の生理的事情により朝こうなることは不思議ではない。
けれど今回の、この状態はいささか事情を異にしている。
いまだに静まりきらぬそれは、このままにしておけないほどだ。
けれどだからと言って、自分で処理するのは面白くもない。
それでも寝ているまま達してしまわなかったことに、僅かな安堵を覚えた。
「本当に忌々しい方だ」
思い出すのは、夢の中で自分が組み敷いていた少女の姿だった。
まざまざと脳裏に浮かぶ白い肢体。華奢な身体は、いまだ成熟した女の身体には程遠かったのに、存分に公瑾を煽りたてていた。
「溜まっているなど思いたくないのですがね」
ここしばらく女の肌には触れていないが、かと言ってこんな夢を見るほど欲求不満なつもりもなかった。
遠征に出れば二か月や三か月、女を抱かないこともある。
別に不自由は感じなかったし、こんな状況に陥ったことも本当に少年と呼べるような若い頃を別にすればない。
「よりにもよって何故、あの方なのか?」
今しがた公瑾が見た夢は、まさしく淫夢とも呼べるべき淫らな夢だった。
まだ青い少女の肢体を、存分に自分が貪っていたのだ。
肌の熱も、柔らかな感触も、せつなそうに上げる声も、鮮明に脳裏に蘇る。
公瑾は納得がいかなかった。
夢とは言え抱いていたのは、そんな欲望の対象などに一度も思ったことがない少女、山田花。
彼女は玄徳軍の使者として一時仲謀軍にいた。諸葛孔明の弟子、軍師を名乗っていたがある意味公瑾の知るどんな少女とも違っていた。
女人の身で軍に身を置くことの危険すら分かってなかった。
どちらかと言えば女の色香には乏しく、容姿ばかりでなくその言動も子供っぽい。
滞在していた折に、彼女の言動を見張る意味もあり公瑾は傍にいたが、彼女に女の色と言うものをほとんど感じたことはなかった。
「あれでは籠絡など無理にもほどがありましたね」
初めての対面の時を思い出して苦笑が零れるが、やはり夢の相手が花であったことは、どうにも腑に落ちない。
公瑾は自他共に認める優れた容貌と気品ある所作を身に付け、はっきり言えば女人にはモテた。
女のことで苦労したのは、世の多くの男性には蹴られそうだがいかに女人の誘いを断るかという点に尽きる。
間違っても女に相手にされないなど反対の意味ではない。
そんな公瑾の傍に、他の女人の姿などほとんどない所で近しくいたにも関わらず、花がこちらにちらりとでも気のある素振りも、意味ある眼差し一つ寄越したことはなかった。
別にそれで構わないし、もしそんな素振りでも見せたら、やはり思惑あってのことだろうと勘繰っただろう。
だから一緒にいた間、二人の間にはまるっきり欠片も、そんな男女の仲や、恋や愛と言った空気が流れたことはない。
なのに、自分の夢に、それもあられもない姿で現れた少女。
夢の中とはいえ、公瑾は思う様に己の欲望を叩きつけるようにして、少女を抱いていたのだ。
だが実際には、公瑾はあの少女にほとんど触れたことすらない。
衣の下の身体が夢で見たように華奢なのかも、重なった唇が柔らかいのかも、肌が甘く香るのかも、感じやすい身体なのかも知らない。
そこまで考えて、はっとする。
静まりかけていた情欲が、またそこへ溜まりそうになっていた。
「まったくもって苛立たしい」
そそるものもない少女を情欲の対象としたのは、おそらく彼女と師である孔明に対するわだかまりが原因だと公瑾は結論付ける。
そもそもこの旅の目的の三国鼎立を提唱したのは
諸葛孔明であり、弟子の花だ。
皇帝を孟徳の元から連れ出したのにも、あの少女が関わっていたと聞いた。
公瑾にとって中原の制覇は、命を賭しても成就させるべき宿願だったのに断念せざるを得なくなった。
本音はどこにあるかは疑問だが、曹孟徳が取り敢えず従う意をみせれば、公瑾たち仲謀軍には孟徳と玄徳の二者を敵に回す力はない。
だから孔明と花には、はっきり言えば野望をくじかれた恨みがある。
思い出せば、胸を痛みが締め付けた。
友を亡くしてからの唯一の望みであり公瑾の生への拠り所が、あの少女の手によって潰えたのだ。
もし夢のような事態になりえたら……たぶん出来うる限りの手管を使って、あの少女を残酷に、徹底的に追い詰め、嬲るだろう。
痛い目になど合わせはしないし、肉体的に傷付けるつもりもない。
ただ女としてその身を、穢し、こちら側へと堕としたい。
そうすればこの行き場のない気持ちも、少しは晴れるだろうか?
そこまで考えた時、廊下に僅かな気配がして控えめに扉が叩かれる。
「周都督、お目覚めですか?」
「起きています。すぐ参ります」
常と変らぬ声音で応じ、公瑾は一度目を閉じた。

《宮城にて》

「公瑾さん、お久しぶりです」
明るく挨拶を返してきた少女を見て、公瑾はいつも澄ました微笑を張り付けた美貌に、僅かばかりに眉を寄せた。
「花殿。旅の疲れもなく、元気そうですね」
「私は三日も前に長安に入っていましたから、もうすっかり疲れはありません」
三国鼎立の流れで、今回は呉の使者として会合に参加するために、長安を訪れた公瑾は出向かえの人々の中に花を見つけて心中複雑だ。
今朝方見た夢のせいで、できれば会うのは避けたい相手だ。
だが来ていることは想定内で、会うことは仕方ないとは思っていたが、公瑾の中では話す予定などなかったのだ。
なのに最初から花に出迎えられ、話しかけられる状況になるとは間が悪いことこの上ない。
だが当然、そこまで公瑾の機微に敏くない花は気付けない。なおも明るく話しかけてくる。
「道中はどうでしたか?」
「御心配なく。こちらは何の問題もありませんでした」
「それは良かったです。ええっと、では公瑾さんの室にご案内しますね」
「あなたがですか?」
「はい。つい先ほど、孟徳さんたちが着いたばかりで人手が足りないんです。
私はたまたま手が空いてるのでお手伝いを申し出ました」
口では言わなかったが、何故花がと公瑾には珍しく顔に出ていたのだろう、花がそれを読んだように付け足す。
「私が仲謀軍の方と面識があったので、このお役目を申し付かったんです」
それから少女は、ふふふっと可愛らしく笑う。
「何でしょうか?」
「え?すいません。さっきまでの騒ぎを思い出してました」
「騒ぎですか?」
「はい。実はですね、私が公瑾さんの案内係になったのには理由があるんです」
「理由ですか?」
花が自らやりたがるとは、公瑾も思わない。
使者として仲謀軍にいた当時も、二人の関係が決して良好とは言えなかったからだ。
「女官さんたちが公瑾さんの案内をしたいって、凄い争奪戦だったんです。
で、喧嘩になって決まらないものだから、女官長さんが怒って私に回してきたんですよ」
「ほう。ではあなたにとっては災難だったというわけですね?」
「いいえ。そんなことはないですけど、恨みは買っちゃいそうです。公瑾さんは凄い人気ですから」
花は気軽に話しながら歩いているが、公瑾は一歩下がった位置を歩きながら、どうなんだろうと思う。
確かに公瑾は花が言ったように、こんな風に女官にもてるのは日常において珍しいことじゃない。本人にしてみれば、いつものことだ。
そして花の反応もいつもと言えばいつも通りだが、何故この少女はこうなのだろうと思う。
いや、公瑾だって自分が女人なら全てに好意を持たれると自惚れてはいないが、花は本当に公瑾を前にして動じることがない。
なぜか面白くないと、不愉快な気分になる。
誰もがなりたがる公瑾の案内役が、彼女にとってはありがたいどころかもしや面倒事なのかと思えば、つい聞かずにはいられなかった。
「花殿」
「はい?」
「つまりあなたは、私の案内役に立って恨みを買って迷惑をしていると?」
「そんなことはないです。久しぶりに会えて、こうやってお話しできるのは嬉しかったです。
それにやっぱり皆さんに羨ましがられるので役得かな」
応じた花は公瑾の胸の裡など知らないように、あっさりそんな言葉を言って微笑んだ。
昼下がり、ほんの少し後ろを歩く公瑾には、回廊を行く花の後姿が良く見えた。
光の中で花の身体の線がきれいに浮かび上がる。
季節柄薄い生地なのだろう、衣は花の身体に添って陰影をみせ、否応なく公瑾にその衣の下を想像させた。
知らないはずなのに、今朝見た夢のせいで知っている気になる。
その時、強い風が吹いて、びゅうという音と共に葉擦れの音が大きくなり梢が鳴った。
「あっ」
以前より長くなったけれど、いまだ童女のようにおろされたままだった髪が、風に嬲られて舞い上がる。
日に焼けてない眩しいほどに白い項が、公瑾の目に飛び込んできた。
「随分と強いですね」
反射的に公瑾は外套を翻し、花を風から守るように袖を上げた。
一陣の風はあっという間に吹き抜け、また長閑なまでの静けさが戻って来る。
「大丈夫ですか?」
「はい。ありがとうございます」
お礼を言いながら、公瑾は既視感に襲われる。いつか今回の様に花を庇ったことがなかっただろうか。
胸の内側に、すっぽり入るほどに花はやはり華奢で頼りなく見えた。
「いつかこんなことが……」
「それは矢を集めた時ですね」
「矢を?」
「あの時も、射かけられる矢が降るような船の上で、公瑾さんはこうやって庇ってくれました」
そうだ、あの時もこの少女を庇ったのだ。
あの船上でも、今も、花が傍にいることを不思議に思いながら、良くも生き延びたものだと思う。
あの広大な河が炎に染まることがなければ、今二人はここにいなかっただろう。
少なからずあの戦にこの少女が策を献じたからこそ、孟徳の軍を退け、事は有利に運んだ。
結局、この少女に助けられ、そして望みを潰された。どちらもが紛れもない真実だ。
公瑾は花を見つめる。
目を惹く華やかさを持つ娘ではないが、その瞳は澄んで明るく、男の瞳に臆することなくこちらを受け止め、真っ直ぐに見つめ返してくる。
恥じらいもなく、憧れも、熱も含まぬ、ただ純真に真っ直ぐな瞳。
先程、風の悪戯で公瑾の目を射た白い項を思い起こす。
あれが温かく、そして甘い熱を公瑾に伝えることを、公瑾は嫌というほどに知っていた。
縋る腕の嫋やかさと細い腰の揺れるさま、合わせた肌が熱く吸い付くように公瑾に触れたこと、そして耳元で甘く途切れ途切れに自分の名を呼ぶ声に、どうしようもなく昂り、腕に抱く少女を掻き抱いた記憶。
公瑾は無意識に、ほとんどなかった花との距離を一歩進んで詰めた。
「……!」
覆い被さるようにこちらに近付いてくる男に、花は少しだけ不思議そうにこちらを見上げる。
その表情に警戒感も危機意識はない。
けれど二人の影が重なろうとした瞬間、がさっと梢が揺れて回廊の脇にあった木から鳥が一羽飛び出して行った。
我に返った公瑾は、息がかかるほどに近付いた二人の距離に驚く。
「花びらがついていました」
咄嗟に嘘が言えたのは、抜かりない公瑾故だっただろう。
髪に触れ、指先を開くふりをする。
「あ……」
さっきの風で散った庭先の芙蓉の花びらが、回廊一面に散り落ちていた。
「行きましょうか?」
促され、案内の為に一歩先を歩き出す花の頬は、芙蓉の花の様に可愛らしく薄紅に染まっていた。

おわり

*実は短いながらも《花》ちゃんサイドのお話があったんですが、時間の関係で省きました。
もしや余力があったらサイトに書きたいです。

ここからは無配本の後書き

そんなこんなで、これは羽扇エンド後という感じです。
公瑾さんと花ちゃんは恋仲でもなんでもありません。
ただ素直じゃない公瑾さんを書きたかったのです。
あくまでも私の中でですが、公瑾さんは素直じゃない人ですから、簡単に花ちゃんに惹かれる気持ちがあっても認めません。
ついでに言えば、自分から気持ちなんて告白したくない人です。
何しろ今まで黙ってても女性が寄って来ましたから、自分から告白なんかして付き合った経験なんぞありません。
特に相手の気持ちが不確かなら尚更です。
長江より深く、崑崙山よりも高い矜持を持ってますから(笑)
自分が振られることになるような危険な真似はしません。
そんな公瑾さんが、花ちゃんとあれこれしてる夢をみちゃって落ち着かない話です。
彼女が他の女性の様に、自分にぽーとならないのも少し面白くなかったりします。
それは何故なのか、まあ公瑾さんですから斜め解釈です。
深層心理では花ちゃんに惹かれてるのに、気付かない公瑾さんが身体から反応するお話でした^^ 



<後書き>
こういう感じでした。
で、おわりの後に書いてあるように《花》ちゃんのお話も短いながらあります。
だからそれも2、3日中にUPできたらと思ってます。


『大人気ないひと』後編(公瑾×花)公瑾ED後

2013-03-01 21:36:01 | 公瑾×花
<前書き>
本当は昨日UPする予定だったんですが、所用によりできませんでした。
すっごい残念だった。
バレンタインネタだったので、せめて2月中が目標だったのに。
2月は28日までしかないので、本当に早いです^^;
そしてお気付きかもしれませんが、タイトル変更しました。
うん、ちょい後編予定してたのから変えたので、これがいいだろうと思ってwww
よろしくお願いします。
では続きからどうぞ。



『大人気ないひと』後編(公瑾×花)公瑾ED後

「これはまた………」
珍しく公瑾が言いよどむ。
方卓の上に所狭しと置かれているのは幾つもの小皿で、当然その上には見慣れぬ物体が乗っている。
室に広がる甘い匂いから、恐らく菓子の類であることは推測できた。
大きな港を持ち、異国の船すら出入りする呉では、異国渡りの珍しい物は多い。
食べ物もそうで、公瑾も都督と言う仕事柄のほか、周家の事業にも多少は関わっているので、そんな品には詳しい。
けれどこうやって目の前に並べられた菓子と思しき物を見ても、それが何なのか似た物の名前さえ浮かばなかった。
「取り敢えず座ってください」
花はそう言って公瑾を席に誘うと、淀みない手順でお茶を淹れ始めた。
この世界に不慣れな花は、公瑾の花嫁になるために花嫁修業は前からやっていたけれど、結婚してからも少しずつ続けられている。
お茶も花嫁修業の課題の一つで、普段は侍女が入れることが多いけれど、茶事はお茶を飲めるほどの財力のある名家の夫人の嗜みの一つだ。
白く細い指が、優美にお茶を淹れる所作は美しい。
危なげなくすっかり上手にお茶を淹れるようになった花に見惚れていれば、公瑾はふと花と先ほどの喧嘩の原因となったことを思い出した。
こうやって手の動きを追っていれば、また花にむくれられるだろうかと思う。
あの手先は器用ながらも、時に墨でいまだに汚れたりしている様子は花らしく可愛らしくもある。
「手順はすっかり身についたようですね」
丁度お茶を淹れ終わって、花は鮮やかな青い鳥の描かれた茶杯を静かに公瑾の前に差し出した。
「どうぞ」
澄ました顔で勧めるけれど、花の心はとても落ち着かない。
今は執務室にいる公瑾にお茶を淹れることもなくなったから、こうして彼にお茶を供するのはずいぶん久しぶりだ。
公瑾は置かれた茶杯をとると、その琥珀の色を愛で、立ち上る香りに満足する。
花は無駄のない、けれど優雅な所作でお茶を口に含む公瑾の様に思わず視線を奪われる。
生まれ育ちなのか、公瑾には独特のリズムが流れていて、何気ない普段の仕草すら優美で気品がある。
そんな公瑾はちらりとも視線を花に向けないし、言葉はなかったけれど、玲瓏な面に浮かんだその柔らかな微笑み一つに、花は内心でやったと拳を振り上げた。
お茶の味に失敗はなかったと言うことだろう。
ことりと小さな音がして、杯が卓に戻される。
そうして椅子に背をあずけた公瑾は、真っ直ぐに花を見た。
「残念ですね」
「え?」
「おわかりになりませんか?」
「何がでしょう?もしかして、あまり美味しくなかったですか?」
きょとんとこちらを見返す花の瞳は、子供のように無垢で、心なしか残念そうだ。
こうも素直に心情が表に出るようでは、海千山千の官吏たちを相手にやっていけるのかと公瑾としては少々心配になる。
「味も申し分ありませんし、作法も間違ってはおりませんが、そう見つめるのは不作法ですよ」
「ご、ごめんなさい」
確かにじっと見られていれば、見られる方は全然落ち着かないだろう。
花などはちょっとでも注目される場面があると、途端に動作がぎくしゃくなってしまう。
この美周郎と美々しい異名を持つ人の想い人なってからは、目立たない人生を送ってきたはずなのに、注目される頻度が高くなってしまった。
そのたびに心なしか厳しい視線にさらされ、どこか挙動不審になってしまったのは仕方ない。
「でも公瑾さん、全然見られてても普段と変わりませんよね」
「慣れておりますから」
さらりと言われ、花は何とも微妙な心持になる。
都督と言う立場や彼の家柄、孫呉の忠臣と公瑾に付随する様々から言えば、人の目を集めて当然だと思う。
それは花にとっても誇らしい事であり、戦場と言うあの場であっても、彼は大軍を率いて堂々と将として指揮を執る姿は凛々しい。
けれど花の心を乱すのは、貴公子然とした公瑾そのものに惹かれる女性が多いことだ。
熱く公瑾を見つめる婀娜めいた視線ですら、自分の夫となった人には慣れたものなのだろう。
「余裕ですね」
だから感心半分、面白くない気持ち半分で言えば、公瑾は涼しげな顔で花を見つめる。
たぶん単純と言われる花の気持ちなど、きっとお見通しだと思えばますます面白くない。
「不作法ですが、あなたに見惚れられるのは悪くありません」
「なっ……」
指摘されて花が言葉に詰まれば、公瑾は更にさらりと追及してきた。
「私の気のせいではないと思いますが、違いますか?」
「違いませんけど……」
「他の男に向けるのであれば、許しませんが、今回ばかりは及第としましょう」
年上の夫はすっかり余裕で、物慣れない花にお茶の作法に合格点をつけてくれた。
どうやらさっきまでの機嫌の悪さは、すっかりなりを潜めたらしい。
花としては少々納得いかないけれど、ここでせっかく直った公瑾の機嫌をわざわざ損なうことは無いと思う。
普段は落ち着きすぎるほどに冷静沈着な人なのに、なぜか玄徳や師匠の孔明が関わると、普段からは信じられない不興を買うからだ。
「それであなたはこの場を用意するために、執務をわざわざ休んだのですか?」
再び公瑾の前に温かな茶が振る舞われ、改めて公瑾は花に問うた。
「これで仕事を休んだこと怒ってますか?」
「怒ってはおりません。あなたはまあ普段生真面目に仕事には取り組んでおられますし、休みを自ら願うことなど滅多にありませんからね。何より子敬殿が許可したのならば、私が口を出すことではありません。ただ」
「ただ?」
「このお茶が何を意味するのか、まったく理解が及ばないだけです」
「えっと、お茶はメイン……主じゃなくて、このお菓子の方なんです」
幾つもの小皿の一つを示されて、公瑾は僅かに目を眇めた。
それは良く公瑾を知る者でないと分からないような些細な変化だが、妻となった花はその意味を知っている。
普段から人に自分を知られる、もしくは読まれることを嫌う公瑾は、好悪もあまり表に出さない。
それが必要と考えれば、いっそあからさまに示すが、普段はとり澄ましているか柔和な笑顔を浮かべているかだ。
そして今しがた浮かべたわずかな変化の意味することは、甘い物があまり得意でないと示す。
全然食べないわけではないが、ほんのり甘い程度を好み、嗜好品として果物以外の甘い物を口にすることはあまりない。
「やはり菓子だったのですね」
「そうですね。一応、私の御給金から用意しました」
この時代、甘い物はなかなかに高価で、毎日甘いお菓子を食べることは非常な贅沢だ。
何しろ花は城勤めで、周囲の人々もいわゆる身分ある方々なので、なかなか気付けなかったのだ。
お茶もお菓子も、一般の多くの民には毎日口に入れられるものではないことに。
すると公瑾は、今度は分かりやすくため息を吐く。
「あなたが必要とするお茶や甘味で、我が邸の財政が傾くほど薄給ではないつもりですが」
「それは分かってますけど、私が自分で用意することが大切なんです」
「つまり、それがこの菓子の意味ですか?」
「はい。あのですね、バレンタインって言うんです。もとは別の意味があるらしいんですけど、私の国では………」
花は一瞬言いよどみ、視線を周囲にやれば、気を利かせたのか家令はもちろんこと侍女の姿も既に室の中にはない。
やはり国のことと言いながらも、普通この時代にはあり得ないことなので、元の世界のことを口にするときには神経を使った。
「私の国では好きな人に、女性側からチョコレートって甘いお菓子を贈って想いを伝える日なんです。他の贈り物を添える場合もありますけど、チョコは必ずいるんですよ」
「チョコレートですか?」
楽に長けたひとらしく、公瑾は耳慣れぬ単語を前から知っていたように器用に唇に乗せた。
素直な少女は、目を瞠る。
「すごいですね」
「何がです?」
「一回聞いただけなのに、発音に違和感ありません。やっぱり公瑾さんって耳がいいんですね」
花が公瑾は些細な音の外れも気付く楽士泣かせだと何かの席で子敬から聞いたのは、そんな前の話ではない。
「私には出来ぬ方が不思議に感じます」
聞きようによっては傲慢に聞こえるが、言った当人は本当にそう思っているのだろう。
もちろん公瑾は人一倍自分に厳しい人で努力を惜しまないと知っているけれど、こういう言葉が出るのにはやはり生まれ待った才も関係していると思わずにはいられない。
「私にはできませんけど」
「出来なくとも困ることは無いでしょう。あなたは楽士などではないのですから」
「そうですけどやっぱりすごいです」
「あなたにそうやって感心していただけるのは気分がいいですね」
満更でもなさそうに公瑾は、艶やかな笑みを花におくる。
途端に花は、珍しく真っ赤になって俯いた。
「花」
優しく呼ばれ、顔を上げれば公瑾は更に追い打ちをかけるように言葉を続ける。
「そんなに赤くなるほどのことでもないでしょうに。あなたは今、その口から好きな人と私に大層真っ直ぐに告白したと思いますが」
「えっ、あっ!」
指摘されて、花は初めていかに自分が大胆な告白を当人にしていたのかに気付いた。
その恥ずかしさに狼狽し、手元にあった自分の茶杯を取り落としてしまう。
派手な音と共に、卓を転がった茶杯は床の上にまで落ちた。
「花!」
公瑾の声と、「旦那様」と侍女が入って来たのは同時だった。
いつの間にか花との距離を詰めていた公瑾は、侍女に短く片付けを指示すると花の手を取る。
「火傷や怪我はありませんか?」
「大丈夫です。でも茶器が割れちゃいましたね。すいません」
それは確か公瑾の気に入りの茶器だったはずで、花は眉尻を下げて項垂れる。
「あなたに怪我がなければ構いません……が」
そうして不自然な沈黙があり、見れば公瑾が花の掴んだ手をまじまじと見ていた。
次に瞬間、公瑾の形良い唇があろうことか花の指先を躊躇いなく口に含んだ。
「やっ」
息を詰める花にお構いなしに、口に含まれた親指と小指以外の三本の指先をくすぐるように公瑾の舌が舐め上げる。
薄く開いた唇から覗く舌の赤さが艶めかしく、ぴくりと花は小さく身体を震わせた。
「な……んで?」
ようやくそれだけを言葉にすれば、公瑾の伏せていた瞼が持ち上がり、長い睫毛の下から美しい濃紫の瞳が鮮烈に熱を秘めて花を見返した。
公瑾によって恋の情熱を知り、結婚して肌を合わせることを教えられた花は、男の瞳に浮かんだ熱の意味が分からないほど幼くはない。
「何故?火傷をされたでしょう」
確かにお茶が指先にかかったけれど、少し赤くなった程度だ。
いくら冷め無いように茶杯を温めていたって、淹れてから少し時間はたっていたしこんなことするほど酷い火傷じゃない。
「少し赤くなっただけで……」
「言ったでしょう。あなたの手に傷をつけるのは忍びないと」
そのまま公瑾は、唇を滑らせて花の血管の透けて見える手首の内側に口付けを落すときつく吸い上げた。
こうした妖艶な公瑾の仕草一つに、初心な花は上手に躱す術など持たない。
「んっ……だめです」
緩くその胸を押し返せば、公瑾は花をからめ捕る眼差しのままに更に追い詰める。
「つれないですね。今日は先ほどから随分と可愛らしく私を煽っておいでですよ」
「だって……せっかく用意したのに」
瞳を潤ませ、上気した顔で恨めしそうに公瑾を見やる少女の姿に情欲を煽られながら、さすがの公瑾も折れざるを得ない。
わざわざ仕事を休んでまで用意したバレンタインの意味を知れば、無碍にはできなかった。
気持ちを切り替えるように息を吐くと、花の腰に手を添えたまま卓の方に向き直る。
「これが全てチョコレートですか?」
皿の上には、何やら餡を丸めたもの、それから蜜が掛けられた物まであった。
「ええっと、本当はカカオって木の実からチョコを作るんだと思うんですけど、作り方も知らないし、その木の実もないみたいです。でもチョコレートは甘いお菓子ですから、代わりに餡子とか蜂蜜とかでまぶしてみました」
百円玉ほどの大きさで丸めた餡子の中には、干し杏や棗などをいれ、花としてはトリュフのつもりだ。
砕いた木の実を炒って、蜜で固めた物もある。
「小皿一つ一つ、全て違うものですか?」
見るからに甘そうなそれらに内心少しばかり腰が引けながら、いつも通りの平静を装って尋ねれば彼の新妻は無邪気に満面の笑みで答えた。
「はい。色んな味が楽しめるように全部違うものにしたんです。どれが美味しかったか教えてくださいね」
そうして花は、添えられた楊枝を手にして迷いなく赤い小花の散った小皿の菓子を選んだ。
艶やかな肉厚の緑の葉に菓子を載せると、どうぞと公瑾に差し出す。
日頃はにべもなく冷たくあしらう男であっても、愛する少女が手ずから公瑾の為に、それも好きな人に贈るために作った菓子を食べないと言う選択肢はない。
そして厄介なことに、公瑾は矜持として甘い物が苦手などと知られたくはなかった。
だから涼しげな顔で、いかにも甘そうなそれを口にする。
「どうですか?」
期待に満ちた花の眼差しに、公瑾はいっそ見事な微笑を浮かべた。
「いささか甘すぎるような気も致しますが、美味しいですよ」
餡の中の果物には僅かな酸味もあって、実際悪くはなかったが、やはり公瑾には甘い。
「じゃあ他のも試してみてください」
花ははりきって、これまた殊更甘そうな皿の菓子を選び出す。
公瑾は妻のお菓子を口に運ばれながら、鉄壁の何気ないいつもの周公瑾の顔を守り通した。

花はそんな公瑾を見ながら、さすがにちょっと気の毒かなと思う。
公瑾が甘い物が苦手と既に見抜いている花は、実のところなるべく甘くないように気を付けて今日のバレンタインのお菓子を用意したのだ。
けれど最初に公瑾に選んだのは、中でも一番甘いお菓子だった。
そして次に選んだのは、当然ながら同じくらいに甘いお菓子。
それはほんの小さな仕返し。
だって公瑾は火傷をしたかもと心配したさっきも、やはり花の手に執着があるかのように手に言及した。
蒸し返すほど大人気なくはないけれど、これぐらいは許されるだろう。
いつも公瑾に鍛えられている少女は、やはり策士の一面を上手に隠し持っていたのだ。
一見この場を見れば、花の独り勝ちに思える。
けれどそれは、単なる次の場面への序章に過ぎなかった。
「花」
三個目を口元に差し出された公瑾は、花をいつもの調子で呼ぶ。
はいと答える前に、菓子は公瑾の口に消え、そのまま花の唇に公瑾の唇が重なった。
「んんっ!」
突然押し込まれる菓子の欠片に為す術はなく、そのまま口内は甘い公瑾の舌に蹂躙される。
「お裾分けです。甘い物はお好きでしょう」
唇が離れても、酔ったように陶然となった花に、公瑾は少し意地悪な笑みを浮かべて顔を覗きこむ。
「夕餉の前に、ここにあるバレンタインの贈り物を私が食してよろしいのですよね?」
「公瑾さんの為に用意したんですから」
食べれるなら食べてみればいいと、口付けに翻弄されてしまった花は悔し紛れに思う。
「では一番甘そうなものから頂くことにします」
次の時には、花は公瑾の腕の中に抱き込まれてしまった。
「なっ」
そのまま襟元を大きく開かれて、喉元からゆっくりと公瑾の唇が降りてくる。
先程の口付けで一気に体温を上げていた花は、ひゅっと息を詰めた。
「私があなたの手しか褒めないなどと、そう思われているのは酷く心外です。他の褒め言葉を存分に思い出させて差し上げましょう」
そうして花がこの夜、狂おしいまでの甘さを公瑾によってその身に、どこまでも甘い睦言をその耳に受けることになった。
結局のところ、当初の諍いの原因を忘れることなく、虎視眈々と機会を狙っていた公瑾こそ参謀らしいと言えば、この上なくらしかった。
つまり彼周公瑾は、随分と年下の誰よりも愛する妻に、大人気ない男(ひと)だった。



<後書き>
と言うわけで、公瑾さんお送りしました。
私は美周郎なくせに、こう子供っぽいところがある公瑾さんも可愛いと思います。
花ちゃんもそう思っているけれど、やっぱり彼はなかなか上手を行かせてくれません。
そこが公瑾さんって感じでしょうか。
作中、公瑾は花が忘れてると憤慨しますが、これに関してはその通りです。
閨でのあれこれで、公瑾は色々花ちゃんを褒めて甘い言葉をたくさん囁いてます。
だけどいっぱいいっぱいで、とけちゃってる花ちゃんは覚えてないだけwww
うん、それなのにああいわれちゃあぷんすかするのも多少わかるかな。
でも、そんなこんなで、都督と花ちゃんの新婚家庭は今日も平和です。

『大人気ないひと』前編(公瑾×花)公瑾ED後

2013-02-19 22:06:44 | 公瑾×花
<前書き>
実を言えば、これバレンタインの日にUPしようと思ってました。
あははは、流石に遅れすぎだろうと内容変えようと思ったんですがこのままいきます。
遅れてきたバレンタインものをどうぞ。
そしてすいません、前編です。
後編まだ書き終ってないですが、なるべく早めにお届けできるように頑張りますwww
では、遅れても読んでやっていいよと言う寛大な御方はつづきからどうぞ^^



『大人気ないひと』前編(公瑾×花)公瑾ED後

公瑾の瀟洒な私邸で、城に出仕して帰ってきた主を出迎えたのは、つい三月ほど前に自分の妻へ迎えたばかりの娘花だった。
妻としたのに娘と呼ぶにはどうかと思うけれど、まだ彼女は娘と呼ぶよりは少女と呼んだ方がいいような幼げなところがある。
それは妻となった今でも変わらず、時に花と連れ立って町を歩けば、公瑾の方が傍から自分たち二人はどのように見られているのか、気になる程だった。
もちろん公瑾はそんなことは、露程もおもてに出すことはしない。
いつも落ち着き払った公瑾の、そんな葛藤など知らない花は、新妻らしく帰宅した公瑾の世話をあれこれ焼いてくれた。
「侍女にさせればよいのですよ」
「いけなかったですか?」
甲斐甲斐しく外套を脱がせたり、ぱたぱたと忙しげに立ち働く花に公瑾は静かに言えば、花の顔には戸惑いが浮かぶ。
こちらの生まれでもなく、また侍女など人に仕えられたことない花には、周公瑾の奥方の立ち振る舞いの何が正しいのか分からない。
生まれ育った家では、仕事から帰った父のコートを預かったりして、父の世話を焼く母の姿は花にとっては当たり前の光景だった。
だから自然としたことだったけれど、おかしかったろうか?
普段は花だって公瑾と共に仕事に出ているから、こんなにゆっくりと公瑾を出迎えることなんてできなかった。
一緒に帰って来れば花も世話をされる立場だし、一緒に帰れないほど公瑾の仕事が立て込んでいる場合は、公瑾は城の私室に泊まるか、帰宅は花が寝ている時刻となる。
待っていたいとは思っていても、翌日には花も出仕して仕事をしなければいけないために起きていることは出来ない。
そのあたりは家令も侍女も言い含められているのか、女主人に決して無理はさせなかった。
そんな日常だからつい嬉しくてしたことだけれど、こちらでは良家の奥方がする仕事じゃないのかもしれない。
不安そうに公瑾の答えを待つ花に、公瑾はゆっくりと首を振った。
「そう言うわけではありません。ただあなたは本日、珍しく自ら願って子敬殿にお休みをいただいたのでしょう。何かしたいことがあったのではないですか?」
結婚を機に、花は仕事を公瑾の部下と言う立場から子敬の補佐へと移動していた。
一応のけじめと言うことであり、花には言ってないが己の自制にいささか不安を覚えたためだ。
「ああ、準備は終わったんで大丈夫です。おかしくないのなら、公瑾さんのお世話くらいさせてください」
「私はお世話をされるような子供ではありませんが」
「そう言う意味じゃないの、分かってますよね」
花がちらりと睨めば、ふっと公瑾の秀麗な顔に淡く笑みが浮かんだ。
「分かっていますよ」
花は嬉しそうな顔で、公瑾に寛いだ部屋着を着せかける。
そんな少女の様子に、公瑾は訝しげな顔になる。
「なんだかずいぶんと嬉しそうですね」
「だって嬉しいんです」
「何がですか?」
「こうやって奥さんらしいことできるのが」
「これが妻らしいことですか?」
誰よりも聡い一を言えば、十を知る公瑾らしくないピンとこない様子に、花は文化と言うか、生活の違いを感じずにはいられない。
「えーと、前いたところでは奥さんって言うのは大体、掃除からご飯の支度から、色々と身の回りのことは奥さんが一人でするんです。でも公瑾さんほどの立場の方の家になれば、分業制じゃないですけどそれぞれ専門の方がするじゃないですか」
周家ほどとなれば、結構な数の使用人がいるのは当たり前だ。
身分があるから当然だけれど、同時に富める者は雇用の場を提供し、働いた分に見合う賃金を出して他の者を養う義務を持つ。
だから花が公瑾の為に料理をすることも、洗濯をすることも、部屋の掃除すらすることもない。
朝起床すれば、冬ともなれば侍女が温めた洗顔用の盥を持ってくるのが普通なのだ。
花と公瑾が共寝をするようになってからは、さすがに侍女は声がかかるまで寝所に立ち入ることは無い。
けれど侍女が公瑾の衣装箱を持って現れ、彼の着替えを手伝うのを見るのは花には複雑だった。
だから着替えの手伝いさえ、花には奥さんぽくって嬉しい。
「掃除も洗濯も、しなくて済むならばそちらの方が楽でしょう」
「まあそうなんですけど」
「それにあなたに、料理や洗濯など出来るのですか?」
意味有り気に、公瑾はどこか意地悪くうっすらと笑う。
こんな顔さえきれいなのだから、本当に神様は不公平だと一旦見惚れてしまった花は恨めしく公瑾を見上げた。
「どういう意味ですか?」
「だって火の熾し方すら知らないでしょうに」
過去にとばされた折に近しく寝起きを共にしたから、公瑾はその時に花の秘密を知った。
そしていかに花が、何も出来ないかを知っていた。
でも現代っ子だった花には、洗濯機もライターもない生活はキャンプでの自炊よりも過酷なものだった。
「そ、それはそうですけど、公瑾さんの為に何かしたいんです」
「私の為に何かしたいと言うのは嬉しいことです。ならばこの手を美しく保ち、可愛らしい妻でいてください」
公瑾は襟を整えようとしていた花の手を取ると、その正に白魚のと言う言葉が似合いそうな手入れの行き届いた妻の指先をじっと検分する。
花の秘密を知ってから、彼女が決して姫君育ちでないことは知っている。
それでも少女の手は美しく、この世界で言うなれば良家の娘の手だ。
最初から労働を知らない手で、この手を決して荒らさぬことが公瑾の男としての矜持。
「公瑾さん」
それでも花はやっぱりどこか不服そうだし、分かりやすく自分の手を見て眉を寄せる。
「わざわざこの手を荒らす必要はないでしょう」
「そうかもしれませんが……」
「何が気に入らないのです?」
促され、花は逡巡する。
実のところ、花には公瑾に言いたくて、訊きたくて、でも躊躇っていたことがある。
「公瑾さんは、よく私の手を褒めてくださいますね」
「いけませんか?あなたの手は本当に美しい」
そう言って、公瑾は花の華奢な手を自分の手に重ねて、花の桜色をした小さな爪をそっと指の腹で撫ぜた。
何気ないその仕草すら、公瑾がするととても官能的に感じて、花は息を詰めると少しだけ身を強張らせた。
うっすらと頬が染まったことなど少女は気付かないけれど、公瑾はそんな新妻の初心で可愛らしい反応に心の中で艶笑を浮かべた。
一方花は、公瑾のただそこにいるだけでの艶やかさに圧倒される。
美周郎と呼ばれる人は、辛辣で皮肉な物言いもするけれど、対外的な公の顔、それも親しくもない女性に向ける外向けの態度は、概して物柔らかく、さらりと相手を喜ばせる言葉を唇に乗せる。
麗しい顔でそう言う言葉を言われれば、嫌な気持ちになる女性は少ないだろう。
だからこそ気になる褒め言葉なのだ。
今、花を褒めた公瑾の言葉が、いつもの対外的で場を保つだけの方便でなく本心であることは分かっている。
もちろん恋しい人に褒められたら花だって嬉しい。
けれど公瑾のそれは、今は少しばかり花を惑わせていた。
「花」
促す響きで名前を呼ばれ、花は公瑾の大きな手に包まれた自分の手から、公瑾の顔へと視線を移した。
「そのように態度に出して思い悩むならば、言葉になさい。黙っていられる方が落ち着きません」
執務の時の様な厳しさを滲ませた声に、花は言いかけ、口を噤み、やっと言葉にする。
「私って、もしかして他に褒めるところがありませんか?」
「はっ?」
呉の英知であると称される公瑾は、らしくなく思わず間抜けな声を出して訊き返していた。
ここまで言ってしまっては、もう躊躇う理由はないと花は日頃思っていた疑問をぶつける。
「公瑾さん、他の女性は様々なところを褒めるじゃないですか。でも私は手しか褒められたことがありません。だからそこしかいいところがないんですか?」
自分で言っていて何とも情けないが、それが事実に思えて仕方ない。
日頃から心にもないかどうかは知らないけれど、公瑾は女性を実に上手く褒める。
それも花の知る孟徳が手放しに大袈裟に女性を褒めるのと違って、さり気無く、誰もが頷くところを褒めるから、決してお世辞ではないのだろう。
そして誉めそやす言葉は様々で、誰もがため息を零すのだ。
人の美点を捜すのが上手なのかもしれないけれど、記憶をたどっても花はこの言葉を多く持つ公瑾から手以外に褒められた覚えがない。
「また……あなたは思わぬことを」
そんな花に、公瑾は僅かに視線を上向けるとはぁとやるせないようなため息を吐いた。
額にかかった髪をかき上げる時に、公瑾の衣の袖が艶やかに翻り、彼を彩る焚き染められた香が香る。
「そんな呆れたようなため息こぼさなくても……第一、公瑾さんが言わせたんじゃないですか」
少女は可愛らしくむくれて、少しだけきつい視線で公瑾を睨む。
「ため息ぐらい吐きたくもなります。私があなたを手だけしか褒めてないと?本当にそう思っているのですか?」
「だって実際そうじゃないですか」
「まったく呆れますね」
「呆れるって何がですか?」
「あなたの記憶力に呆れているのです。よく孔明殿もあなたを弟子にと望みましたね」
「師匠のことは今は関係ありません!」
確かに花は孔明の弟子と言う触れ込みだが、実体を知っているはずの公瑾にこう言って事あるごとに揶揄されるのは面白くない。
いや、自分のことはいいのだ。
ただやっぱり、師匠と弟子と名乗る程濃い師弟関係があったわけでもないけれど、孔明のことまで馬鹿にされているようで腹が立つのだ。
でも腹が立つと言うことは、花が無意識のうちにでも師匠としてか、あるいは恩人としてか、もしくは偉大な智慧者として彼を尊敬しているということなのだ。
そして公瑾は自身の狭量さに、思わず忌々しいと己を嘲笑する。
何しろ花自身でさえ気付かぬそんな孔明への想いにさえ、つい一言言わずにはいられないのだ。
まして反論されて、余計不機嫌に拍車がかかるのだから始末に負えない。
「関係なくはないでしょう。弟子の出来不出来で、人はその師を見る場合もあるのですよ」
「では公瑾さんもそう見ると言うことですか?直に会ったこともあるのに、私で師匠の器を量るのはあまり良いことだとは思えません」
実に尤もらしい花の反論に、思わず公瑾が静かな口調ながら言い返そうとすれば、とんとんと扉を叩く音がした。
「奥方様、お茶の用意が整いましてございます」
ここで花は、はっと思い出す。
今日はこのお茶の為に、わざわざ一日休みを取ったのだ。
公瑾が帰ってくる時刻が夕刻より早ければ、食事ではなく先ずお茶の準備を頼んでおいたのも花の計画だった。
「今からお茶ですか?」
訝しむ公瑾に、花はせっかくのこの日を危うく台無しにするところだったと安堵の息を吐く。
「今日は私の………もといた国では、特別な日なんです」
「あなたの国の風習ですか?」
「まあ厳密に言えば違うんですけど、もうすっかり馴染んでますね」
花たちどころか、親の世代も若かりし頃はやっていたと教えてくれた。
今では恋人たちの一大イベントだ。
こんな日に、いがみ合うなんてバカみたいだと花は気分を切り替えることにする。
ちらりと公瑾を見れば、どこか険悪になりかけたその場の空気は妙な具合になっていた。
言い表すなら気が削がれたが一番ぴったりするだろうか?
「旦那様、奥方様?」
律儀に扉を開けぬままに、お茶をどうするのかと家令が聞いてきた。
普段お茶を用意するのは侍女だから、ここで家令が声を掛けてきたのは場の空気を察してだろう。
よく弁えた家令の態度に、公瑾は微苦笑を浮かべると花へと背を向けた。
まだ怒っているのだろうかと花はおろおろするが、公瑾は背を向けたままに短く花に声を掛ける。
「花、羽織をお願いいたします」
そう言えば、公瑾の着替えの途中で何とも言えない会話になってしまったことを思い出す。
花は傍らに置かれた衣装箱から、公瑾の羽織を取り出すとそっと背伸びして公瑾の広い背中を眺めながら肩に羽織を着せかける。
僅かに屈んでくれた公瑾は、袖を通すとこちらへと向き直った。
「お茶を振る舞ってくださるのでしょう?」
それは今までの他愛無いと言えばない諍いを水に流すと言う、あまり素直でない公瑾らしい最大級の譲歩の言葉だろう。
「はい」
素直に花は頷いて、前に差し出された公瑾の手に自分の手をあずける。
そうして心得た家令は、ゆっくりと扉を開けて主夫婦を居間の方へ導いた。



<後書き>
そう言えば、これは婚姻後のお話ですね。
珍しいかもしれない。
なくはないですが、白梅とかが恋人設定なので私には数少ない婚姻後の話ですね。
この後の展開はらぶらぶいちゃいちゃ?それとも?
本当は1話の予定だったので、後編短いかもしれません。
まあ私の短いはあてにならないんですが、頑張ります。