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月野岬

好きなゲーム等の文章中心の二次創作置き場です。現在三国恋戦記中心。

『花軍(はないくさ)』11(孟徳×花←玄徳)

2014-05-20 23:16:23 | 孟徳×花
<前書き>
すいません、随分時間あいちゃいました。
今回は『花軍』となりました。
いや~~~なんというか、ええ、こう色々なってます。
だいぶ削ったんですが、やっぱりそこそこ長いです。
花ちゃんの奮闘をお楽しみくださいませ^^




『花軍(はないくさ)』11(孟徳×花←玄徳)もし花が最初に孟徳軍にいたら……
     至上(死情)の恋  無上(無常)の恋

今夜の野営が最後になることは皆もわかっているから、旅の終わりを目前にして部隊には昂揚した雰囲気があった。
勝ち戦後、しばらく経っているが初めての玄徳の帰還だ。
本拠地ではなくとも凱旋の雰囲気が盛り上がらないわけはない。
それらを感じ取って、兵士たちの顔も明るく、掛けあう声も張りがあった。
そんな喧噪のなか、花は天幕の中でいつもと変わらぬ姿を心がけながら花は懸命に考え続けていた。
男が事を起こすと花に告げた時刻までは、それほど多くの時は残されていない。
これは本の助けを得られることではない。
けれど花とてただ漫然とこの世界に流されてからの日々を過ごしていたわけではないのだ。
本の助けがあったとしても、白松の元で学び、孟徳の傍らどこより激しい政の場にいて、軍師としてあった花は知っている。
ほんの少しの違和を見逃してはならない。
情を捨てず、でも流されず、真実を丹念に探し出すことが、道を見つける手段になる。
孟徳の元へ帰りたいからといって、焦りは禁物だ。
あの男への拭いきれない違和もそうだけれど、例え彼が本当に孟徳の手の者であったとしても、花の行動一つによって必要以上の危険を招くことになる。
昨日に予定通りだと、男は決行の時までこちらには接触してこない。
ならばその時の行動が、花のこの先を決めるだろう。
そうして少し周りに意識を向けてみれば、いつもは落ち着き払った侍女の笙葉でさえ珍しく少し気を抜いた様子に見える。
それだけ旅の空の下、野営などと言うのは緊張を強いるものだろう。
まして男所帯の軍の中、女の身で付き合うのは辛いはずだ。
それも侍女と言えばそれなりの身の上のはずで、花さえいなければ行軍に付き従う必要もなかったのだからやっぱり申し訳なく思う。
もちろん笙葉は上司の命があったから従ったのだろうけれど、彼女の気遣いは本物だった。
ただ漫然と花の世話と監視をやっているのではなく、義務ではない気配りがあった。
手筈通り花がここから姿を消せば、笙葉も罰を受けるのだろうか。
偽善と言われても仕方ないけれど、自分のせいで落ち度のない侍女が窮地に立たされるのは心苦しい。
良くしてもらったと言う意識があるから尚更だ。
たぶん玄徳のことだから、そう酷いことにはならないと思う。
それでも何らかの処罰は下されるだろう。
そこまで考え付きながら、花には自分が逃げ出さないと言う選択はなかった。
身勝手と罵られてもやはり孟徳の元へ帰りたかったのだ。

そうして明日が旅の終わりとあって、いつもより少々豪勢な夕食が用意された。
と言っても、特別豪華なものでもなく労いの意味もあってのことだが、質実剛健を旨とする玄徳軍らしいささやかなものだ。
花は全部の食事を食べ終え、来るべき時に備える。
寝る前に飲み水を用意してもらうことも、旅の中で幾度かあったことなので特別疑いを招くようなことはなかった。
全ての兵が食事を終え、夜が更けた頃に兵の交代は行われる。
行軍の最中は昼間どの部隊も本隊と同様に動く必要があるため、同じ兵がずっと夜通し見張りに立つことはない。
それに明日は自分たちの城に帰城し、尚且つ自勢力の中にいる安心感もあって、警戒自体もそれほどぴりぴりしたものはない。
兵が密やかに交代する様子を天幕の中で感じながら、花は木の杯に入っていた水をそっと飲み干した。
まだ一刻ほど時は必要なはずだ。
じりじりしながら待っていると、嗅ぎ慣れない香りが微かに匂う。
本当に決行する気なんだ。
花は息を殺したくなるのを我慢して、できるだけ通常の息遣いを心がける。
笙葉が花の寝息まで確認しているとは思わないけれど、侍女である彼女は本当に優秀だ。
侍女として、主の隣室に不寝番として侍ることもあったのだろう。
監視の意味もあるせいかもしれないけれど、夜中にトイレに行きたくて起きた時でも、彼女はすぐに気が付いた。
でも決して眠ってないわけではない。
敏すぎる笙葉に、今夜ばかりは色々気付かないで欲しいと花は願っていた。
そうでなければ、迎えに来た男に確実に殺されてしまう。
だんだん広がって来る匂いの中、花は掛け布の下でぎゅっと拳を握り込んだ。
男の言うようにそんなに香りがきついものではないから、眠っていれば気付くことはないだろう。
この時代、携帯も腕時計もないから時間は分かり辛い。
それでも香が焚かれてからだいぶ経ったはずで、花は簡易な寝台の中で身じろいだ。
当然笙葉からの反応はない。
息詰まるような時間が流れ、やがてぱさりと布が捲れるような音がして空気が動いた。
ほんの僅かに天幕の中央にうすぼんやりした灯篭の灯りが揺らめき、影が現れる。
それは男の職分を示す名前ではあるが、今はその言葉通り一つの黒い影だった。
長身で無駄のない身体付、闇に溶け込んだ姿は暗闇に慣れた花の目でも判然としなかった。
元々夜目など利かないから仕方ないかもしれない。
影は花の元へは来ずにもう一つの寝台へ近付いて行く。
「あっ……」
密やかに漏れた花の声にならない声に男は、僅かに気配を動かした。
たぶん花の言葉にせずに含まれる意味に男は気付いたのだろう。
花を制するようにごく小さく手を上げる素振りをしたが、迷うことない足取りで笙葉に近付き手を伸ばした。
息を呑むけれど花の懸念は杞憂に過ぎず、男は笙葉に眠り香が確実に効いているのを確かめただけのようだった。
同じくほとんど足音をさせないようにこちらに来ると、男は寝台の脇に立った。
渡したのと同じ薬を服用しているためか、香を気にする素振りはない。
「軍師様」
密やかな声は、それでも天幕内の空気を揺らして花の耳に届いた。
「起きてます」
身を起こして男に寝台の上で対峙すれば、頭巾のような物を被った黒装束で、男の人相で分かるのは僅かに開いた目元だけだ。
男が僅かな灯りさえも背にしているから、花からはほとんど表情は読めない。
それでも花は、男の全てを見逃すまいとするようにじっと目を凝らした。
「丞相の元へお連れします」
「はい。でもその前に、お顔を見せてくれませんか?これから先、一緒に行動するんですよね。もう、顔を隠す意味はないんじゃないですか?」
落ち着いた声が出たことにほっとしながら、花は男に尋ねた。
「今はこの方が闇に紛れて便利です。時間もありませんし、顔合わせは落ち着いてからにしましょう」
男の言うことは間違いではないけれど、その言葉はやっぱり花の疑いを濃くはしても晴らしてはくれない。
「じゃあ、お名前は何て呼べばいいんですか?」
「伯礼と呼んでください」
淀みなく応えたけれど、本名ではないと花は判断を付ける。
本当は彼の身に纏う香りも確かめたかったけれど、眠り香の匂いがしているからそれは叶わない。
「軍師様。眠くなってはおられないようですね」
「そうですね。薬のお蔭です」
「失礼ながら、薬はいつ頃飲まれましたか?」
「どうしてそんなことを聞くんですか?」
「いえ、薬の効きを確かめたかっただけです。結構、天幕の中には香が濃く作用しているようなので気になったんです」
すると花は、本当に不思議そうに首を傾げた。
疑う気持ちが大きくなりつつも、まだどこかで信じたい気分があった。
花はそもそも鈍くはないけれど、巧妙に隠された人の感情ではなく、思惑を見抜くことは苦手だ。
軍師として交渉に向かないのはそう言う点だが、生まれ持ったものは簡単には変わらない。
けれど皮肉なことに、その感情的な心証も、そして軍師としての積み立ててきた男に出会ってからの事実も、両方ともが彼を信じることを躊躇わせていた。
だから花は、覚悟を決めて黒衣の男に対峙する。
「薬は丞相が、伯礼さんに使えと言ったんですか?」
「いえ。それら細かい指示を授けられなくても大丈夫なほどに、御信頼はいただいてます」
一瞬の花の不審が分かったのか、男は前にかかる髪の間から花に問う。
「何か不審がございますか?」
あちらからは薄明かりとは言え花の顔が見え、尚花は顔を晒したままだし、何より花は感情が顔に出やすい。
対して男は額から零れるように顔にかかる前髪、灯りを背にしていること、そして頭巾と顔はこれでもかと言うくらい見えにくい。
表情はまったく窺い知れないし、顔の造作さえ分からないなんて花には圧倒的に不利だった。
「不審というか、少しだけ腑に落ちないんです」
「軍師様。薬が気になっておられるのですか?妖しい物でないことは納得いただけたと思っていましたが」
「ええ。毒物などではないと思ってます。でも薬の指示が、丞相から伯礼さんに何もなかったことが、私にはどうも納得いかないんです」
こんな所で時間を取るべきではないけれど、花はそこがどうしても納得できない。
もしや孟徳の気持ちが花から離れて、そんなことなど気に掛けなくなっているのかもしれない。
弱気な自分がそう思うけれど、それならばわざわざ手の影を敵陣に送り込んで花を助けようとはしないだろう。
たぶん多少の情はあっても、孟徳はそう言う点では非情だ。
特に劉玄徳は仁愛が強いと知られており、軍師であっても女子供に情けをかけることを知っているから花が最悪殺されないと思えばそのまま放置とするはずだ。
でも伯礼が孟徳の命により来ているならば、孟徳はいまだ花を必要としていると言うことで、ならばこそ薬のことを伝えないのはおかしい。
すると伯礼は、一拍置いて核心をつく。
「それは軍師様がご懐妊しており、その身に丞相の御子を宿しておられることを気にされての質問ですか?その点を含んで、大丈夫と言う意味だったのですが伝わってないようで残念です」
その一言が、花に残酷な真実を告げていた。
花はそもそも子供がお腹に宿っているわけではない。
そもそも懐妊の噂は、花が孟徳軍にいて前線に同行せずに後方支援に下がったあの戦いから味方の陣営でも言われていたことだ。
けれど孟徳は正式に否定も肯定もせず、ただ花の体調不良によって、今回は最前線を引くとだけ通達した。
だから誤解している者もいたが、それは孟徳だって知っていることで、もしこの男が本当に孟徳の手の者ならば花を救出に向かう影に伝えないはずはない。
「私、伯礼さんとは一緒に行けません」
「突然どうしたんです?」
「逃げ切れる体力がありません」
「そのことならばご心配は無用です。ここを出れば、他の手の者もおります」
「今更なのは分かってます。でもお腹の中の子も守りたいんです」
花が意を決して事実でないことを言えば、伯礼は困惑したように重い息を吐く。
それはさも丞相の寵姫と言う女軍師の突然の我儘に、困っている部下の図だった。
「それも考えた上での丞相の命で、今ここにいるのです」
今の花は、この伯礼と名乗った男が孟徳の手の者でないことを確信していた。
だから出来るだけ穏便に帰って貰いたかった。
孟徳の手の者でないならば、仲謀軍の者か、他の勢力か、場合によっては孟徳側でも花の存在を疎ましく思うの者たちだろう。
ただ昨日からも事を考えて、殺す時間も手段もあったのに、そうしなかったと言うことは生かして使おうとしていると言うことだ。
今のように孟徳の枷になるのは嫌だったし、他ではもっと花の扱いは苛烈になることだろう。
現在の扱いが特別な玄徳の温情にあることは、世間知らずな花でも理解できた。
だから何があっても伯礼と行くわけにはいかないし、ここで騒ぎ立ててならばいっそと殺されるのも嫌だ。
苦肉の策として、いもしないお腹の中の子供のことを持ち出してみたけれど、簡単に退いてくれる気はなさそうだ。
「お腹の中の子を、玄徳殿は死なせないと言ってくれました。お願いです。せめて無事、子供を生むまで待ってください」
「玄徳を信じると仰られるのですか?」
「仁の玄徳と呼ばれるあの方を子供の為に信じたいです」
「玄徳が昔散々に客将として丞相の世話になりながら、裏切ったことを承知で?」
花は知った事実に目を瞠り、それでも頷いた。
「丞相がお嘆きなるでしょう。いや、それともお怒りになるかもしれません。今、この時しか機会はないかもしれないのに逃げないと言われるのですか?」
「すいません」
花が俯いて頭を下げれば、伯礼が諦めたように静かに息を吐き出した。
「承知いたしました。丞相にはありのままを報告させていただきます」
ほっと花が張り詰めていた空気を緩めた一瞬、花の身体を衝撃が襲った。
伯礼は驚くような素早さで花の口を塞ぐと同時に、胸を突き飛ばすように押し、花の身体に乗り上げて自由を奪った。
「あっ……くぅ」
体格のいい男に乗りかかられて、思わず花の口から苦痛の声が漏れる。
「お静かに願います。そうでなければ、力を入れますよ」
下腹部に当たる膝に体重が掛けられて、花は伯礼の本気の残酷さに思わず息を呑んだ。
妊娠している女性にこんなことをすれば、女性本人どころか赤ん坊だってただでは済まないだろう。
これ以上に酷い脅しもない。
大人しくなった花に、伯礼は今までとは雰囲気をがらりと変えた。
「どうして……」
「あなたは私が孟徳殿の手の者でないと気付いたのでしょう。今更こんな芝居、続ける意味もありません」
そうしてきつく花の顎を掴むと、まじまじと花の顔を検分するように見つめた。
「やはり薬を飲んでないようですね。いつから私を疑っていたんですか?」
「じゃあ、やっぱりあれは言う通りの眠気を催さない薬じゃなかったってことですね」
答えずにそんな返答をすれば、少しだけ膝に力を入れられる。
「訊いているのはこちらです。ですが、あそこまでしてみせた薬を飲まないとは馬鹿ではないようだ。つまり私はあなたの信頼を得ることはできなかったわけですね。疑ったのはどこですか?」
「薬のことです」
「なるほどね。毒の有無ならともかく、子供を宿した女に薬を軽々しく与えるのは禁忌。そもそも懐妊も半信半疑でしたし、あの時はそこまでは気が回りませんでした」
花はわざとの核心をぼかした言い方をすれば、伯礼は勝手に懐妊している女が、薬の影響を気にしていると納得したようだった。
つまりそれは一を言えば、十どころかその裏までも考えてしまうような頭が回る人ということだ。
「どうやって香の眠りに抗ったのです?」
下腹部にかかる重みが男の本気を伝え、花は迂闊な抵抗は命取りになると慎重だった。
「痛みを与えれば眠気に勝てます」
「まさか」
伯礼は珍しく感情を声に乗せて、花の掛け布を引きはがした。
握り込んだ小さな左手は不自然なほどにきつく握られ、そこに手巾が握られている。
強張っている指を無理矢理開かせれば、折り畳まれ握り締められた手巾は赤く染まっていた。
それと共に掌に喰い込む鋭い陶器の欠片が見えた。
相当強く握り込んでいたのか、鋭い刃先は皮膚を切り裂いて食い込んでいる。
伯礼は欠片を取り上げると、呆れたように呟く。
「女人のくせに自らの身体を傷付けますか……」
「男も女も関係ありません。守るべきもの、すべきこと、譲れない色んなものの為に誰だって一生懸命になるんです」
凛とした少女の声は、細かったけれど震えてはいなかった。
「随分と勇ましい仰りようですが、その身体で孟徳殿や玄徳殿を籠絡しているのでしょう。やっていることは卑しく無様で、汚らわしいことです」
「男の人が女の人にそれを無理やり求めるんじゃないですか!勝手なこと言わないでください」
この世界で、女は戦利品であり、褒賞であり、場所によっては商品だ。
逸らされず射抜く瞳は、どこまでも真っ直ぐでありながら苛烈だった。
「小賢しく正論を振りかざしますね。容姿にそぐわぬその苛烈さを、孟徳殿はあの御気性故に愛でられましたか。ですが命が私に握れている状況で、私を怒らすのは愚かしいと気付くべきですね。連れ出す気でおりましたが、私としてはここで死んでもらっても一向に構いません」
この状況で圧倒的に不利なのは当然花の方で、伯礼はどこまでも冷徹に言い放つ。
けれど花は怯むことなく伯礼を見返し、その唇は僅かに怯えからか震える。
「こわいですか?無様に命乞いをなさいますか?」
「生きたいと思うことは無様じゃないです」
次の瞬間、花は身体の下いれていた右手を思いっきり引っ張った。
左手を自ら傷付ける暴挙をしでかしていた花が、まさか右手にも何かしていようと思うはずはない。
何かが倒れる音がしたかと思えば、ぼっと灯りが揺れて火が付いた。
さすがに冷静な伯礼が火に気を取られた隙を逃さず、花は寝台から下へと転がり落ちる。
「誰か!!!火事です!!!」
灯りには油を使っていたし、その足元には井草のような乾いた草を置いていたため、当然ながら火の回りは早い。
花は声を限りに火事だと叫んだ。
一瞬、伯礼が剣をつくかと思ったが、男は一瞥を花に与えるといっそ潔いほどの引き際で、一言の捨て台詞さえ残さずに天幕から消えて行った。
まだ夜明けも遠い時刻、時ならぬ火事騒ぎに最後の野営地は常にない夜となった。



<後書き>
花ちゃん久々軍師モードだったかもしれません。
孤軍奮闘って感じです。
で、伯礼さんですが、どなたかお分かりになりましたか?^^;
花ちゃんも当然誰だか知りませんよ。
次の回で、行軍編は一旦終了かなぁ?
更にも1回あるかもですが………。
あ、原稿は苦戦しております。

『花軍(はないくさ)』10(孟徳×花←玄徳)

2014-04-21 01:09:31 | 孟徳×花
<前書き>
もう少し先まで進めたかったんだけれどなぁ。
思ったところまでいくには長くなったのとキリがいいのでここまで。
週末更新できなかったのが心残り^^;
では続きからどうぞ。



『花軍(はないくさ)』10(孟徳×花←玄徳)もし花が最初に孟徳軍にいたら……
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昨日はあの後、花は疲れたから先に休ませてもらいますと言って、すぐに横になった。
やっぱり行軍はいつまでたっても慣れなくて、疲れているのは本当だ。
花は孟徳軍にいる時から、実のところ戦の行軍は負担だった。
元の世界から来た花にとって、孟徳の元に行くまでの白松の家での普通の生活ですら戸惑うことは多かった。
なのに戦の為の軍隊の中での生活、それも本当に行軍や戦場の陣では心も身体も休まるときはない。
身体は疲れているのに、神経ばかり研ぎ澄まされて、幾夜も眠れない日々を過ごすことが軍師の花にとって日常だった。
そんな花を支えてくれたのは孟徳で、漢王朝の丞相と言う絶対的な権力で花を傍らに置き常に守ってくれた。
いつも通りの浅い寝苦しい眠りから目覚めた花は、それでも少しだけほっとしていた。
必ず成功するとは限らないけれど、もしかしたら孟徳の元へ、あの腕の中に帰れるかもしれない。
それは花の胸の中に希望を灯し、上掛けに包まれた寝台の上でぎゅっと胸に手を当てた。
花の中にある願いは、孟徳に逢いたいと言うよりは、帰りたいという切なるものだ。
すると向こう端の寝台で、笙葉が起きる気配があった。
花は眠りが浅いし、夜中に幾度か目が覚めてしまうので、実は笙葉より遅く起きることは体調が悪くない限りない。
でも花が先に起きていると、仕える侍女たちは更に先に起きなければならないため、いつもこうしているのだ。
でももしかしたら、この侍女とは行軍で寝起きを共にしているし、気の付く人だから気付いているかもと思う。
花が今日も極力いつもの朝と同じに振る舞うのは、昨日の夜のことが勘繰られては困るからだ。
軍師としてはあるまじきことだけれど、花は正直感情や考えたことが顔に出やすい。
どんな些細なことから綻びが生じるかもしれないから、花は慎重だった。
「軍師殿、お水はここに。朝餉を持って参りますから、こちらから出ないでくださいね」
基本男所帯の軍、まして当然良く思われていない敵軍の中で、花は一人で天幕から出ることは滅多にない。
だけどいつも言わないことを笙葉が言うということは、玄徳か孔明から厳しく言われているか、もしくは侍女自身が仲謀軍の存在を気にしているためかもしれない。
「大丈夫です」
花は身を起こして、静かに請け合うように頷いた。
平常心と自分で言い聞かせつつ、笙葉が戻って来る前に顔を洗い身形を整える。
行軍の最中、いつ敵襲があるかも分からない状況では、夜着などにわざわざ着替えたりはしないのが普通だ。
事が起これば、武器を取ってすぐさま飛び出す必要があるからだ。
いまは戦場に向う行軍の最中ではないけれど、こちらもそれは同じで花は帯をきつく締め直すと上衣を羽織った。
その時に帯に差し込んだ薬包がカサリと音を立てて、昨日のことが夢でなかったのだと、今夜が決行の時なのだと教えてくれる。
少女軍師は、指先にその証拠である薬包に触れて、場所を胸元に変えて更に深くに押し込むといつものように折り畳み式の椅子に腰かけた。
この行軍の中、天幕の中ではいつも玄徳か笙葉がいたから一人きりは珍しい。
はぁと花は深く息を吐き出すと、昨日のことに思いを馳せる。
孟徳から遣わされたと告げたのは、酷く落ち着き払った男だった。
花は軍師と言う立場であったから、用心深く孟徳からはそう言う血腥く策謀めいた事柄から遠ざけられていたけれど、影と呼ばれる諜報や暗殺などを任務とする人たちがいることは知っていた。
おそらく彼は、そう言うことを任務としているのだろう。
顔は見ないでくれと言われたし、あちらも相当に用心していたから見ていない。
纏う雰囲気は怜悧で、声音は静かで艶やかな深みがありながら、やはり熱のない声音だった。
この玄徳の部隊の末端に紛れているのだろうかと考えを巡らす。
今は戦乱の世だから、兵士を普段から職業としない者も集められている。
若く体力があり、少し訓練すれば使い物になるようなら、末端に入れられる。
例え武器等扱えなくても、雑役兵として駆り出される者だっている。
いずれにしろ平時よりは潜り込みやすいだろう。
そうしてたぶん入り込んでいるのは、きっと男一人ではない。
でなければ、昨日の夜、あんなに絶好のタイミングで笙葉が帰って来るはずはない。
確かに自分の用事も済ませてくるのだろうから、戻って来るのにあれぐらいの時間はかかってもおかしくはないけれど、花と話をする間の男に焦りはなかった。
だとすれば花に気付かれぬように、誰かが笙葉の戻って来るその時を見張っていた。
こうやってたくさんの人の手を借りなければ、花には何をどうすることもできない。
この状況に何一つできない自分の不甲斐なさを悔しく感じる。
たぶん一旦ここを助け出されて、本当に上手く逃げられるのだろう?
孟徳のことだから余程の手練れを送って寄越したのだろうことは想像がつく。
でも今の花の身体の状況で、逃げ切るだけの体力があるだろうか?
それでも花はここを出たかった。
一刻も早く、戻りたい。
玄徳軍に囚われてから、今この時、逃げ出すための手が差し伸べられて、花はそれに縋っていた。
その姿は、ただの怯える十七歳の頼りない少女に過ぎなかった。

いつもとは違い、花は笙葉と共に幌の付いた馬車に乗せられた。
だけどそれだけでなく、最大の違いは花と笙葉の見た目にあった。
行軍の最中だから、女性と言えど比較的簡素な服だったけれど、今日は何と男装までさせられていた。
もちろん重い鎧や兜と言った武具は付けていないけれど、明らかに男物の服だ。
それは侍女の笙葉まで一緒で、花はこれにはつい余計だと思いつつも訊いてしまう。
「この男物の衣は、仲謀軍の兵士たちが来ているせいですか?」
「私は何も」
良く躾けられた侍女は、言葉少なに首を振った。
花は粘ったところでこの賢明な笙葉から情報を引き出すのを早々に諦める。
仲謀軍が来たことはたぶん異例だろうし、女が軍にいることを隠したい気持ちは分かる。
ただでさえ女っ気がない軍では、騒乱の元だろうが、昨日までは普通に女装束で乗っていたのだから妙と思わない花ではない。
でもここまでやるのは異質だ。
だとすればやっぱりこの格好の理由は、昨日現れた仲謀軍にあるのだろう。
今朝までのどこか覚束なかった気持ちが、少しだけ醒めて花の中にいつもの自分が戻って来る。
花がここに居ることは、たぶん仲謀軍には知られている。
だけどこうまで花の存在を徹底的に秘匿したいと玄徳や孔明が考えるのは、それだけではないはずだ。
仲謀軍から、もしや花に対する何らかの要請が来ているのかもしれない。
花自身は自分の価値を分かっていなかったが、花の想像を超えて曹孟徳の寵姫にして、軍師としての花の名は知れ渡っていた。
様々な可能性を考えて、もっとも考えられるのは引き渡しか、それとも旗下に降らないならば処刑しろと言うものかもしれない。
現実、二勢力の力関係がどうなっているのか知らないけれど、花は自分の予想がそう外れてないだろうと思っていた。
あの厳しい献策をする軍師のいる仲謀軍に行くのは、ここに居るよりもっと恐ろしい。
思い出すのは、印象的な孟徳の言葉だった。
「花ちゃん、気を付けるんだよ」
「何がですか?」
「あそこにはね、麗しい都督殿がいるんだよ」
「都督?」
「戦場にある場違いな楽士にして、冷徹な策謀で弄ぶ血塗れの『美周郎』。目を奪われちゃ駄目だよ」
冗談めかして言われた言葉だったけれど、花は憶えていた。
孟徳は的確な言葉使う頭に良い人で、人物評もある意味的確だった。
ただやっぱり普段から女性に甘く、男に優しくしてもつまらないと言って、男性にする評価ははっきり言えば容赦なく厳しい。
その孟徳が冗談めかした口調でとは言え、敵将に麗しいと言い、冷徹な策謀を弄ぶと称した敵の都督。
それは揶揄ではあるけれど、ある意味真実であり、孟徳がそれだけ才と智を認めているということだろう。
花がぼんやり考えていれば、馬車はゆっくりと昼の休憩をする場所に着いた。
行軍の最中は、当然優雅に昼餉なんてとらないし、こういう風に休憩地に入っても荷解きすることはない。
馬を休ませ、人間もできるだけ休憩を取り、乾物ばかりの携帯食を齧って水を口に含む。
火も起こさないので煮炊きもしないし、午後の工程を確認したりと慌ただしく過ごす。
いつもだったら馬車を降りて、そこの辺りを少し歩き回ったりするけれど今日はそうもいかない。
けれどお手洗いだけはこの休憩中に行っておく必要があって、花は笙葉と馬車を出た。
用心の為に兵も付いてきてくれるけれど、そこは節度を守って妙な行動に出ることはない。
そうして花たちが元の馬車に戻りかけている途中、花は思わず足を止めてしまった。
それはほんの少し香っただけだったが、知っている匂いと感じたからだ。
どこでだろう?
香りが漂って来たと思った視線の先にいるのは、明らかにまとまった一つの集団だった。
花は彼らを見て、すぐに昨日の仲謀軍の兵士たちだと気付く。
玄徳軍の兵士とは違った意匠の軍装、彼らは他軍の中と言うこともあるのだろうが、あからさまでないまでも隙がなかった。
そうして丁度目隠しになる兵糧を積んだ荷車の陰で覗いていれば、不意に思い当たる香りに行着つく。
そう、遠くない過去どころか、昨日の夜に天幕で嗅いだ香りだった。
一瞬呆然としたけれど、訝し気な笙葉の視線に気付いてすぐその場を離れる。
おかしなことだと思う。
天幕で香りがしたのは、たぶん昨日の男のほんの微かな残り香だったのだと思う。
一緒にいた時には感じなかったけれど、男が天幕の外に出て空気が動いたからこそ感じた香りだったのだろう。
そもそも花だからこそ気付いたことかもしれない。
この世界に来てから、花は孟徳の元にいる時に孟徳の纏う香りを知った。
花の育った現代でも香水は色々あったけれど、自分用に香を合わせて作ると教えて貰った時に興味を持ったのだ。
香りを合わせる調香師の方を孟徳に紹介してもらい、せめて自分の香りくらいは合わせられるようになりたいと教えを乞うていた。
元々アロマとかに興味があったから、花が夢中になっていたら孟徳が拗ねたので、彼がいつもつけている香を調香師と一緒に合わせたのだ。
丞相に渡す物とあって、調香師の人がほとんど合せたのだけれど、花が一緒にしたと言えば殊の外喜んで貰えたことは記憶に鮮やかだ。
花の合わせたあの香りは、まだ孟徳を彩っているだろうか。
彼が纏う香が、花の合わせたものじゃなくなる前に、彼の元に帰りたい。
その為には、今の出来事を考える必要があった。
香りがあそこでしたのは、たまたま似たような香りがしたせいかもしれないと思う。
けれどこの世界で、香りを纏うひとは少ない。
香を使うのはそれなりに生活に余裕がある高位の者で、男の人でそんなことをするのは相当にお洒落なひとだ。
そう思えば違和を感じざるを得ない。
身分で生活様式も水準もまるっきり分かれるこの世界で、高位の武官ならともかく一般兵が香など身に纏うのはそぐわない。
加えて諜報を任務の主とする者なら、香を身に纏う危険を知らぬはずはない。
落したつもりでも日頃から使っていれば、今回のように僅かに香りが残されることもある。
そして香った場所も、やっぱり花には納得がいかなかった。
玄徳軍のこの部隊に、男は紛れ込んでいるのだろうとは考えていた。
けれどほんの僅かな残り香が仲謀軍のすぐ傍でするなんて、偶然にしては出来過ぎている。
もちろんこの機会に様子を窺っていたのかもしれない。
全て憶測にしか過ぎないけれど、胸がざわめいた。
それにと、花は薬包が隠された胸元に視線を落とす。
昨日から少しだけ引っかかっていたことが、ここに来て大きなことに思えてきた。
眠り香が効かなくなると渡された薬。
薬に関しては、以前に玄徳の前で散々に言ったけれど、それなりに理由があるのだ。
実は花はこちらの薬が合わない。
それは単に匂いがきついとか、苦くて飲めないとか、そう言う問題ではない。
生薬は自然の植物などに入っている薬効ある物を使っているが、薬効成分だけを取り出すことは難しい。
そうしてなぜか花は、そう言う成分に強い副反応を起こしてしまうのだ。
植物とかそのものに含まれているから、成分が強く出るのを調整するのが難しいのも一因だ。
加えて飲み慣れていない花の身体自体にも原因はあると思う。
複合的に要因が幾つも重なったせいかと思うが、孟徳の元で高名な医師に処方されてもそれで大変なことになった。
この前、薬を盛られて平気だったのは、本当に滋養強壮と言うか、栄養剤的なものだったからあまり強い反応を起こさなかったのだろう。
大丈夫なこともあるが、二度ほど本当に強い作用が出てしまったから、孟徳は花に極力薬を与えないようにした。
それからは薬が使えないから有り得ないくらいに花に、過保護になった。
だからそのことを誰よりも良く知り、用心していた孟徳が、花を助け出せと命じた自分の部下に薬のことを言わないとは思えない。
他の人間だったら忘れた、うっかりすることはあるかもしれない。
けれど花の体調に関することで、あれほど気にして注意深かった孟徳が、男に伝え忘れることがあるとは思えなかった。
薬と使わないと思っても、あらゆる可能性を考えるほどに孟徳は用心深い。
だからこそ孟徳は丞相にまで上り詰めて、いまだその地位にいるのだ。
もちろんごく弱い薬で、花に影響が少なそうなものを男に渡したことも考えられる。
だとすれば躊躇わずに男は花に薬を差し出すだろう。
でも毒見までしてみせておいて、孟徳から薬のことは聞いておりますぐらいの一言がないのは不自然だ。
僅かだった花の男への違和は、今は不信に変わりつつあった。
けれど全てを疑うには、孟徳の元に帰りたい花には辛いことだ。
怪しいと不信を招くことは、全て疑り深い花の考えすぎたことかもしれない。
聞いてみれば、本当になんてことのない笑って済ませられる程度のことの可能性も高い。
花は自分が孟徳の傍にいたいが為に、用心深く慎重になっていることを知っている。
それは必要なことだけれど、考え過ぎだということは今までにも良くあったのだ。
かと言って、男を盲目的に信じ込むには花と言う少女は聡明であり、やはりあくまでも軍師としての立場と思考を持っていた。
どうしようと考えがまとまらぬうちに、午後の行軍の出立の声が掛かった。



<後書き>
残念ながら男の正体には行かなかったですね。
花ちゃん、早く孟徳さんに会いたいよねぇ。
流れとすれば、孟徳さん本人がこっそり奪還にきてるのがカッコいんだけどなぁ。
うふふふふ、ドラマチックですよね。
何やら脳内がそういう展開で滾ることはよくあります。
それを糧にまあお話書いてるので、残念なやつと思いつつ次回でお会いできれば嬉しいです。

『花軍(はないくさ)』9(孟徳×花←玄徳)

2014-04-11 23:18:17 | 孟徳×花
<前書き>
花献帝と見せかけて、実は『花軍』でしたwww
今回は花ちゃんと前回の終わりに出てきた謎の人物のとのターンとなります。
はっきり言いましょう、らぶくない^^;
まあこの展開でどこのそんな要素を探せっていうんでしょうかね?
とにかくこの人物と花ちゃんの緊迫?したやり取りをお楽しみください。
では続きからどうぞ




『花軍(はないくさ)』9(孟徳×花←玄徳)もし花が最初に孟徳軍にいたら……
     至上(死情)の恋  無上(無常)の恋

聞き覚えのない声だったけれど、あまりに静かな声音だったから不穏な状況にも関わらず花の頭は逆に冷静に冷えてしまった。
一旦上がった花の肩がゆっくり下がるのを見ると口を覆っていた手がそろそろと離れて行く。
「そのままで動かないでください。さすがは軍師ですね。女人の割に冷静な方だ」
褒められたのかもと思うけれど、声音はそんな風には全然感じず、花は小さく息を吐き出す。
本当は怖くて仕方ない。
薄暗い小さな天幕で一人きり、それも敵軍の陣営なのだ。
見張りもいたはずなのに、それすらものともせずに隠密裏に侵入を果たす男。
その技量は計り知れないし、目的が友好的なものだとは、さすがに楽観的な花も思えない。
けれどかろうじて平静を保っていられたのは、あくまでも男の口調が丁寧で静かだったからだ。
理知的とさえ言える声は、ともすれば冷たくも聞こえる。
それに身体はいまだ拘束されたままで、花は後ろから聞こえる声に覚えを悟られないようにするのに精一杯だった。
それでも小刻みに震える身体を、自分自身で止めることはできない。
「手荒くなったこと、申し訳ありません」
低く抑制された声が耳元でして、吐息がかかる程の近さにびくりと無意識に花の肩が跳ねた。
「あなたは?」
こちらから質問するのは危険かもしれないと思いつつ、花はこの相手の落ち着いた声の様子や振る舞いに、思い切ってこちらからも訊いてみた。
「私は孟徳さまから遣わされた軍師様のお味方です」
一瞬喜びに花の心は満たされる。
やっと、やっと助けの手が差し伸べられた。
あの落城する城に残ると決めた時から、もう戻れないかもしれない、殺されてしまうかもしれないと思っていた。
本当のところは、拷問を受けるかもしれないとか、もっと怖いことまで想像していた。
気丈に振る舞うのは、孟徳軍の軍師として、丞相と呼ばれる彼の寵姫と呼ばれる自身が、孟徳の恥になってはいけないと必死だったからだ。
それでも自分の体の変調、敵軍の中に一人残された立場。
長い一人の夜は、心細くてこっそり涙を零したこともある。
覚悟はしていても、難しいことでも、もしかしたらいつかは孟徳の元に帰れるかもしれない。
ほんの儚い希望が、花をどうにか支えていた。
だから助けての存在は、どれほど心強く嬉しいだろう。
「危険なところをありがとうございます。手を離して、顔を見せて頂いていいですか?」
花が言えば、やっぱり後ろから申し訳なさそうな声がする。
「申し訳ありませんが、今はこのままに。職業柄、顔を見られるには適しません。それにお辛いでしょうが体勢はこのままに」
顔を見ないで欲しいと言う意味は分かる。
けれどこの不自由な体勢はなぜだろう、そんな花の疑問を察したように男の声が告げる。
「いつ何時、誰がここに入って来るのか知れません。もし誰かに見られた場合でも、この体勢だったら言い訳ができます」
男のもっともな言い分に、花はしっかりと頷いた。
「わかりました」
侍女の笙葉がこの場を外したのは、本当に少しの間だ。
玄徳から花の傍を離れるなと厳命されている侍女が、そんなに長く席を外しているはずはない。
もうすぐにでも戻って来てもおかしくないのだ。
「さて軍師さま。時間がありません」
「はい」
「私がここに、こうやって短い時間入り込むのもやっとです」
「そうでしょうね」
「あなたの傍から侍女は離れず、今が仲謀軍の兵までいる状況です。ですが今はそれが反対に隙を生む状況になるでしょう」
「脱出の手があるのですか?」
「他軍が陣中にいる間、玄徳軍の者たちはあなた様ばかりに注意を払っておけなくなる」
「そうですね」
「この機会を逃したくはありません」
ひそめた声で早口に告げられる言葉は、それでも簡潔に花に状況を悟らせる。
男はやはりこんな状況に慣れているのだろう。
危険な任務をしていながら、言葉には焦った様子一つなかった。
「具体的にはどうするんですか?」
「明後日には部隊は城に着きます。このままの行軍の予定ですと、明日も野営となるでしょう」
次に行く予定の城は、中規模でそこそこの規模の城壁に囲まれた町だ。
だがそれ故に、近くにあるのは比較的小さな集落ばかりで、これだけの規模の部隊を泊める施設はない。
かと言って、仲謀軍の兵が極少数でも一緒となれば、玄徳たちだけでも宿泊施設へと分けることは危険を伴うことになる。
そうなればいっそ全体で野営をすることは、推測することができた。
「行動を起こすのは、明日の野営の時といたします」
「はい」
「宵の警備兵が交代して一刻後に、この天幕へお迎えに上がります」
「侍女はどうするんですか?」
打ち解けた間柄ではないけれど、笙葉にはそれなりに良くしてもらったと花は思っている。
この女性にはきつい行軍に、いくら主に命令とは言え侍女の身でついてきてもらったことは、病み上がりで怪我の傷がいまだ痛む花にはありがたい。
そうして侍女は、ある意味献身と監視故に花の傍を滅多なことでは離れないし、夜寝る時も今までもずっと一緒だった。
だとすれば明日、花を連れ出す時に彼女のことはどうするつもりかと、その身を心配することはやはり甘いことなのだろうか。
思いながらも、命令とは言え良くしてもらった花はその身を案じてしまう。
「それは侍女がいるのにどうするかと心配しているのですか?それとも侍女も身を心配しているのですか?」
花の言葉だけで、そこまでを読み取るこのひとは随分と頭がいい。
でもこのひとも、孟徳軍の他の将のようにそんなことを心配する花のことを甘い軍師だと、これだから女はと考えているだろう。
「どちらの意味でも気になります」
甘いと言われてもそれが花なのだから、花にはどうしようもない。
花がこう言うことを言うたびに、浴びせられるのは嘲笑、侮蔑、呆れ、憐れみなどだったが、いずれにしろいい意味だったことはない。
丞相曹孟徳の寵姫と呼ばれる花に対してもそうだったのだから、孟徳の庇護のないただの花と言う存在だったらきっともっと酷かっただろう。
だから男の声に僅かに感情が揺れたように感じても、花は特別動じたりはしなかった。
特にこんな風に難しい状況下で、ただ孟徳の命により命の危険を冒して花を助けるために潜入しているのに、当の本人は敵の命の心配をしていると思えば腹立ちはあって当然だ。
けれど男は先程の花の感じたモノが気のせいであるかのように、淡々とした声音で返す。
「夕刻、食事が終わって床についた後にこの天幕内に眠り香を焚きます。ほとんど香りがしませんし、つよいものでもありません。軍師様は事前にこの薬を飲んで、なるべく香を吸い込まないようにしてください」
確かに天幕ならば、そっと外から香を入れることぐらいはできるだろう。
後ろから伸びた手が、花の膝の上に小さな白い包みを置いた。
「これは?」
「眠り香の効果を相殺します。もちろん身体に害有る物ではありません」
「くすり……」
もちろん今の花はそんなに強い力ではないが、後ろ手に手首を一括りにされているから薬を手に取ることはできない。
男は顔の表情は見えずとも、花の声に不安かもしくは不信を感じ取ったようだ。
長い指先が薬を手に取ると、その包みをそっと開けば少し茶色ぽい粉末があった。
「軍師様、片手だけお話しますがこちらを見ないでくださいね」
そう言って片方の手は自由になったけれど、やっぱり腕は抑えられた後ろを振り向くような身体の自由はない。
少し痺れたような指先に血が通うようにぐう、ぱあと手を開いたり閉じたりしていると、後ろから苦笑する気配があった。
「あまり強く拘束したつもりはなかったのですが、申し訳ありません。手が動くようでしたら御手数ですがそれを指先に付けてください」
言われるままに花が薬指に薬を付ければ、人差し指が薬の粉に薄っすらとまぶされた。
「匂いも刺激の強いものではありません」
その言葉が、匂いを確かめろと言うことだと思った花は鼻を近付けた。
確かに、鼻先に近付ければ漢方薬系の風邪薬のような匂いがする。
でも薬の知識などない花には、こうやった匂いを嗅いでも安心なものかなど分からない。
花がそのことを告げようとすれば、男の顔がこちらに近付く気配を感じて花の身体は強張った。
孟徳が自分を逃がす為に寄越した味方だと思っていても、やはり孟徳以外の異性にこれほどに傍に寄られるのは緊張する。
年も顔も分からないのに、影を生きるこの人の雰囲気に花は呑まれてしまいそうだった。
「軍師様、目を瞑っていただけますか?」
そう言えば、もう笙葉が今にも戻って来てもおかしくないくらい時間は過ぎている。
だから何故目を瞑らなくてはならないかと疑問に思ったけれど、結局花はその言葉に素直に従った。
あまり質問をする時間も、もう残されてはいないと思ったからだ。
すると花の自由の方の手に、男の大きな手が触れて持ち上げられた。
背中にかかる加減された圧迫感と熱、そうして空気が揺れたと思ったら、人差し指に濡れた感触と熱を感じた。
「っ!」
驚き過ぎて息を呑む花の指先が、温かく濡れたものに包まれて、やっと花は自分の指が舐められていることに遅まきながら気付く。
「な、なにするんですか?」
堪らず言い付けを忘れて目を開いた時には、既に指も手も解放されていた。
「毒見をしたことを示しただけです。目の前で顔を晒して飲むわけにはいきませんから」
指先を見れば、指にまぶされたように付着していた薬はきれいに舐めとられていた。
確かに相手の顔を見ず、目を瞑ったままでも確かに毒見されたことは分かった。
他に方法はなかったかもしれないけれど、花は羞恥と困惑に頬に熱が上がるのを止められなかった。
「丞相の寵姫に不埒な振る舞いでしたが、お許しください」
丞相と言う言葉に、花ははっと冷静になって正気付く。
「いいえ。薬の信憑性を身を持って証明してくださる為と分かりましたから」
「では、よろしいですね。眠らないために必ずこの薬はお飲みください。いくら私でも、意識のないあなたをここから無傷で助け出すことはできません」
「忘れずに飲みます」
「あと小さな事件が起こるかもしれませんが、あなたは何も気にせずにお過ごしください」
「分かりました」
「それからここを離れましたら、もう明日の夜、決行の時までは連絡を付けることは不可能です。気取られないようにお過ごしください」
「はい」
「私は行きます」
「くれぐれもお気をつけて」
花の掛けた言葉に返事は無く、手が離れたと思ったらふわりと空気が動いた。
ほんの数瞬のことだ。
けれどぎこちなく振り向いた時、もうそこには誰の姿もなかった。
ただ花以外のひとが確かに存在した痕跡が一つ残されていた。
花のすぐ後ろ、寝台の敷き布に残された窪みは、今までそこに確かに花以外の別の重みがあったことを示していた。
そこを撫ぜれば温かみを感じたような気がしたけれど、それこそ気のせいだったのかもしれない。
その時、ふわり一瞬だけ鼻先に何か見知らぬ香りが掠める。
今まで嗅いだことがない、それでも自然では有り得ない典雅でありながら人の気を惹く香りだった。
「あっ……」
その香りを追おうとしたら、手の中の薬の紙包がかさりと音を立てた。
間の悪いことに、その音で花の記憶は先程の薬の香りを呼び覚ましてしまった。
儚い香りはもう花の中からあっという間に消えてしまった。
「戻りました」
調度のタイミングで戻ってきた笙葉に声を掛けられ、花は気持ちを切り替えてそっと薬を帯の中に押し込んだ。

天幕を抜け出た男は、闇に紛れて足音を忍ばせて歩いた。
夜目が利くと言う程ではないが、生来勘は良く身体能力も高いので、闇夜でもなければ星明りを頼りに歩くことはできる。
暗闇を本能的に怖いと思う心もない。
本来、これは男の普段するような仕事ではない。
いつもはこれらを得意とする者たちに任せるのだが、どうしても自分の目で確かめたかった。
男が闇を器用に縫って自分の天幕の陰に入れば、すっと一つの気配が近付きてきた。
「上手く行ったのか?」
「ええ。あなたのご協力のお蔭です」
これではいつもと反対のやりとりだと思いながら、苦笑を浮かべて男は答えた。
影のこういった任務を得意とするのは、今近付いてきたこの年若い男の方なのだ。
「で、どっちを渡したんだ?」
問われた男は、懐から薄茶の小さな紙に包まれた物を取り出した。
包む紙の色が白と薄茶と僅かに違うだけで、先程花に渡されたものと同じように見える。
「へぇ」
自分に渡された包みを見ると、男は目の前でそれをかざして確かめてから自分の懐にしまった。
「あんたがこっちを渡さなかったのは意外だ」
「思うところがあるのですよ」
「取り敢えず明日のことは分かった」
「手筈通りにお願いします」
年若い男は頷き一つ残すと、更に鮮やかに闇に紛れて空気さえそよとも動かなかった。



<後書き>
と言う感じでしたが、誰だか分かりました?
こんな書き方をしたのは当然ですが焦らしたいからです^^;
いやいや、まあそれもあるのですが、次回に繋がっております。
やっぱり物語に動きがある方がたぶん読む方も楽しいかな?
次回展開をお待ちくださいませ^^



『聖なる夜に』おまけ(孟徳×花)現代パラレル

2014-01-31 20:46:42 | 孟徳×花
<前書き>
珍しく短いけど2回目更新^^
まあおまけですしね。
孟徳さんが孟徳さんだと言うお話です。
続きからどうぞ。



『聖なる夜に』おまけ(孟徳×花)現代パラレルです。

「孟徳さん。訊いていいですか?」
ブランチを食べて温かいミルクティーを飲みながら、花は小さく首を傾げた。
大きなカップを掌で包んで、ジンと伝わる温かさを楽しむ。
「うん?」
「あのもし私が孟徳さんのクリスマスデートがいいですって言ってたら、どんなプランを考えてたんですか?」
「気になる?」
「それは……せっかく孟徳さんが考えてくれてたんだから、聞いておきたいです」
これはどことなく花にとって怖いもの見たさの感覚がある。
いや、孟徳が提案するデートがホラー仕立てと言うわけではない。
大人と高校生という立場だけでなく、色んなところで花と孟徳には大きな隔たりがあるのだ。
その隔たりとは、よく性格の不一致と共に別れの原因となる価値観の相違と言うものだ。
「たいしたことじゃないよ」
「そうですか?」
そう言いながらも孟徳のプランはいつもたいしたことがあるのだ。
花の興味津々な視線に、孟徳は諦めたのかゆっくり語り始める。
「この時期クリスマス限定品とかたくさん出てるから、二人でお店を冷かしてショッピングがいいかなぁと思ってた。で、ちょっと疲れたらFホテルでアフタヌーンティー」
ちなみにFホテルのアフタヌーンティーは本格的かつお洒落なもので、例の三段プレートで供されるけれどクリスマスは更に特別バージョンで予約制だと聞いていた。
これはたまたま情報番組のスイーツ特集を見て花は知っていたことだ。
「あれ?じゃあもしかして予約してたんですか?」
「してないけどあのホテルには少しの無理はきくから」
さらりと言うけれどクリスマスやイヴに、元々ない人気の企画にいきなりねじ込むのは少しじゃなくて相当な無理ではないだろうかと花はこっそり思う。
けれど孟徳は頓着した様子もなく、それからはと言葉を継いだ。
「で、ちょっと休憩して甘い物で元気が出たら、夕方横浜港から出港する客船でのクリスマスのワンナイトクルーズがいいかなって思ってたんだ。豪華に飾り付けられたクリスマスの船旅は、一日だけでも楽しいと思うよ。海上でのクリスマスパーティーでショーやディナー、ダンスも楽しめるし、お姫さまみたいな気分が味わえるよ。窓からは海沿いの夜景が綺麗らしいしね」
花はあまりに予想外のクリスマスデートの目が点だった。
いや、孟徳のことだからどこそこの美味しいってお店で、もちろん花が入ったことのないような高級店で夕ご飯とかは想像していた。
もしかしたらホテルのスイートとかで一拍もあるのかなとかは、今までの経験から予想の範囲内だった。
けれど……けれどだ。
女子高生の中に、明言されてないけれど豪華客船で泊りがけでのクリスマスクルーズとかは正直思い浮かばないでも責められはしないだろう。
「あーあと定番かもだけど客室いっぱいのバラの花とか、そう言うのも考えてたかなぁ」
え?それって定番ですかと言う花の視線に気付いたのだろう、孟徳は苦笑いを浮かべる。
「ん~。やっぱり外してたかな?」
少しだけ悲しそうな、苦さが混じった声に花は慌てて首を振った。
「いえいえ。そんなことはないです。こう私の想像力が貧困と言うか、生活が庶民レベルだと言うか、そんな感じなので、孟徳さんが考えてくれたデートプランそのものは夢があって凄い素敵です」
それは花の本心で、物凄く驚いたけれど素敵だと思ったのも本当だ。
豪華客船でのクリスマスパーティーだなんて、想像するだけでドキドキしてしまう。
ダンスって言ってたけれど、そんな場所で踊る本格的なダンスなんて花はきっとできないだろうけれどさぞかし華やかだろう。
お姫様気分も間違いないはずだ。
「じゃあ、来年はそうする?」
訊かれて、気後れしてはいと素直に頷けないのはご愛嬌だ。
「ええっと勇気が出たら」
「俺のクリスマスデートには勇気なんているの?」
花の躊躇いなんて分かっているくせに、そうやって少し困ったような顔で花の顔を覗き込んでくる孟徳は本当に狡いと思う。
「だって私にはちょっぴり背伸びな感じです」
「そうかなぁ。花ちゃんは気楽にただ楽しめばいいんだよ。まあ俺は嬉しいの半分、心配なの半分かな」
「やっぱり私のマナーとか心配ですよね?」
コース料理だって孟徳に連れて行って貰う前にも、少しカジュアルな感じなら家族とも行ったことは花にもある。
だけどこう社交界みたいなセレブな雰囲気の場所での立ち振る舞いには、一般庶民の花には想像もつかない。
「花ちゃんが心配するようなことはないよ。君は誰にあっても真っ直ぐ顔を上げて、きちんと会話できるし、人を気遣うこともできる。本来必要とされるものは既に備わってる」
「それはこう……私を良く見すぎです」
花は謙遜するけれど、それは紛れもない孟徳の本心だった。
少女は年配者も含めて誰とも穏やかに接し、きちんと周囲を見ている。
可愛くはしゃぐこともあるけれど、雰囲気を壊すようなことは決してしない。
特別なお嬢様教育なんてせずとも、花は人間の本質が清らかで曲がっていないのだ。
もちろん重箱の隅を突くように粗探しすれば足りない所はあるだろうけれど、見知らぬ者が集まった船上のパーティーなどで花が見劣りすることなどない。
「そもそもダンスとかも踊れませんし」
「ソシアルダンスなんて俺だって上手には踊れないよ。そもそもステップを正確に踏めなくても身体をくっつけあって、笑顔で音楽に合わせて揺れてればいいんだよ。俺に合わせてね」
ウインクを寄越すけれど、孟徳の言葉の端々に色んな意味を感じるのは決して花の考えすぎではないだろう。
「も、孟徳さん……」
「なんならさ、今から練習しようか?」
「練習ですか?」
「贈った服に着替えて、ダンスの練習しよう」
大人のくせに、まるで子供の様に無邪気に強請られては花に断わる術はない。
結局花は断れずに孟徳に押し切られ、広いリビングで孟徳と向かい合って身体を寄せ合うことになる。
臨場感たっぷりに流れるのはスローなワルツだろうか、基本のステップとターンを本当に幾つかだけ教わる。
そうして花は孟徳に手を引かれて一歩を踏みだす。
「競技会に出るわけじゃないから、リラックスしてね」
恐々一歩を踏み出した花だけれど、ダンスは思いの外に楽しかった。
あんなこと言っていたけれど、孟徳は上手な方ではないかと思う。
丸っきり初心者の花を相手に、傍から見ればどうだかわからないけれど、十分に楽しく躍らせてくれているのだ。
楽しそうに踊り、孟徳のリードで軽くターンをする花を見ながら、孟徳は花の踊りに驚いていた。
決して運動神経が鈍いと思っていたわけじゃないけれど、リズム感もいいし、飲み込みも早くステップは軽やかだ。
意外な才能と言っていいだろう。
ふわりスカートの裾が揺れて、きれいな膝小僧が見えるのが色々と孟徳を煽ってくれる。
これならば来年は船上パーティーもいいかもしれないと本気で思う。
綺麗にお姫さまのように着飾った花と豪華な会場で踊るなんて、実に楽しそうだ。
いや、時間さえあればいっそヨーロッパの古城のホテルでのクリスマスパーティーとかもいいかもと妄想は際限なく膨らむ。
そうして孟徳の頭の中で、いっそプライベートジェットを買って時間短縮を図ってなどと着々とグレードアップした一年後のクリスマスの計画が練られているなど、ダンスを楽しむ花には思いもよらないことだ。
「孟徳さん?」
黙り込んだ孟徳に花が小首を傾げるようにして、こちらを覗き込んできた。
その愛らしい顔を見ながら、孟徳は喉を鳴らすように低く笑む。
「来年のクリスマスをお楽しみにね」
「さすがに気が早いですよ」
花はくるりと孟徳に回されて無邪気に笑った。
これが孟徳の一年がかりの遠大なるクリスマスデートの幕開けだった。
何も知らないことは幸せだと、今の花は気付けない。



<後書き>
孟徳さんが計画してたクリスマスデートはというお話^^;
孟徳さんならこれぐらいやっちゃうよね。
躊躇いもなくwww


『聖なる夜に』後編2(孟徳×花)現代パラレル

2014-01-28 22:44:46 | 孟徳×花
<前書き>
これで最終となるかなと思います^^
甘い甘い孟徳さんと花ちゃんのクリスマスはやっとこ終わります。
いやーもう1月も終わりだよwww
二人のいちゃらぶをごゆっくりお楽しみください。



『聖なる夜に』後編2(孟徳×花)現代パラレルです。

翌朝、花は目覚めればよく働かない頭であれっと思う。
何だか自分がいつ、どういう状況で眠ったのか、一瞬思い出せなかったのだ。
ぱちぱちと目を瞬かせれば、ふっと吐息を零すようないやに艶めいた笑い声が聞こえた。
「おはよう。花ちゃん」
それは聞き慣れた声であり、色々記憶がつながらない花はゆっくり顔を横へ向けた。
「もう……とくさ……ん?」
「うん」
隣には孟徳が、身体を横向きにして肘枕でこちらを覗き込んでいた。
いつも無造作な髪形だけれど、赤みがかった茶色の髪が寝乱れて額にかかっている。
その髪の間から覗く琥珀色の瞳は、比喩じゃなく蜂蜜みたいな色で甘い。
気怠い退廃的な色香を纏った孟徳は、そのまま花の腰に絡めていた左手でそっとお世辞にも女っぽいとは言えない身体のラインを柔らかな手つきで撫ぜた。
「辛くない?」
「ふぇ?」
「もしかして寝惚けてる?ならもう一度一緒に昨日の夜の続きを夢見ようか?」
昨日の夜と言う言葉が引き金になったのか、花は次の瞬間見事に覚醒した。
まざまざと思い出されるのは昨夜の自分の姿で、恥ずかしくて本当に死んでしまえそうだ。
羞恥で死ねるなら、花はたぶん昨日の一場面を思い出すだけで簡単に死ねただろう。
昨夜は何だか今までは絶対に言えなかったようなことを、うかされたように口走ったような記憶が朧気ながら微かにある。
あんなこと本当に自分が言ったんだろうかと記憶を辿ろうとすれば、何やら色んなことがフラッシュバックしてきた。
えええぇぇぇ!
昨日の自分を失くしてしまいたい。
孟徳は少しばかりぼうっとしていた花が、見事に赤く染まった様子に昨日のことを忘れてないことを知る。
「わ、私……」
「昨夜の君はすっごく可愛くて妖艶だったね。最高のイヴの思い出になったよ」
「お願いですから、わ、忘れてください」
「いやだ。まあもっとエッチで可愛い花ちゃんが見れたら、昨日のことは上書きされちゃうかもね」
花はあわあわと口を開いては閉じるけれど、こんな時に気の利いた言葉なんて返せない。
「かわいいなぁ。否定がないってことは良いってことだね」
孟徳はにこりと無邪気な笑顔で、花の方へ身を乗り出す。
「ダメ!ダメです!今は朝です」
「朝だって全然問題ないよ。今日は二人とも休みだし」
「私には問題あります!」
「ええっ、朝に光の中で昨夜みたいに蕩けちゃう花ちゃんが見たいなぁ」
その瞳の中に、自分の蕩けた顔が映った気がしてテンパった花はあろうことか孟徳に頭から肌触りのいいブランケットを被せた。
「きゃー孟徳さんったら勝手に脳内で昨日の事思い出さないでください」
「うわっ!だって俺、記憶力は人より並はずれていいんだよ。昨日の花ちゃんのあんな色っぽい姿も、声も、潤んだ目も、もったいなくて忘れられない」
「えええ!!!」
そもそも忘れろなんて無理な要求だってことは、花だって理解している。
それでも思い出すなら花の居ないところでに、是非して欲しい。
「酷いよ。毛布被せるなんて花ちゃんが見えない」
「見えなくっていいです。見て思い出すなら、見ないでください」
そう言ったら、毛布の塊から急に手が伸びてきて、花の腕を掴んで引き寄せられた。
「ねぇ、花ちゃんは昨日のことは思い出したくもないくらい嫌な事だった?」
毛布を被っている間抜けな姿なのに、孟徳の声は真摯で花ははっとする。
昨日孟徳はあれが愛の行為であり、それを受けて感じて酔い痴れることは罪悪を感じることでは無いと知って欲しいと言っていた。
花は特別古風に、厳しく育てられたわけじゃないし、結婚する前、高校生の十七歳と言う年齢で経験することを殊更悪く思ってはない。
何しろ本来なら一番隠さなければいけない両親にも、あからさまに告げてはないけれど婚約者と言う関係なのは公認なのだ。
これはたぶん隠し事に向かない花を思っての孟徳の思いやりだったんだろう。
だから花は小さくふるふる首を振る。
けれどいまだ毛布を被った孟徳には見えないと気付き、そっと毛布を捲り上げた。
すると先ほどまでの妖艶さが嘘のように、半ばまだブランケットをフードの様に被ったまま僅かにどこか悲し気な孟徳の顔が見えた。
「ごめんなさい。決して嫌じゃないです」
「ホントに?」
花はそっと頷くけれど、どこかまだ不安げに疑り深そうな孟徳の瞳にこのままじゃだめだと思う。
孟徳はいつでもこちらが困惑してしまうくらい花を褒める言葉を、自分がいかに花を好きなのか、想いを、気持ちを惜しまずに言葉で、態度で伝えてくれる。
対して花は恥ずかしいと言う気持ちが先に立って、孟徳のそんな全てを素直に受け取れない。
それだけじゃなく自分の想いすら、あまり上手に孟徳に伝えられない。
「昨日はやっぱり恥ずかしいって気持ちはあったけど、嫌じゃなくて……孟徳さんとそう言うことするのは苦痛なんかじゃないです」
「無理してない?」
「してません。いっぱい……孟徳さんを感じて幸せでした」
真っ赤に頬を染めて、たぶんはずかしくて堪らないだろうに、花は小さな声だったけれどしっかり孟徳に目を合わせて告げた。
「花ちゃん」
孟徳の女性とは違う身体に包まれることも、その肌を触れ合せることも、今までだって嫌悪感や忌避を覚えたことはない。
それにあれほど激しく鋭く重い感覚を味わされて、今あるのは気怠い幸福と陶酔だった。
好きな人と圧倒的な快楽と肌の温もりを分け合った時間。
肌を重ねることでしか得られない、愛の形もあるのだと少女は初めて知った。
「孟徳さん」
どうしようもなく愛おしいと孟徳に抱き付けば、ベールのように被っていたブランケットが滑り落ちる。
花は自然と陶酔した想いのままに、今までの自分の孟徳に対する寡黙さを埋めるように、男らしい筋張った首に手を回し柔らかな髪の中に指先が潜り込んだ。
孟徳は花の珍しく直情的な行動に少しばかり驚いたものの、当然身を退くことなんてなく、花のその行為を甘受する。
花の指が優しく髪に、頭皮に触れる感触に、孟徳は目を細めて花の様子を窺う。
ワンピースタイプの可憐なサーモンピンクのネグリジェを着た花は少ししどけなく、いまだぽやんとした表情が壮絶に可愛い。
襟足の所から首筋、上半身裸だった孟徳の胸元へと指先が滑り落ちてくる。
そうして逞しい胸の、丁度心臓のあたりで花はぴたりと掌をつけた。
慈しむように手の上に頬を寄せられ、孟徳は熱のこもった息を吐き出した。
愛撫のような行為なのに、花の表情に色めいたモノはないのが返す返すも残念だ。
「花ちゃん、そんなに煽られちゃったら引くに引けなくなるんだけど。それとも本気で君を朝から愛していい?」
まるで猫を可愛がるように、孟徳の指先で頤から喉元へ指先が触れて行って花はぴくりと敏感に身体を戦慄かせ弾かれたように身を退いた。
「ご、ごめんなさい!孟徳さんの心臓の音を感じてたら安心しちゃって」
「それは光栄だな。俺も花ちゃんと鼓動を重ねるのは好きだよ。穏やかでも激しくてもね」
その言い回しに、くつりと笑む孟徳の色に気付かぬほど今朝の花は初心ではなく、それでも今の花は恥ずかしさの中に自分の想いを精一杯表す。
だって年下だから、経験値がないからと、孟徳に甘やかされだけじゃなく、自分だって不慣れなりに伝えたい。
自分の中にある、まだ自分自身ですら掴めきれてない、でも溢れ出すほどの想いを。
「私……まだ色々子供だったりして逃げちゃうことがあるけれど、孟徳さんのこと大好きだから想いには堪えたいです。あ……でも、朝からエッチとかはまた別ですから!」
素直で可愛らしく孟徳の心をどうしようもなく揺さぶるくせに、最後の一線で流されてくれない少女。
そんな少女の軽やかな強さに、大人でも子供でなくただ花と言う存在に心を囚われて、孟徳は男の欲を宥めて鼻先にちゅっと音を立ててキスをした。

結局色々用意を整えてリビングまで辿り着けたときには、時は既にお昼に近付こうとしていた。
リビングには昨夜はなかったはずの大きなクリスマスツリーが存在感も鮮やかに置かれている。
オーソドックスに飾り付けられてはいるけれど、何だか高級感漂うのはオーナメントがお洒落なせいだろうかと花は思う。
「孟徳さん、これ昨日ありましたか?」
「ん?サンタさんが一夜で用意してくれたのかな?」
にこにこ悪びれない笑顔に、花は追及を諦めた。
昨日、孟徳はおそらく花が家でまったりなクリスマスデートなんて望むと予想してなかっただろうから、クリスマスの飾りつけなんて何もしてなかったのだ。
ただ一夜明けて見れば、ツリーはあるし、扉にはリース、テーブルクロスや燭台までクリスマス仕様になっているから驚くばかりだ。
ちなみに起きてから今まで、非常に残念なことに花は自分の足で一歩も歩いてない。
ぎしぎし身体のあっちこっちは軋むように痛んでいたし、生まれて初めて腰が立たないと言う何とも言えない経験をした。
ある意味、確かに大人の体験だったかもと頭を掠めて、花はぶんぶんと慌てて回想を断ち切った。
ツリーの下には幾つかさまざまな大きさの箱が並べられている。
「あれが花ちゃんへの俺からのクリスマスプレゼント」
花の視線を追った孟徳が何でもなく言った。
「えっと全部ですか?」
「うん」
「多すぎません?」
「そんなことないよ。持ってこようか?」
「いえいえ。もう歩けます。いえ、歩きます」
花はすかさず抱えようとした孟徳の腕から逃れると、ソファーから立ち上がる。
けれどよろけたため伸ばされた孟徳の手を支えにしてツリーまで行った。
ツリーの下には柔らかな毛足の長いラグが敷かれ、ぺたんと腰を下ろせばじんわり床暖房で暖かく綺麗にラッピングされた箱に目を見開いた。
横に並んで片膝を立てて座った孟徳は、箱を一つ一つ渡してくれた。
パフスリーブのワンピース、スエードにレースをあしらったパンプス、小振りなバック、装丁の見事な一抱えもある写真集、花のイニシャルと小花の刺繍のハンカチのセットはきっとオーダーメイドに違いない。
そして恭しく指先にキスされて、薬指に嵌められたのは小さなダイヤモンドを散りばめた花のモチーフのリングだった。
繊細で可愛いらしデザインで、花は見惚れてしまう。
「孟徳さん……これ」
「花ちゃんが俺のモノだってわかるようにね。これなら普段つけられるよね?」
「はい。さすがに学校じゃ無理ですけど、お出かけの時は大丈夫だと思います。可愛いいですけど……えっとお行儀悪いかも知れませんが、高かったんじゃあないですか?」
「これはね、この前ヨーロッパに行ったときにアンティークジュエリーを扱ってる店で見つけたんだ。見た瞬間、何だか花ちゃんに似合うって一目惚れしたんだ。値段は全然高くないよ」
「でもプレゼント全部となると相当ですよね」
「笑顔で貰ってくれることが俺への花ちゃんのプレゼントって、前から言ってるでしょ」
確かに今までもこれは何度も交わされた会話で、たぶんセレブと呼ばれる階級に属する孟徳には負担ですらないのだろう。
実際花に出会う以前、特別がなかった孟徳はもっと多くの当時の軽い恋人から女友達にまで、様々なプレゼントを幾人もの彼女たちに送ってきた。
そんな女たちと手を切って、ただ一人に贈るクリスマスプレゼントなんて何ほどでもない。
特に花はブランドや宝石、車や海外旅行を強請ったりしないから、拍子抜けするほどの出費だ。
「ありがとうございます。すごく嬉しいです」
花はきっぱり雑事を頭から追い出すと、本当に嬉しそうに手を差し出して指環を大切そうに眺めながら微笑んだ。
「私のプレゼントも受け取って貰えますか?」
「もちろん喜んで」
花はツリーの下に置かれてあった自分のバックを取って来ると、中から小さな箱を取り出した。
どうやらバッグにプレゼントが入っていると予想して、わざわざここに置いておいてくれたらしい。
ちらりと孟徳を横目で見れば、彼は何でもない顔で笑っている。
お洒落なブランドショップの包装やリボンじゃないけれど、花が一生懸命素敵に見えるようにラッピングした小さな箱を差し出す。
「どうぞ」
そうして不器用な孟徳の手によって解かれたプレゼントの箱から、大きな掌に取り出されたのはストラップだった。
「うわ!良い色合いだね。もしかして花ちゃんの手作り?」
たまに花がビーズのアクセサリーを付けていたり、友達にプレゼントしているのを知っている孟徳は目を輝かせる。
「はい。今の私に出来る精一杯です」
前日までの花ならばやはり孟徳には合わない、みすぼらしいと気後れしたかもしれない。けれど、イヴで互いの不安を話したせいか蟠りはなく渡すことができた。
「凄いなぁ」
「えっと、そんな全然大層なものじゃないんですが」
「凄いよ。俺にはこんな細かなことする器用さは絶対にないし、これは世界に一つだけの俺の為に作られた物でしょう?」
「でも孟徳さんならオーダーメイドって言うか、自分のためのただ一つって他のひとよりたくさん持ってますよね」
孟徳は既製品も持つけれど、靴やシャツなどはオーダーメイドをわりと愛用していることを花は知っていた。
「それは曹孟徳って名前の客に作られたものであって、俺のことを想って作られたものじゃない。花ちゃんはこれを作る間、ずっと俺のことを想ってビーズを選び、一粒一粒通してくれたんだよね?それとも俺の自惚れ?」
「自惚れなんかじゃありません。ずっと孟徳さんのこと考えて作ってました」
「うん。だからこれは本当に世界にただ一つだけの花ちゃんの想いのこもった俺の為のもの。何よりの宝物だよ」
そうして指先が鳥のチャームの表面をなぞる。
「これは鳥だよね?」
「私の中では勝手にですけど鳳凰なんです。そんな感じしませんか?」
かつてほんの少し明かしてくれたけれど、孟徳の祖は遥か遠く大陸だと言っていた。
だから会社やグループに使われているロゴマークは、随分デフォルメされているけれど瑞獣の鳳凰にしたと。
縁起担ぎなどあまりしないけれど、何となくこれを選んでしまったと苦笑を浮かべていた孟徳。
本当に何気ないことだったけれど、その表情がいつもと違って珍しく、印象に残っていたから選んだのだ。
「鳳凰かぁ。そう言えば尾の感じとかは東洋的だ」
孟徳が以前にほんの少しだけ漏らしてしまったいつもは誰にも見せない感情の波を、見つけ出し、そして大切なことのように憶えていてくれる少女。
派手な振る舞いや外見に流されず、真っすぐに孟徳そのものを見つめる瞳。
惹かれずにいられないと、こういう何気ない時に思い知らされる。
自分が何に触れているかなんて、きっと花自身は気付いてないのだろう。
「花ちゃん」
明るい色合いの陰を含まない眼差しに、恋い焦がれて執着が滲む。
「ありがとう」
いつもの甘ったるい好きと言う言葉でなく、色んな意味を込めてお礼を言えば花の瞳がふわりと揺れる。
キスでなくそっと掌を背中に滑らせれば、ただそれだけの何気ない仕草に無意識に少女から漏れた吐息と昨日まではなかった色が鮮やかに香る。
密やかに征服欲を満たした孟徳は、目を細めて満足気に花を抱き寄せた。
「メリークリスマス。素敵なクリスマスだ」
耳元に囁かれ、たった一晩で随分と敏感になってしまった少女は、睫毛を一度伏せてふうっと甘い吐息を零して孟徳に返した。
「メリークリスマス」
花の大好きな大きな窓の向こう、晴れ渡った空にひらり風花が舞っていた。



<後書き>
ふー艶シーンは一気に書くべきと今回ばかりが痛感しました。
正月明けに書くものではないようです^^;
気分的な問題でしょうか?
次回は通常連載のどれかに戻りたいと思います。
あ、バレンタインはたぶん書かないだろうなぁな気分です。