<前書き>
『花闇月』もこの後日談的お話で本当に最後になります。
まあ読まなくても全然差し障りないわけですが、補足と言う感じでしょうか^^;
少しだけ甘さも補充……微妙だ(汗)
とりあえず軽いお気持ちでどうぞ。
『花闇月』その後(孟徳×花孔明)(もしも設定なので深く突っ込まないように…笑)
益州に帰還するために、使者としての役目を終えて挨拶に向かった雲長と亮は、普段目通りが行われる広間ではない場所へ案内された。
ある意味、私的な会見は終わったはずで、これは名目上の儀礼的なものだ。
訝しく思わないわけはない。
「あれ以上、何か言うべき言葉があったとも思えないが」
腑に落ちない表情で、通された場所に不審の視線を向ける。
そこは内殿と呼ばれる孟徳の私邸の部分に当たる場所に近い東屋だった。
普通、こんな場所に通されることはない。
更に不審に思ったのは、そこに孟徳以外の線の細い小柄な人影があったからだ。
けれど案内の兵が声をかける前に、気配に振り向いたその人物に雲長は声を失った。
それでも武人として培った強じんな精神力で、行動だけは歩も止めることなく案内に従う。
衝撃から立ち直ったのは、亮の方が早かったろう。
「二人に紹介しよう。曹孟徳が最愛の姫の花ちゃん」
恥ずかしげもなく言い切った孟徳に、花は実に困った顔で、でも嬉しそうに、照れたように恥ずかしげに笑む。
「花……」
それでも雲長に呼びかけられ、花は表情を一変させると申し訳なさそうに一歩進み出た。
帰りたくても未だ帰る術のない人の前で、ここにある自分の存在をどう言えばいいのだろう。
けれど雲長は、自失から立ち直れば僅かに目を細めた。
「あの」
「構わない」
「でも」
「お前が望んだのがここなのならばそれでいい」
清しく言って、僅かに口の端で笑みを浮かべる雲長に、花は堪らず手を伸ばす。
いつでも、どこでも、長い時の中で黙って花を支え、見守り続けてくれた人。
彼がいたからこそ、この永遠と思える時の流れを渡って来れた。
雲長はほんの一時、腕の中にその温かな身体を感じてそっと背を抱いた。
それは男女の情ではなく、ある意味この二人以外は誰も持ちえない同族の絆だった。
最後に抱いたあの冷たく命が失われていく記憶が、温かな生への感覚に置きかえられていく。
「花ちゃん。もういいだろう」
そこへ割って入ったのは苛立ちを含んだ孟徳の声で、やんわりと花の肩を抱いて引きはがす。
「丞相殿は狭量だね」
恐れ気もない揶揄の声は、亮のものだ。
「雲長だからこの程度だ。他の者だったら、とっくに斬って捨ててる」
「孟徳さん」
花はどこか孔明の時のような窘める口調で、ちらりと上目遣いに孟徳を睨んだ。
「言葉のあやだよ」
孟徳は誤魔化すけれど、孔明として生きてきた記憶のある花にはどうにもあやだとは思えない。
「心配なら君が今後他の男に抱きつくなんて真似をしなければいい」
しれっと孟徳は言い放つ。
「しかし本当に戻って来たんだな」
雲長の感慨深い声に、花はやっと雲長の隣に立つその青年に視線を真っ直ぐに向けた。
「たぶん彼のお蔭で。初めまして、でいいのかな?」
「う~ん。取り合えずそうかな」
「あなたが、孟徳さんに本を託してくれたからここにこうやって戻って来れました」
「戻ってか……君がそう思うほどに、こちらでの生が辛くなかったんだったらボクは良かったと思うよ」
苦笑交じりに言われ、花は小さく苦笑する。
「辛いことも嬉しいことも悲しいことも喜びも、全てはたぶん同じくらいありました。でも戻って来たいと思ったのは、最後の生で、今世で、今までと違うことを知ったからだと思います」
そうして浮かべた少しだけ憂いを秘めた微笑は、少女の持つ雰囲気からしたら随分と大人びて、はっとするほど艶やかで美しいものだ。
言わずもがな、それは花が初めて持った強く激しい想いのためだと誰の目にも分かる。
その想いを分かつことの許されたただ一人の男、孟徳は甘く独占欲を隠さず少女を自分の腕の中に閉じ込めた。
そしてそんな花を後ろから抱き込むと髪を柔らかく指先で弄んで、さも愛おしそうに頭のてっぺんに口付けを落とした。
「孟徳さん、まだお話の途中です」
「もう俺の我慢は限界。さっさと本題に移ろう」
「「本題」ですか?」
短くは雲長、長くは亮の疑問の声が重なる。
「俺は彼女を正式な第一の妻として迎える。万難を排すためにはお前たちというか、玄徳軍の手がいるが聞く気はあるか?」
「お伺いいたしましょう」
すでに軍師である亮は、かつて花であった孔明がそうしたように、白い羽扇をゆらりと揺らして応じた。
花はその光景を、口を挟まず万感の思いで見つめていた。
玄徳軍の使者が帰ったのち、両軍の間は荊州の境界を挟んで再び一発触発の緊張状態となった。
けれどそれは両軍の働きかけから回避の動きへとなる。
何しろその間を突こうと、揚州の仲謀軍が動いたのだから仕方ない。
和平を確実なものにするため、玄徳軍から玄徳の異母妹と言われる十七歳の歳若い姫が、孟徳のもとへ政略結婚で送り込まれてくることになった。
孟徳へと嫁す条件は、その姫を一の妻に据えること。
今この状況では断ることもできず、決して粗略には扱えぬ存在として、玄徳の正式な後ろ盾をもって血族の姫は良く晴れた日、許都の孟徳の元へ腰入れた。
薄絹を被り静々と輿を降りた姫は、護衛の玄徳軍の兵と分かれ奥の間へ案内されていく。
「では、こちらでお待ちください」
侍女が下がれば、続き間からするりと人影が滑り出てきた。
出てきた人影も、花嫁とまったく同じ豪奢な赤の花嫁衣裳、髪飾りだ。
「ご苦労様でした」
続き間から出てきた花が到着したばかりの花嫁を労えば、花嫁は被り物を取って深く花に向かって拱手を捧げる。
「もったいないお言葉です。花様」
「身代わりなど危険な真似をありがとうございました」
「いいえ。我が主玄徳様の妹君様の身代わりなど光栄にございます」
身代わりの侍女はあくまでも真実を知らず、玄徳の異母妹花が襲撃や暗殺の目をくらませるために、別働隊と共に許都に入ったと思っている。
実際の花は、この世界に戻ってから一時も許都から出たことはない。
そう、これこそが孟徳が筋書きを示し、亮たちが細部を詰めた案だった。
一番の難関は玄徳に真実を話し信じて貰えるかどうかだったが、玄徳は雲長と亮の言葉と共に、孟徳と花の書簡を見て信じたらしい。
何より花の言葉全てが、長年仕えてくれた孔明の言と重なったためだ。
そして孟徳が裏から手を回して準備すると言ったにも関わらず、花の腰入れのための花嫁道具は全て玄徳が用意したものだった。
「これらは、本来孔明が得るべきだったもののほんの一部に過ぎない。だから快く受け取ってもらいたい」
返された言葉に、花は静かに主と未だ思う心で深く拱手を捧げた。
これから花は、劉玄徳の妹としてその威光を後ろ盾にこの地で孟徳と共に生きる。
もちろん花と孟徳の婚姻は、情によってのみなされたわけではない。
劉と曹の結びつきが、この和平を長く支えることを視野に入れた上での政治的決断も働いている。
いずれにしろこの策に関わった者達の今の心情に、目的の主は違っても一片の偽りもなかった。
そして繰り返した世界の中で初めて、劉玄徳と曹孟徳の間に政略婚が結ばれることになった。
「ああ。でもこれしか手がなかったとは言え、悔しいな」
孟徳が実に面白くなさそうにぼやく。
「何がですか?」
花嫁衣裳から、初めての婚儀の夜を迎えるために純白の織も彩な夜着に袖を通した花は、初々しく孟徳に手を取られて寝所へと招き入れられた。
「花ちゃんが玄徳の妹ってとこ」
「仕方ありませんよ。実際、私はここにいない人間なんですから」
その花を一の妻、つまり正妃の身分に押し上げることは丞相曹孟徳にかかればできなくはなかったが、無理を通せば花の立場が悪くなることは分かっていた。
それよりは誰もが頷かねばならぬ花嫁として、確固とした後ろ盾をもって迎える方が、後々を考えても良かったのだ。
苦肉の策だったが、思いの外上手く言ったのはやはり玄徳軍の全面的協力があったおかげだ。
「まあいいか。劉家の花姫も、晴れてこうして曹孟徳の妻になったんだからね」
男の色香を滲ませて、孟徳の瞳が花の姿を頭の先から足もとまで順に捉える。
「孟徳さん、その目、ちょっと怖いです」
「怖いとは酷いな。でも俺は今夜酷い男かも知れないけど、覚悟はできてる?」
「え?」
「ん?だってすごく待ったから」
孟徳は艶めいた微笑を浮かべると、花を抱き寄せる。
ここに戻っておよそ五か月、二人の間に身体の関係はなかった。
「私一人が、孟徳さんを待たせたわけじゃありません」
「うん。俺の我儘だね。俺が花ちゃんをゆっくり知りたかったから。前は急ぎ過ぎて、君を追い詰めた」
確かに息詰まるような恋の駆け引きは、この花には不似合いに思える。
すると花は、少しだけ挑戦的に悪戯っぽく笑う。
「この私もそんなに弱くはありませんよ」
「それは頼もしい言葉だな。じゃあ、手加減なしでいい?」
抱きしめた一方の手が、背中から腰へ滑り、ぐっと孟徳へ引き寄せられた。
「も、孟徳さん!」
焦る花にはお構いなしに、優しく頬や額、瞼、鼻先に口付けが幾つも落とされる。
やがて顎まで来た口付けは、花の唇の端にかすめるように一つ落ち、やがてゆっくり重なった。
深い口付の中、花は堪らず甘く喘いで孟徳の髪をくしゃりと撫ぜて首に縋る。
「もう立ってられない?」
甘く囁かれ、花は口付けだけで上気させ潤んだ瞳で孟徳を見上げて頷く。
「仰せのままに」
抱き上げられ、その言葉に、状況に花は既視感を覚えて一瞬胸が詰まる。
あの時の孔明は、どんな想いでこの腕の中にいただろうか?
どこまでも敏い孟徳は、少しだけ揺れた花の眼差しに気付きながら、ゆっくりと歩を進めて花を寝台におろした。
そのまま花の顔の両脇に手を突くと、顔を近付けて耳元に囁く。
「花ちゃん、俺は姿が変わろうと、呼び名が変わろうと、立場がどうであろうと、君の存在、魂そのものを愛してる」
「どんな私でもですか?」
「うん。君ならば姫でも、軍師でも、ただの娘でも……娼妓だってかまわない」
「最後のが一番敷居が高そうです」
「そう?俺の前でだけなら、どんなに乱れてくれてもいいよ」
「……努力してみます」
少女は恥ずかしげに視線をそらして、でも可愛らしく孟徳の夜着の袂をぎゅっと握る。
「怖い?」
「変ですね……」
この先の行為は孔明の時に知って未知ではないし、まして相手は誰よりも愛すべき孟徳で、その肌だって、行為だって、どれだけ甘いものか知っている。
なのに花は、自分では止めようがなく小さく震えていた。
「かわいい。大切にするから、君の二度目の初めても俺に頂戴」
花は胸いっぱいに孟徳の愛を感じ、返事の代わりに手を差し伸べる。
「孟徳さん……」
愛してますは言葉にならず、花からの口付けに代えられて、閉じる瞳から真珠のように一滴の涙が零れ落ちて孟徳の肌を滑っていった。
この後、孟徳軍と玄徳軍に小競り合いはあったが、互いの当主が代替わりしてしばらく後まで大きな戦は起こらなかった。
そこには政略結婚であっても、仲睦まじかった曹孟徳とその正妃である劉家より嫁した花の存在が大きかったと伝えられている。
そして花自身は城の奥深くに在り、その当時の高貴な女性の常でほとんど表に出ることはなかった。
ただその姿や人となりを垣間見た者は、穏やかにあたたかな人柄、どこかいつまでも少女のようなあどけなさと明るさ、そして聡明さを兼ね備えた女性だったと言っている。
ただ一つ花は、どんな場合においても二君に仕えずを胸に、死すその時まで玄徳に忠義を捧げ、その孔明として持っていた才を孟徳軍の為に使うことはなかった。
またその初恋の恋情そのままに、いつも孟徳の傍にあって、その瞳は飽くことなくただ曹孟徳を見つめ、その心と共にあった。
これは史実が伝えぬ、一つの物語の裏側のお話。
<後書き>
ああ本当に全部終わってしまいました。
なんか蛇足だったかなと思いつつ、やっぱり雲長さんと玄徳さんを少しだけ出したかった。
だって二人は、本当に長いこと花孔明とともに歩んできましたからね。
そして私にしては珍しく、愛妾でない花ちゃんでした(笑)
では、また次のお話でお目にかかれれば嬉しいですwww
『花闇月』もこの後日談的お話で本当に最後になります。
まあ読まなくても全然差し障りないわけですが、補足と言う感じでしょうか^^;
少しだけ甘さも補充……微妙だ(汗)
とりあえず軽いお気持ちでどうぞ。
『花闇月』その後(孟徳×花孔明)(もしも設定なので深く突っ込まないように…笑)
益州に帰還するために、使者としての役目を終えて挨拶に向かった雲長と亮は、普段目通りが行われる広間ではない場所へ案内された。
ある意味、私的な会見は終わったはずで、これは名目上の儀礼的なものだ。
訝しく思わないわけはない。
「あれ以上、何か言うべき言葉があったとも思えないが」
腑に落ちない表情で、通された場所に不審の視線を向ける。
そこは内殿と呼ばれる孟徳の私邸の部分に当たる場所に近い東屋だった。
普通、こんな場所に通されることはない。
更に不審に思ったのは、そこに孟徳以外の線の細い小柄な人影があったからだ。
けれど案内の兵が声をかける前に、気配に振り向いたその人物に雲長は声を失った。
それでも武人として培った強じんな精神力で、行動だけは歩も止めることなく案内に従う。
衝撃から立ち直ったのは、亮の方が早かったろう。
「二人に紹介しよう。曹孟徳が最愛の姫の花ちゃん」
恥ずかしげもなく言い切った孟徳に、花は実に困った顔で、でも嬉しそうに、照れたように恥ずかしげに笑む。
「花……」
それでも雲長に呼びかけられ、花は表情を一変させると申し訳なさそうに一歩進み出た。
帰りたくても未だ帰る術のない人の前で、ここにある自分の存在をどう言えばいいのだろう。
けれど雲長は、自失から立ち直れば僅かに目を細めた。
「あの」
「構わない」
「でも」
「お前が望んだのがここなのならばそれでいい」
清しく言って、僅かに口の端で笑みを浮かべる雲長に、花は堪らず手を伸ばす。
いつでも、どこでも、長い時の中で黙って花を支え、見守り続けてくれた人。
彼がいたからこそ、この永遠と思える時の流れを渡って来れた。
雲長はほんの一時、腕の中にその温かな身体を感じてそっと背を抱いた。
それは男女の情ではなく、ある意味この二人以外は誰も持ちえない同族の絆だった。
最後に抱いたあの冷たく命が失われていく記憶が、温かな生への感覚に置きかえられていく。
「花ちゃん。もういいだろう」
そこへ割って入ったのは苛立ちを含んだ孟徳の声で、やんわりと花の肩を抱いて引きはがす。
「丞相殿は狭量だね」
恐れ気もない揶揄の声は、亮のものだ。
「雲長だからこの程度だ。他の者だったら、とっくに斬って捨ててる」
「孟徳さん」
花はどこか孔明の時のような窘める口調で、ちらりと上目遣いに孟徳を睨んだ。
「言葉のあやだよ」
孟徳は誤魔化すけれど、孔明として生きてきた記憶のある花にはどうにもあやだとは思えない。
「心配なら君が今後他の男に抱きつくなんて真似をしなければいい」
しれっと孟徳は言い放つ。
「しかし本当に戻って来たんだな」
雲長の感慨深い声に、花はやっと雲長の隣に立つその青年に視線を真っ直ぐに向けた。
「たぶん彼のお蔭で。初めまして、でいいのかな?」
「う~ん。取り合えずそうかな」
「あなたが、孟徳さんに本を託してくれたからここにこうやって戻って来れました」
「戻ってか……君がそう思うほどに、こちらでの生が辛くなかったんだったらボクは良かったと思うよ」
苦笑交じりに言われ、花は小さく苦笑する。
「辛いことも嬉しいことも悲しいことも喜びも、全てはたぶん同じくらいありました。でも戻って来たいと思ったのは、最後の生で、今世で、今までと違うことを知ったからだと思います」
そうして浮かべた少しだけ憂いを秘めた微笑は、少女の持つ雰囲気からしたら随分と大人びて、はっとするほど艶やかで美しいものだ。
言わずもがな、それは花が初めて持った強く激しい想いのためだと誰の目にも分かる。
その想いを分かつことの許されたただ一人の男、孟徳は甘く独占欲を隠さず少女を自分の腕の中に閉じ込めた。
そしてそんな花を後ろから抱き込むと髪を柔らかく指先で弄んで、さも愛おしそうに頭のてっぺんに口付けを落とした。
「孟徳さん、まだお話の途中です」
「もう俺の我慢は限界。さっさと本題に移ろう」
「「本題」ですか?」
短くは雲長、長くは亮の疑問の声が重なる。
「俺は彼女を正式な第一の妻として迎える。万難を排すためにはお前たちというか、玄徳軍の手がいるが聞く気はあるか?」
「お伺いいたしましょう」
すでに軍師である亮は、かつて花であった孔明がそうしたように、白い羽扇をゆらりと揺らして応じた。
花はその光景を、口を挟まず万感の思いで見つめていた。
玄徳軍の使者が帰ったのち、両軍の間は荊州の境界を挟んで再び一発触発の緊張状態となった。
けれどそれは両軍の働きかけから回避の動きへとなる。
何しろその間を突こうと、揚州の仲謀軍が動いたのだから仕方ない。
和平を確実なものにするため、玄徳軍から玄徳の異母妹と言われる十七歳の歳若い姫が、孟徳のもとへ政略結婚で送り込まれてくることになった。
孟徳へと嫁す条件は、その姫を一の妻に据えること。
今この状況では断ることもできず、決して粗略には扱えぬ存在として、玄徳の正式な後ろ盾をもって血族の姫は良く晴れた日、許都の孟徳の元へ腰入れた。
薄絹を被り静々と輿を降りた姫は、護衛の玄徳軍の兵と分かれ奥の間へ案内されていく。
「では、こちらでお待ちください」
侍女が下がれば、続き間からするりと人影が滑り出てきた。
出てきた人影も、花嫁とまったく同じ豪奢な赤の花嫁衣裳、髪飾りだ。
「ご苦労様でした」
続き間から出てきた花が到着したばかりの花嫁を労えば、花嫁は被り物を取って深く花に向かって拱手を捧げる。
「もったいないお言葉です。花様」
「身代わりなど危険な真似をありがとうございました」
「いいえ。我が主玄徳様の妹君様の身代わりなど光栄にございます」
身代わりの侍女はあくまでも真実を知らず、玄徳の異母妹花が襲撃や暗殺の目をくらませるために、別働隊と共に許都に入ったと思っている。
実際の花は、この世界に戻ってから一時も許都から出たことはない。
そう、これこそが孟徳が筋書きを示し、亮たちが細部を詰めた案だった。
一番の難関は玄徳に真実を話し信じて貰えるかどうかだったが、玄徳は雲長と亮の言葉と共に、孟徳と花の書簡を見て信じたらしい。
何より花の言葉全てが、長年仕えてくれた孔明の言と重なったためだ。
そして孟徳が裏から手を回して準備すると言ったにも関わらず、花の腰入れのための花嫁道具は全て玄徳が用意したものだった。
「これらは、本来孔明が得るべきだったもののほんの一部に過ぎない。だから快く受け取ってもらいたい」
返された言葉に、花は静かに主と未だ思う心で深く拱手を捧げた。
これから花は、劉玄徳の妹としてその威光を後ろ盾にこの地で孟徳と共に生きる。
もちろん花と孟徳の婚姻は、情によってのみなされたわけではない。
劉と曹の結びつきが、この和平を長く支えることを視野に入れた上での政治的決断も働いている。
いずれにしろこの策に関わった者達の今の心情に、目的の主は違っても一片の偽りもなかった。
そして繰り返した世界の中で初めて、劉玄徳と曹孟徳の間に政略婚が結ばれることになった。
「ああ。でもこれしか手がなかったとは言え、悔しいな」
孟徳が実に面白くなさそうにぼやく。
「何がですか?」
花嫁衣裳から、初めての婚儀の夜を迎えるために純白の織も彩な夜着に袖を通した花は、初々しく孟徳に手を取られて寝所へと招き入れられた。
「花ちゃんが玄徳の妹ってとこ」
「仕方ありませんよ。実際、私はここにいない人間なんですから」
その花を一の妻、つまり正妃の身分に押し上げることは丞相曹孟徳にかかればできなくはなかったが、無理を通せば花の立場が悪くなることは分かっていた。
それよりは誰もが頷かねばならぬ花嫁として、確固とした後ろ盾をもって迎える方が、後々を考えても良かったのだ。
苦肉の策だったが、思いの外上手く言ったのはやはり玄徳軍の全面的協力があったおかげだ。
「まあいいか。劉家の花姫も、晴れてこうして曹孟徳の妻になったんだからね」
男の色香を滲ませて、孟徳の瞳が花の姿を頭の先から足もとまで順に捉える。
「孟徳さん、その目、ちょっと怖いです」
「怖いとは酷いな。でも俺は今夜酷い男かも知れないけど、覚悟はできてる?」
「え?」
「ん?だってすごく待ったから」
孟徳は艶めいた微笑を浮かべると、花を抱き寄せる。
ここに戻っておよそ五か月、二人の間に身体の関係はなかった。
「私一人が、孟徳さんを待たせたわけじゃありません」
「うん。俺の我儘だね。俺が花ちゃんをゆっくり知りたかったから。前は急ぎ過ぎて、君を追い詰めた」
確かに息詰まるような恋の駆け引きは、この花には不似合いに思える。
すると花は、少しだけ挑戦的に悪戯っぽく笑う。
「この私もそんなに弱くはありませんよ」
「それは頼もしい言葉だな。じゃあ、手加減なしでいい?」
抱きしめた一方の手が、背中から腰へ滑り、ぐっと孟徳へ引き寄せられた。
「も、孟徳さん!」
焦る花にはお構いなしに、優しく頬や額、瞼、鼻先に口付けが幾つも落とされる。
やがて顎まで来た口付けは、花の唇の端にかすめるように一つ落ち、やがてゆっくり重なった。
深い口付の中、花は堪らず甘く喘いで孟徳の髪をくしゃりと撫ぜて首に縋る。
「もう立ってられない?」
甘く囁かれ、花は口付けだけで上気させ潤んだ瞳で孟徳を見上げて頷く。
「仰せのままに」
抱き上げられ、その言葉に、状況に花は既視感を覚えて一瞬胸が詰まる。
あの時の孔明は、どんな想いでこの腕の中にいただろうか?
どこまでも敏い孟徳は、少しだけ揺れた花の眼差しに気付きながら、ゆっくりと歩を進めて花を寝台におろした。
そのまま花の顔の両脇に手を突くと、顔を近付けて耳元に囁く。
「花ちゃん、俺は姿が変わろうと、呼び名が変わろうと、立場がどうであろうと、君の存在、魂そのものを愛してる」
「どんな私でもですか?」
「うん。君ならば姫でも、軍師でも、ただの娘でも……娼妓だってかまわない」
「最後のが一番敷居が高そうです」
「そう?俺の前でだけなら、どんなに乱れてくれてもいいよ」
「……努力してみます」
少女は恥ずかしげに視線をそらして、でも可愛らしく孟徳の夜着の袂をぎゅっと握る。
「怖い?」
「変ですね……」
この先の行為は孔明の時に知って未知ではないし、まして相手は誰よりも愛すべき孟徳で、その肌だって、行為だって、どれだけ甘いものか知っている。
なのに花は、自分では止めようがなく小さく震えていた。
「かわいい。大切にするから、君の二度目の初めても俺に頂戴」
花は胸いっぱいに孟徳の愛を感じ、返事の代わりに手を差し伸べる。
「孟徳さん……」
愛してますは言葉にならず、花からの口付けに代えられて、閉じる瞳から真珠のように一滴の涙が零れ落ちて孟徳の肌を滑っていった。
この後、孟徳軍と玄徳軍に小競り合いはあったが、互いの当主が代替わりしてしばらく後まで大きな戦は起こらなかった。
そこには政略結婚であっても、仲睦まじかった曹孟徳とその正妃である劉家より嫁した花の存在が大きかったと伝えられている。
そして花自身は城の奥深くに在り、その当時の高貴な女性の常でほとんど表に出ることはなかった。
ただその姿や人となりを垣間見た者は、穏やかにあたたかな人柄、どこかいつまでも少女のようなあどけなさと明るさ、そして聡明さを兼ね備えた女性だったと言っている。
ただ一つ花は、どんな場合においても二君に仕えずを胸に、死すその時まで玄徳に忠義を捧げ、その孔明として持っていた才を孟徳軍の為に使うことはなかった。
またその初恋の恋情そのままに、いつも孟徳の傍にあって、その瞳は飽くことなくただ曹孟徳を見つめ、その心と共にあった。
これは史実が伝えぬ、一つの物語の裏側のお話。
<後書き>
ああ本当に全部終わってしまいました。
なんか蛇足だったかなと思いつつ、やっぱり雲長さんと玄徳さんを少しだけ出したかった。
だって二人は、本当に長いこと花孔明とともに歩んできましたからね。
そして私にしては珍しく、愛妾でない花ちゃんでした(笑)
では、また次のお話でお目にかかれれば嬉しいですwww