goo blog サービス終了のお知らせ 

月野岬

好きなゲーム等の文章中心の二次創作置き場です。現在三国恋戦記中心。

『涼水』(孔明×花+玄徳)孔明ED後

2012-07-23 21:46:58 | 孔明×花
<前書き>
えーなんで『信頼は』じゃないのかと思った方、すいません(苦笑)
今週いよいよ恋戦記が発売ですね。
で、せっかくなので記念SSをいくつかUPできたらいいなと思い立ちました。
本当はカウントダウンとかしたかったけど、私の状況から絶対無理なので^^;
これは第1弾です。
でも2弾がUPできるかが疑問ですwww
では、久しぶりの師弟をお楽しみくださいませ。



***三国恋戦記PSP版発売記念(前祝SS)***
『涼水』(孔明×花+玄徳)孔明ED後

なんでこんなに暑いんだろう。
いや、何でじゃなく夏だからに決まっている。
思わず机に突っ伏して、花は呻き声を漏らした。
今、花は孔明の弟子ではあるけれど執務室は別となっていて、花の執務室は書庫の隣だ。
最初のうちは寂しかったけれど、色々な出来事の末にこの環境にも慣れた。
それに書庫への人の出入りはそれなりに多く、花は退屈している暇はない。
と言うより、はっきり言えば忙しかった。
「花。具合が悪いのか?」
突然かけられた声に驚いて顔を上げれば、玄徳が入口の所に立っていた。
夏場だから戸は開け放してはいたが、一応目隠し代わりに布で仕切りは付けている。
その麻布を捲りあげて、玄徳が心配そうにこちらを見ていた。
「す、すいません。玄徳さん」
慌てて花は立ち上がると、思わず机の端にあった竹簡がからからと落ちそうになる。
「あ!」
落ちかかった竹簡は、いつの間にやら大股で傍までやってきた玄徳の手の中に納まっていた。
「慌てるな」
「申し訳ありません」
「いや、具合が悪いんじゃなければいいんだが」
玄徳は竹簡を花に渡しながら、しょげかえりこちらを窺う花の表情に気付くと思わず笑いが漏れた。
「具合が悪いわけじゃないんです。ちょっと暑くてだれてました」
よりにもよって、自分の主と言うべき玄徳にこんな姿を見られるとは、絶対にあっていいことじゃない。
自己申告しながらも、これは言い訳できないと俯く。
「そうか。そういうこともあるな」
けれど返ってきたのは叱責ではなく、笑い混じりの言葉で、ぽんと頭に手を置かれる。
「えっと怒らないんですか?」
「自分でもう分かってるんなら怒る必要はないだろう。と言うか、俺も涼を求めてうろついてたところだ」
「そうなんですか?」
「ああ、お前など執務室にいるからまだましな方だぞ。翼徳なんか、今頃間違いなくどっかの木の上だ」
「それはあり得そうですね」
言われた言葉が真実なのか、それとも花を気遣っての言葉なのか分からなかったけれど、引き合いに出された翼徳の姿は想像できた。
それにこう言うからには、たぶん翼徳の執務室は回って来た後なのだろう。
窓の外からは格子越しとは言え容赦ない光りが射し込み、執務室の床にはくっきりと焼きつきそうな光と影が出来ている。
室の中には風もほとんど吹き込む様子もなく、停滞したまさしく茹だるような暑さだ。
「でも翼徳さんじゃなくても、こう暑いと逃げ出したくなる気は分かります」
「真面目な花が珍しいな」
「そうでもないですよ」
「まあお前は確かに、暑いのはことのほか苦手だったな」
「軟弱ですいません」
現代っ子で、中学でも高校でも帰宅部だった花は、エアコンのないこの世界の夏は本当に辛い。
せめて扇風機でもと思うけれど、ここでは団扇や扇が唯一の涼を取る文明の道具だ。
すると急に、玄徳が何かひらめいたと言う表情になった。
「何ですか?」
不思議そうに花が問えば、玄徳は爽やかな笑顔を向けてくる。
「俺は花が涼しくなる方法を知ってるぞ」
「え?」
そんなお手軽な方法があるのかと、花の目が期待に輝く。
「孔明に今回のことを俺が言えば、涼しくなるんじゃないのか?」
実に屈託なく、とんでもないことを提案してくれる玄徳は、爽やかなくせに意地悪だ。
でも確かにその言葉だけで、花は十分に涼しくなれた。
師匠の孔明にあんな怠惰な態度で、執務時間中に机でへばってたなんて知られたら絶対に怒られるだろう。
怒鳴り散らすことはないけれど、孔明は決して甘くはなく厳しい。
「これから絶対今日のような失態はしませんから、勘弁してください」
情けない顔で玄徳の慈悲に縋ろうと花が訴えれば、玄徳はくすりと笑う。
「ずいぶん涼しくなったようだな」
「お蔭様で、たっぷり冷えました」
花が少しだけ恨めし気に言えば、こんなところは口調はともかく花は孔明に似ず素直だ。
「師弟仲がいい証拠だな。まあ今のは冗談で、たまには息抜きしろ」
「はい」
花が元気に返事をすれば、玄徳はぽんと花の頭に手を置いて踵を返す。
この時になって花は、入り口の掛け布が引き上げられたままだったことに気付いた。
こんな心遣いは、やっぱり玄徳らしいと思って花はそんな主に仕えることを嬉しく思う。
「玄徳さまも体調にはくれぐれもお気をつけて」
今しも戸を潜ろうとした背中に言えば、主は半身だけ外に出したまま振り返る。
「花、涼が欲しいなら欅の大木が三本ある場所が城内の東にあるだろう?わかるか?」
「はい」
「あそこへ行け。小さな湧水の井戸があって今時分は気持ちいいぞ。からかった詫びだから今から行って来い」
「え。でも」
「上官命令だ」
玄徳の有無を言わせぬ笑顔に花は頷いて、結局そのまま執務室を一緒に後にすることになった。

そうしてきつい日差しの中、花は回廊を外れて城内の庭に足を踏み出した。
東側のその一角は、城内でもあまり人気が多くない場所だ。
と言うか、結構外れているので人は少ない。
それでも危なくないのは、思いのほかに開けた明るい場所だからだ。
花は額の汗を拭い、目的の大きな欅を見上げた。
三本の欅は城内でも一際大きな大木で、それがそう離れてない場所に三角形を成すように自生していた。
大きく張り出した枝、大人が何人がかりで手を繋いだほどの幹は太く生命力にあふれている。
「すごいなぁ」
見事な枝のせいで、そこはきれいに葉陰に覆われて仄かに暗く涼しい。
まるで森の精気が降り注ぐようで、これが森林浴かとそこそこ都会育ちの花は胸いっぱいに涼しげな空気を吸い込む。
確かにこの場所では、他の場所より気温が低そうだ。
そして掘った井戸ではなく、湧水の井戸があると言っていたのを思い出して、欅を回り込んで三本の真ん中へあたる場所へ足を踏み込もうとした。
けれど花は息をすることも忘れたように、その場に立ち止った。
たぶん欅の落ち葉が幾重にも降り積もったそこは、確かに足音を消していただろう。
梢の音と時折遠くから聞こえるセミの鳴き声が、高く低く聞こえていた。
思ったほどセミが煩くないのは、たぶんこの欅にいる捕食者たる鳥たちがいるせいだろう。
だから不思議な静けさの中、花はそこにある光景に目を瞠る。
響いたのはいかにも涼しげな水の音。
井戸と言うには低く、噴水のように丸く石と漆喰で囲った水辺の縁に手をついて、一人の青年が水を被っていたのだ。
黒髪は濡れてなお黒々と艶やかに輝き、白い肌に張り付く髪の対比が艶美だ。
濡れた唇、首筋の線、思いの外大きな肩幅、逞しい腕や胸板など、それらが一瞬で花の目に飛び込んできた。
俯いていた顎に沿って水が滴り落ち、まるで視線を感じたかのように顔が上がれば男の濡れた黒曜石のような瞳が花を捉える。
「花?」
その孔明の力の抜けた、よく言えば普段通りの声音に、一瞬で花は覚醒した。
こちらを見る孔明は、一度少しだけ驚いたように目を瞠り、いつもの表情になる。
「し、ししょー!」
焦った花は慌てて視線をあらゆる場所に彷徨わせ、そのまま後ろ向きに下がり始めた。
今までだって、弟や父親がいたから異性の身体を見たことがないわけじゃない。
だけど今、目の前にあるのは親族でも、まして見知らぬただの異性の身体ではない。
孔明の身体……それも再び確かめる勇気もないけれど、半裸なのだから混乱と恥ずかしさは半端じゃなかった。
な、なんで師匠、こんなとこで水浴びなんかしてるの。
「花!後ろ向きじゃ危ないよ!」
たっぷり動揺していた花は、孔明の注意が届く前に見事に欅の縦横無尽に伸びた根の一つに足を取られていた。
虚しく手が空をかき、そのまま後ろに倒れ込む。
けれど幸いだったのは、お尻から尻餅をつくようにこけたことだろう
したたか固い木の根で御尻を打ったけれど、頭を打つようなことは避けられた。
「いったぁ」
「まったく君って子は、何をしてるの?」
呆れた口調と共に、大きな手が花が向かって差し出された。
「師匠」
「ほら、捕まりなよ。怪我はない?」
たぶん顔を覗き込まれているんだろうけれど、恥ずかしくて顔を上げる勇気がない。
顔を下げた花の目の前には、濡れた孔明の足元が見える。
ぽたりと座り込んだままの膝に雫が落ちて、今日は制服だった花の膝に水が弾け、冷たさにびくっとなる。
「はーな」
再度呼ばれた声の調子に、これ以上孔明を待たせるのは得策ではないと思った花は、思い切って顔を上げた。
すると艶やかな黒髪から、また雫が落ちて来るところだった。
煌めく黒い瞳に見つめられ、否応なく目に入る喉元や首からひっかけただけの手拭い代わりの布から覗く上半身に、すぐに目を逸らす。
「し、師匠。お願いですから、何か着てください」
真っ赤になって、懸命に視線を逸らす花を微笑ましく見ながら孔明は腕を取って強引に立たせた。
そのまま花の願いには答えずに、手首まで手を滑らせると花の両手を見て少し顔を顰めた。
「思ったより派手に手をついたね。洗っといで」
「分かりました!分かりましたから、師匠は何か上に羽織ってください」
花は孔明の手から自分の手を取り戻すと、そのまま孔明の顔を見ずに湧水の所まで走った。
覗き込めば、確かにそこは深い井戸があるわけではなく、浅い美しい砂地があり、そこからゆらゆら水が湧き出ているのがわかった。
水面には顔が真っ赤な少女の顔が映っていて、花は火照った顔と暑さを冷ますために手を水に突っ込む。
ぴりっとした痛みに、ようやく掌に擦り傷を作っていることを気付いて、そのまま手を洗い、ようやく顔を洗うことが出来た。
そして気付けば、花は手巾を忘れていることに顔が強張るのがわかった。
おたおたしていれば、すぐ横に孔明が立つ気配がして、布が差し出される。
「はい。ボクの使ったやつだから、ちょっと湿ってるけどないよりはマシだよね」
「ありがとうございます」
手に置かれた布を受け取って、やっと顔を拭いて布を返そうと顔を上げれば花は再び固まった。
瞬時に真っ赤に染まった花に、孔明は呆れたような顔になる。
「期待を裏切らない反応だなぁ」
「だって、何でまだ服着てないんですか?」
「仕方ないよ。ボクの服は君の向こう側にあるんだから」
確かに花の向こう側の湧水を囲った石積みの上に、見慣れた孔明の衣装がある。
「目のやり場がないから、早く着て下さい」
花は服を引っ掴むと、孔明を見ないようにして渡して背中を向けた。
「やれやれ男の裸なんて珍しくもないでしょ」
孔明が衣装を身に着ける気配を背後に聞きながら、花はぶんぶん首を振った。
「師匠!人聞きの悪いこと言わないでください」
「いや、だってさ、兵の水浴びとかで上半身裸とか、日常茶飯事だよね?」
確かに花は、芙蓉ほど多くはないが行軍を共にしたこともある見習い軍師だから、兵士たちの上半身の裸だって目にしたことはある。
日常でも鍛錬した後は、水場や井戸端で上半身裸になって汗を流していたりする。
はっきり言ってこっちでは、女性の貞操やら慎みやらは煩いのに、男性が女性の前で肌を見せるのは結構無頓着だ。
でもだからと言って、決して見慣れる者でもないし、第一それがその他大勢ではなく孔明となれば乙女心としては意識しないではいられない。
「状況が全く違います!」
「状況ね。お待たせ、もう着たからそろそろ君の御師匠に顔をみせてくれない?師匠に後ろ向きに話すなんて礼儀はないよね」
「うっ」
それでも花は、ゆっくりと孔明の方へ向き直った。
相変わらず赤く染まった花に、孔明は思わず嬉しい気持ちになるのは止められない。
日頃師匠と弟子の関係を大きく逸脱しないように心掛けてはいるが、やっぱりこうして男として、たぶん恋愛感情を含んで意識されていれば、いくら冷静を心がけようと気持ちは昂揚する。
「ところでさ、何でこんな所に来たの?」
「えっと、玄徳さんに涼むのはいい場所だからって教えてもらって、連れ出されました」
「玄徳さまが君の所に来たの?」
「はい。特別用事はなさそうでしたけど」
そこで孔明には、話の流れが鮮やかに理解できた。
孔明の所に寄った玄徳は孔明の不在を知り、たぶん花の所に孔明がいるかと思って顔を出し、こんなことを思いついたのだろう。
そもそもこの場所は星見の水と呼ばれ、こじつけの様なものだが星の啓示を受ける場所であり、君主や星を見る軍師にとっては聖域で一般兵や白の者は立ち入れない。
まあ孔明にとっては考えをまとめるにいい涼む場所と言う以外に、特別意味はない。
困った方だなぁと孔明は己が主の心遣いに心の中で苦笑を漏らし、けれどたまには乗ってみるのもいいかと思う。
「花」
前に立った孔明の声が、不意になんだか甘くなった気がして花はぎこちなく顔を上げる。
するとようやく上衣を纏った濡れた髪のいつになく色っぽい孔明がいた。
「見られたのはボクなんだけど、君の方が随分赤いね。もしかして意識した?」
「だからそこは空気を読んでさらっと流して、わざわざ指摘しないでくださいよ」
「う~ん、でも気付いちゃったら言わずにはいられないんだよね」
「何でですか?」
「まあ君の珍しい顔が見れるからかな。ボクだけに見せてくれる花を見逃すのは惜しいし」
滅多にないけれど、孔明は時々とんでもなく別方向に意地悪になるときがある。
「師匠」
「あれ?花こそ空気を読んでくれなきゃ。ここは孔明さんでしょ」
これはいつになくまずい事態かと、花は対処に困って視線をうろうろ彷徨わせた。
これってもしかして、仕事をだらけていたための罰?
「すいません。勘弁してください」
「おかしな子だねぇ。何を謝ってるの?それともボクに謝らなきゃならないことでもした?」
澄んで真っ黒な瞳に見つめられると、花はとたんに言い逃れなんてできなくなる。
「したと言うか、してないというか……」
「想像がつくから申告はなくてもいいよ。さて、せっかくだから玄徳さまのお気遣いに花もあやかろうか?」
「えっ?」
次の瞬間、花は孔明に頭を抱え込まれかゆるく着付けられた胸元に頬を寄せていた。
肌蹴た思いの外逞しい胸板に頬が当たり、いったん下がったはずの熱が急上昇する。
「な、なにするんですか?」
「さすがに花にここで水浴びしろとは言えないから、間接的に冷やそうかなと思って。冷たくない?」
言うように、水を浴びていた孔明の肌はさらさらで、程よく冷たく感じる。
「少し……冷たいです」
「それは良かった。まっ、ボクが冷たく感じるのはたぶん君の熱が上がりすぎてるせいもあると思うんだけど」
「私の熱が高いのは、師匠のせいです」
膨れた花の髪を孔明の少し冷たい指先が掬い取り、一房耳にかけて耳朶をゆるくなぞる。
その冷たさに花はぴくりと身体を僅かに震わせたが、触れ合った場所から伝わる涼気は孔明だからかとても心地よかった。
ぽたりとまた孔明の髪から雫が落ち、二人は涼を感じ合う。
けれど恋人たちがその熱を取り戻し、唇に情熱をともすまでには、ほんの束の間の時間だった。



<後書き>
実はこれ、ラッキースケベ逆バージョンでした。
あんまりそんな感じしなかったかな?
師匠だったら花ちゃんが見たシーンが私の場合は浮かんできちゃいました。
いきなり降ってきて途中まで書いてたら、twitterのTLでふぉろわーさんたちがお話しててタイムリー!と一人で思ってました^^
涼を感じていただければ尚よろしいのですが。
あと少し、PSP版の発売をいい子で待ちます。

『揺籃歌』(孔明×花)孔明ED後

2011-02-04 21:18:55 | 孔明×花
<前書き>
が~ん!!!!さあ記事をUPする前に、プレビューを見ようと押したら消えた><
そんなああぁぁぁ!!!
あまりのショックに、もう今日は気分が思いっきり凹んだ^^;
なんで?ついてないです。
ということで、前書きの内容がすっかりとんでしまいました。(おい)
まあたいした内容じゃなかった。と、思う。
珍しく師匠と花ちゃんです。
続きからぽちとどうぞ。
あ、オリキャラの死にネタはいってるので、苦手な方は回避くださいませ。

『揺籃歌』(孔明×花)孔明ED後

誰かの柔らかな声が聞こえてきた。
それは独特の節回しで、酷く儚く優しい声だった。
花は足を止めると、大きな木の下、木陰の中に厚手の敷布を敷いて座る女性をみつけた。
周りには城内で働く親を持つ子供たちが、わらわらと女性を囲むように集まっている。
子供たちはほとんどが戦で命を落とした兵の子供で、母親が城や軍にいる兵の賄や雑事をしている間、こうして城内の一角の保育所のような所で集められていた。
よく見れば女性のお腹は大きく膨らんでいて、おなかの中に新たな命を宿していることが窺えた。
そのお腹を優しく手で擦りながら、女性は歌を口ずさんでいた。
「花様だ!」
「「花様」」
「あ~花様」
立ち止まって見ていた花を、目ざとく子供たちが見かけて甲高い声を上げる。
花様はいたたまれないから止めてとお願いしたのだけれど、軍師さまと言うのはえらい人だからダメだと却下されてしまった。
どうやら親に言われているらしく、本当のところは軍師見習い以前だけれども、その誤解は今更解きようがないので仕方ない。
手には書簡を持っていてまだ仕事の途中だけれど、花は子供たちの声に誘われるように女性に近付いた。
「こんにちは」
「花様」
声をかければ女性は慌てて立ち上がろうとするけれど、花は慌てて押し留めた。
「あ!無理なさらないで、座ったままでいいです」
「すいません」
謝る女性を見ながら、花は改めて彼女の歳若さに驚いた。
遠目には落ち着いた感じがあったから、自分より年上の女性だろうと勝手に思っていたけれど、目の前の人はまだ娘と言っていい風情だ。
それでも花と同じ十七歳くらいで結婚するのが普通のここでは、珍しい事ではないのだろう。
「何だかきれいな歌が聞えたので来ちゃいました」
花は照れくさい気分で、若い妊婦さんに話しかけた。
「ああ、揺籃歌ですね」
耳慣れない言葉に、花は小さく首を傾げた。
こちらの言葉は花の耳には自動変換して聞えるけれど、もとの世界にもそのまま伝わっている言葉だったり、何かの拍子で分からない言葉はある。
歌もそれで、なぜだか意味はわからなかった。
「えっと、子供をあやすときや寝かせるときに唄うものです」
花が外国から来たと言う触れ込みを知っていたのか、常識の範囲を知らない事を訝る様子もなく娘はにこりと笑って教えてくれた。
「子守唄なんですね」
ぴたりと花の中で、言葉と音と意味が一つにきれいに組み合わさった。
「初めてのお子さんですか?」
「はい。まだお腹にいるのに気が早いって笑われました」
彼女は優しく大きくなったお腹を撫ぜながら、とても柔らかな微笑を零す。
きっと気が早いと笑った人は、お腹の中の赤ちゃんの父親なのだろう。
優しく照れたような口調が、雄弁にそれを物語っている。
そして再びどこまでも柔らかな声音で歌い始めたけれど、細く、途切れることなく、繰り返し紡がれる単調な旋律が、胸の中にゆるやかに染み入る。
集まった子供たちの中には、すでに母のない子もいるだろうに、まるである子はまどろむように、またある子は一心に耳を傾けて聞いている。
どの顔も満ち足りてくる。
たぶん慰撫されているのだ。
声はお腹の中の子供に聞かせるものであり、同時に誰の胸にも響く母としての音色。
寄せては返す穏やかな波音のように、胸の中に遠く近く木霊する。
誰もが、例外なくこうして母の体中で育まれ、生まれてくるからこそ癒される。
例え母の記憶がなくても……
どのくらいそこで聞いていたのか、名残惜しかったけれど「花」と呼ぶ声に現実に引き戻された。
残念と思ったのは一瞬で、好きな人に名前を呼ばれれば嬉しくないはずはなく、でも花を呼ぶ声は誰よりも優しいと感じるのは単なる自分の願望かもしれない。
だって、その声は実際には少しだけ呆れた響きを持っていたから。
声に振り返れば、回廊からこちらを見ている孔明の姿があった。
「師匠」
呟いて、花は立ち上がるともうすぐ母になるその人に、にこりと笑いかけた。
「また揺籃歌を聞かせてください。今度は生まれて来る赤ちゃんと一緒に」
「ええ。是非」
慈しむように微笑んだその人は、小さく嬉しそうに会釈を返してくれた。
花も頭を下げると、書簡を抱えなおして孔明のもとへ足早に駆けて行く。
「すいません。師匠」
「師匠に働かせて、君はのんびり休憩か。まったくこの弟子はいいご身分だね」
すかさずお小言が返ってくるけれど、孔明の顔は真剣に怒っているものではない。
花が持っていた書簡は急ぎの物ではなかったし、どちらもそのあたりはわかっている。
「ちょっとステキな歌声が聞こえたので寄り道しちゃいました。仕事中なのに、良くなかったですね」
花は孔明を見上げ、ぺこりと頭を下げた。
「まあたまには構わないよ。君は油断すると無理しちゃう傾向があるから」
そのとたん、花はぱぁと明るい笑顔になる。
「言っとくけど、サボっていいってお墨付じゃないからね。わかってる?」
「はい」
「じゃあ、さっさと残りの仕事を片付けよう。行くよ」
素っ気無く背を向けるけれど、一緒に執務室に戻ろうと言うことは、ただ孔明が戻りの遅い花を心配して見に来た事がわかる。
それが嬉しくて、花は遠くなる孔明の背中を見送りかけて小走りに追いかけた。

その日もあの子守唄を聞いた日と同じように穏やかな午後だったはずなのに、その報告に花はそれ以上の言葉が続かなかった。
それから以後、仕事にも身は入らない。
これじゃダメだと思うのに、何だかひどく心もとなくて、書簡の文字を目で追っていても全然意味ある言葉として頭に入ってこなかった。
「……花、花!」
少し強く呼ばれ、はっと我にかえった。
書簡から目を上げれば、孔明がこちらを訝しげな表情で見ている。
「何でしょう?師匠」
「心ここにあらずって感じだけれど、気分でも悪い?」
「いえ。大丈夫です」
「ふぅん。ならいいけど、ボクが何度呼んだかわかる?」
漆黒の瞳が真っ直ぐに自分を覗き込むのに、花はお腹に力を入れて見返す。
まだ半人前以下の仕事しか出来ないのに、こんなにボケてちゃダメだと気合を入れる。
「すいません。ちゃんとします」
「うん。分かってるならいいよ」
それからは花も気合を入れなおし、今度こそという思いで仕事に執りかかった。
途中、孔明の指示で書簡を配り歩いたりしたけれど、仕事を休む間もなくしていればだんだん余計なことを考えなくなり、気が紛れたのも事実だ。
途中の遅れを取り戻すように、一気に仕事をしていれば気付けば室の中はオレンジ色に染まりかけていた。
もう夕方なんだと差し込む光に目を細めて窓に視線をやれば、思わず吹いてきた微風にわずかばかり髪がそよいだ。
あのときも夕暮れ時だったと思う。
庭で子供たちと歌っていた妊婦さんは、春梅といって花より一つ年上の人だった。
たまに城の庭で、預かっている子供たちの世話をする春梅と挨拶をし、少しだけ言葉を交わすようになった。
最後に会ったとき、彼女に子供の名前は決めているのかと聞いたら、男の子の名前も女の子の名前も用意していると言っていた。
「女の子だったら小さな花、小花って言うんです。花様の名前がかわいいと思って勝手にもらっちゃいました」
そう言って、優しく照れたように笑った。
思い出していると、一気に記憶が蘇ってきそうになって唇をぎゅっと噛みしめる。
今、思い出しちゃダメだ。
顔を上げれば、こちらを見ている孔明と視線が合ってしまう。
また集中してないって、怒られる。
反射的にそう思ったけれど、孔明は席を立ってゆっくりと机をまわって歩いて来た。
意外だけれど、孔明の身ごなしは熟練の武将のように気配を絶つのが上手く、歩くときには音もさせない。
孔明は物静かな猫のような挙動で、今まで花がぼんやり見ていた窓辺に立った。
窓の外を向いて立ったまま、花を振り返らずに話し出す。
「今日は、夕焼けがきれいだよ」
「そうですね。きれいです」
「少しだけ課外授業をしようか」
「課外授業って……何をするんですか?」
いきなりな展開に驚くと、孔明は振り返って手招きで花を呼んだ。
逆光だから孔明の顔は良く見えなくて、それでも呼ばれる手にほっとする。
けれど、さっき自分が泣きそうな顔をしていたのがばれるんじゃないかと怖くて、花は孔明の顔を見ずに横に並んだ。
「明日の天気。どうだと思う?」
星を読むこともだけれど、天候を読むことも軍師には大事な勉強の一つだ。
だからこうして、孔明は時々花に思い出したように天気を尋ねる。
花は窓から外を眺め、僅かに眉を寄せた。
「師匠、外で見たほうが良くないですか?」
確かに窓からも空は見えるけれど、その他の色んな要因も考慮して考えなければならないと言っていたのは孔明だ。
そんな基本的なことを孔明が忘れるとも思えないし、そもそもまだ花には窓から見ただけで孔明のように天候の予想なんて難しい。
「そうだねぇ。でももったいないから」
「もったいないですか?」
こうして脈絡なく飛んだように見える孔明の言葉に、花は首を傾げた。
頭のいい人との会話は、どうしても先が読めないと言うか、理解が追いつかない。
「うん。君の涙を他の人に見せるのはもったいなくて、ボクが嫌だ」
びっくりして見上げれば、孔明が微苦笑を浮かべていた。
「彼女は残念だったね」
一言だけ言われた言葉で、花は孔明が全て知っているであろうことに気づいてしまう。
お産で亡くなってしまうのは、花の時代でもあったことだ。
けれど医療の発達していないこの時代の方が、もっとその可能性は高く、子供を生むと言うことは命をかけた女性だけの仕事だ。
でも花は正直そんな事は思いもしなかった。
ただ若く健康な春梅が、赤ちゃんをその腕に幸せそうに抱く姿しか思い浮かべなかった。
孔明の言葉が胸に落ちたと思った瞬間、花の両目からは堰を切ったように涙がとめどなくぽろぽろと溢れ始めた。
「し、師匠……」
「思いっきり泣いていいよ。今はね」
「今はですか?」
「そう。一人で泣くと、君は碌な事を考えないから禁止」
孔明の言葉に許可をもらったと思った花は、遠慮なく泣き始めた。
意地っ張りな少女を胸に抱きながら、孔明は優しくその背を撫ぜる。
こうでもしなければ、我慢強い花は一人になったところで寝台で声を殺して泣くだろう。
そして明日、また孔明の前で平気な顔をして、頑張って明るく笑って見せるだろう。
そんな花の気持ちや頑張りを、孔明だって慈しんでいる。
けれど泣くときくらいは自分の胸で泣いて欲しかった。
それは師匠としてではなく、男としての自分勝手な欲だとは理解していた。
「わたし、分かってたつもりでした。命は、簡単になくなってしまうって。でも自分が関わって話した事がある人が、戦でも思い病でもなく、こんな簡単になくなるなんて思ってなかった」
「まして赤ちゃんが生まれるはずだった彼女が?」
花は涙を流しながら、こくりと頷いた。
「命はね儚いけれど、強いんだよ。彼女に無念がなかったとは言わない。悔しかったし、信じられなかったと思うよ。でも彼女は残した」
花が泣き濡れた瞳で孔明を見上げる。
「次に続く命を。子供だけじゃないよ。人は思いや志も残していくんだ」
「でも師匠、生まれたばかりの赤ちゃんがすぐに亡くなったら、いったい何が残せるんですか?」
反論したかったわけではないけれど、どこかこの世が理不尽だと思って訊いてしまう。
孔明はいつも冷静な瞳の色を少しだけ柔らかくし、花の頬に指先で触れた。
「思い出かな。たぶん誰もが悲しむだろうし、穏やかな気持ちにはなれないだろう。それでもお腹の中で慈しんだ記憶、だれもが無事に生まれてくるように祈った気持ちは失われたわけじゃないとボクは思うけど」
違うかなと問うように顔を覗き込まれ、花は黙りこんだ。
正直、孔明からこんな甘い考え方が示されるとは思ってみなかったから、少しだけ意外な気持ちがしてまじまじと顔を見つめる。
「あれ?何、その疑い深い顔は」
「頷ける気持ちもするけれど、何だかいいように慰められた気がします」
すると孔明はいつものように飄々とした、どこか人をくったような表情になる。
「あはは。君も最近は鋭くなったね」
「もしかして嘘ですか」
「やだな。嘘じゃないよ。師匠にそれはないんじゃない?」
「だって、玄徳さんとか他の人に訊かれたら、師匠はまた全く別の事を言いそうです」
「まあ玄徳様が訊いてくるとは思えないけれど、たぶん別の事をボクは言うだろうね。こんな問いに正解なんてないから、その人が納得できればいいんじゃない」
「ひどいです」
どこまでも自分流な孔明に、花は怒ってみせるけれど気持ちは軽くなっていた。
たまっていこうとしていた澱が、ふわりと掻き回され霧散した感じだ。
「今日は僕もいつもにもまして優しいお師匠さまだから、大人しく慰められてな」
ぽんと温かな手が、花の頭にのせられた。
花はまだ涙のたまった目で孔明を見つめ、はいと頷いた。
「師匠がいてくれてよかったです」
孔明はその言葉に、花の頭にあった手を一瞬だけ止める。
ああ、本当に彼女は自分の言葉がどれだけボクに影響を及ぼすか知らないのだから性質が悪い。
その一言で、どれだかボクを幸せにしているか気づきもしない。
「ねえ、花。君を慰めたお返しに、ちょっとだけ膝枕してよ」
「えっ!」
あからさまに驚く花に構わず、孔明は早くと命令する。
「そんな泣きはらした目じゃ、ボクにどんな汚名が降りかかるかわからないでしょ。涙が乾くまででいいから」
そうしていつもの体勢になると、孔明は猫のようにごろごろとしだした。
窓からはさっきより赤さを増した光と共に、少し翳りを増した残光が差し込んでいる。
孔明の机にはまだ書簡が残されているけれど、すっかり寛ぎモードだ。
たぶん花を帰らせた後で、孔明はまたここで仕事を始めるのだろう。
迷惑になると思っても、花は今だけはまだ孔明の手を、温かさを離せそうになかった。
そうして段々影って行く室の中で、花は我知らず小さく呟くように歌っていた。
最近、気づけば口ずさんでいた揺籃歌の優しい調べ。
「今度は花が彼女の子供に歌ってあげな」
「え?」
「彼女がいつも歌ってたその揺籃歌」
「はい。いつかきっと」
あの木陰の下で、他の子供たちと一緒に歌おう。
花の瞳から、一筋涙がこぼれ落ちた。
孔明は自分の頬に落ちた花の涙を指先で拭い、口元に持って行く。
「しょぱいね」
艶めいた仕草に赤くなりながらも、花は赤くなって顔を逸らせる。
「涙ですから当たり前です」
また一粒、花の目から涙が零れおちる。
今度の涙は、落ちる前に起き上がった孔明の唇に受け止められる。
「いつか、ボクらもつないでいこう」
想いを、思い出を、愛を、志を、そして新たな命を……
声に出して伝えられなかった言葉は、孔明の唇にのせられて、吐息と共に花へと伝えられた。

<後書き>
後書きも本日二度目だな・・・・・・(苦笑)
久しぶりだったので、師匠が偽者臭かったら非常にごめんなさい。
誕生日からふと書きたくなったお話でしたが、暗かったらすいません。


拍手お礼のSSをサイトに再UP『白き羽扇』

2010-11-10 21:05:07 | 孔明×花
『白き羽扇』(孔明×花)(たぶん羽扇ED後かな?)
えっと、すいません新作じゃないです。
一番最初の拍手のお礼SSを再UPいたしました。
少しばかり加筆修正してます。
ごく最初の作品なので、まだ雰囲気がこなれてない感じですね(苦笑)
ところで、タイトル芸がなさ過ぎるだろうと思いました^^;
わりと短いUPだったので、まだ読んでなかった方は続きからどうぞ。


『白き羽扇』(孔明×花)(たぶん羽扇ED後かな?)

「花。大丈夫か?」
砂塵が巻き起こる戦場で、花は冷静に戦況を眺めていた。
少し小高くなった丘の上、周りの状況も良く見えるが反対にそれは周りからも見えることを示している。
「大丈夫です」
さっき問いかけてきた玄徳に答える。
怒号と血と土の匂い。
まだ慣れたとは言えないけれど、動揺を押さえ込んで平常心を装うくらいの強さは得た。
ここに残って師匠と一緒に平和な未来を作ることを選んだのは自分だ。
その為に孔明の元で学び、考えてきた。
敵味方を問わず、いかに犠牲を少なくして平和な世を目指すか。
きれいごとでも諦めてしまわなければ、きっと先に光は見えてくる。
例え戦いで孔明が倒れその命を失ったとしても、敵を滅ぼすのではなく、手を結んで誰も戦で死なない世界を目指す。
最も大切な人を殺されても復讐しない強さが、真実自分にあるのかはわからない。
でもそれを目指す。
揺るぎない孔明の強さと叡智に後押しされて、この戦いに出る前白い羽扇を孔明から与えられた。

戦いを前に、孔明と花の二人は物見櫓の上にいた。
近く出兵するため、城の中は静かな興奮に包まれている。
花に不安がないわけじゃない。
実のところ、花は軍師としてはまだまだ嘴が黄色い雛で、お尻に卵の殻を付けている状態だ。
けれど今度の戦に軍師は必要で、相手がかつて戦い歴史的な勝利を得た元譲率いる孟徳の軍となれば、花が軍師として同行することは格好の旗印となる。
あの絶望的な戦いを奇跡的な勝利に導いた花の名声は玄徳軍を鼓舞し、孟徳の軍の士気をさげ、圧力を与えるのに役に立つ。
花の同行が要請されたとき、師匠の孔明は主である玄徳にあっさり同意を示した。
二人はそれから幾度も策を論じ、孔明は花の考えを聞き、根気良く花が納得した策が出るまで付きあった。
今回、策はほとんど花が立てたものだ。
もちろん師匠の孔明がそれとなく導いたものもあったが、それは微々たるものだ。
出陣を控えた二人の間には、静かな時間が流れている。
「花」
孔明の穏やかな声が、花の耳元に馴染み深く己の名前を呼ぶ。
「きみを傍から離すのは心配だけど、ボクはきみの望みを知ってるからとめない」
花の望みは、戦のない世の中をつくる事。
最初にそれを示されたとき、孔明にその意味は良く分からなかった。
けれど幼い孔明に、花は平和と言う一条のほんの儚い光を示して見せた。
あれから二人は悠久と言う時の流れに別たれ、まさに奇跡のような再会を果たした。
「師匠」
「うん。これを与えたらきみは一人前の軍師だ」
花に渡されたのは白い羽扇。
孔明の持っている羽扇と同じだけれど、違いがあるとすればそれは赤い飾り紐がついているところ。
「ボクからの餞だよ。きみは軍師でも女の子なんだから、それを忘れて無理しないように飾りを付けておいた」
「わたしはちゃんと胸を張って、伏龍諸葛孔明の弟子って名乗っていいんですか?」
「きみはボクの自慢の弟子だよ。花」
あんまりにも屈託なく微笑まれたから、少しだけ不安になる。
普段の孔明だったなら、持ち上げて必ず落とすくらいはやってくれるはずだ。
それなのに、今日は何もない。
いつもと違うことをされると、このまま二度と会えなくなるかもしれないという予感を持ってしまう。
「大丈夫だよ。不安だったら星を見な」
孔明は星を指し示す。
永遠の別れにならないと言う保証は、もちろん孔明にだってない。
それでも再び今度は師匠と弟子として手をとった瞬間から決めていた事はある。
いつか一人の軍師として独り立ちさせて、手を離す。
花が残ると決めた時に、揺るぎない心で己に定めた誓い。
「はい。満天の空で師匠の無事を祈って師匠の星を捜します」
「嬉しいけど実は星読みはちょっと不安だな。捜せなくても取り乱さないようにね」
こんなときまでそんな注意を与える孔明に、花は少しだけ膨れた。
「もう師匠はすぐそれなんですから」
「じゃあ、帰ってきたら一つ約束をお願いしようかな」
弟子だった少女を見ながら、孔明は笑む。
もう今なら言ってもいいだろう。
今生の別れにするつもりはないけれど、一つの約束ぐらいは胸に持っていたい。
それが孔明のささやかなる願い。
「なんですか?」
「師匠じゃなくて、孔明って名前で呼ぶこと」
「え!」
「ボクは師匠を今日で卒業したからね」
軽く言われたけれど、花は目を大きく見開き真っ直ぐに孔明の瞳を見つめる。
凪いだ瞳は穏やかで、でも澄んでいて、どこか熱をおびている。
「わかりました」
満天の星空の下、孔明は花と向かい合うと指先でさらさらと風に舞う前髪をよけて、約束の口付けを額におとした。
間近で瞳が重なり、花は静かに目を閉じる。
長い睫毛にかぶさるように空気がゆっくりと動き、そっと唇に吐息が落ちた。

ざざざっと一陣の強い風が吹く。
緑の平原に草が打ち寄せる波のように揺れた。
花は戦場を見渡し、今この時と白い羽扇を持った右手を高く掲げてふる。
うおおぉ!怒号のような鬨の声が響く。
「右陣散開!」
花の合図のもと玄徳の声が蒼天に突き抜けるように響き渡った。

<後日談>
改めて読むと、恥ずかしいぞ(汗)
たかだか半年ぐらい前だと思うのですが、結構違うものだなとしみじみ・・・・・・
なんだか羞恥プレイぽい^^;(おい!)

『密か花』おまけという名の後日談(孔明×花)孔明ED後

2010-09-05 18:07:47 | 孔明×花
<前書き>
これで本当の終わりです。(笑)
おまけですが、長さはいつもぐらいとなりました。
私には珍しい師匠の中篇でしたが、楽しんでもらえたなら嬉しいです。

『密か花』おまけという名の後日談(孔明×花)孔明ED後

「孔明殿、少しよろしいか?」
花の目の下のクマも消えた頃、孔明はある武官に呼び止められた。
城内の警備を主とした任務としている彼は、真面目な人柄だがそれなりに融通もきき、仕事にも剛柔にバランスのとれた人物だ。
だからこそ孔明は信頼しており、ちょっとした問題は彼に振ることも多い。
「何でしょう?」
「先日申し渡されました真夜中の隠し部屋の件です」
「はい?」
この武官だからこそ花の隣の隠し部屋の件も任せ、彼自身から問題は穏便に片付いたと報告を受けていた。
孔明にとっては終わった問題だったので、今更なんだろうと声に不審が少しだけ滲む。
「孔明殿からお伺いした折、五、六日続けておかしな物音がすると、そんな話でしたな?」
「ええ、その通りです。つつがなく問題は解決したとお聞きしましたが」
武官は自慢の顎鬚を撫ぜてから、どうも困惑した顔で切り出した。
「実はあの部屋を少々不埒なことに使っていた男が言うには、あそこを使ったのは三日だけだと言うんです。で、今更回数を減らしたところで、一ヶ月の減給が変わるわけはないと苦笑して言ったんですが、絶対にないと言い張るんです」
「それで、貴殿のことだから調べられた?」
「はあ。あまりに必死だったので気の毒だったのと、まだ別に同じ事をしている者がいるのならば同じ処分をしないと公平ではありませんからな」
「ふむ。もっともです」
「確かに件の男は二、三日一度夜番が回ってくるので、毎日行くのは不可能でした。女の方は他に通う男はいない。そしてなにより問題の期間、鍵は男がずっと秘匿しておったのです」
武官の男の話は要領がよく、孔明にも話に何の矛盾点も見つけられない。
「もし鍵が二つないと仮定すれば、少なくとも二日か三日は誰も入れる者がいない部屋から、物音がしていたと言う事になりますね」
「ええ。それでこんなものを例の部屋で見つけたんですが、興味があるならばご覧下さい。私にはまあ出来る事はもうなさそうです」
武官は孔明に古びた竹簡を渡すと、不可思議な微笑を浮かべて去って行った。
「これはまた、ずいぶん古いね」
孔明は花のいない執務室に戻ると、窓辺に行儀悪く腰掛けて片足を窓枠に乗せたまま綴じた紐がばらばらにならないように気をつけて竹簡を読み始めた。
几帳面な女文字が語るのは、花の隣の部屋にいた権力者の愛妾の相愛の男への恋心だ。
権力者は兵士と美しい侍女の仲を引き裂き、自分の妾としたらしい。
で、あろうことかあの隠し部屋に寝所の護衛と称して兵士をいれて、自分と女の睦事を見せつけていたのだ。
その隠し部屋は、かつて愛妾とされた侍女が男と逢瀬を重ねた部屋だった。
男は恋仲の娘と愛し合った部屋で、今は主の妾となった娘と主の閨事の監視をさせられる日々を送る。
行き着いた先は、男が主に切りつけた挙句にその場で他の兵に捕らえられ斬首。
妾の娘は失意のうちに病を得、寵も失い、ほどなく自分は死んでしまうだろうと予想している。
竹簡は簡単に事の顛末を伝えているが、ほとんどを埋めるのは娘から男への切ないまでの恋心だ。
孔明は目を眇めると、やがて重いため息をついた。
悲恋だが、よくある話だ。
今を生きる孔明に同情も憐憫もない。
その孔明の耳に、ぱたぱたと回廊をやってくる軽い足音が聞こえる。
「馬鹿だね」
孔明は竹簡の書き手に短く呟くと、それを懐に収めて窓辺を離れた。
扉が開き、花が竹簡を抱えてにこりと孔明を見て微笑んだ。
「ご苦労だったけど、また次のがたまってるよ」
花へ師匠の顔を崩さないまま、孔明は胸の裡で竹簡の娘に告げる。
ボクだったら上手く立ち回って、例え尊敬すべき主だったとしても娘自身が望まない限りどんなことがあろうと絶対に渡しはしないし、奪わせもしない。
「うわ。師匠処理速度が早いですね」
屈託のない表情で、かわいい弟子は素直に感動してくれる。
「優秀だからこれくらいは当然だね。弟子にも期待してるよ」
軽口をたたき、花の笑顔を見ながら誓う。
誰にも、花が望まぬ限り、指一つ触れさせない。
それは他人ではなく、自分自身にも言える戒めの決意。

真夜中、孔明は鍵をそっと回した。
大きめの蝋燭が灯された燭台を、小さな卓の上に置く。
部屋の中には寝台が一つあるだけで、もちろん隠し部屋だから窓はないが、通気溝はあるので意外に空気はきれいだし埃もたまっていない。
「やあ。まだいるんなら姿を見せてよ」
孔明の気負いのない言葉に、ふわりと一度蝋燭の炎が不自然に大きくなり揺れた。
そして、壁に女性に影らしきものが映るけれど、それは薄すぎて気のせいと言えばただの目の錯覚にも見える。
「これ、返しにきたよ」
孔明は古い竹簡を懐から取り出すと、卓の下の抽斗(ひきだし)にそっとそれをいれた。
次の瞬間、灯りは消える寸前まで小さくなり、その場に美しい娘が立っていた。
孔明は寝台に腰掛けたまま、その娘のほっそりした姿にしばし見惚れる。
「確かにその美しさはきみには不幸だったかもね。恋した相手以外の男を呼び込んでしまったわけだから」
娘の儚げな声が聞こえるような気がするが、それすらも孔明の気のせいかも知れない。
「悪いけどボクは同情はしない。きみ達は、もう少し頭を使うべきだったと思うよ。主を亡き者にするにしても、やりようはあったってこと。ボクならただ切り込むなんて馬鹿な事はしない」
少しだけ険を含んだ瞳を感じたが、孔明はひるまない。
死者であろうが、生きた人間だろうが、かけるべき言葉に変化はない。
「仕方ないさ。ボクは生きて幸せになりたいからね。悪あがきだろうと、必死に方法を探すべきだろう」
それから少しだけ娘の拗ねた様子に肩をすくめる。
「別にきみ達を貶める気はないよ。ただ、何で今頃でてきたわけ?もしかして、ここを使ってる二人の姿に自分たちを重ねたのかい?」
揺らめく様子に、孔明は苦笑する。
「一つだけいいことを教えてあげる。きみを苦しめた男は、きみが亡くなった半年後に部下の裏切りによって殺されたよ。少しは溜飲が下がった?」
それは仕事の終わった後、孔明が滅多に行く事のない城の古い書庫で調べた事実だった。
憎い男だったはずなのに、その男の死にさえ悲しみを押さえられずに震える娘の姿に孔明はふと花の姿が重なった。
どんな娘を見ても無意識に少しでも花に似たところを探す自分に、自嘲の笑みが浮かぶ。
「じゃあ、ボクは行くけど、きみももうここから解き放たれてもいいと思うよ。ここにはきみの恋する彼はもうとっくにいないだろう」
娘が淡く笑ったような気配があった。
「礼は必要ないよ。ボクは自分のためにしただけだから」
不思議そうに見返す瞳が問いかける。
その瞳の色が、花の明るい虹彩の澄んだ瞳と重なった。
「ボクの大切な娘が怖がって寝不足になるんだ。だからだよ」
それでもありがとうと微笑む姿に、孔明は苦笑せざるを得ない。
「ボクの弟子もだけど、きみも幽霊のくせにそんなに信じやすくてどうするのさ。言っただろう。自分のためだって。ボクは幽霊に見られながら恋人と逢瀬を楽しむ趣味はないんだよ。さっさと昇天しな」
娘はその言葉に、年頃の娘らしく明るくはじけるように笑った。
そして、ふわりと娘が孔明を抱きしめた気配があり、そのまま姿は闇に溶けるようにかき消えた。
蝋燭の明かりが元の明るさに戻る。
孔明はそのまま自室に戻る気になれずに、表の回廊へ出ると花の部屋を目指す。
こんな真夜中、べつに花に会えると思っているわけじゃない。
ただなんとなく、彼女がそこにいる気配を感じたかった。
孔明の望みは花だけだけれど、実のところそれは正しくない。
孔明が望むのは花の幸せだけで、そこに自分が介在できなくてもそれはそれで構わない。
ただ彼女が幸せでありさえすればいいのだ。
それでも、彼女が今のように自分といる事に幸せを見い出したならば、遠慮などするつもりはさらさらない。
部屋の前まで行くけれど、もちろん灯りなどついていなかった。
落胆はないけれど、一つ息をついて回廊から庭先へおりる階に腰掛けた。
例の幽霊話は、花には不心得者の城の下働きの者がサボって三つほど離れた物置で騒いでいただけだと言っているから、それを信じて今頃は安らかな夢の中だろう。
「はな……」
呟きは闇に溶ける。
空にはうっすらと雲がかかり、星読みには適さない。
なぜわざわざ竹簡をあの部屋に戻し、元凶の元となった主の末路までを調べる気になったのか、らしくない感傷だ。
何年も留まり続ける想いに、自分の辿るかもしれなかった幻影を見たのかもしれない。
もし花が自分の世界に帰っていれば、孔明自身も同じように花を想い、死してまでその想いは残り続けただろうか?
「彼女の名前聞きそこねた」
そう言った時、不意にぱさりと布がかけられた。
「師匠、いくら夏だからって夜風に当たりすぎるのはよくありませんよ」
「花?」
頭からかけられた布を取ると、夜着の上に深衣を羽織っただけの花が立っていた。
「何でここにいるの?」
「なんとなく目が覚めて、窓から外を見たら師匠がいたからびっくりしました。すごい偶然ですね」
もしかしてこれは彼女のお礼だろうか?
「隣いいですか?」
「いいよ。おいで」
孔明は少しだけよけると、ぽんぽんと階の段を叩いた。
花ははにかんだ微笑を浮かべると、孔明の隣に身軽にふわりと座った。
「はい。半分」
孔明は花がかけてくれた布を半分花の肩にもかける。
「師匠は驚いてないんですね?」
「十分驚いてるよ。顔に出さないだけ」
「そうなんですか?でも少しだけ得した気分ですね」
「そうだけど、花こそそんな薄着で風邪ひかないで欲しいな。ボクは当分きみの侍医の役目は返上したいからね」
「大丈夫ですよ」
軽く受け合う花に、孔明はどうも信用が置けないといった視線を向ける。
穏やかな夜だ。
星が見えない夜に意味もなく空を見上げるのはいつぶりだろう?
そんなことを思っていたら、くしゅんと小さなくしゃみが聞こえた。
まったくこの子は……と、孔明が横を見るとこちらを伺っていた花と目が合った。
ばつが悪そうに笑っている。
一言言ってやろうと思っていたけれど、その何とも無防備な笑顔に気がそがれた。
「仕方ないな。きみの場所はここ」
「え?」
孔明は花の後ろに回り込むと、後ろから抱き込むように座って布をかけなおした。
「し、師匠!」
「なにその声。情緒も何もあったもんじゃないなぁ」
焦って声の裏返った花に、孔明は苦笑すると花の肩口にことんと顎をのせた。
花から立ち上る甘い香りが鼻腔をくすぐり、それは一つの天幕で一緒に眠った懐かしい記憶に直結した。
本当に花をどうこうしてやろうという疚しい気持ちはなかったのに、自分の腕の中で耳まで真っ赤にして固まっている少女の姿に笑みがこぼれた。
花の方は耳元に孔明の息がかかり、身体は本人の意志を無視して固くなる。
心臓がもたないかもしれないと思う。
孔明は花の動揺を見て見ぬふりで、はぁとため息をついた。
このどうしようもなく愛すべき少女を、一度は帰そうとした自分の決心が今は信じられない。
同じ事をしようと思っても、もう今更手に入れたぬくもりを手放すことなど出来やしない。
だから彼女から奪ったものの代わりに、望む全てを、そして自らにある全てを与える。
ボクの知識も、経験も、想いも、あらゆる何もかもを……
孔明は少しだけ自嘲の笑みをもらす。
花のためとは言いながら、その実は自分のためでもあるのだから。
まだ稚さが勝ったきみに、酷なことをボクは望みすぎているのかな?
胸の中で問いかけて、少し俯き加減で晒された透き通るように白い項に口付けをおとす。
「んっ!師匠!」
例の一件からすっかり日常の師匠と弟子の関係に慣れていた花は、大袈裟なぐらいにぴくりと身体を跳ねさせた。
「きみの香りがするね」
耳元で囁かれる声は、すんなりと花の気持ちに沿うように馴染む。
すると不思議とどきどきとしていた気持ちは静まった。
「師匠?聞いていいですか?」
「なに?言ってみてよ」
簡単に答えてくれると返事をしないのが孔明で、花もそのまま振りかえらずに問う。
「彼女の名前を聞きそこねたって、誰の名前ですか?」
「聞こえてたんだ」
「まあ、ついうっかり耳に入っちゃいました」
「気になるの?」
そこにからかうような響きが含まれてなかったから、花は素直に頷いた。
「少しだけ」
孔明は花に、幼い頃から少しも変わらず花だけしか見てないと言ってくれたけれど、その想いの深さを疑いはしないけれど、ざわめいてしまう気持ちも本当だ。
「もしかしたら未来のボクだったかもしれない存在」
「抽象的すぎてわかりません」
「うん。きみは分からなくていいよ。もう起こらない未来だから」
「よくわからないけど、師匠らしい自信ですね。未来なのに言い切っていいんですか?」
「たぶんいいと思うよ」
ボクはもう二度と、ボクのもとからきみを去らせやしないから。
きみへの恋心を、彼女のように持ち続けて時の中に留まり続けたりはしない。
「よかった」
「何がよかったの?」
孔明にとっても、この弟子の言動は時々伏龍の考えを越えて飛躍するからわからない。
「少しだけ師匠の背中が寂しそうに見えたから、置いて行かれるかと思ってしまいました」
置いて行くのは花だろうと言う言葉を孔明は口にしかけたが、思い留まる。
「そんなにボク寂しそうだった?」
「はい。何だか連れて行かれそうな気がして……変ですね」
孔明も誰にとも、何にとも問わない。
「そんなに師匠が心配なら、弟子のきみが全身全霊で引き止めておいて」
花に言いながらも、それは孔明が自分に言い聞かせる言葉だった。
全身全霊で、自分の全てをかけて、花を引き止める。
表情を見られない体勢でよかったと思っていたら、腕の中で花がゆっくりと振り向く。
向けられる迷いのない真摯な瞳と、真っ直ぐな飾り気のない言葉。
「きっと引き止めてみせますよ」
そしてふわりと抱きすくめられて、孔明の耳元に唇が寄せられた。
「一緒に未来に行きたいから」
囁くような言葉と共に、耳の下、柔らかな首筋に花の唇が触れ、舌先で舐められた。
「孔明さん……」
吐息混じりに名前を呼ばれ、孔明はぎゅっと花を抱き締めた。
「師匠のボクが教えてないのに、どこでそんな技を覚えたの?煽った責任は取ってもらうから覚悟するんだね」
甘いけれど穏やかでない孔明の言葉とは裏腹に、花にもたらされたのはとても繊細に頬に触れ、髪を撫ぜる優しい抱擁だった。
孔明が見上げた薄雲りの夜空に、かすかに恋心を秘めた娘の気配が空へ帰ったように感じた。

<後書き>
ふふふ、納涼ネタだったでしょう?(やっぱりどこがですか?)
まあ怖くはなかったと思いますが、あまりに季節はずれになる前にUPできてよかったです^^
お付き合いありがとうございました。

『密か花』下の巻(孔明×花)孔明ED後

2010-09-03 21:51:32 | 孔明×花
<前書き>
納涼企画だったのに、なぜか9月にずれ込んでしまった。
一応、終わりです。
あ、でも、おまけもUPする予定です(笑)
微妙大人風味注意報発令中です

『密か花』下の巻(孔明×花)孔明ED後

そのころ、芙蓉の寝台の中で花はまた眠れない夜をすごしていた。
「ボク流の方法で眠れるようにしてあげるけど?」と孔明に言われた言葉が、頭の中をぐるぐると回っている。
その前後の流れから考えると、おそらくとても艶めいたことなのはわかる。
「孔明さん」
そっと名前を呟いただけで、昼間の事を思い出して心臓が跳ねた。
花はこの日眠れず、結局翌日もクマを作って孔明と顔をあわすことになった。
「花、何だって今日もクマがあるの?きみ、枕が変わると眠れないなんて繊細な神経じゃなかったよね」
「師匠が昨日あんなことして、無用なフェロモンを撒き散らすから悪いんですよ」
朝会ってからの開口一番の孔明の台詞に、花は膨れて答えた。
「ふぇろもん?」
不思議そうに聞き返されるけれど、一発で言えてしまうのがさすがに孔明らしい。
花は慌てて口を押さえた。
知りたがりの孔明が反応しないわけはない。
「ねえ、それってどういう意味?」
「知りません」
「弟子のクセに師匠に逆らうの?幽霊の顛末知りたくない?」
「そんな交換条件、ずるいです」
「軍師なんてずるくて当然でしょ。なに言ってるんだか。それにこれは交渉だよ」
幽霊の物音の顛末は知りたいけど、孔明にフェロモンの意味を言うのはいかにも孔明の事を考えてて眠れませんでしたと白状するようなものだ。
それは昨日の一件があるから、余計に恥ずかしすぎる。
花の顔色を読んだだけで、孔明にはフェロモンの意味がわかったような気がした。
孔明の目の中に、ちょっとばかり悪戯っぽい表情が浮かぶ。
けれど花には孔明の目に宿った感情までは読み取れない。
「じゃあ言わなくていいよ」
珍しくあっさりと孔明が引き下がってくれて、花はほっと胸を撫で下ろした。
「ほんとですか?」
「だけど代わりに、ボクがふぇろもんってこう言うことかなって示すから、もしあってたら教えて。それならいいよね?」
自分で言うんじゃなければいいやと花は軽く考えて同意する。
「いいですよ」
この返事をした時点で、花は策に見事に嵌ってしまったのに気付かない。
孔明は花の腕から文字の読み書きの竹簡を取り上げると、そっと机に置いた。
「花」
「はい?」
「机に座って」
「え?」
驚く間もなく、花は言葉が終わると同時に腰に手が来て抱えられて机の上に座らせられた。
「し、師匠?」
「昨日の痣、良くなったか診せてもらうよ?」
いきなりなぜ痣の診察の話になるのか、花には頭がまったくついて行けない。
いつも孔明の頭の出来は特別で、時々理論をすっ飛ばされるとついて行けないけれど、今回はまたいつもにも増して脈絡がわからない。
「いや、痣なんてほっとけば治ります」
「きみの身体は、きみ一人のものじゃないんだよ」
「な、何ですか!その妊婦さんにかけるような言葉は!」
「だってそうだろう?きみはボクの心血注いで丹精した弟子なんだから、もうボクの血肉を分けたも同じだ。弟子は弟に子供って書くしね」
「それ、強引な展開じゃないですか?」
「そう?まあそう言うことだから」
いいように丸め込まれて、師匠が跪くと膝に手がかけられた。
「師匠……」
お医者さんに身体を触られるのは、いくら相手が若くてかっこいいお医者さんでも平気だけど、師匠には触れられるだけで身体が震えそうだった。
膝が広げられ、指先が膝を柔らかく触れる。
「膝枕の時いつも思うけど、きみの膝はほどよい弾力と柔らかさで気持ちいいよ。ボクのお昼寝用なんだから大事にしないと」
「わたしの膝は師匠のお昼寝専用じゃありません」
一応怖い顔をして花は言ってみるけれど、孔明はまったく堪えた様子はない。
すっと膝から足の付け根の方へ撫ぜられて、思わず机についていた手を握り締めた。
痣のある場所はスカートから隠れたさらに奥なのに、孔明は今回はスカートを捲ることなくその場所を目指す。
孔明には肌先からだけでも、たったこれだけの行為で花の身体の奥に熱がともり、少し身体が熱くなったのがわかった。
花にはスカートが捲られてなくて、その中に孔明の手があると言う光景の方がなぜだかもっといやらしい淫らなものに感じる。
自分の視覚に訴えかけられた映像に、恥ずかしくて眩暈さえ感じた。
「ああ、青痣に良く効く薬、持ってきたんだよ」
孔明は何でもなさそうに言って、花の瞳をとらえて笑む。
一度痣のあった場所へたどり着いた指は、再び逆の道筋を辿って戻るけれど、五本の指先と掌から伝わる感覚は鮮烈だった。
孔明の指は特別な事をしているわけじゃないのに、花は少し息があがる。
でも自分の身体に起こる感覚にいっぱいいっぱいで、息が自然に上がっているのになんか自分じゃ気付いていない。
増して孔明のことを冷静に見る余裕は、花の中にはなかった。
感情の昂りを巧みに隠し、孔明は医師の顔で懐から小さな容器を取り出した。
中には白みがかった軟膏のようなものが入っていて、薄荷のような香りがする。
「自分で塗れます」
これ以上、孔明に触れられればおかしくなってしまうと、花はかろうじて申し出た。
「ん?手伝いたいのなら、きみのその衣装が汚れちゃまずいから手で持ってて」
事も無げに言う孔明の言葉が、花の頭に届くまで半拍。
それって、スカートを自分で捲り上げていろと言う指示?
というか、孔明から発せられた時点でそれは命令だ。
「無理、無理です!師匠!」
「簡単なことだと思うけど?」
行為として簡単な動作だけれど、その行為に伴う羞恥心が大きすぎて花はぶんぶん首を振る。
「でも汚れるの嫌だよね?じゃあボクがするよ」
だからなんだってそう淡々と出来るのかと花は思うけれど、たぶん聞けば手当てだからと言われそうだ。
ものすごい葛藤の結果、花は震える指先でスカートを摘むと持ち上げた。
「やっぱり持ちます」
一大決心で告げて言われた通りにすると、必要以上に指先に力が入って指先が白くなり、結果スカートに皺がよる。
まったくホントに恥ずかしがりやだよね。
そんな花の様子が、孔明にはかわいくもあるけれど、男の欲をどうしようもなく煽り、刺激することに気付いて欲しいと思う。
第一、そこまで男としても意識してくれているならば、もう少し艶やかな姿を見てみたいと考えるのは若い男としてはささやかで真っ当な欲望だろう。
「離すと汚れて悲惨な事になるよ」
「は…い」
注意に素直に頷いたけれど、花は次の瞬間息を呑んだ。
薬をたっぷりと塗った指先が、花の腿の上を下から滑る。
そして掌全体で擦り込むように撫ぜ上げられた。
軟膏によってすべらかになった腿を、揉み込むように何往復も動く手は優しい。
それでももどかしいような、ぞわぞわした落ち着かない感じが這い登ってくる。
昨日の行為とは違う。
今回はちゃんと薬を塗ってくれてだけで、唇が痣の場所に触れてるわけでもない。
爽やかだけれど刺激のある香りが立ち上る。
「これ、炎症を押さえる効果もあるんだよ」
足元から孔明の声がして、花は跪いた孔明の姿を見たとたん思い出す。
昨日の孔明の行為と、その唇からもたらされた刺激を。
ぶるりと花の身体が震えて、いっきに身体の中心にくすぶっていた熱が上がった。
「やっ…だ……師匠は平気な顔で、わたしばっかり……」
花が泣きそうな表情、潤んだ瞳で孔明を見つめると、指先はやっと止まった。
それから孔明はちょっと困った顔になる。
「どうしたの?」
「だって……」
「言わなきゃわからない」
どこまでも孔明の口調は冷静で、花は何て言っていいか分からず指先が震えた。
「師匠、ほんとに分かってないんですか?」
人の心情を読むのに長けた孔明が、花の気持ちをわかない訳はないと思う。
「花はズルイ。確かにボクはきみの気持ちは察する事は出来るよ。で、たぶんボクはあまりキミの気持ちを読み間違える事もない」
花は頷いた。
「それはボクがキミが好きだから、一生懸命にキミのことを考えてるからだ。だけど、言葉に出さずに分かってもらおうって言うのは楽してるよね。ボクだって花の言葉は欲しいし、それを言うなら、花にだってボクの言葉に出さない気持ちを知って欲しい」
初めて聞いた孔明の珍しく構えた事のない素直な言葉に、花はある意味本当に自分が甘やかされていたことに気付かされた。
花にとって孔明はいつだって偉大で、遥か高見にいる賢人で、誰に対しても恐れ知らずで、態度を変えない人だ。
だから花にとって、孔明とお互いの気持ちを確かめ合った後でも孔明は常に師匠であり続けた。
それ以外の孔明が、なかなか花の中で育たなかったのだ。
今までは、たぶん孔明はそれを寛大に許してくれていた。
確かに花は自分の気持ちを優先ばかりして、孔明が花にたいして何を望んでいるのか考えたことはなかった。
花が机の上に腰掛けているから、いつもより低い位置ある孔明の顔を見て不意に自分より小さかった、それでも大人びた口調の亮のことを思い出した。
二人の姿が、すんなりと花の中で重ねる。
「師匠も時にはわたしの師匠をやめたいですか?」
「う~ん。花の師匠であることはボクの必然だから辞めたいとは思わないけれど、そうじゃない時のボクもいるってこと、わかってる?」
そして孔明は自分を見つめる花の視線を意識したまま、そっと花の強張ったままの指先をスカートから離すと、口元へ持って行って口付け、指先を口に含んだ。
親指以外の指の先をそれぞれ舐められ、歯で甘噛される。
「し…しょう……」
「そうじゃないよね?」
師匠としてではない、熱いまでの情を孕んだ瞳にさらされ、花はその瞳の意味を、孔明の望みを指先の甘い痛みから知った。
それは同時に切ないような胸の痛みにもなる。
「孔明さんは……わたしに触れたいですか?」
「どう思う?」
「質問に質問で返されても困ります」
頬に朱を上らせたまま、花は小さく首を傾げた。
「いつも言ってるけど、きみは本当にもう少し観察力を養って」
「そうしたら師匠の事もっとわかりますか?」
こういうところがお互い師匠と弟子から離れられない要因なんだよな。
孔明は密かに自分自身にもため息をつく。
思うけれど結局、孔明自身も花を導き、教えることが好きだから仕方ない。
「あのさ、さっき花はボクは平気な顔で、わたしばっかりって言ったよね?」
「はい。言いましたけど」
「ホントにボクが平気だと思った?」
「えっ?」
「今のボクはどう見える?」
確かに指先に口付けを受けていたときの孔明はいつもと違っていたけれど、それでもやっぱり孔明は落ち着いて見える。
あの熱情を秘めた瞳はまだそこに少しだけ見え隠れしているけれど、余裕があると花の目には映る。
「大人で、とっても余裕があります……けど、違うんですか?」
「だったらボクに触れてみな。そしたら花の思ってる通りかどうかわかるよ」
花は促されるままに孔明の頬に触れ、その手で唇に触れ、手を首筋にと順番に滑らせて、最後に服の上から規則正しい鼓動を打つ胸におく。
鼓動が酷く速くて、触れた肌がいつもより熱い気がする。
「とても心臓が速いです」
「そうだよね。きみはもっと知るべきなんだよ」
「何をですか?」
「師匠じゃないボクを。諸葛孔明自身を。ボクはきみが思うほど大人じゃないよ」
その言葉に、花は思い当たる事があった。
こちらですっかり大人になって、誰もが恐れさえ抱く怜悧な頭脳を持つ青年となった孔明に出会ってから、彼に年相応を感じたことはない。
「もしかして、師匠は急いで大人になりすぎちゃいましたか?」
誰もが望むのは冷静沈着で底を読ませない飄々とした軍師の姿で、孔明自身もそれを楽しんではいる。
けれど時々無性に疲れたと感じるのは事実だ。
特に花の無防備な視線に晒され、二人で過ごす時間の中で、息苦しいと思う自分がいる。
孔明は返事をせずに謎めいた微笑みを浮かべる。
孔明自身も、自分の軍師としての顔を壊すのは難しい。
矛盾しているが花の前では特にそうだ。
すると花はその白い腕を差し伸べて、孔明の髪を柔らかく梳いた。
「わたしには、どんな姿でも一緒ですよ。師匠でも、そうでない孔明さんでも、二人は別人じゃなくて同じ人でしょう」
「花、きみってどうしようもないね。あいも変わらず無防備すぎ。それ本気で言ってる?きみは知らないからだよ。師匠じゃないボクは結構浅ましいし、欲深いし、とてもきみに言えないような不埒な事を考えてたりもするんだから」
花は少しだけ困った顔で微笑むけれど、やがて透明で明るい微笑を浮かべた。
それは、孔明が亮として花の傍らにあった頃に見た、道士さまと呼ばれていた頃のどこが大人びた清しい顔だ。
「だとしたら、わたしにその師匠じゃない孔明さんの顔を見せてください。師匠が誰にも見せない顔をわたしだけに見せてくれるのはすごく嬉しいです」
何気なく言われた言葉は、孔明の心に染み入るように馴染む。
いつまでたっても、やっぱり花は孔明の仙女だ。
孔明がどんな孔明であっても、花は受け入れてくれるのだろう。
結局、花の中に諸葛孔明に縛られているのは孔明自身で、花は欠片もそんなことは思ってないとあっさり気付かされる。
「花……きみってホント困った子だね」
泣きたいような切ない気持ちになるけれど、生憎孔明は素直じゃない。
それでも出てくる声は少し動揺していて、孔明はそれを悟らせないために花の後頭部に手を回して顔を引き寄せる。
「お望みどおり少しだけ花しか知らないボクを見せてあげる」
施された口付けは、花から声も吐息も意識さえも奪いそうなほど激しく、変わりに与えられたのは快楽。
口付け一つでこれほど自分の身体が反応してしまうのに、花は怯えたように孔明の柔らかな髪にくしゃりと指を絡ませて首筋に縋る。
涙が一粒、花の目尻からぽろりと落ちて孔明の衣の袖を濡らした。
長い口付けの後、孔明は底知れない瞳を揺らして花を下から掬いあげるように見つめ、いつも書簡を捲り筆を持つ繊細な指先で唇をそっと紅をのせるようになぞる。
ぞくりと花の中にいい知れぬ何かがうごめく。
「今とそしてさっき、きみがボクから感じているものがふぇろもん……違う?」
「そうです。けど……」
「けど?」
「こんな教え方、ずるいです」
「だってボクはきみの師匠であり、諸葛孔明だよ。昔、花が言ったんだよ。師匠はすごい人だけど、ちょっと意地悪だってね、忘れた?」
「言いました……十年も前の事なのに良く覚えてますね」
過去の事は花にとってはちょっと前の出来事だけれど、この孔明にとっては十年前のことのはずで、それなのに何で覚えてるんだろうと恨めし気に見れば余裕の笑みが返される。
「いつも言ってるよね。ものを忘れるのが不得手だって。ましてきみの言った事ならば、一言一句忘れないよ。いいかげん観念しな」
甘い言葉なはずなのに、心をときめかせるどころか孔明の前で絶対に迂闊はことは言えないと花は場違いな決心をした。
そんな花の頬に、今度は本当に柔らかな甘い笑みと共にかすめるような口付けが落とされて、花は真っ赤になって俯いた。

<後書き>
今回の灰色孔明いかがだったでしょうか?
とりあえず終わりました。灰色って言うのが微妙に難しかった原因?(苦笑)
いっそ純度100%の真っ白か、真っ黒が良かったのか?
まあ孔明と花ちゃんの日常感が伝わったならば嬉しいな。
え~続きというか、おまけUPします^^