<前書き>
えーなんで『信頼は』じゃないのかと思った方、すいません(苦笑)
今週いよいよ恋戦記が発売ですね。
で、せっかくなので記念SSをいくつかUPできたらいいなと思い立ちました。
本当はカウントダウンとかしたかったけど、私の状況から絶対無理なので^^;
これは第1弾です。
でも2弾がUPできるかが疑問ですwww
では、久しぶりの師弟をお楽しみくださいませ。
***三国恋戦記PSP版発売記念(前祝SS)***
『涼水』(孔明×花+玄徳)孔明ED後
なんでこんなに暑いんだろう。
いや、何でじゃなく夏だからに決まっている。
思わず机に突っ伏して、花は呻き声を漏らした。
今、花は孔明の弟子ではあるけれど執務室は別となっていて、花の執務室は書庫の隣だ。
最初のうちは寂しかったけれど、色々な出来事の末にこの環境にも慣れた。
それに書庫への人の出入りはそれなりに多く、花は退屈している暇はない。
と言うより、はっきり言えば忙しかった。
「花。具合が悪いのか?」
突然かけられた声に驚いて顔を上げれば、玄徳が入口の所に立っていた。
夏場だから戸は開け放してはいたが、一応目隠し代わりに布で仕切りは付けている。
その麻布を捲りあげて、玄徳が心配そうにこちらを見ていた。
「す、すいません。玄徳さん」
慌てて花は立ち上がると、思わず机の端にあった竹簡がからからと落ちそうになる。
「あ!」
落ちかかった竹簡は、いつの間にやら大股で傍までやってきた玄徳の手の中に納まっていた。
「慌てるな」
「申し訳ありません」
「いや、具合が悪いんじゃなければいいんだが」
玄徳は竹簡を花に渡しながら、しょげかえりこちらを窺う花の表情に気付くと思わず笑いが漏れた。
「具合が悪いわけじゃないんです。ちょっと暑くてだれてました」
よりにもよって、自分の主と言うべき玄徳にこんな姿を見られるとは、絶対にあっていいことじゃない。
自己申告しながらも、これは言い訳できないと俯く。
「そうか。そういうこともあるな」
けれど返ってきたのは叱責ではなく、笑い混じりの言葉で、ぽんと頭に手を置かれる。
「えっと怒らないんですか?」
「自分でもう分かってるんなら怒る必要はないだろう。と言うか、俺も涼を求めてうろついてたところだ」
「そうなんですか?」
「ああ、お前など執務室にいるからまだましな方だぞ。翼徳なんか、今頃間違いなくどっかの木の上だ」
「それはあり得そうですね」
言われた言葉が真実なのか、それとも花を気遣っての言葉なのか分からなかったけれど、引き合いに出された翼徳の姿は想像できた。
それにこう言うからには、たぶん翼徳の執務室は回って来た後なのだろう。
窓の外からは格子越しとは言え容赦ない光りが射し込み、執務室の床にはくっきりと焼きつきそうな光と影が出来ている。
室の中には風もほとんど吹き込む様子もなく、停滞したまさしく茹だるような暑さだ。
「でも翼徳さんじゃなくても、こう暑いと逃げ出したくなる気は分かります」
「真面目な花が珍しいな」
「そうでもないですよ」
「まあお前は確かに、暑いのはことのほか苦手だったな」
「軟弱ですいません」
現代っ子で、中学でも高校でも帰宅部だった花は、エアコンのないこの世界の夏は本当に辛い。
せめて扇風機でもと思うけれど、ここでは団扇や扇が唯一の涼を取る文明の道具だ。
すると急に、玄徳が何かひらめいたと言う表情になった。
「何ですか?」
不思議そうに花が問えば、玄徳は爽やかな笑顔を向けてくる。
「俺は花が涼しくなる方法を知ってるぞ」
「え?」
そんなお手軽な方法があるのかと、花の目が期待に輝く。
「孔明に今回のことを俺が言えば、涼しくなるんじゃないのか?」
実に屈託なく、とんでもないことを提案してくれる玄徳は、爽やかなくせに意地悪だ。
でも確かにその言葉だけで、花は十分に涼しくなれた。
師匠の孔明にあんな怠惰な態度で、執務時間中に机でへばってたなんて知られたら絶対に怒られるだろう。
怒鳴り散らすことはないけれど、孔明は決して甘くはなく厳しい。
「これから絶対今日のような失態はしませんから、勘弁してください」
情けない顔で玄徳の慈悲に縋ろうと花が訴えれば、玄徳はくすりと笑う。
「ずいぶん涼しくなったようだな」
「お蔭様で、たっぷり冷えました」
花が少しだけ恨めし気に言えば、こんなところは口調はともかく花は孔明に似ず素直だ。
「師弟仲がいい証拠だな。まあ今のは冗談で、たまには息抜きしろ」
「はい」
花が元気に返事をすれば、玄徳はぽんと花の頭に手を置いて踵を返す。
この時になって花は、入り口の掛け布が引き上げられたままだったことに気付いた。
こんな心遣いは、やっぱり玄徳らしいと思って花はそんな主に仕えることを嬉しく思う。
「玄徳さまも体調にはくれぐれもお気をつけて」
今しも戸を潜ろうとした背中に言えば、主は半身だけ外に出したまま振り返る。
「花、涼が欲しいなら欅の大木が三本ある場所が城内の東にあるだろう?わかるか?」
「はい」
「あそこへ行け。小さな湧水の井戸があって今時分は気持ちいいぞ。からかった詫びだから今から行って来い」
「え。でも」
「上官命令だ」
玄徳の有無を言わせぬ笑顔に花は頷いて、結局そのまま執務室を一緒に後にすることになった。
そうしてきつい日差しの中、花は回廊を外れて城内の庭に足を踏み出した。
東側のその一角は、城内でもあまり人気が多くない場所だ。
と言うか、結構外れているので人は少ない。
それでも危なくないのは、思いのほかに開けた明るい場所だからだ。
花は額の汗を拭い、目的の大きな欅を見上げた。
三本の欅は城内でも一際大きな大木で、それがそう離れてない場所に三角形を成すように自生していた。
大きく張り出した枝、大人が何人がかりで手を繋いだほどの幹は太く生命力にあふれている。
「すごいなぁ」
見事な枝のせいで、そこはきれいに葉陰に覆われて仄かに暗く涼しい。
まるで森の精気が降り注ぐようで、これが森林浴かとそこそこ都会育ちの花は胸いっぱいに涼しげな空気を吸い込む。
確かにこの場所では、他の場所より気温が低そうだ。
そして掘った井戸ではなく、湧水の井戸があると言っていたのを思い出して、欅を回り込んで三本の真ん中へあたる場所へ足を踏み込もうとした。
けれど花は息をすることも忘れたように、その場に立ち止った。
たぶん欅の落ち葉が幾重にも降り積もったそこは、確かに足音を消していただろう。
梢の音と時折遠くから聞こえるセミの鳴き声が、高く低く聞こえていた。
思ったほどセミが煩くないのは、たぶんこの欅にいる捕食者たる鳥たちがいるせいだろう。
だから不思議な静けさの中、花はそこにある光景に目を瞠る。
響いたのはいかにも涼しげな水の音。
井戸と言うには低く、噴水のように丸く石と漆喰で囲った水辺の縁に手をついて、一人の青年が水を被っていたのだ。
黒髪は濡れてなお黒々と艶やかに輝き、白い肌に張り付く髪の対比が艶美だ。
濡れた唇、首筋の線、思いの外大きな肩幅、逞しい腕や胸板など、それらが一瞬で花の目に飛び込んできた。
俯いていた顎に沿って水が滴り落ち、まるで視線を感じたかのように顔が上がれば男の濡れた黒曜石のような瞳が花を捉える。
「花?」
その孔明の力の抜けた、よく言えば普段通りの声音に、一瞬で花は覚醒した。
こちらを見る孔明は、一度少しだけ驚いたように目を瞠り、いつもの表情になる。
「し、ししょー!」
焦った花は慌てて視線をあらゆる場所に彷徨わせ、そのまま後ろ向きに下がり始めた。
今までだって、弟や父親がいたから異性の身体を見たことがないわけじゃない。
だけど今、目の前にあるのは親族でも、まして見知らぬただの異性の身体ではない。
孔明の身体……それも再び確かめる勇気もないけれど、半裸なのだから混乱と恥ずかしさは半端じゃなかった。
な、なんで師匠、こんなとこで水浴びなんかしてるの。
「花!後ろ向きじゃ危ないよ!」
たっぷり動揺していた花は、孔明の注意が届く前に見事に欅の縦横無尽に伸びた根の一つに足を取られていた。
虚しく手が空をかき、そのまま後ろに倒れ込む。
けれど幸いだったのは、お尻から尻餅をつくようにこけたことだろう
したたか固い木の根で御尻を打ったけれど、頭を打つようなことは避けられた。
「いったぁ」
「まったく君って子は、何をしてるの?」
呆れた口調と共に、大きな手が花が向かって差し出された。
「師匠」
「ほら、捕まりなよ。怪我はない?」
たぶん顔を覗き込まれているんだろうけれど、恥ずかしくて顔を上げる勇気がない。
顔を下げた花の目の前には、濡れた孔明の足元が見える。
ぽたりと座り込んだままの膝に雫が落ちて、今日は制服だった花の膝に水が弾け、冷たさにびくっとなる。
「はーな」
再度呼ばれた声の調子に、これ以上孔明を待たせるのは得策ではないと思った花は、思い切って顔を上げた。
すると艶やかな黒髪から、また雫が落ちて来るところだった。
煌めく黒い瞳に見つめられ、否応なく目に入る喉元や首からひっかけただけの手拭い代わりの布から覗く上半身に、すぐに目を逸らす。
「し、師匠。お願いですから、何か着てください」
真っ赤になって、懸命に視線を逸らす花を微笑ましく見ながら孔明は腕を取って強引に立たせた。
そのまま花の願いには答えずに、手首まで手を滑らせると花の両手を見て少し顔を顰めた。
「思ったより派手に手をついたね。洗っといで」
「分かりました!分かりましたから、師匠は何か上に羽織ってください」
花は孔明の手から自分の手を取り戻すと、そのまま孔明の顔を見ずに湧水の所まで走った。
覗き込めば、確かにそこは深い井戸があるわけではなく、浅い美しい砂地があり、そこからゆらゆら水が湧き出ているのがわかった。
水面には顔が真っ赤な少女の顔が映っていて、花は火照った顔と暑さを冷ますために手を水に突っ込む。
ぴりっとした痛みに、ようやく掌に擦り傷を作っていることを気付いて、そのまま手を洗い、ようやく顔を洗うことが出来た。
そして気付けば、花は手巾を忘れていることに顔が強張るのがわかった。
おたおたしていれば、すぐ横に孔明が立つ気配がして、布が差し出される。
「はい。ボクの使ったやつだから、ちょっと湿ってるけどないよりはマシだよね」
「ありがとうございます」
手に置かれた布を受け取って、やっと顔を拭いて布を返そうと顔を上げれば花は再び固まった。
瞬時に真っ赤に染まった花に、孔明は呆れたような顔になる。
「期待を裏切らない反応だなぁ」
「だって、何でまだ服着てないんですか?」
「仕方ないよ。ボクの服は君の向こう側にあるんだから」
確かに花の向こう側の湧水を囲った石積みの上に、見慣れた孔明の衣装がある。
「目のやり場がないから、早く着て下さい」
花は服を引っ掴むと、孔明を見ないようにして渡して背中を向けた。
「やれやれ男の裸なんて珍しくもないでしょ」
孔明が衣装を身に着ける気配を背後に聞きながら、花はぶんぶん首を振った。
「師匠!人聞きの悪いこと言わないでください」
「いや、だってさ、兵の水浴びとかで上半身裸とか、日常茶飯事だよね?」
確かに花は、芙蓉ほど多くはないが行軍を共にしたこともある見習い軍師だから、兵士たちの上半身の裸だって目にしたことはある。
日常でも鍛錬した後は、水場や井戸端で上半身裸になって汗を流していたりする。
はっきり言ってこっちでは、女性の貞操やら慎みやらは煩いのに、男性が女性の前で肌を見せるのは結構無頓着だ。
でもだからと言って、決して見慣れる者でもないし、第一それがその他大勢ではなく孔明となれば乙女心としては意識しないではいられない。
「状況が全く違います!」
「状況ね。お待たせ、もう着たからそろそろ君の御師匠に顔をみせてくれない?師匠に後ろ向きに話すなんて礼儀はないよね」
「うっ」
それでも花は、ゆっくりと孔明の方へ向き直った。
相変わらず赤く染まった花に、孔明は思わず嬉しい気持ちになるのは止められない。
日頃師匠と弟子の関係を大きく逸脱しないように心掛けてはいるが、やっぱりこうして男として、たぶん恋愛感情を含んで意識されていれば、いくら冷静を心がけようと気持ちは昂揚する。
「ところでさ、何でこんな所に来たの?」
「えっと、玄徳さんに涼むのはいい場所だからって教えてもらって、連れ出されました」
「玄徳さまが君の所に来たの?」
「はい。特別用事はなさそうでしたけど」
そこで孔明には、話の流れが鮮やかに理解できた。
孔明の所に寄った玄徳は孔明の不在を知り、たぶん花の所に孔明がいるかと思って顔を出し、こんなことを思いついたのだろう。
そもそもこの場所は星見の水と呼ばれ、こじつけの様なものだが星の啓示を受ける場所であり、君主や星を見る軍師にとっては聖域で一般兵や白の者は立ち入れない。
まあ孔明にとっては考えをまとめるにいい涼む場所と言う以外に、特別意味はない。
困った方だなぁと孔明は己が主の心遣いに心の中で苦笑を漏らし、けれどたまには乗ってみるのもいいかと思う。
「花」
前に立った孔明の声が、不意になんだか甘くなった気がして花はぎこちなく顔を上げる。
するとようやく上衣を纏った濡れた髪のいつになく色っぽい孔明がいた。
「見られたのはボクなんだけど、君の方が随分赤いね。もしかして意識した?」
「だからそこは空気を読んでさらっと流して、わざわざ指摘しないでくださいよ」
「う~ん、でも気付いちゃったら言わずにはいられないんだよね」
「何でですか?」
「まあ君の珍しい顔が見れるからかな。ボクだけに見せてくれる花を見逃すのは惜しいし」
滅多にないけれど、孔明は時々とんでもなく別方向に意地悪になるときがある。
「師匠」
「あれ?花こそ空気を読んでくれなきゃ。ここは孔明さんでしょ」
これはいつになくまずい事態かと、花は対処に困って視線をうろうろ彷徨わせた。
これってもしかして、仕事をだらけていたための罰?
「すいません。勘弁してください」
「おかしな子だねぇ。何を謝ってるの?それともボクに謝らなきゃならないことでもした?」
澄んで真っ黒な瞳に見つめられると、花はとたんに言い逃れなんてできなくなる。
「したと言うか、してないというか……」
「想像がつくから申告はなくてもいいよ。さて、せっかくだから玄徳さまのお気遣いに花もあやかろうか?」
「えっ?」
次の瞬間、花は孔明に頭を抱え込まれかゆるく着付けられた胸元に頬を寄せていた。
肌蹴た思いの外逞しい胸板に頬が当たり、いったん下がったはずの熱が急上昇する。
「な、なにするんですか?」
「さすがに花にここで水浴びしろとは言えないから、間接的に冷やそうかなと思って。冷たくない?」
言うように、水を浴びていた孔明の肌はさらさらで、程よく冷たく感じる。
「少し……冷たいです」
「それは良かった。まっ、ボクが冷たく感じるのはたぶん君の熱が上がりすぎてるせいもあると思うんだけど」
「私の熱が高いのは、師匠のせいです」
膨れた花の髪を孔明の少し冷たい指先が掬い取り、一房耳にかけて耳朶をゆるくなぞる。
その冷たさに花はぴくりと身体を僅かに震わせたが、触れ合った場所から伝わる涼気は孔明だからかとても心地よかった。
ぽたりとまた孔明の髪から雫が落ち、二人は涼を感じ合う。
けれど恋人たちがその熱を取り戻し、唇に情熱をともすまでには、ほんの束の間の時間だった。
<後書き>
実はこれ、ラッキースケベ逆バージョンでした。
あんまりそんな感じしなかったかな?
師匠だったら花ちゃんが見たシーンが私の場合は浮かんできちゃいました。
いきなり降ってきて途中まで書いてたら、twitterのTLでふぉろわーさんたちがお話しててタイムリー!と一人で思ってました^^
涼を感じていただければ尚よろしいのですが。
あと少し、PSP版の発売をいい子で待ちます。
えーなんで『信頼は』じゃないのかと思った方、すいません(苦笑)
今週いよいよ恋戦記が発売ですね。
で、せっかくなので記念SSをいくつかUPできたらいいなと思い立ちました。
本当はカウントダウンとかしたかったけど、私の状況から絶対無理なので^^;
これは第1弾です。
でも2弾がUPできるかが疑問ですwww
では、久しぶりの師弟をお楽しみくださいませ。
***三国恋戦記PSP版発売記念(前祝SS)***
『涼水』(孔明×花+玄徳)孔明ED後
なんでこんなに暑いんだろう。
いや、何でじゃなく夏だからに決まっている。
思わず机に突っ伏して、花は呻き声を漏らした。
今、花は孔明の弟子ではあるけれど執務室は別となっていて、花の執務室は書庫の隣だ。
最初のうちは寂しかったけれど、色々な出来事の末にこの環境にも慣れた。
それに書庫への人の出入りはそれなりに多く、花は退屈している暇はない。
と言うより、はっきり言えば忙しかった。
「花。具合が悪いのか?」
突然かけられた声に驚いて顔を上げれば、玄徳が入口の所に立っていた。
夏場だから戸は開け放してはいたが、一応目隠し代わりに布で仕切りは付けている。
その麻布を捲りあげて、玄徳が心配そうにこちらを見ていた。
「す、すいません。玄徳さん」
慌てて花は立ち上がると、思わず机の端にあった竹簡がからからと落ちそうになる。
「あ!」
落ちかかった竹簡は、いつの間にやら大股で傍までやってきた玄徳の手の中に納まっていた。
「慌てるな」
「申し訳ありません」
「いや、具合が悪いんじゃなければいいんだが」
玄徳は竹簡を花に渡しながら、しょげかえりこちらを窺う花の表情に気付くと思わず笑いが漏れた。
「具合が悪いわけじゃないんです。ちょっと暑くてだれてました」
よりにもよって、自分の主と言うべき玄徳にこんな姿を見られるとは、絶対にあっていいことじゃない。
自己申告しながらも、これは言い訳できないと俯く。
「そうか。そういうこともあるな」
けれど返ってきたのは叱責ではなく、笑い混じりの言葉で、ぽんと頭に手を置かれる。
「えっと怒らないんですか?」
「自分でもう分かってるんなら怒る必要はないだろう。と言うか、俺も涼を求めてうろついてたところだ」
「そうなんですか?」
「ああ、お前など執務室にいるからまだましな方だぞ。翼徳なんか、今頃間違いなくどっかの木の上だ」
「それはあり得そうですね」
言われた言葉が真実なのか、それとも花を気遣っての言葉なのか分からなかったけれど、引き合いに出された翼徳の姿は想像できた。
それにこう言うからには、たぶん翼徳の執務室は回って来た後なのだろう。
窓の外からは格子越しとは言え容赦ない光りが射し込み、執務室の床にはくっきりと焼きつきそうな光と影が出来ている。
室の中には風もほとんど吹き込む様子もなく、停滞したまさしく茹だるような暑さだ。
「でも翼徳さんじゃなくても、こう暑いと逃げ出したくなる気は分かります」
「真面目な花が珍しいな」
「そうでもないですよ」
「まあお前は確かに、暑いのはことのほか苦手だったな」
「軟弱ですいません」
現代っ子で、中学でも高校でも帰宅部だった花は、エアコンのないこの世界の夏は本当に辛い。
せめて扇風機でもと思うけれど、ここでは団扇や扇が唯一の涼を取る文明の道具だ。
すると急に、玄徳が何かひらめいたと言う表情になった。
「何ですか?」
不思議そうに花が問えば、玄徳は爽やかな笑顔を向けてくる。
「俺は花が涼しくなる方法を知ってるぞ」
「え?」
そんなお手軽な方法があるのかと、花の目が期待に輝く。
「孔明に今回のことを俺が言えば、涼しくなるんじゃないのか?」
実に屈託なく、とんでもないことを提案してくれる玄徳は、爽やかなくせに意地悪だ。
でも確かにその言葉だけで、花は十分に涼しくなれた。
師匠の孔明にあんな怠惰な態度で、執務時間中に机でへばってたなんて知られたら絶対に怒られるだろう。
怒鳴り散らすことはないけれど、孔明は決して甘くはなく厳しい。
「これから絶対今日のような失態はしませんから、勘弁してください」
情けない顔で玄徳の慈悲に縋ろうと花が訴えれば、玄徳はくすりと笑う。
「ずいぶん涼しくなったようだな」
「お蔭様で、たっぷり冷えました」
花が少しだけ恨めし気に言えば、こんなところは口調はともかく花は孔明に似ず素直だ。
「師弟仲がいい証拠だな。まあ今のは冗談で、たまには息抜きしろ」
「はい」
花が元気に返事をすれば、玄徳はぽんと花の頭に手を置いて踵を返す。
この時になって花は、入り口の掛け布が引き上げられたままだったことに気付いた。
こんな心遣いは、やっぱり玄徳らしいと思って花はそんな主に仕えることを嬉しく思う。
「玄徳さまも体調にはくれぐれもお気をつけて」
今しも戸を潜ろうとした背中に言えば、主は半身だけ外に出したまま振り返る。
「花、涼が欲しいなら欅の大木が三本ある場所が城内の東にあるだろう?わかるか?」
「はい」
「あそこへ行け。小さな湧水の井戸があって今時分は気持ちいいぞ。からかった詫びだから今から行って来い」
「え。でも」
「上官命令だ」
玄徳の有無を言わせぬ笑顔に花は頷いて、結局そのまま執務室を一緒に後にすることになった。
そうしてきつい日差しの中、花は回廊を外れて城内の庭に足を踏み出した。
東側のその一角は、城内でもあまり人気が多くない場所だ。
と言うか、結構外れているので人は少ない。
それでも危なくないのは、思いのほかに開けた明るい場所だからだ。
花は額の汗を拭い、目的の大きな欅を見上げた。
三本の欅は城内でも一際大きな大木で、それがそう離れてない場所に三角形を成すように自生していた。
大きく張り出した枝、大人が何人がかりで手を繋いだほどの幹は太く生命力にあふれている。
「すごいなぁ」
見事な枝のせいで、そこはきれいに葉陰に覆われて仄かに暗く涼しい。
まるで森の精気が降り注ぐようで、これが森林浴かとそこそこ都会育ちの花は胸いっぱいに涼しげな空気を吸い込む。
確かにこの場所では、他の場所より気温が低そうだ。
そして掘った井戸ではなく、湧水の井戸があると言っていたのを思い出して、欅を回り込んで三本の真ん中へあたる場所へ足を踏み込もうとした。
けれど花は息をすることも忘れたように、その場に立ち止った。
たぶん欅の落ち葉が幾重にも降り積もったそこは、確かに足音を消していただろう。
梢の音と時折遠くから聞こえるセミの鳴き声が、高く低く聞こえていた。
思ったほどセミが煩くないのは、たぶんこの欅にいる捕食者たる鳥たちがいるせいだろう。
だから不思議な静けさの中、花はそこにある光景に目を瞠る。
響いたのはいかにも涼しげな水の音。
井戸と言うには低く、噴水のように丸く石と漆喰で囲った水辺の縁に手をついて、一人の青年が水を被っていたのだ。
黒髪は濡れてなお黒々と艶やかに輝き、白い肌に張り付く髪の対比が艶美だ。
濡れた唇、首筋の線、思いの外大きな肩幅、逞しい腕や胸板など、それらが一瞬で花の目に飛び込んできた。
俯いていた顎に沿って水が滴り落ち、まるで視線を感じたかのように顔が上がれば男の濡れた黒曜石のような瞳が花を捉える。
「花?」
その孔明の力の抜けた、よく言えば普段通りの声音に、一瞬で花は覚醒した。
こちらを見る孔明は、一度少しだけ驚いたように目を瞠り、いつもの表情になる。
「し、ししょー!」
焦った花は慌てて視線をあらゆる場所に彷徨わせ、そのまま後ろ向きに下がり始めた。
今までだって、弟や父親がいたから異性の身体を見たことがないわけじゃない。
だけど今、目の前にあるのは親族でも、まして見知らぬただの異性の身体ではない。
孔明の身体……それも再び確かめる勇気もないけれど、半裸なのだから混乱と恥ずかしさは半端じゃなかった。
な、なんで師匠、こんなとこで水浴びなんかしてるの。
「花!後ろ向きじゃ危ないよ!」
たっぷり動揺していた花は、孔明の注意が届く前に見事に欅の縦横無尽に伸びた根の一つに足を取られていた。
虚しく手が空をかき、そのまま後ろに倒れ込む。
けれど幸いだったのは、お尻から尻餅をつくようにこけたことだろう
したたか固い木の根で御尻を打ったけれど、頭を打つようなことは避けられた。
「いったぁ」
「まったく君って子は、何をしてるの?」
呆れた口調と共に、大きな手が花が向かって差し出された。
「師匠」
「ほら、捕まりなよ。怪我はない?」
たぶん顔を覗き込まれているんだろうけれど、恥ずかしくて顔を上げる勇気がない。
顔を下げた花の目の前には、濡れた孔明の足元が見える。
ぽたりと座り込んだままの膝に雫が落ちて、今日は制服だった花の膝に水が弾け、冷たさにびくっとなる。
「はーな」
再度呼ばれた声の調子に、これ以上孔明を待たせるのは得策ではないと思った花は、思い切って顔を上げた。
すると艶やかな黒髪から、また雫が落ちて来るところだった。
煌めく黒い瞳に見つめられ、否応なく目に入る喉元や首からひっかけただけの手拭い代わりの布から覗く上半身に、すぐに目を逸らす。
「し、師匠。お願いですから、何か着てください」
真っ赤になって、懸命に視線を逸らす花を微笑ましく見ながら孔明は腕を取って強引に立たせた。
そのまま花の願いには答えずに、手首まで手を滑らせると花の両手を見て少し顔を顰めた。
「思ったより派手に手をついたね。洗っといで」
「分かりました!分かりましたから、師匠は何か上に羽織ってください」
花は孔明の手から自分の手を取り戻すと、そのまま孔明の顔を見ずに湧水の所まで走った。
覗き込めば、確かにそこは深い井戸があるわけではなく、浅い美しい砂地があり、そこからゆらゆら水が湧き出ているのがわかった。
水面には顔が真っ赤な少女の顔が映っていて、花は火照った顔と暑さを冷ますために手を水に突っ込む。
ぴりっとした痛みに、ようやく掌に擦り傷を作っていることを気付いて、そのまま手を洗い、ようやく顔を洗うことが出来た。
そして気付けば、花は手巾を忘れていることに顔が強張るのがわかった。
おたおたしていれば、すぐ横に孔明が立つ気配がして、布が差し出される。
「はい。ボクの使ったやつだから、ちょっと湿ってるけどないよりはマシだよね」
「ありがとうございます」
手に置かれた布を受け取って、やっと顔を拭いて布を返そうと顔を上げれば花は再び固まった。
瞬時に真っ赤に染まった花に、孔明は呆れたような顔になる。
「期待を裏切らない反応だなぁ」
「だって、何でまだ服着てないんですか?」
「仕方ないよ。ボクの服は君の向こう側にあるんだから」
確かに花の向こう側の湧水を囲った石積みの上に、見慣れた孔明の衣装がある。
「目のやり場がないから、早く着て下さい」
花は服を引っ掴むと、孔明を見ないようにして渡して背中を向けた。
「やれやれ男の裸なんて珍しくもないでしょ」
孔明が衣装を身に着ける気配を背後に聞きながら、花はぶんぶん首を振った。
「師匠!人聞きの悪いこと言わないでください」
「いや、だってさ、兵の水浴びとかで上半身裸とか、日常茶飯事だよね?」
確かに花は、芙蓉ほど多くはないが行軍を共にしたこともある見習い軍師だから、兵士たちの上半身の裸だって目にしたことはある。
日常でも鍛錬した後は、水場や井戸端で上半身裸になって汗を流していたりする。
はっきり言ってこっちでは、女性の貞操やら慎みやらは煩いのに、男性が女性の前で肌を見せるのは結構無頓着だ。
でもだからと言って、決して見慣れる者でもないし、第一それがその他大勢ではなく孔明となれば乙女心としては意識しないではいられない。
「状況が全く違います!」
「状況ね。お待たせ、もう着たからそろそろ君の御師匠に顔をみせてくれない?師匠に後ろ向きに話すなんて礼儀はないよね」
「うっ」
それでも花は、ゆっくりと孔明の方へ向き直った。
相変わらず赤く染まった花に、孔明は思わず嬉しい気持ちになるのは止められない。
日頃師匠と弟子の関係を大きく逸脱しないように心掛けてはいるが、やっぱりこうして男として、たぶん恋愛感情を含んで意識されていれば、いくら冷静を心がけようと気持ちは昂揚する。
「ところでさ、何でこんな所に来たの?」
「えっと、玄徳さんに涼むのはいい場所だからって教えてもらって、連れ出されました」
「玄徳さまが君の所に来たの?」
「はい。特別用事はなさそうでしたけど」
そこで孔明には、話の流れが鮮やかに理解できた。
孔明の所に寄った玄徳は孔明の不在を知り、たぶん花の所に孔明がいるかと思って顔を出し、こんなことを思いついたのだろう。
そもそもこの場所は星見の水と呼ばれ、こじつけの様なものだが星の啓示を受ける場所であり、君主や星を見る軍師にとっては聖域で一般兵や白の者は立ち入れない。
まあ孔明にとっては考えをまとめるにいい涼む場所と言う以外に、特別意味はない。
困った方だなぁと孔明は己が主の心遣いに心の中で苦笑を漏らし、けれどたまには乗ってみるのもいいかと思う。
「花」
前に立った孔明の声が、不意になんだか甘くなった気がして花はぎこちなく顔を上げる。
するとようやく上衣を纏った濡れた髪のいつになく色っぽい孔明がいた。
「見られたのはボクなんだけど、君の方が随分赤いね。もしかして意識した?」
「だからそこは空気を読んでさらっと流して、わざわざ指摘しないでくださいよ」
「う~ん、でも気付いちゃったら言わずにはいられないんだよね」
「何でですか?」
「まあ君の珍しい顔が見れるからかな。ボクだけに見せてくれる花を見逃すのは惜しいし」
滅多にないけれど、孔明は時々とんでもなく別方向に意地悪になるときがある。
「師匠」
「あれ?花こそ空気を読んでくれなきゃ。ここは孔明さんでしょ」
これはいつになくまずい事態かと、花は対処に困って視線をうろうろ彷徨わせた。
これってもしかして、仕事をだらけていたための罰?
「すいません。勘弁してください」
「おかしな子だねぇ。何を謝ってるの?それともボクに謝らなきゃならないことでもした?」
澄んで真っ黒な瞳に見つめられると、花はとたんに言い逃れなんてできなくなる。
「したと言うか、してないというか……」
「想像がつくから申告はなくてもいいよ。さて、せっかくだから玄徳さまのお気遣いに花もあやかろうか?」
「えっ?」
次の瞬間、花は孔明に頭を抱え込まれかゆるく着付けられた胸元に頬を寄せていた。
肌蹴た思いの外逞しい胸板に頬が当たり、いったん下がったはずの熱が急上昇する。
「な、なにするんですか?」
「さすがに花にここで水浴びしろとは言えないから、間接的に冷やそうかなと思って。冷たくない?」
言うように、水を浴びていた孔明の肌はさらさらで、程よく冷たく感じる。
「少し……冷たいです」
「それは良かった。まっ、ボクが冷たく感じるのはたぶん君の熱が上がりすぎてるせいもあると思うんだけど」
「私の熱が高いのは、師匠のせいです」
膨れた花の髪を孔明の少し冷たい指先が掬い取り、一房耳にかけて耳朶をゆるくなぞる。
その冷たさに花はぴくりと身体を僅かに震わせたが、触れ合った場所から伝わる涼気は孔明だからかとても心地よかった。
ぽたりとまた孔明の髪から雫が落ち、二人は涼を感じ合う。
けれど恋人たちがその熱を取り戻し、唇に情熱をともすまでには、ほんの束の間の時間だった。
<後書き>
実はこれ、ラッキースケベ逆バージョンでした。
あんまりそんな感じしなかったかな?
師匠だったら花ちゃんが見たシーンが私の場合は浮かんできちゃいました。
いきなり降ってきて途中まで書いてたら、twitterのTLでふぉろわーさんたちがお話しててタイムリー!と一人で思ってました^^
涼を感じていただければ尚よろしいのですが。
あと少し、PSP版の発売をいい子で待ちます。