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月野岬

好きなゲーム等の文章中心の二次創作置き場です。現在三国恋戦記中心。

『白梅 芽ぐむ』(公瑾×花+仲謀)白梅28

2014-02-19 20:39:40 | 公瑾×花
<前書き>
予想通りでしょうか?白梅です。
今回は花ちゃん復活の兆しで、やっと少し明るい展開になったかな。
だんだん見えてくるものを、花ちゃんと一緒に探してみてください。
いや、まあ、別に推理物じゃないんで普通に読んでいただいて問題ありませんwww
では続きからどうぞ。



『白梅 芽ぐむ』(公瑾×花+仲謀)白梅28

「朱蘭姫のお使いですか?」
「はい。お時間をいただきたいと午前中に来られました」
林沙からもたらされた報告に、花は小首を傾げた。
湯浴みをした後、花は包帯を替え、薬を飲んでまたとろとろと眠っていて、目覚めた時に最初に受けた報告だった。
「朱蘭姫自身は来られないんですよね?」
「はい。何でも昨日ばたばたしてお見舞いの品を渡し忘れたとのことで、是非目通りしてお渡ししたいと」
目通りも何も、花は自分がそんな風に扱われるほど身分が高いとは思ってない。
元は伏龍諸葛孔明の弟子で、玄徳軍の使者としていたから客人扱いと言うか、そんな感じだった。
だからそれなりに厚遇だったとは思うけれど、今の身分は結構中途半端だ。
「そこまで気を使ってもらわなくてもいいんだけど……」
確かに今は仲謀や尚香とも面識があり、かなり親しく口をきく仲だけれど、花が特別身分が高いわけでも、高官と言う認識でもない。
だとすれば考えられるのは、朱蘭が花を同じく公瑾の妻となる人物と既に認識しているからだと思えた。
妻同士は互いに尊重し合い、波風を立てないようにする。
そうして邸内の状況と平穏に一番心を配るのは、第一夫人の役割だ。
花と朱蘭との身分と状況だったら、当然朱蘭が一番高い位の夫人になるだろう。
だとすれば朱蘭は、恐らく将来の第一夫人としての心得で動いているのかもしれない。
そんなことを考えて、花は淡く自嘲の笑みを浮かべた。
正直言えば面白くないし、すごく辛いと思う。
それでもやっぱり公瑾の側に居たいと言うのが、花の偽らざる気持ちだった。
「わかりました。でも今の私は謹慎中みたいなものなので、公瑾さんに訊いてみなければ私の一存では返事ができません」
気分を切り替えるようにして、複雑な心情を隠して花は困ったように告げた。
自分勝手な行動で迷惑をかけての今の状況だから、慎重にならなければと自分を戒める。
「そうですね」
「だけど断ってしまうのも良くないと思うので、公瑾さんに確認してもらえますか?」
林沙も花の希望に素直に頷いた。
花が言い出さなければ、林沙が進言しようと思っていたのだから、花の判断を聞いて林沙は仕える少女がだいぶ平静になったことを嬉しく思う。
そうして林沙自身が公瑾に報告に上がるべく花の室を辞した後、思わぬことが起こっていた。
「侍女殿!」
林沙がいなくなっていくらもしないうちに、花は室の外が騒がしくなっているのに気付いた。
たぶん公瑾の許可は下りるだろうと思っていたから、花は夜着ではなく簡素な部屋着に着替えていた。
この身体の状況で、とにかく手が包帯だらけで筆なんて持てる状況じゃないから文官である花の仕事は当然出来るわけはない。
出仕するほどきっちりした服ではなく、夜着でいるにはさすがに気が引けてそんな格好だ。
人を迎えるにも、向こうがお見舞いならば変ではない格好だった。
だから花は朱蘭姫の使いを迎えるために寝所ではなく居間に居たし、明らかに焦りを帯びた声は回廊の兵士のものだった。
扉の前にいるのは公瑾の部下のはずで、室の扉にはさすがに閂や鍵はかかってない。
花は逡巡した挙句、そっと扉の前から声をかけた。
「何かありましたか?」
「そ、それが侍女殿が倒れられました」
「え!」
一瞬、花をおびき寄せると為の罠かと思ってけれど、冷静になった花はそれを却下する。
花はそんな罠をかけられるほどの重要人物ではない。
今でこそ扉の前に尚香や朱蘭のように兵士が護衛よろしく立っているけれど、彼らは都督である公瑾でいるがこれは非常事態故だ。
花の身元の保証はいまだ玄徳軍が色濃く関与しており、同盟のもとにあるからこそ守られている。
もちろん公瑾独りの判断ではなく、子敬や仲謀の同意の元だ。
だから本来なら身に過ぎた警護体制であり、そもそも私室はで入り自由で、今だって内から寝所に閂は掛けられるけれど外から閉じ込められているわけではない。
押し入ろうとすれば、今は簡単に入って来られるのだ。
だから花は、気が急くままに扉を開けた。
兵の一人は一応扉の前に警戒しながら立っているのは、やはり敵を意識してなのだろう。
ただもう一人の兵士は、床に膝を着いて倒れている侍女を覗き込んでいる。
花は回廊に滑り出ると、反対側に回り込んだ。
「花殿はこの侍女に見覚えはございますか?」
兵士は侍女を心配そうに覗き込んではいたが、身体には触れていなかった。
花が覗き込めば、倒れているのは確かに花も見知っている朱蘭の侍女の玉楼だ。
おとなしやか顔立ちの彼女の顔色は、今は白く血の気がない。
僅かに眉間が苦しげに歪んでいるようにも見えたけれど、呼吸自体は規則的だった。
「朱蘭姫と共に来られた侍女です。どうしたんですか?」
「一旦別の朱蘭姫の侍女が、花殿の侍女の言葉を聞いて戻られたんです。ですがその後すぐにこの侍女が戻って来られてそこの陰で待たれてました。そうしたらふらふらされて、回廊に蹲るようにして倒れられました」
「じゃあ、襲われたとかは?」
「無論ありません」
どうしようと花は考えながら、屈み込んで玉楼に呼びかける。
状況から貧血だろうとは思うけれど、相手が意識のない状態では素人判断はあんまりよくない。
「玉楼さん!玉楼さん!わかりますか?」
頼りない細い肩に手をかけて少し刺激を与えてみれば、瞼がぴくぴくと震えた。
「目を開けてください」
「あっ……」
細い息遣いと共に、長い睫毛が震えてゆっくりと目が開かれた。
「花です。玉楼さん、気をしっかりもってください」
「いえ………ちが……」
まだ自分が置かれた状況をよく分かってないのか、何だかはっきりしない言葉が漏れる。
「私の室の前の回廊で倒れられたんです。すぐに朱蘭姫に連絡して、休めるところにご案内しますから」
とにかくまた気を失われてはかなわないと花は焦って、それでも体調の悪い玉楼を安心させるように柔らかく語りかけた。
しばらく茫洋としていた瞳の焦点がやっと合い、玉楼の顔が強張った。
「も、申し訳ありません。すぐ起きますので、朱蘭さまにはご内密にお願いします」
早口に捲し立てて起き上がろうとするけれど、まだ力もでないようで頭すら上手く持ち上がらない。
「でも……」
「本当に少し休めばよくなります」
どこか必死に言い募る玉楼に、花は小さく首を傾げた。
何故こんな風に主の朱蘭に報告されるのを嫌がるのか、よく分からない。
確かに体調管理ができてないことを怒られるかもしれないけれど、こうまで報告されるのを嫌がる程酷く叱責する主なのだろうかと邪推してしまう。
本当は朱蘭に知らせるべきだろうが、こんなに頼まれているのに無碍にするのも気が引けた。
迷っている花を見て、更に玉楼は頼み込む。
「あのほんの少し立ちくらみがしただけで、痛い所なんてありませんから」
口調自体は目を覚ました時と違って随分としっかりしているから、花は結局断りきれずに頷いた。
「わかりました。でもまだ動ける状況じゃないみたいですし、このまま回廊にいるわけにもいきませんよね。だからえっと、取り敢えず中へ運んでください」
最後の言葉は成り行きを見守っていた兵士に言ったものだ。
「よろしいのですか?」
花の要請に、兵士は躊躇いを見せる。
彼らは花の警護であるとともに、花がまた何か仕出かさないように見張る意味もある監視なんあだろう。
様子から察するに、公瑾に余程強く花に人を近付けないように命令されているに違いない。
自分の行動が招いたことの浅はかさを、花はここでも思い知る。
あの時花が朱蘭を送らせ、ここをこっそり抜け出した為に罰を受けた兵もいるかもしれないと今更ながらに気付いた。
花が無理を言えば、また彼らが公瑾から叱責を受けるかもしれない。
けれど玉楼をこのまま回廊に置いておくわけにはいかなかった。
「病人なんですから非常事態です。それに朱蘭姫の侍女を、こんな風に人目に晒される回廊に置いておくのはまずいです。公瑾さんには私の判断でしたと伝えます」
賓客扱いの朱蘭の侍女は、城の侍女とは違い客人の一行に考えられる。
花の主張に、兵士も確かにと頷いた。
相手がか弱い女性だったこと、身元もはっきり分かっていることも、兵士が是と判断した要因だったろう。
「了解いたしました。では失礼します」
兵士は警戒している相棒の兵士に頷きかけると、玉楼を軽々と抱き上げて花の私室に足を踏み入れた。
室と言う閉じられた空間でその大きな体躯に隣に立たれた時、花は無意識にびくりと身体を跳ねさせたけれどどうにか自分の内に沸き起こった恐怖を宥める。
「長椅子の上にお願いします」
さすがにさっきまで自分が寝ていた、たぶんまだ整えられてもいない寝台を使うのは躊躇われ、玉楼を大きな長椅子に運んでもらう。
ありがとうございましたと言っても、兵士は動く様子がない。
「あの……」
私室に公瑾以外の見知らぬ兵がいるのは、いくら公瑾の部下であってもさすがに気詰まりだ。
花が困ったように見上げれば、兵も申し訳なさそうに、けれど断固とした口調で首を振った。
「都督に伺いに行った侍女が戻って来るまでは、いくら朱蘭姫の侍女とは言えお二人にはできません。壁際に控えておりますのでご容赦ください」
壁際まで下がると、兵はまるで置物の様に無言で立つのみとなった。
彼だって命令ならば仕方ないと、花は玉楼に頭を下げる。
「男の方が室におられるのは落ち着かないかもしれませんが、許してください」
「いえ。私の方こそ我儘を言って申し訳ありません」
「本当に苦しくないですか?横になったほうがいいんじゃありませんか?」
長椅子に横にしようとすれば固辞され、背もたれに大丈夫なように柔らかな座布団を敷いているけれど、苦しいのではないかと花は気遣う。
「大丈夫です」
物柔らかに微笑む様は申し訳なさそうでありながら、先程よりはだいぶ顔色も戻っている。
「医師の方に来てもらわなくて平気ですか?」
「はい。ただの侍女にそんなに気を使わないでくださいませ。花さまの方が余程酷い御様子ですのに」
「侍女とかは関係ありません。身近で具合が悪い方が居れば心配しますし、確かに仕える主は違いますが玉楼さんも今は京城に居るので同僚のようなものでしょう」
花だって身分のことは頭では理解しているが、長年培ってきた人は平等と言うある意味理想主義的な考え方はなかなか抜けない。
花の居た世界だって、女子高生と総理大臣が平等とは思えないけれど建前はそうだ。
「花さま」
「それに私と玉楼さんの身分差なんて、ないも一緒ですよね。私は軍師というか、今は都督である公瑾さんの部下で、特別上の官位を貰ってるわけじゃないですよ。だからさまって敬称もいらないです」
「でもそんなことは、失礼に当たります」
「私に関しては全然失礼じゃありません。さん付けで十分です。朱蘭姫や他の方の手前、呼びにくいのであれば無理強いはしません」
もし玉楼が花が身分が上だと思っているならば、花が言ったことは命じられたと感じてしまうだろう。
それに花が自分の呼び方を強要することで、朱蘭や他の侍女仲間に咎められるのならば気の毒だ。
あくまで押し付ける気はないと、花は明るく言った。
「花さまはやはり私には特別に感じます。君主の妹君であらせられる尚香さまや朱蘭さまにも対等にお話しでしたもの」
「それは……尚香さんに関しては、今でこそ友人と扱っていただいてますから。でも朱蘭姫には、やっぱり侍女の玉楼さんから見ると不敬に感じましたか?」
花が気を付けているつもりでも、あまり身分差を意識しない態度は出てしまうかもしれないと不安になる。
もちろん向こうの世界にいる時から、年上の人や先生とかにはなるべく知っている範囲で敬語や丁寧な言葉遣い、態度をとってきたつもりだ。
でも貴人に対する態度など、花には取れようはずがない。
「いいえ。特別不敬とは思いませんでした。節度を保った話し方でしたし、朱蘭さまにも謙った様子がなくて……悪い意味じゃなくて、あまりに当たり前の御様子に凄いと感心しただけです」
一瞬、自分の物知らずで不調法な態度を柔らかく当てこすられたのかと思ったが、目の前の玉楼は至って真面目な顔だった。
「えっと……ありがとうございます」
花にとっては当たり前の態度で、それほど感心されるようなものでもないはずだ。
たぶんかなや彩だって、花とそんなに変わらない対応だろうと思う。
「ごめんなさい。私の方こそ余計なことを言いました」
少し驚いたような花に、玉楼は慌てて謝ると俯いてしまった。
「褒めてくださったんですから、謝られることはないです。私こそ、謝らなくっちゃいけないです」
「え?」
「さっきの言葉、一瞬朱蘭姫に対する態度のなってない私に対する嫌味なのかと、そんな風に考えちゃいました。ごめんなさい」
「花さま……」
頭を下げた花に、玉楼はゆるゆる儚げな様子で首を振ると微笑んだ。
玉楼にとって花の率直さやおおらかさは、眩しいくらいに感じる。
少しだけ緊張の解けた玉楼の姿に、花の方もほっと息を吐いた。
「だいぶ顔色が戻って来られましたね。何か飲めそうですか?」
「ご心配ありがとうございます。でもあまりゆっくりしている時間はありません」
その言葉と、先程兵士から聞いたこと、一連の流れから花は心配そうに目を瞬いた。
「玉楼さんはお見舞いの品を持って来られたわけじゃないですよね?その件に関しては、林沙が後で返事をする胸を伝えたはずですから」
そんなことを指摘されると思っていなかったのだろう、玉楼は大きく目を瞠った。
けれど花は構わずに穏やかに言葉を続ける。
「そして倒れたことを朱蘭姫に知られたくないってことは、内緒で出て来たってことですよね?あちらで何か困ったことがあるんですか?」
もしかして主従の関係とか、同じ侍女仲間とか、余計なお世話かもしれないけれど上手く行ってないんじゃないかと勘繰ってしまった。
朱蘭姫のことで公瑾を訪ねてきた時や花へ朱蘭が意見を言っている時、彼女はいつもどこか困ったような顔をしていた。
主として朱蘭姫がどのような人物かよく知らないけれど、日頃を見ていれば多少の我儘くらいは日常だろう。
「あ、でも私の所に訪ねて来てくれたんですよね?もしかして、朱蘭姫に公瑾さんへの取次を頼まれました?今はこの間の高楼の火事でごたごたしているので、私に伝言をご希望ですか?」
すると玉楼が、惑うような表情の後で慌てて首を振る。
「違うんです。花さまをお訪ねするつもりはありませんでした。ただちょっと調子が悪くて、無意識に歩いていただけなんです。花さまの室へ来たことがあったので、本当に知らずに足が向いたのかもしれません」
言い募る様子はただ事ではなくて、花が更に問いかけようとすれば扉の外から声が掛けられる。
「花さま。林沙です」
そうして入って来た林紗は、すぐ後ろに一人の人物を伴っていた。



<後書き>
こんなとこで終わるのが好きです^^
そー言えばバレンタインネタも華麗にスルーしてましたね。
クリスマスをひきずったので、今回は連載物を真面目に更新しました。
公瑾さんと花ちゃんの萌え萌えなシーンが欲しいです。
でも白梅はそんな甘い展開どこで来るんだろうと書いてる本人も疑問です。

『白梅 残花』(公瑾×花+仲謀)白梅27

2014-02-09 21:00:30 | 公瑾×花
<前書き>
全然お話と関係ないんですが、気付けば誕生日が過ぎて行きました。
あんま関係なんですが、バースデー更新とかしたかった。
あ、ちなみに節分ですwww

さてここから本題ですが、なんか気付いてみれば白梅とんでもなく間が開いてましたね。
頭っからざっと読み直しましたよ。
大雑把なプロットも見直して、やっと構成が蘇ってきました。
今回は仕切り直し的な感じです。
では続きからどうぞ。



『白梅 残花』(公瑾×花+仲謀)白梅27

公瑾は自分の私室で殺されていた女官の様子を検分し、他に様々なことを片付けて執務室に戻ると椅子に座り込んだ。
報告は子敬に細かくしており、必要と子敬が判断するならば文利を伴って子敬が仲謀の所へ行くはずだった。
さすがに昼間のあの状況で、互いに顔を会わせたいとは今は思えない。
重い疲労が身体に蓄積し、彼にしては珍しく天井を仰いで目を瞑ると息を吐く。
昨夜から騒乱続きで寝ていないせいもあるが、これより過酷な状況は戦場では何度もあった。
公瑾を蝕んでいるのは、肉体的疲れではなく精神的苦痛だった。
「はな」
唇から漏れたのは少女の名前で、蘇ったのは口に中に滲むように広がった血の味だった。
誰が彼女のあんな場所に、これみよがしに印を付けたのだろうと思う。
単純に考えれば都督である公瑾への挑発だろう。
だが腑に落ちないのは、侍女を殺しておいて何故花を生かしておいたのかだ。
公瑾に衝撃を与えるためならば、最も簡単なことは花を殺してしまうことだ。
今花を失ってしまえば、たぶん二度と耐えられないことは公瑾自身でも分かっている。
既に侍女を躊躇いもなく殺しているならば、花を殺すことなど造作もない。
「腑に落ちない」
呟けばやはり一連の出来事に対する違和は拭えないが、公瑾は仕方ないと考えを放棄した。
誰もが理論立てて考えて、納得出来る行動をとるわけではない。
いや、いっそ公瑾の様に考えを隅々まで巡らせて行動をする方が珍しいだろう。
元々公瑾は思索が深いが、軍師であり参謀と言う立場故とも言えた。
それに何よりも腑に落ちないのは花の行動で、少女はたまに思いもよらぬ行動をすることもあったが基本的に短慮でもなく馬鹿でもない。
伏龍の弟子という元の立場のせいか、公瑾の周囲の者より余程状況を的確に判断していることも多かった。
その花が起こした今回の行動にも、首を傾げるばかりだ。
けれどこの腑に落ちないことこそが、実は一連の出来事の一端を明らかに表していた。
だがこの時点で、全容を掴むことはいかに周公瑾と言えど不可能だった。

泣いても事態は変わらない。
打ちひしがれていた花は、寝台の上で身じろいで顔を上げた。
いつの間にか寝入ってしまったらしく、服は寝乱れ皺になっていた。
耳を澄ましても物音一つせず、外に面した格子の隙間に明るさはない。
身を起こせば鈍い頭痛と身体の痛み、不調に思わず重いため息が出る。
泣きながら寝入るなどもう記憶にないほどで、自己嫌悪がぶり返してきそうだった。
ふらつく身体を叱咤して、ゆっくりと寝台から降りようとすれば少しだけ開け放たれた居間へと続いた扉から、一人の女性が入って来た。
「花さま」
「林沙さん」
見知った顔ではあったけれど、彼女は本来ここにいるべき人ではなかった。
周家の一つである公瑾の邸の侍女で、花が公瑾の邸に行った折に色々と身の回りを世話してくれた女性でもある。
「どうしたんですか?」
「公瑾さまから花さまが怪我をされて御不自由されるので、しばらく身の回りをお世話するように言い遣りました」
「えっ……だって」
公瑾はかつてないほどに花の考えなしの行動に怒っていたはずだ。
それなのにわざわざ林沙を呼んでくれたのだとしたら、まだ少しは希望があるのだろうか?
不安と希望に、花の心は不安定に揺れる。
「本来ならば朝から来なければと思っておりましたが、私が遅れた為にまた思わぬ厄災に巻き込まれたと聞きました。私がこちらに来ましたのはもう夕刻で、花さまはお休みでございましたので御挨拶が遅れて申し訳ありません」
状況を告げる林沙にの言葉の中にあった厄災が、あの不埒な賊の手に落ちてしまった事を言うのだろう。
そうして言葉から公瑾は高楼の事件の後にすぐに林沙を手配してくれたことがわかった。
思わぬ厄災と言ったことから、詳しいことは知らないまでも今日花に良からぬことがあったことまでも知っているのだろう。
「公瑾さんに会ったんですか?」
「はい。昨日の夕刻に。くれぐれもと申し付かっております」
浅い眠りの中で思い出したのは、賊のことでは無く先程花を置いて去って行く公瑾の何ものも寄せ付けない背中だった。
それは言葉でなく、全身で花のことを拒絶していた。
でもまだこうして林沙を傍に付けてくれると言うことは、見捨てられてはいないのかと安堵の想いが湧きあがる。
でもその反面自分が仕出かした不始末に肝が冷える思いで、公瑾が花に対して見切りをつけても仕方ないと思う気持ちもあった。
「花さま。随分とお辛い目に合われましたね」
「林沙さん」
全てを知っているのだろうかと花は表情を硬くした。
見知らぬ男に襲われたと、公瑾の信頼厚い周家の侍女に知られるのは花にはある意味怖かった。
ただでさえ周家の嫁としては不足だと思われているのに、他の者に貞操を奪われた花嫁など周家でなくともあり得ないだろう。
もし未遂でも露見すれば、花の輿入れなど取り消されることは間違いなかった。
同時に花は、それ以前の問題だと気付く。
今回のことを公瑾が本当に呆れ果ててしまえば、彼自身を失ってしまうこともあるのだ。
思い詰めて寝台に腰掛ける花の傍らに、林沙はそっと膝をついた。
林沙は、弟が生れた時に公瑾の乳母として上がる母に付いて一緒に周家に上がった。
それからはその時生まれた弟ともども、乳兄弟として周家に、公瑾に仕えている。
だから今回のことも、詳しくは知らされていないけれど暴漢に襲われそうになったとだけ聞いていた。
公瑾から命じられたのは心身ともに傷付いているから手助けし、人を傍に寄せぬこと、特に警護の兵であろうが、文官、侍従の類であろうが男は論外だと告げられた。
林沙はそれだけで、暴漢が不埒な行動に出ようとしたのだと察しが付けられた。
未遂であったがこのことは他に誰一人漏らさぬこと、そして花を護り仕えること。
端的な言葉の裏に透ける公瑾の苦渋に、その瞳に一瞬宿った狂おしいばかりのやるせなさに気付いたのは、それこそ赤ん坊から姉の様に身近にいる自分だからだろう。
林沙は膝の上で包帯を巻かれ、きつく握り締められた花の手を優しく取った。
「私……酷く考えなしで……取り返しのつかないことをしたんです」
「花さま、取り返しのつかぬことなど、そんなにあるものではありません」
「でも……私」
俯き唇を噛む様子は痛々しいほどで、林沙の知る花の様子とは明らかに違っていた。
「大丈夫です。失敗したと思ったところから、その分を取り返すようになさればいいのです」
「今からでも間に合いますか?」
「ええ、遅いなんてことはありません」
きっぱりと言ってくれる人に、花はまだ納得しない表情で視線を彷徨わす。
聡明で物怖じせず屈託なく笑う少女で、戦場に立っていたとも聞いたけれど、林沙の目に映る花は酷く儚げだった。
日頃の明るさもなく、突然の嵐になす術も無く打ち萎れた一輪の花の風情だ。
こうやって言葉を尽くしても、気の休まる様子はなさそうで、いまだ林沙の手に包まれた傷付いた手は震えている。
「花さま、取りあえず少し何か食べられて、湯浴みをなさいませんか?」
「え?」
「身を清めて、さっぱりなさいませ。そうすれば気分も変わりましょう」
「でもそんなことしてる場合じゃ」
「今の花さまのしなければならないことはお身体を元に戻すことです」
「それじゃあ間に合わないかもしれない」
「焦っても良いことはございません。とにかく昨日からほとんど何も食べてないのはお身体に毒ですし、駄目はお聞きできません」
にっこり笑いながら有無も言わさないところは、どことなく母親を思い出させた。
温かく包容力のある態度は、花の母親と言うには姉と言うように若いけれど母性が感じられる。
結局林沙の指示でようやく外が明るくなり始めた時刻にも関わらず、お粥が運ばれて来て、花はそこで自分が空腹だったことを知った。
ほんのり出汁がきいただけの薄い味だったけれど、一匙口に入れたとたんほっと身体が弛緩する。
お腹すいていて、それを美味しいと思えることだけで何故だか酷く安心した。
行儀が悪いけれど夜着のままで、少しだけ動かせる指先にかろうじて匙を挟んで、ゆっくりと啜る。
それは日常とは違っていたけれど、自分はここでご飯を食べているんだと、まだここにいるのだと思うと涙がぽろりと零れる。
先日からあった色々は、まだほんの三、四日の程の出来事なのになんてその前の自分と今を変えてしまったのだろう。
あの時、何かが一つでも変わっていたならば、花はここにいてご飯など食べていられなかっただろう。
嗚咽を必死に堪えて、粥を食べようとしているけれど、頬を滑り落ちた涙は湯気を上げる碗の中に落ちた。
「そんなに泣かれてはお粥がしょっぱくなってしまいます」
悪戯っぽい表情で林沙に注意され、柔らかな手巾で涙を拭われた。
そうは言われるけれど泣けてくるものは仕方ない。
花はどうにか半分ほど食べたお粥の碗をお盆に戻し、申し訳なさそうに首を振った。
「すいません。もうお腹いっぱいです」
「花さま」
困ったようにこちらを見る林沙に花は顔を上げて首を振る。
「本当にもういっぱいです。美味しかったです」
「そうですか」
言葉少なに林沙が引き下がったのは、あれだけ泣いていたにも関わらず花の口調が落ち着いていたせいだ。
まだいつもの少女とは違う精彩を欠いた姿。
それでも少しだけ、少女の明るい色合いの瞳には光が戻っているように見えた。
それは主である公瑾を心配し、その想い人である心優しい花を見つめる林沙の願望だったかもしれない。
けれどか細い身体と心で、普通の女人では経験しないような過酷な体験をした少女に、いきなり以前のように元気な姿を見せろと言うのは過酷だろう。
林沙はよく躾けられた使用人の姿のままに、一礼した。

衝立に区切られた大きな盥の中で、花はほうっと一人ため息を吐いた。
見下ろす身体は見慣れた自分のもの。
お世辞にも豊満とは言えない、同じ年頃の娘と比べても特別醜くもない代わりに、取り立てて目を奪うまでもない肢体。
華奢な身体の線、本当はあの美しい人以外知らない肌であり、ずっとこの先も知らない筈だった。
なのにさして大きくもない二つのまろい膨らみの間にある徴。
それはたぶん赤く咲いていたその場所に、今は小さく傷がついている。
罪の刻印に上書きされた公瑾の怒り。
花は盥の底にぺたりと座り込んだまま涸れない涙を一粒零す。
哀しみの涙も、憐みの涙も、それは自分の為。
もう今日限りにしなければならない。
「花さま」
遠慮がちに衝立の向こうから掛けられたのは声は林沙のもので、花は大人しく返事をする。
どんな男に触れられたかもしれない身体を、いくら公瑾の信頼厚い侍女とは言え、林沙に晒すのは嫌だった。
湯浴みだけは独りで大丈夫と言ったけれど、それでも押し切られてしまったのは、花の手の怪我があるからだ。
衝立を回り込んで来た林沙は、改めて花の身体を状態を見て言葉がなかった。
有能な侍女らしく声すら上げず、不躾でもなく、慎ましく花の傷の状態を確かめるように素早く、抜かりなく視線を走らせる。
その後は淡々と気遣いながら、見えない痕跡を洗い流すようにお湯をかけてくれる。
花は改めて自分の様子を確かめて包帯を解いた掌、全身も本当に酷い有様に、思わず苦笑した。
もしかしたら花を襲った男は、この悲惨な姿にその気が失われたのかもしれないなんて、笑えないことを思ってしまう。
けれどそれが事実ならば、この見るも無残な身体の状況に救われたことになるのだから皮肉だ。
たっぷりお湯を使った後、花は最後にそのお湯に濃い薬湯を加えられ、傷に染みるのを涙目で我慢しながら十分に身体を温めてやっと上がることを許された。
身体を拭いて、新たな夜着に着替えればそれだけで気分が新たになる。
椅子に腰かけて、林沙に髪を乾かされながら花はぼんやりと考えていた。
室で湯浴みをすることは、この世界ではこの上ない贅沢だ。
大きな木製の盥は重く、下女が三人がかりで運び入れた。
それもたぶん、花がお粥を食べている間に用意していたのだろう。
いくら花が玄徳軍の縁を持ち、かつて使者、軍師と言う肩書を持っていたとしても、こんな待遇は破格だ。
加えて京城に常駐を許されるのは、やはり官位を持つ者だけで、下女であっても勝手に入れることなど出来ない。
にもかかわらず花の元に林沙がいるのは、そこに公瑾の働きかけがあったのだろう。
公瑾は目的の為ならば、それが例え違法であっても使えるモノを全て使う合理性と柔軟性を持つけれど、そこには他の者に付け入る隙を与えないように周到な根回しがなされる。
また非合法な方法をとる場合も、私的なことで動くことはない。
でも今回はそんな時間があったと思えないから、花の為に意に沿わぬことをしたのだろう。
花がおろおろと見失っていたものが、見えてくる。
今の花の置かれているこの待遇こそが、紛れもない公瑾の意志だとしたならば………。
公瑾の気持ちに応えたい。
失ったものを取り戻したい。
今度こそ……間違えない形で。
花は胸の中心の傷にぎゅっと握った拳を押し付けた。
「花さま?傷が痛みますか?」
「いいえ」
花の動作に林沙が眉根を寄せるけれど、花はゆるゆると首を振る。
掌の怪我を含め、全身いたる所にもっと酷い傷はたくさんある。
けれど今、何より痛むのは公瑾が与えた皮膚を破った胸の間の小さな傷だった。
もたらすのは痛みではなく……身を疼かせるような贖罪の熱。



<後書き>
花ちゃんのネガティブ期間はこれで終了になればいいなぁと思ってます。
元々しっかり者で前向きな性格なので、すぐには無理でも顔をあげて欲しい。
ちょい幕間の章みたいな感じですが、これが一つの転機となればと考えてます。

『周家の新婚事情』後日談と言うおまけ(公瑾×花)公瑾ED後

2013-12-13 20:30:44 | 公瑾×花
<前書き>
あの……私、、短いおまけって言いましたよね?
うん、普通に一話分の長さになってます。
あれ?www
これで本当の終わりです。
ところで皆様、面倒くさい男は好きですか?^^;
では続きからどうぞ。



『周家の新婚事情』後日談と言うおまけ(公瑾×花)公瑾ED後

居たたまれないと言うのはこう言う状況を言うのだろう。
花はどういう顔して使用人たちの前に立てばいいんだろうと、本当に自分の夫である公瑾を恨めしく思った。
確かにお仕置きと言った。
そして周公瑾と言うのは、自分で言ったことは涼しい顔で実行する。
結果、麗しの旦那様に結婚以来初めて翌朝寝台から起きれない事態を引き起こされてしまった。

「花、目は覚めていますか?」
やっと夜明けの光が射すかどうかの時刻、花は公瑾にそっと夜着越しに肩に触れられた。
身体は疲労をため込んだように重く、なんだか関節もギシギシするような気がして、当然花の動作は鈍い。
けれど感覚だけは酷く鋭敏で、「んんっ」と漏れた声は花自身でも驚くほど甘く濡れていた。
その声に公瑾は寝乱れた髪の間から年若い妻を見詰め、滴る色香を隠しもせずに笑んだ。
「そんな声を出されては、また褥の中にあなたと共に戻りたくなります」
身を屈めた公瑾が、そっと肌蹴て少し落ちかかって夜着から出た細い肩に口付けを落す。
「やっ!もう……だめです」
そう言う声は痛々しいほどに掠れ、花は喉に手をやって不思議そうな顔をする。
「な……んで?」
「ああ。あまりにあなたが可愛らしく囀ってくださるので、私も少し熱が入りすぎたようです」
聞いた途端、花は昨夜のことを思い出して一瞬にして全身を淡く朱に染めた。
「ひど」
酷いと言いたかった花の唇は、覆い被さってきた公瑾の唇に塞がれ、口移しに僅かにミントのような香りの付いた水が喉の奥を滑っていく。
その水でやっと自分が酷く喉が渇いていたことに気付く。
「無防備な私を教えて差し上げただけですが、御不満ですか?」
確かに閨ほどに無防備な姿になることもないだろうけれど、花は可愛らしくむくれた。
「だからってやりすぎじゃありませんか」
「あれで音をあげてしまわれたのですか?」
嫣然と微笑した公瑾は、まだ足りないとばかりに薄い夜着越しに花の背から腰をゆっくり撫ぜて熱を込めた瞳で見つめた。
思わず花が身体を引きかければ、名残惜しげに身を起こした。
「ああ、そう言えば今日は仕事は休んで結構です」
「だって昨日も休んだのに、そんなことできません」
結婚してから花の職場は公瑾の元から、子敬の元へと変わった。
だから仕事上の上司は公瑾ではないし、許可を受けた所で素直に頷くことはできない。
「実は昨日既に子敬殿から休みの連絡は受けておりました」
澄ました顔で言われ、公瑾の用意周到ぶりを知っている花は反論の言葉を失った。
どこからが計画的だったかは知らないが、そもそも無体と呼ぶに語弊があるけれど今回の行いはこうなれば前々から考えられていたのかと思う。
それとも休みの連絡を貰ったからこその、夜だったのだろうかと花は考えしまう。
甘く激しい夜を過ごした後にしては胡乱な妻の眼差しに、公瑾は堪えた風もなく物憂く顔にかかる前髪を長い指で少し煩わしそうにかき上げる。
一瞬、公瑾の男の色香のあるその仕草と美しさに花は見惚れてしまった。
その花の素直すぎる眼差しに、公瑾はそっと花の頬に手を滑らせた。
その指先の硬い感触に、呆けていた花は我に返る。
「いつ私のお休みを公瑾さんが勝手に決めたんですか?」
「勝手にとは随分な仰りようですね。それに決めたのは私ではなく子敬殿ですよ。どうぞ」
袖机の上にはいつの間にやら、薄い竹簡が用意されていた。
何とか身体を起こして開いてみれば、そこには見慣れた子敬の丁寧な文字が並んでいる。
「確かにお休みだと書かれてますね」
「と言うことで、私は出仕致しますが今朝はゆっくりなさい。何ならば夕刻私が戻るまでこのままでも構いませんよ。それはそれでなかなかに楽しみですが」
珍しく機嫌よく際どい戯言を言う公瑾に、花は「起きます」と叫んで寝台から降りようとした。
けれど腰が砕けたようにバランスを崩して、あえなく寝台の上にくずおれる。
「まったくあなたは何をなさってるんです。それとも私を出仕させないための手管ですか?」
いつもは清廉で冷たいとさえ感じる深紫の瞳からの視線が熱を帯び、自分の身体に落とされているを辿り、花はようやく状況に気付いた。
夜着の帯が緩んだお蔭で、衣の前が大きく肌蹴て色々差し支えある有様だ。
「……っ!!!」
面白いように赤くなってわたわた狼狽える花に、公瑾は僅かに目を眇めて告げる。
「初々しい反応も悪くないですが、そろそろしっとりとした恥じらいも身に付けていただきたいものですね。まあ何はともあれ腰が立たないのだから今は大人しくしていなさい」
誰のせいだと言いたかったけれど、公瑾の玲瓏な顔が近付いてきて思わず身を退きかけた。
けれどそれは許されず、大きな硬い掌に頬が包まれたと思ったら反射的に瞑った瞼の上に柔らかな感触が触れる。
それが口付けだと気付いた時には、破壊力のある美声が耳元に吹き込まれた。
「行ってまいりますね。我が奥方様」
扉が閉まってからも花はしばらく現実に帰って来れなかった。
えええ!!!今のもしかして公瑾さんだったの?
ほんとに?
偽者じゃない?
花はしばらくの自失の後で、寝台の上で掛け布を被って身悶えていた。
元々体力がなかったところ、ごっそり気力まで削られてしまった。
とにかく花に理解できたのは、気味悪いくらいに公瑾の機嫌がいいと言うことだ。
そうして思い起こすのは、昨日の公瑾が帰宅してからのあれこれだ。
途中までは色気なんて欠片もない展開だったのに。
そう言えばと見回せば、いつの間にかここは夫婦の寝台だった。
公瑾は以前からの私室の続き間に独身時代からの寝所を持っていたが、そこは今も以前のままにいつでも使えるようになっている。
昨日ことが始まったのは公瑾の私室で、お仕置きと称してその寝所に連れ込まれた。
独身時の寝所と言っても、寝台は四注の大きなもので二人で寝てもまだ余裕はある大きさだ。
そこからの記憶は、正直冷静に思い出せるものでもない。
曖昧で断片的な記憶に、思わず呻き声が漏れて枕に顔を埋めた。
「いつ、こっちに連れて来られたの?」
誰かは、問うまでもなく公瑾だろう。
少し頭が働き出せば、それはもう羞恥で身悶える状況が今の花に突き刺さってきた。
たぶんあちらの寝所が酷い状況だから、公瑾はこちらに花を連れてきて眠ったのだろう。
向こうで花は何もした記憶もないから、服がどうなったかも知らないし、果たして寝所を移さなければ寝られない状況ってどうなんだろうと思えば、このまま布団を被って寝ていたかった。
当然それらは、使用人が片付けることになり、自分たち以外の者の目に晒されるのだ。
恥ずかしくて顔を会わせられない。
それが偽らざる花の心境だったけれど、一生誰にも会わずに寝台にいられるわけもない。
悶々と花が悶えていれば、もう陽は上りすっかり明るくなった時刻についに扉の外から静かに声がかかった。
「奥方様。お目覚めですか?」
「は……い」
「では朝の御仕度を手伝わせていただきたいのですが」
落ち着いた声音で声をかけられ、これも周家の奥方として乗り越えなければならないことと、覚悟を決めた花は是と静かに返事をした。

湯上りの為か上気した頬をほんのり朱に染めた少女が卓に着けば、紀伯は恭しく朝の挨拶をする。
「おはようございます」
「おはようございます。朝からお湯をいただいてすいません」
こちらでは現代の生活と違って温泉地でもない限り風呂は結構な労力を要することだ。
もちろん周家は財力があるから湯殿があるけれど、一般家庭では湯屋に行くか、寒い時でも大きな盥に湯を張って行水するのがせいぜいだ。
「公瑾さまも使われましたので、奥方様が気にされるには及びません」
「はい」
ぺこりと会釈する姿は、この邸の女主と言うよりは仮住まいの客人のようだ。
「お食事を用意しております」
昨日、公瑾に離してもらえずに寝所に籠ったままだった少女は、夕飯も食べてない。
だから家令の紀伯は、いつもより多くの品数の料理を朝の卓に並べていた。
少女の国の習慣だという手を合わせる食前の挨拶をした後、少女はゆっくり箸を手に取る。
どことなくその動作が、いつもより緩慢に見えるのは紀伯の気のせいではない。
昨日公瑾さまが相当に無理をさせたのだろうと、顔には出さず心の中で苦笑が漏れる。
とうとう箍がはずれてしまわれたのだろう。
いまだ幼げな少女めいた妻を主が、守るように、そしてどこか遠慮がちに妻として慈しんでいたのは知っている。
その姿は実に公瑾らしくもあって、実はそうでもないことを紀伯は見抜いていた。
幼い頃は守り役として、使用人の中でもそれなりの血筋であり、代々周家に仕えてきた紀伯は公瑾の心の機微に敏い。
涼しい顔で何でもそつなくこなす公瑾が、本当に大事なモノには臆病で不器用な面があることを知っている。
けれどその反面、繊細な情愛は深すぎるほどに一途だ。
婚姻を結び、少女を娶ってからそれこそ真綿にくるむように愛でてはいたが、いつか歯止めがきかなくなることも予想していた。
ただ穏やかに済むほど、公瑾の愛情はぬるいものではないから、こうなったのは必然だ。
主の執着と愛情を一身に受けた少女は、その少々稚い雰囲気を凌駕する気怠い色香を今朝は振り撒いている。
もちろん奥方の身体の調子は側付きの侍女から聞くが、下世話な事まで詳しく言われるわけではない。
侍女がいくら上手く着付け白粉をのせた所で、項やどうかすれば手を上げた時に袖から見える手首の少し上、腕の内側に咲く執着の証は隠しようがない。
紀伯などは今更動じもしないが、若いものには目の毒だろうと少々思う。
昨日の件も自分の情愛の深さ故に見せる優しさや気遣いを気付いて欲しくも、それを素直すぎる奥方に指摘されれば気恥しい。
それが高じて行きすぎた結果だ。
本当に難儀な方だと家令は嘆息し、控えていた紀伯は花の食事が終わったのを見ると自ら茶の用意をし始めた。
「紀伯さんもお茶を淹れる所作がきれいですね」
「恐れ入ります」
そうして差し出されたお茶を口元に持って行けば、甘い香りが立ち上る。
「あっ……いい香り」
「茉莉花のお茶です」
その一言で、花は気を使われたのに気付いた。
以前にこういうお茶は華やいだ気分になりますねと何気なく言ったことを憶えていたのだろう。
花が恥ずかしがるからか、侍女も誰も昨日からのことにまるっきり触れない。
その気の使われように、花は思い切って結婚してから気になっていたことを聞いてみることにする。
「あのですね。少し聞いていいですか?」
「何でしょう?」
「皆さん、私に凄く気遣ってくださるんですけど、もしかし公瑾さんに厳しく言い含められたりしてます?」
「奥方さまが異国の育ちであること、まだ年若くていらっしゃることはお聞きしましたので、その点は御不自由ないようにと言い遣っております。なにか不審がございますか?」
「私、こんな風にこうお手伝いさんと言うか、そういう方がいる生活じゃなかったんで、あんまり距離の取り方がわからなくて」
「奥方様は奥方様のよろしいようになさればいいと思います。不都合がございましたら、その都度こちらも申します」
「そうですか」
そうして花はしばらく迷うように躊躇った後、小首を傾げて以前から思っていたことを頼む。
「じゃあ思い切って言いますけど、私のことは花と名前で呼んでくれませんか?皆さん公瑾さんのことは旦那様とかご主人様とか呼ばずに公瑾さまって名前で呼んでいるのに、私を奥方様って呼ばれると凄く距離を感じるんです」
何だか他人行儀と言うか、こう疎外感を感じてしまうのだ。
紀伯に言ったように公瑾もそう言う立場で呼ばれていたなら気にならなかっただろうが、彼はきちんと名前を呼ばれているのだから同じように呼ばれたかった。
花の要望に紀伯は彼にしては珍しく何とも言えない顔をした。
「困りました」
やがて出て来た言葉に、花は何がそんなに難しんだろうと思う。
花は特別身分の高い貴人ではないし、公瑾が名前で呼ばれている以上名前で呼ぶと言う行為自体は問題なく思えた。
「何か儀礼上とか、周家の家訓に反するとか、そう言う理由があるんですか?」
女性の名前を呼ぶのに憚りがある理由があるのなら、紀伯を始め他の人を困らせるのは花の本意じゃない。
「理由は、まああるのですが」
口を濁す家令に、そんな言い辛いことなのかと花は眉を下げた。
「あ、別に、そんな言い辛いことなら無理に聞こうとは思いません」
慌てて申し訳なさそうに手を振る花に、紀伯は思慮深そうな様子で自分を納得させるように頷いた。
公瑾の男の面目を保つためならば言うべきではないだろうが、それ以前に花が憂えることのないように取り計らえと厳命されている。
ならばここは公瑾の矜持を保つよりは、花の心の安寧を優先すべきだろう。
「いえ。理由はまあ他愛ないことと言えば、その通りなのです。ただし奥方様。公瑾さまには何があっても黙っていてくださいますか?」
「それは構いませんが……公瑾さんが関係あるんですか?」
「はい。公瑾さまが奥方様が御輿入れ為される前に私ども使用人に申し伝えられました。奥方様の名前を呼ぶことはならず。奥様か奥方様とお呼びするようにと」
「ええっと………その意味するところは何でしょう?」
残念ながら昨日公瑾に察しろと言われたにも関わらず、花には公瑾の意図が皆目わからない。
すると紀伯はごく真面目な顔で厳かに告げる。
「僭越ながら私が考えまするに、奥方様のお名前を他の者が呼ぶのは嫌なようです」
「えっ!」
「特に男の使用人が呼ぶのは許せないのでしょうね」
「それで……私のこと皆さん奥方様って呼ぶんですね」
「はい」
すっとした乱れない所作で頷いてくれた紀伯の瞳が、妙に生温かったのは花の気のせいではないだろう。
理由を聞けば、たぶん好きだって気持ちが高じての独占欲だとわかる。
それは純粋に嬉しいと思う反面、花は申し訳ないけれどつい思ってしまった。
公瑾さんってすっごく面倒臭いと。
それでも花の顔に微笑が浮かぶ。
あれだけ澄ました顔で、優美な余裕ある態度なのに、そんなことを気にする公瑾はなぜだか可愛かった。
愛されているのだと何の引っ掛かりもなく信じられて、花が綻ぶように明るく優しい笑顔が咲く。
主の妻の初々しくも曇りない笑顔を見ながら、周家の家令は黙って奥方の空の茶碗にお茶を淹れなおした。
甘ったるくも平和な周家の新婚事情である。

子敬が朝いつも通りに執務室に入れば、それを見計らったように公瑾の部下が使いに現れた。
持ってきたのは一巻のごく短い書簡だ。
慣れた動作で開けば、清麗な文字が流るが如く綴られている。
簡潔な内容は、結婚の祝に贈った贈り物への返礼だ。
読み終われば、子敬は思わず楽しそうに笑顔を浮かべた。
「と言うことは、花殿は本日は休みと言うことなのですね。もう少し早いと思っていましたが、やれ、思いのほかに我慢がききましたなぁ」
独りごちる声は、無邪気に室に響く。
公瑾からの祝の返礼が、何故花の休みに繋がるかは二人にしか分からないことだ。
実は二人の結婚の折、子敬は品物とは別に公瑾だけに書簡を贈った。
その書簡は実に尤もらしい理由と共に、花の休みが指示されたものだ。
これは公瑾の花への執着を知る子敬ゆえの、男の気遣いであり遊び心だ。
年若い相愛の妻を娶れば、いかに美周郎と異名を持つ公瑾とてそうそう余裕ぶってもいられないだろう。
だからこその花の休みの書簡だったのだ。
上司の子敬からだったら、あの真面目な少女も大人しく休んでくれるだろう。
子敬とて若い男なのだから、ひとの新妻の婀娜めいた状態はやはり少々心穏やかではない。
「それにしてもあと二巻はあるのですが、花殿には気の毒だったですかなぁ」
言葉とは裏腹にふぉふぉふぉと穏やかな子敬の笑い声が、花の居ない執務室に響き渡った。



<後書き>
さておまけの後日談は、まず公瑾さんと花ちゃんの甘い朝。
次に家令の紀伯さんと花ちゃんのシーン。
ここでもう一つ、公瑾さんの面倒くさいあれがばれちゃった。
うん、心狭い男は可愛いと花ちゃんみたいに思えたら幸せですね^^
そしてラストを飾ったのが……なんと子敬さん。
おお!さすがああ見えてやり手の参謀様です。
これにて周家の新婚事情は終幕となりました。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。


『周家の新婚事情』後編(公瑾×花)公瑾ED後

2013-12-08 18:50:46 | 公瑾×花
<前書き>
やっと後篇ですが少し長くなっちゃいました^^;
これで新婚事情一応完結です。
公瑾さんらしさが出てればいいんですが、どうかなぁ。
お待たせしましたが、お楽しみいただけたら嬉しいです。



『周家の新婚事情』後編(公瑾×花)公瑾ED後

きれいな微笑を浮かべる公瑾を前に、花は自分の手を握り合せて公瑾を見上げる。
さっきは感情の昂るままだったから言ってしまったけれど、少し冷静になればああまで公瑾に詰め寄るほどのことでもなかったと思う。
一つ一つを考えれば、本当に声を荒立てることもない些細な事だ。
それにどれも内容を考えれば、あれをしろ、これをしろと、妻としての色んなことを無理にやれと命令されたわけではない。
どちらかと言えば、そこまで今は何もかもしなくても構いませんと譲歩されていたのだ。
なにの勝手に考えすぎて、気遣ってくれた公瑾に喰ってかかるとか、今しがたの自分の行動を振り返ればほんとに居たたまれない。
けれどたぶん秋の初め頃に周家に輿入れ、花は知らずにだいぶ気を張っていたのだ。
花が嫁いだ公瑾の家柄は、周囲から聞き、また公瑾の説明によって知ったのだけれど名家だ。
前の世界ではセレブなんて言葉はあったけれど、花が知るのは本当にテレビの中で知るぐらいだった。
だが周家は単なるお金持ちではなく、家格と言うものは主家にあたる仲謀の孫家より上だと当の主君である仲謀からも教えられた。
でもまだ花は恵まれていたのだと思う。
名家と聞いて、ましてあの公瑾の態度から相当に格式高く平民と言うかあまり身分意識のない花には嫁ぐには厳しい家だろうと想像していた。
けれど、幸いなことに花との結婚以前から公瑾は独立して邸を構えていた。
お蔭で多少楽天的な花も、世間の噂に聞く同居の苦労はしなくて済んだ。
好きな人を生み育てた両親に嫌いとかいう感情な花には全然ないけれど、たぶん自分が周家の嫁として全然ダメなことを知っている花は失望されるのが怖かったのだ。
そんな状況だが当人の花が思う以上に、また気付かないうちに心に負担を溜めていたのだろう。
公瑾は始めこそ少々驚いたものの、花の様子に薄っすら気付くものがあった。
少女は出会った時から、何事も真面目で一生懸命だ。
あからさまに公瑾がきつい態度をみせた時でさえ、彼を心配する態度を変えなかった。
そう言う性格の花だから、公瑾の妻となり、邸の女主人として一生懸命相応しくあろうとすることは知っていた。
「私の妻となったことが負担ですか?」
口を閉ざしたままの花に、少し冷えた声が問いかける。
美周郎と異名を持ち、女性の口にその名が呼ばれることが多い公瑾はそれなりに浮名もあった。
だから女性をあしらうことも、思惑も推し量ることができるのだが、こと花に関してはそれもままならない。
普通と違う花の色々に、戸惑い、苛立つことも実のところ多かった。
そして矜持の高い公瑾は、それを花に知られることを恥ずべきことだと思っていた。
現に今も僅かに声に出た苛立ちに、表面はそのままについ視線もきつくなる。
「そんなことありません」
花は顔を上げると強く否定して、小さく首を振る。
「ただ色んな違いが大き過ぎて戸惑ってるんです。こう向こうとは何もかも違いすぎて。お城にしばらくいて、少しは慣れたつもりだったんですけどやっぱり違いは大きいです」
「結婚生活がですか?」
「あちらでは使用人なんて人はあまりいなくて、家の中に家族以外の人がいることがまずないんです。家がこんなお邸じゃないから便利な道具があるのでそれで十分なんです。だから自分でできることを、明らかに自分より年上の人に命令と言うかお願いするのも頭では分かってても感情がついていかなくて」
「それは予想の範囲内でしたが、まだ感情的に嫌だと思うことがあるのではないですか?」
「え?」
「私が人を使うのも嫌そうに見えます。あなたの理屈から言えば、横柄というか、権力を笠に着ているように感じるんでしょうね」
公瑾とて使用人を物のように思っているわけではないが、花の様に自分より年上であろうが彼らを使うことに何ら良心の呵責を感じることはない。
彼らは仕事をしているだけで、主であれば当然のこと年齢などは関係ない。
「あっ……、そこまで分かっちゃったんですね」
「あなたは分かり易いですから。先ほど妻の仕事がさせてもらえないと言った以前から、顔に出ていました。ですがこればかりは慣れて貰うしかありません。人を使うことも私たちに仕事であり、それを必要ないと言うことは彼らを不要と言っているも同然です」
公瑾に言われたことは花とて納得しているし、それが嫌と公瑾が感じるほどに思ってない。
でもそう勘違いするほどに顔に出ていたんだろう。
自分のわだかまりを知られるのが嫌で黙っていようかと思ったけれど、公瑾は自嘲めいた表情を僅かに浮かべて花に問う。
「私は嫌な主に見えますか?」
花は息を吸い込むと、ぶんぶんと首を振った。
「違います。威張り散らした主人とか、そんな風に思ったことはありません。公瑾さんは自然に力むことなく邸の方々を使ってて感心しこそすれ、決して横柄とか思ったことはないです」
確かに公瑾は趣味に煩いし、少々厳しい所はあるかもしれないが、無理難題を押し付けたり、非常識なことを要求する主ではない。
邸にはだらけたところのないぴんとしたいい意味での緊張感がある。
花は一呼吸置くと、言わずに済めばいいと思ったことを仕方なく口にする。
「問題は公瑾さんにあるんじゃなくて、私にあるんです」
「あなたにですか?」
「さっきも言ったように、母のように夫である公瑾さんのお世話をしたい。そう言う想いが強くて、使用人の方がそれをするのが羨ましかったのは事実です。けれどそれだけじゃないんです。いくらお手伝いで、仕事であって他意がないと分かってても他の女性の手が無防備な公瑾さんに触れるのが嫌なんです」
思いがけない花の告白に、公瑾は一瞬目を瞠った。
「無防備ですか?」
普段公瑾はそれこそ武官でもあるから、鎧や武具を付けていることが多い。
城内で執務をするときにも、鎧などは脱いでも位の高い者の習慣もあって結構重ね着だ。
けれど邸に帰って着替えの時は、寛ぐためだから本当に全てを着替える様に内着姿になってしまう。
花はいまだに着替えを手伝って貰うのは同じ女性同士でも恥ずかしいと思うし、公瑾のそんな姿を見るのはどこかまだ慣れなくて気恥ずかしい。
そんな状況で侍女は当然、公瑾のそんな姿を見ても淡々としたものだけれど、花はやっぱりもやもやするのだ。
「だって内着一枚になったり、場合によってはほぼ裸だったりしますよね」
「あなたは、例え使用人であろうと他の女人が薄着の私に触れるのが嫌なんですね」
「わざわざそんな風に確認を取らないでください」
さらっと流してくれればいいのに、本当に公瑾は意地悪だと思う。
「つまり妬いてくださっていると」
「妬いちゃいけませんか?」
ちょっと膨れて見上げれば、秀麗な美貌に少々嬉しげな微笑が浮かんでいる。
「いいえ。新妻に可愛らしく妬いていただけるのは、思いのほか嬉しいものですね」
「私ばっかり公瑾さんが好きみたいで何だか悔しいです」
もちろん公瑾のことは大好きなのだけれど自分ばかり嫉妬してるようで、やっぱり花としては納得いかない。
すると公瑾はいかにも動じない様子で笑いを漏らす。
「では他の女人の手が私に触れないでいいように、あなたが早く着付けを覚えて上手に着付けられるようになってください」
こういう時にまできっちり言ってくる公瑾だけど、確かにその通りだ。
「なるべく早く出来る様に頑張ります」
「楽しみにしております」
そしてこれでいいだろうと今度こそ公瑾が侍女を呼ぼうとすれば、花はぱっと公瑾の袖を掴んだ。
「危うく忘れちゃうところでした。まだお話は終わってません」
「いったい何ですか?」
「冬支度の件、結局答えて貰ってません」
きっぱり言った花の言葉に、公瑾は小さくため息を吐く。
「忘れてなかったんですか。大概あなたもしつこいですね」
「と言うことは、公瑾は私を誤魔化そうって思ってたんですね」
「誤魔化すとは人聞きの悪い。憶えていられない人が悪いのですよ」
悪びれなく涼しい顔する公瑾に、いつもこうやって花も誤魔化されていたんだと知る。
他の話題を振られてるうちについそこに意識がいってしまい、論点をすり替えられるのは実は驚くほど多い。
「そうですか。でも今回は憶えてましたから、教えてください」
花の可愛い嫉妬が嬉しくて、自分が珍しく詰めを誤ったことに気付いた公瑾だったがこうなっては花ももう誤魔化されてはくれないだろう。
腕を組むといかにも不本意そうに僅かに眉を上げてみせた。
「つまらないことなのに何故そんなに訊きたがるのか、私は不思議です。さほどのことでもないのですからあなたは夫たる私に大人しく従っていればいいと思いますが」
「たいしたことがないなら、教えてください。隠されるから妙に気になるんです。それに理由を聞かせて貰えればむやみやたらに反対なんてしません」
「本当にあなたもなかなかに弁が立つようになりましたね」
自分に従わない少女を面倒だと思いながらも、唯々諾々と従うのは花ではないと公瑾も分かっている。
良くも悪くも一途で真っ直ぐに想いを、考えを率直に伝えてくる。
公瑾に剣を突きつけられても一歩も引かずに受け止めたその心根こそが、今こうしてあるように公瑾を捕えたのだ。
観念した公瑾は、何気ない仕草で用意されていた上衣を羽織りながら話し始めた。
着替えの続きをしながらと言うのは、本当に何でもないことだと印象付けるためだ。
「あなたは我が家の冬の支度をどう思いましたか?」
「最初は凄いなと思いました。でもお城の生活しか知らなかったから、お邸ではこう言うものかなと思ってたんです」
こちらの常識に疎い花には、どこまでが普通でそうでないのかは分からないことが多い。
公瑾は自らの着替えを終えると優雅な動作で窓辺に行った。
ここは公瑾の私室で、花との結婚以前から使っていた室をそのまま使っている。
「あなたはこの室で違和を感じることはありますか?」
「違和ですか?それはどういう意味でですか?」
抽象的すぎて分からないと言えば、公瑾はそのままですと完結に返してくれた。
だが生憎公瑾の様に頭が良すぎるわけでもなく、敏いわけでもない花には難しすぎる。
そもそも質問して、答えを欲しかったのはこちらなんですけど。
そう思っていた花の気持ちが顔に出ていたのか、はたまた花の遅い反応に焦れたのか、麗人は優雅に袖を振ってみせた。
「難しい意味ではありません。物理的な事でも心証的な事でも、ただ気になった点があれば仰っていただければよいのです」
まだあまり苛立った様子でもないので、密かにほっとしつつ花は改めてくるりと室内を見回した。
公瑾がこうやって聞くからには注意深く見れば分かることなのだろう。
趣味が良く格調高く設えられた室内は、公瑾の好みのままに配されているはずだ。
「そう言えば、こちらのお邸には窓に全部掛け布が掛けられるようになってますね。向こうでもこういうのはありましたけどこちらでは珍しい気がします」
花はそのまま窓辺にいる公瑾の元まで行ってそれを見れば、室の雰囲気を損なわないように同じ色合いの木目だけれど微妙に違うし、明らかに新しいことに気付く。
そこには今は昼間の為なのか上に括ってあるけれど、冬用に取り付けられたばかりの深緑の厚めの織布がかかっていた。
「他に比べてこれは後で取り付けたんですか?」
「ええ」
「私の来る前ですよね?」
ここ最近、邸の外側で大工仕事をされていたのは知っていたけれど、内装までは手に入れてない。
「そうですね。あなたが輿入れして下さる前に全てが終われば冬支度はもう少し楽だったのですが、それはまあ致し方ないことです」
花は無意識に、その美しい布を指先でなぞる。
「あなたの室のものは、今年は私が選びましたがお好きなものを選んで構いませんよ。ただし注文品になると思うので、少々時間はかかるかもしれません」
何故注文品になるのか、たぶん周家のことだから布から注文して仕立てるからだ。
でもいくらこちらの生活とか常識に疎い花でも、これらがある意味特別なことは分かる。
何しろ普通の民家の暮らしなどは詳しくないけれど、こう言うのは通りを歩く時でも家々の窓に見た記憶はほとんどない。
いやそもそも城でさえない。
そしてこれまでの会話が、先ほどの質問に全く無関係な筈もないから、今までのことを繋げていけば自然に導き出される答えはある。
「今までと違う冬支度は、もしかして全部私の為ですか?」
窓の内側に厚い掛け布を取り付けるのは、室の調度の意味もあるだろうけれどそれよりも保温の為だろう。
邸の比較的小振りの窓にまで、雨戸のような戸板付けられたのもそのせい。
花たちが住み暮らす地は比較的暖かく、そもそもこちらのひとの感覚ではそこまで厳重な冬支度をする程寒くない。
「あなたは一見とても丈夫そうに見えますが、どうかすれば生粋の姫君の尚香さまや大喬殿、小喬殿よりも御弱い。特に暑さ、寒さにはことのほかです」
現代っ子で都会に住み、する運動と言えば体育だけ、運動部すら入ってなかった花は、確かに体が弱いと言うよりは軟弱だった。
移動するには乗り物で、一番長く歩いた経験はそれこそ遠足かもしれない。
その為にこちらに来て、自分の体力無さには自分であきれ返ってしまった。
「少しは体力もつきましたよ」
「そうですね。足腰は鍛えればどうにかなりましょうが、暑さ寒さに弱い体質ばかりは難しいでしょう」
今年の夏も暑さにごっそり食欲を奪われ、望まぬダイエットで心配をかけたことは記憶に新しい。
カーテンのような物があれば冷気の侵入を防げるだろうし、夏場には薄い紗のものをかけておけば日よけにもなるだろう。
「全て私の為にしてくれたなんて……凄く嬉しくて申し訳ないです」
「周家の財力からすればこれぐらいはさほどではありませんし、使用人の手間を気にしているのならば最も大変なのは今年だけです」
「ありがとうございます」
言いながらも花の顔は非常に何か微妙そうだった。
「まだ何かありますか?」
「いえ、と言うか、こんなことをしてくれたのならば隠さずに教えてくれればよかったんじゃないですか?そうすれば先程の事も含めて、もやもやせずに素直に公瑾さんすぐににたくさんお礼を言えたのに」
恨めし気に公瑾を見上げて、少しばかり拗ねる花。
何もかも自分の為だったのだから、一言言ってくれればと思うのは無理ないだろう。
何も知らず公瑾の厚意や邸のひとの思いやりの上に胡坐をかいていたようで恥ずかしい。
「隠していたわけではないのですから、それぐらい言わずとも妻であるならば夫のことを察しなさい」
「そんな無理です!公瑾さんが言ってくれれば済むことじゃないですか」
花は自分が空気が読めないほど能天気だとは思ってないけれど、事の成り行きを見て裏が読めるほど洞察力もなければ頭も良くないと知っている。
特に公瑾は分かりにくいのだから、高度な注文は付けないでほしい。
花の言ってくれればいいと言う注文も当然のことだが、公瑾は目を眇めて言下に否定した。
「嫌です」
「嫌ってどうしてですか?」
「あなたの為にしたことですなどと、それを本人に言うなどあからさまで無粋ではないですか。そんな真似はできるものではありません」
言い切った公瑾は、花の視線を避ける様に窓の外に視線をやる。
公瑾にとって、そんなことを花に告げるのは品がないと思うし、矜持が許さない。
女ならばさり気無い気遣いを気付いて然るべきだと思っていた。
表情はほとんど変わらなかったものの、その白皙の肌の耳元がほんのりと赤くなっている。
「もしかして……公瑾さん照れてます?」
「照れてなどおりません」
ぱっと振り向いた公瑾は否定するけれど、やはり耳元から首筋がうっすら色付いている。
「だって、っ!」
言いかけた花は、急に公瑾に細い手首を掴まれて逞しい胸元に引き寄せられた。
公瑾愛用の香りに包まれ、後頭部を押さえられて耳元におりてきた息遣いを感じる間もなく、柔らかな耳朶をきゅっと唇で食まれる。
やがて囁くように睦言めいた調子で耳元に低く艶やかな声が公瑾の不満を伝える。
「あなたは本当に困った方だ。気付かなくていい事には気付き、気付いて欲しい事はまるっきりわざとかと思うほどに気付かない」
「だって」
「文句は聞きません。夫に恥をかかせる妻には少々お仕置きが必要ですね」
公瑾のその一言に、花はぴくりと身体を震わせた。
「花」
名前を呼ばれて顔を上げれば、嫣然と笑む夫の色香に花は息を呑む。
「先程あなたは侍女が私に触れることに嫉妬しておられましたね。ならば先程触れた侍女の手を、私に忘れさせてください」
「公瑾さん!まだ明るいです」
「そうですね。でもお仕置きだと言ったでしょう」
羞恥の強い花は睦みあう時でもその身体を見られることを恥ずかしがるから、まだ陽があるうちにそういう行為に及ぶことは敷居が高すぎる。
けれど取り合う気のない公瑾は、花の腰を抱き小さな頤に指先をかけて誘いをかける。
「お気付きですか?花。そもそもあなたが侍女に可愛らしい嫉妬を感じて悔しがらなくとも、一番無防備な私を御存知なのはあなたなのですよ」
「無防備な?」
「本当に察しの悪い方だ。では今からゆっくりと教えてさしあげましょう」
意味が分からずきょとんとした少女を、公瑾は淡い微苦笑と共に軽々と抱き上げる。
この日、帰宅してからすぐ用意されるはずのお茶の知らせが、二人の元に届けられることはなかった。



<後書き>
面倒くさい男代表の周公瑾ですwww
ええ、彼の高い美意識は花ちゃんには難しいようです^^;
周家の若奥様もいつか気付けるのかな。
さてこれで一応後編まで終わりましたが、あと短いおまけをつける予定です。

『周家の新婚事情』中編(公瑾×花)公瑾ED後

2013-11-29 20:19:26 | 公瑾×花
<前書き>
えーと………すいません、前中後編になりました^^;
だめじゃんwww
気付いたら予定のとこまで行かずほぼ分量的には2回目まできてました。
だからあと1回あります。
そして公瑾さんのドラマCDが届いたのですが、まだ聞いてません。
だってここで聞いちゃうとお話の中身が影響受けて変わっちゃいそうなので^^
書き終るまでひたすら我慢です。



『周家の新婚事情』中編(公瑾×花)公瑾ED後

今日は早めに帰ると言い置いて公瑾が出仕したため、邸ではいつもより何事も早めに進められていた。
以前はいかなる時でも一度出仕してしまえば、公瑾の帰宅は遅かった。
いや、遅かったと言うよりも、そもそも城に用意された私室に泊まることが多く、こちらに戻って来るのはそれこそ週に二度あればいい方だった。
それが戦の前や大きな行事の前となれば、数か月帰らぬことはざらだ。
それでも親元から独立してからこの邸は公瑾が建て、少しずつ公瑾の好みの落ち着いた贅を凝らした居心地の良い場所になるように手をかけてきた。
故に、ここに戻らないのはひたすらに忙しかったためと、家を守る家令を筆頭に使用人たちには申し訳ないが、親族も近しい者も一人もいない邸に帰る意味など見出せなかったからだ。
だが花と言う年若い少女と心を通わせ、妻として娶った後には、邸は二人の家となった。
今まではどこであろうと大差なかったのに、そこが紛れもなく二人の暮らす場所と自然と感じるようになったのだ。
「ただ今戻りました」
早く帰ると言ってはいたけれど、まだ夕暮れに差し掛かる前に帰ってきた主の予想以上に早い戻りに邸の者たちは内心では驚いただろうが、よく躾けられた使用人は恭しく礼をとる。
「お帰りなさいませ」
お早いお戻りですねと言わず、いつもと変わらぬ丁寧さで頭を下げた家令は、それでも内心では思わず微笑ましさを感じていた。
いつにない早い帰宅は、当然新婚の妻に少しでも早く会いたいが為だろう。
「彼女は?」
「奥方様でしたら、今は私室におられると思います」
以前は何も言わずに奥に通った公瑾だったが、結婚してからは別々に帰った場合、端的ながら熱もなくだけれど開口一番に尋ねるのは決まって妻のことだ。
浅く頷けば自分の室へ向けて歩き出した公瑾に、家令は花のことを中心にその日公瑾の耳に入れておきたい簡単な事柄を報告する。
公瑾が自室に戻れば、花が公瑾の帰宅を聞きつけたのだろう、ぱたぱたとした足音と共に足早に現れた。
「公瑾さん、お出迎えしなくってすいません」
「必要ないと言ったのは私ですから、そう騒々しく来られる方が気になります」
子敬の元にいる花と公瑾では城から別々に帰ることも多いし、それこそ公瑾が夜遅いことも多いので、常日頃から出迎えは不要と言ってある。
広大と呼ぶ城のような邸ではないけれど、日本の花が育ったような上とは違いそれなりに広さはある。
邸に帰った公瑾を入り口で出迎えるのは使用人も花に急いで知らせなければならないこともあって気忙しい。
「すいません」
「出迎えが必要な時は先触れを出しますと伝えていました。ないときは本当に必要ないときですから、何故にそうもこだわるのですか?」
邸の表から家令と共に公瑾に付き従ってきた侍女は、主夫妻のやり取りに困惑顔だ。
花が言い辛そうに侍女を見れば、公瑾は着替える手を止めて下がりなさいと短く告げた。
侍女が室から退けば、花はおずおずと公瑾に近付いてくる。
「侍女がいては言い辛いことですか?」
「私はただお手伝いがしたかったんです」
「手伝い……ですか?」
花は公瑾の前に立つと、そっと公瑾の衣の袖に触れた。
一番上に来ている衣は脱いでいるが、下の衣はまだ帯も結ばれたままだ。
「私の家では父が仕事から帰ってくれば、母が出迎えて着替えの手伝いをしてたんです」
会社から帰ってきた時、着替えの手伝いをするのは母の役目だった。
背広を受け取り、ハンガーにかけてブラシを当てて手入れするのは花にとって妻の仕事だ。
「そんなことですか」
公瑾にとっては、もちろん妻がして悪いこととは思わないが、それをわざわざ花がしたがる意味が分からない。
人に仕えられることが当然の人間にとって、それこそ幼児の頃から衣服を着替える手伝いを使用人がすることは当然の感覚だからだ。
だから公瑾は花の何となく落ち着かない態度を、いまだ使用人がいること、彼らを使うことに花が慣れないためだと解釈した。
幼い頃から使用人が控えているのは当たり前の感覚の公瑾にとって、彼らを物と見るつもりはもちろんないけれど感覚としてはあってないもの、主張ぜず溶け込む調度と同じだ。
花は些末事と言うようにぽつりともたらされた公瑾の言葉に、瞳を揺らして俯いた。
「そんなこと、なんですね」
「花?」
問いかけるような深紫の眼差しに、花は顔を上げると緩く首を振った。
「何でもないです。お手伝いしますね」
気持を切り替えるように花は上衣を受け取り、衣紋掛けに丁寧に掛ける。
衣紋掛けに掛けた衣の襟を正す指先の動きは、繊細に思いのほかに優しく映る。
「帯はそちらをとっていだだけますか?」
既に手回しの良い侍女は、衝立の向こうの卓の上に深衣と帯を箱にきちんと用意してあった。
趣味に煩い公瑾が、文句もなく袖を通すのを見ながら花は複雑だ。
侍女が用意した衣と帯の組み合わせは、たぶん合格と言うことなのだろう。
花はいまだに自分の衣装の組み合わせすら公瑾にダメ出しをされることもあって、そっと唇を噛んでしまう。
昼間家令に言ったように少しずつできることを増やすしかないことは分かっているけれど、こんな場合は酷くもどかしい。
「今日は紀伯に邸での冬支度を聞いたのでしょう?いかがでしたか?」
「そうですね。とっても興味深かったです」
帯を結ぶのを、ただ手を添えるだけだが手伝うために膝を着けば、花は気付かなかったけれど公瑾は僅かに眉を寄せた。
何しろ花は人の帯どころか自分の帯を結ぶことさえできず、着替えの手伝いをしているとはお世辞にも言い難い。
おそらく花に手伝わせるよりは、侍女に手伝わせた方が早く手間もかからないだろう。
公瑾は帯を結び終わるとそっと花へ手を差し伸べて、さり気無く花が立ち上がるのを手伝う。
「花。着替えの手伝いは不要ですよ」
「え?どうしてでしょう?」
「私の着付けよりも、まずご自身の着付けが出来る様になるのが先決でしょう。自分の帯が結べなければ人の帯など到底結べません」
「でも」
「いずれしてもらうこともあるでしょうが、今あなたに憶えて欲しいことは他にあります」
「他に?何でしょう?」
「何より今は邸の女主人として、人を使うことに慣れてください」
それは決して声を荒げられたわけでも、冷たく言われたわけでもなかった。
僅かに気遣いを感じさせる声音で、たぶんこの邸の当主として夫として当然の要求だ。
だから花もやりたいと言う不満はあっても我儘は言えず、大人しく頷くしかなかった。
「分かりました」
「では次回からそのように」
満足そうに頷く公瑾が侍女を呼ぼうとする気配に花は慌てて公瑾を押しとどめた。
「待ってください。少し公瑾さんに訊きたいことがあるんです」
「訊きたいこと?」
「あの、お邸の冬支度のことで」
公瑾は花の様子に不審を覚える。
冬支度のことなど季節の変わり目にある一般的なことに過ぎないから、わざわざ侍女のいない時に改まって切り出す話でもない。
なのに花は何故かさも重大事を言うように緊張した表情だ。
「冬支度ですか?興味深かったと仰ってましたが、何かありましたか?」
本当に思い当たることがないように反対に訊き返され、今度は花の方が困惑してしまう。
花としては例年にない冬の準備と言うことで、もしや何か本当に隠された理由があるのではないかと思ったのだ。
例えば冬場は緊迫した状態であろうと余程でない限り兵を進めることはしないが、今年の冬が厳しいのならばそれを逆手にとって意表を突いて戦を仕掛けることも考えられた。
敵に気取られぬため、民にその事実を敢えて公表しないのかもしれない。
そんな風に考えていたのに、公瑾は本当に花の質問の意味が分からないようだった。
「今年はいつもの冬と違って、特別に厳重な冬支度だって聞きました。何かなわけがあるんですか?」
「紀伯が言ったのですか?いや、彼があなたにそんなことをわざわざ言うとは思えませんね」
僅かに公瑾の声が低くなったことで、花は夫の機嫌が悪くなったことが分かった。
「誰に聞いたというわけじゃないんです。ただ通りすがりに話していたのが、たまたま私の耳に入ってきたんです」
「ああそういう事ですか」
「もしかして誰だか捜して罰するつもりですか?」
「不用意なとは思いますが、そこまでするつもりはありません。ここは軍でも、戦地でもありませんから」
邸のことや主家族のことを余所でなくとも使用人同士あれこれ噂をするのは、はっきり言えば邸内とは言え褒められた行為ではない。
けれど長年使用人を使ってきた公瑾だからこそ、それぐらいは大目にみるべきことも知っている。
これが外の者に話しているようだったら別だが、ゆるりと首を振るとやがて花が慎重に話し出した理由にも思い当たった。
誰も罰せられないとほっとした様子の花に、公瑾は確かめるべく言葉をかける。
「で、あなたはもしやまた私が、軍事的に良からぬことを画策しているのでは思ったわけですか?」
「良からぬとか、そんな風には思ってません」
もちろん花は戦が嫌いだけれど、そこまで単純に考えているわけじゃない。
「今年が大掛かりと言うのは、たいした理由はありません」
「ええっと、じゃあ特別に今年の冬が厳しいってことは?」
「天候を読むとはいっても、そこまでは私も分かりませんよ。それこそたまたまです」
言下に何でもないと否定する公瑾に、花は素直に納得したりはしなかった。
「それって変です」
「変とはどういう事でしょう?」
「公瑾さんは毎年やっているようなことを、たまたま思い付きで変えたりはしません」
花に指摘されたことは全くもってその通りなので、公瑾は苦笑を漏らした。
「あなたも随分と言うようになりましたね。軍師らしく私のことを読み切りましたか?」
「違います。ただ……それは、私が公瑾さんのことをずっと見てきたから分かったんです」
認めるのは少し悔しいけれど、花は出会ってから常に公瑾を見続けてきた。
分かりにくいひとだから、尚更に注意深く、このひとを知りたくて見つめてきた。
だからこそ花は、たぶん誰よりも公瑾を分かりたいと思っている。
そうして公瑾の考えに思考を重ねれば、自ずとおかしいと気付くのだ。
「花。あまり愛らしいことを言われては、後悔することになりますよ」
夫婦になってからまだ日は立たず、蜜月の熱が醒めやらない公瑾は少女の腰を抱き寄せた。
そのまま力強く抱きしめられ、新妻らしく結い上げられてあらわになった首筋に公瑾の顔が埋められるようにして呼気がかかる。
「んっ」
項を指先が撫で上げ、その感触に耐えられず顔を上げれば間近に玲瓏な美貌があった。
伏し目がちな長い睫毛の間から、覗く深紫の瞳は熱を孕んで少女を捕えようとしていた。
いまだ美しい夫の色香に慣れない花は、唇が重なる寸前で呪縛から解かれたように横を向く。
「はな……」
狙いを外された公瑾の声が、不機嫌そうに名を呼ぶ。
「公瑾さん!このままなし崩しにしちゃうつもりでしょう」
公瑾に口付けられれば、花はぽーとしてもう何も考えられなくなってしまう。
結婚前まではどこか一線をひいたところを残していた公瑾ではあったけれど、晴れて婚儀を挙げた今となっては触れる手に遠慮はない。
だから断固と言うように公瑾を睨めば、目論見を外された公瑾はやれやれとため息を吐く。
「言ったように特に理由はありません」
「でも普段の公瑾さんだったらしないことじゃないですか。隠すようなことじゃないなら、私に話してくれてもいいと良いと思います」
こうと決めれば意外に頑固な事がある花に、公瑾は思案するように花を見下ろす。
当然理由はあるのだが、わざわざ花に告げるのも公瑾としては気が進まない。
短くない沈黙の中、再び漏れた公瑾のため息に花は意を決したように公瑾を見上げた。
「私、公瑾さんの奥さんじゃないんですか?確かに夫婦だからって何でも話すって言うのは無理かもしれませんけど、何でもないことで邸のそれこそ家政に関わることなら妻の私に話してくれてもいいと思います。それなのにただの冬支度と言うことも話してくれない。さっきも着替えの手伝いも、出迎えもしなくて良いって言う。私がいたらないから妻の仕事をさせたくないんですか?私、公瑾さんの何なんですか?」
一気に話していた花は、いつの間にか潤んだ瞳で公瑾に詰め寄っていた。
最初は冷静に話そうと思っていたのに、先ほどから言われたあれこれが思っていたよりショックだったらしく、感情的になっていた。
今言わなくて良いことまでつい口走っていたことに、花は唇を震わせてぎゅっと手を握り合せた。
一方公瑾は花の思い詰めた様子と言葉に、自分が良かれと思って花に告げたことが通じてなかったことにここに来てようやく気付いた。
「花。私はあなたを妻として認めてないわけではありません。それほどに迎えに出なくていいことや着替えを手伝わなくていい事が、あなたを傷付けることになるとは思いませんでした」
すると花は気まずい表情で、小さく首を振った。
「私こそごめんなさい。感情的になりすぎました。風習と言うか、違いは分かってたはずなのに取り乱してすいません」
「あなたが謝る必要はありません。私の配慮が足りなかったようです。あなたはただ母君が父君にされたようなことを同じようになさりたかったのでしょう」
やんわりと言われ、花はこくりと頷いた。
「はい。たぶん公瑾さんにとっては何でもないことなんでしょうし、着替えのお手伝いとかは私がするより慣れた使用人さんがされる方が手際よくていいと思ってるのは分かります。だから理解はしてたんです。でも妻としての立場を否定され、仕事を取り上げられた気になったんです」
「あなたが言われたように、私は特別使用人に手伝って貰うことに特別な感情も何もありません。それに先程手伝いが不要と言った事も、床に膝を着くあなたが寒そうだと思ったから言ったんですよ」
公瑾の細やかな気遣いに、花はあっと小さく声を漏らすと自分のいたらなさに恥ずかしくなる。
「すいません。気付けませんでした」
「まああなたらしいことですが、もうここまで来たならば思うことがあるのならば、言ってしまいなさい。まだここに何か溜め込んでいるのでしょう」
長い公瑾の指が、花の胸元の真ん中をとんと優しく触れた。
それはまさに夫婦だからこそ許された仕草であり、親しみを込めた動作でもある。
「溜め込んでなんか……」
「嘘はいけませんね。誤魔化せると思っているのですか?あなたは目の前にいるのが誰だかお分かりでしょう」
優雅に笑んだ男は呉軍きっての智将であり参謀、そうして都督の地位にあるひと。
にわか軍師の花が、おもいを隠し通せる相手などではなかった。



<後書き>
徐々に糖分増してるつもりですが、いかがでしょうか?
甘いながらもぴりりと一味効いた都督をめざしたいです。
え?それってどんな都督?
次回は間違いなく終わります。