<前書き>
ご存知ですか、恋戦記好きさんには今日は文花の日です(笑)
そこで珍しく文若さん書いてみましたが、微妙とか言っちゃだめですよ。
はじめは小話だったのですが、長くなったのはいつものこと。
いや~間に合わないかと思いましたwww
では続きからどうぞ。
『秋色恋景』(文若×花)文若ED後
「秋だなぁ」
花はすっかり色付いた木々を見つめて感慨深く呟く。
先程まで両手いっぱいに書簡を抱えて歩いていたけれど、今はそれらを配り終えてすっかり身軽になっていた。
尚書令である文若の執務室に戻る道すがら、回廊を歩いていればかさりと一枚の赤い木の葉が足元に落ちてきたのだ。
回廊から見渡す丞相府の庭先は、趣味良く配置された木々が赤や黄にきれいに装っている。
すっかり足を止めて、花は秋ならではの情景に見入っていたのだ。
「夏が終われば秋が来る。自然の理だろう」
花が誰もいないと思ってぼんやり呟いた独り言に、理論整然応える声があった。
「文若さん。びっくりするじゃないですか」
「特別気配を殺したつもりはない。気付かぬのはお前がぼんやりとしていたせいだろう」
いつものことだがなと諦め気味に言われた気がして、花は小さく首を竦めた。
「紅葉がきれいですよね」
「きれいか……」
文若は表情を変えず、整えられた庭園を見渡した。
想い人である少女は、良くこのように花が咲けば香りがいいと花を愛で、雪が降ったと言えばはしゃぎ、こうやって木の葉が色付けば美しいと見惚れている。
それは文若にとっては、毎年繰り返される当たり前の光景だ。
ほおっておいても季節は順番にやってきて、感慨も何もなく、季節に思いを馳せることもない。
邸に帰れば、気を利かせた古参の使用人や家令がいつの間にか衣類を厚めの物に替え、室の設えを冬支度へ変えていると言うのが日常だった。
だからこういう風に何でも珍しがる、たった葉の色が変わるくらいでうっとりと見惚れる少女に、呆れながらも色々と気付かされることは多い。
「ほらあの木なんて、もうすっかり黄色になってます」
「そんなに紅葉が珍しいか。毎年変わらぬだろう」
美しいと言うそれを否定しはしないが、文若にとっては目を奪われることのほどでもない。
「う~ん、同じように見えて、毎年やっぱり違いますよ。それに同じように見えて、毎年何もかも違いますからね」
「そういうものかな。私にとってはさしたる違いがないような気がするが」
「だって夏が猛暑だったか、それとも少し涼しかったとか、それだけでも違うんですよ」
花は得意そうに言うと、文若の顔を覗き込んだ。
「すいません。仕事中に不謹慎でしたね」
「少しぐらいなら構わぬが、解せぬな」
「何がですか?」
「仕事の途中でそう言うことを思う心持が分からぬ」
憮然と言うか、心底理解がつかないと言う感じで言われて花は小首を傾げた。
「文若さんは集中してるからそんなことがないんでしょうか?」
花だって回廊を歩きながら次の仕事の段取りなどを考えてはいるが、頬を撫でる風に何気なく顔を上げてしまえば、本当に鮮やかな紅葉に目を奪われる。
小鳥の高く鳴く声に耳を澄まし、つい見渡せば親鳥が雛に餌を運ぶ姿に微笑ましく見入ってしまう。
「私にはついぞ有り得ないな」
断言され、花はしゅんとなる。
「まあ……確かにいつもそうじゃないつもりですが、褒められたものじゃないですね」
言い訳がましいかなと思いながら呟けば、文若は何とも言い難い顔になる。
「悪いことではあるまい。それでお前のいう所の気分転換が出来るならば、有意義だろう」
それは花がよく文若に言っている言葉だ。
仕事となれば寝食を忘れ、根を詰め過ぎる文若が心配で余計なおせっかいと思いつつもついそう言わずにはいられなかった。
「ありがとうございます」
「おかしなやつだな。何を礼を言う」
「だっていつも流されてるかと思ってましたけど、ちゃんと覚えててくれてたんですね」
「流してはおらぬだろう」
思わず文若は苦笑を浮かべた。
一応生真面目な文若は、いつも分かったと返事はきちんとしてくれる。
ただ仕事に対する責任感が、花の忠告を聞き流す形にしてしまっているだけだ。
そして文若は先に立って回廊の階から、庭先へゆっくりと降り立った。
そのまま少し庭を進んで、まだ回廊にいる花を振り返った。
秋の穏やかな陽射しが振り注ぐ庭先で、佇む姿は静謐で厳しいが挙動は見惚れるほどに端正だ。
わずかに袖を上げ、いつもの口調で呼びかける。
「来ないのか?庭を散策したかったのだろう?」
「いいんですか?」
驚きながらも、花の顔が目に見えて嬉しそうに花が咲くように笑み綻んだ。
「たまには良い」
短く告げるけれど、素っ気ない言葉や口調とは裏腹に文若の耳が僅かに赤くなり、口元にごく淡く照れくさそうな微笑が浮かんでいる。
花の視線に気付いたのか、文若はさっと身を返すと「行くぞ」と告げる。
それでも歩き出さず、花が隣に来るのを待ってくれているから、花は小走りで走り寄る。
すると予想通り文若からお小言が降ってきた。
「花。年頃の娘が、そのように走るものではない。……お前はそそっかしいから危ないだろう」
文若に叱られたくて走ったと言ったら、たぶん眉間の皺を深くして怒られるだろう。
でも時々、花はこうして文若にお小言を貰えば、心がふわりと温かくなる。
それは花を叱る時だけ、文若がさっきのように普段見せない花だけに寄せる想いの片鱗を見せてくれるからだ。
「はい、文若さん」
花は素直にお小言を甘受すると、嬉しそうな顔をみられないように少しだけ俯く。
そして自分に合わせて、普段より随分とゆっくり歩いてくれる文若の横顔を盗み見た。
眉間の皺がないのは、花と歩いているせいだとすれば嬉しい。
二人はゆっくりと木々の間を歩いて行き、足元では風に落ちた葉がかさかさと音を立てる。
言葉がなくても、静かな時間は全然気づまりじゃなく、花にとっては心地いい。
けれど隣りを歩く文若は、少しだけ気になりだす。
文若は静寂と言うものを好ましく思ってはいたが、若い娘と言うのは無駄におしゃべりを好むものだ。
現に丞相の孟徳は、常に花を見つければ文若と恋仲であることを知っているにも関わらず、いそいそと寄って来てはこちらが恥ずかしくなるような甘い言葉をかけたり、他愛のないことでからかって笑わせている。
また花も、仕事中ですよとたしなめながらも決して嫌そうでもなく、迷惑だとも言わない。
それぐらい花の気持ちを疑うことはないが、そんな様子を見れば花もおしゃべりは嫌いじゃないのだろうと思う。
何より花と一緒にいるようになってから、文若自身おしゃべりが煩いと感じなくなったのだ。
いやそれは花に限ったことだけで、愛しい少女の声や笑い声だけは仕事に関係なかろうと、耳に心地よく響いた。
だから今、文若は静寂も悪くないが少女の声が聞きたいと思った。
が、そう思ってもすぐに気の利いた話題を出して、花と話せるわけでもない。
「あ、どんぐり」
そのとき隣りにいた花が、不意に大きな木の根元に近寄ってしゃがみこむと嬉しそうに実を拾って笑っている。
いつもそうだ。
花はまるで戸惑う文若の気持ちや行動の先を読むように、意識してではないだろうが助けとなる行動をとってくれる。
「それは椎だな。食べられるぞ」
「え?人間も食べれるんですか?」
「お前のいた場所では食べなかったのか?」
「う~ん、祖父母世代なら食べたかもしれないですけど、私は食べたことがありません」
言いながらも、花は食べれると知って嬉しそうに実を拾っている。
「少し甘いから、お前の好きな菓子にも使えるはずだ」
「うわ。嬉しいな。どんな味だろう」
とたんにもっと熱心に、まるで子供のように木の実を拾うのに夢中になっている。
さっきまで退屈ではないか、何か言葉を聞きたいと思っていたのが嘘のようだった。
花の小さな手にいっぱいになっていく木の実を見ながら、文若は自分の懐から大判な手巾を取り出して花に差し出した。
「これに移せ。そうすればまだ多く拾えるだろう」
「えっと、いいんですか?」
それは皺などなく、清潔そうで上質な布だとすぐにわかった。
「構わぬ。あまりゆっくりしている時間はないぞ」
言外に仕事が詰まっていると言われ、花はありがとうございますと受け取ってそれに実を移す。
文若は花の手元を覗き込みながら、自分も黙ってしゃがみ込むと拾い始めた。
花は少しびっくりして文若の横顔を見たけれど、ふわりと微笑んで黙って自分も作業に戻る。
どのくらいそうしていたのか、今度は言葉を交わすのも忘れるほどに二人は夢中になって拾っていたが、文若も今度は声が聞きたいとは思わなかった。
花の息遣い、衣擦れの音、気配、全てが優しく、言葉の代わりに文若を包んでくれている。
やがてどちらからともなく、二人は手を止めて立ち上がった。
文若は自分の掌にたまった実を花が広げた手巾に移すと、くすりと笑う。
「文若さん?」
「どんぐりを拾うなど、いつ以来だろうな?」
国のため、官吏に成ろうと思い立って以来、文若は学を身に付けることに熱心であまり子供らしい遊びをした記憶もない。
好きでやっていた勉学だったから嫌だったわけではないが、それでもこれは子供の遊びでやったのは驚くほど小さな頃だ。
こんなことも、花がいなければやろうとすら思わなかったろう。
「子供の頃は拾ってたんですか?」
「ああ……この実も炒って食べるが、生で食べれないこともない」
「生で食べるんですか?」
驚いて花が小さく叫べば、文若は黙って几帳面そうな指先で木の実を一つ摘まみ上げた。
無造作に自分の衣の袖で拭くと、それを口元に持って行く。
白くて健康そうなきれいな歯が、かりっと小気味いい音を立てて殻をわった。
それを掌に戻して、殻を爪で割ってしまうと渋皮を爪の先で削るように取ってくれる。
「たくさん食べ過ぎなければ、慣れてなくとも腹を壊すこともあるまい」
そして無意識なのだろうが、きれいに剥いた実を指先で摘まんで花の方へ差し出す。
花は少しだけ小首を傾げた。
いいのかなと思いつつも、文若に近付くと、ぱくりと木の実を口にした。
もちろん文若の指先ごとだ。
「あ、ほんとに優しい甘さがある」
花の口の中におさまった実は、花が前歯でカリッと噛めばほろっと崩れ少しくせがあるが淡い甘さが広がった。
「は、は、はな!」
一方、文若は数瞬固まっていた。
生真面目な文若には、まさか花の行動は思いもよらないことだったのだ。
もちろん花は、食べさせてもらったと思っているし、歯を立てたわけじゃない。
だから花は文若の狼狽ぶりが分からないが、文若とっては大きな衝撃だった。
花の柔らかな唇が自分の指先を優しく食み、最後に少し触れていったのはもしや……。
「食べちゃ、いけなかったですか?」
花は顔色を青、白、赤と目まぐるしく変える文若を見ながら、実に不思議そうに、いくらか心配そうに文若の顔を覗き込んだ。
本当に無邪気に、何の含みもなく訊き返されて、文若は海よりも深いため息をついた。
何だか自分が一瞬、こう考え過ぎたことに思わず脱力する。
が、自分にならまだいいが、こんなこと他の男になどやられてはたまらない。
もちろん文若の頭にあったのは、いかにもやりそうな上司の顔だ。
「食べたことはいけなくはない」
「はい?」
「だが……今の行為はいささか問題だ」
「行為ですか?やっぱり行儀悪かったですね」
「行儀ではない。いや、行儀もだが、私としては、歳頃の娘として慎みに欠けると思う」
「えっと?」
はっきりしない文若に花は実に不思議そうな顔で、言わんとする意味を汲んでくれるつもりはないらしい。
普段は察しが悪くないくせに、こういう時ばかり思い至ってくれない花に文若は意を決した。
「だから、間接的にも口付けであろう。他の者には決してせぬ様に!」
袖で顔を隠し、僅かに赤らんだ顔を見られないようについと顔を背けられた。
とたんに花も自分の行動を振り返ってみて、羞恥に一瞬にして顔に朱がのぼった。
本気で全然何も考えてなかったけれど、確かに思い返せば随分大胆な行為だったかもしれない。
間接……キスと思えば、口付けなんて実はもっときちんとしたものも経験済みだ。
でも文若の口から出るだけで、こんなに恥ずかしいのはなぜだろう。
同時に今度こそ自分の迂闊な行動に、今度こそ呆れられてしまったかもと思う。
見れば文若は、少し離れた位置で赤と黄の紅葉に色付いた木々の中、黒い衣装がかえって鮮やかな対比で、僅かにその木々の先の空を仰ぐように立っていた。
美しいけれど厳粛なその姿に、花は俯いてぎゅっと手を握り込んだ。
いつまでもこの大人の佇まいを身に付けた人に、追い付けずにこんな失敗ばかりをしてしまう。
「文若さん、ごめんなさい。気を付けます」
驚くほど落ち込んだ声が聞こえ、振り向けば花がしゅんと項垂れている。
文若は自分が思ったほど声を荒げたことに気付き、そっと花の傍に寄って肩を抱き寄せた。
「私も少し大人げなかった。年甲斐もなく、狼狽えたのだ」
「文若さん……」
すっかりその黒い衣に抱き込まれてしまっているので、顔をあげることもかなわない。
でも花は抗わず、その腕の中でじっと落ち着いた文若の声を聞いていた。
文若はこの花の無邪気な一面を、形に、身分に、様々に囚われぬ自由な心を愛したのだ。
自分に添い、この世界に馴染んでほしいが、決して形に嵌めてしまいたいわけではない。
だからそっと陽だまりの匂いのする髪を撫ぜて、真摯に告げる。
「お前と居ると本当に退屈はせぬな。だが、あまり無防備になるな。心配になる」
「そんなつもりはないんですけど」
「そう言う点が付け込まれる。わかっておらぬだろう?」
怒られたと感じたのか、花の身体がぴくりと小さく震えた。
「まあ心配せずとも、私が他の者など寄せ付けはしないがな」
珍しく独占欲を滲ませた言葉に、花は小さく身じろいだ。
「お前はお前らしく、ただ傍にいてくれればよい。ただし」
「ただし何ですか?」
「あのような不用意な行動は私の前にだけでしてくれ。心臓がもたぬ」
「文若さんの前でだったらいいんですか?」
ようやく顔を上げられた花に、文若は滅多に見せない柔らかで艶やかな笑みを浮かべる。
「色めいたお前を見られるのは、私だけの特権だろう」
そうして口付けが落とされ、それは吐息さえ奪うほどに激しく、花の頬を紅葉と同じく染め上げた。
<後書き>
実はもっと抒情的美しい(書けるかと言えばまあそこはおいといて)お話にする予定でした。
なのになんだか方向が違ったのは、やっぱり私だからですか?
しっとりしたお話のはずだったのに、天然花ちゃんと振り回される文若さん……^^;
今回流れたエピソードは、どこかで絶対リベンジしてやる(笑)
だって最初に考えてた話は、お相手は文若さん以外思い浮かばないwww
では文花の日スペシャル終了でした。
ご存知ですか、恋戦記好きさんには今日は文花の日です(笑)
そこで珍しく文若さん書いてみましたが、微妙とか言っちゃだめですよ。
はじめは小話だったのですが、長くなったのはいつものこと。
いや~間に合わないかと思いましたwww
では続きからどうぞ。
『秋色恋景』(文若×花)文若ED後
「秋だなぁ」
花はすっかり色付いた木々を見つめて感慨深く呟く。
先程まで両手いっぱいに書簡を抱えて歩いていたけれど、今はそれらを配り終えてすっかり身軽になっていた。
尚書令である文若の執務室に戻る道すがら、回廊を歩いていればかさりと一枚の赤い木の葉が足元に落ちてきたのだ。
回廊から見渡す丞相府の庭先は、趣味良く配置された木々が赤や黄にきれいに装っている。
すっかり足を止めて、花は秋ならではの情景に見入っていたのだ。
「夏が終われば秋が来る。自然の理だろう」
花が誰もいないと思ってぼんやり呟いた独り言に、理論整然応える声があった。
「文若さん。びっくりするじゃないですか」
「特別気配を殺したつもりはない。気付かぬのはお前がぼんやりとしていたせいだろう」
いつものことだがなと諦め気味に言われた気がして、花は小さく首を竦めた。
「紅葉がきれいですよね」
「きれいか……」
文若は表情を変えず、整えられた庭園を見渡した。
想い人である少女は、良くこのように花が咲けば香りがいいと花を愛で、雪が降ったと言えばはしゃぎ、こうやって木の葉が色付けば美しいと見惚れている。
それは文若にとっては、毎年繰り返される当たり前の光景だ。
ほおっておいても季節は順番にやってきて、感慨も何もなく、季節に思いを馳せることもない。
邸に帰れば、気を利かせた古参の使用人や家令がいつの間にか衣類を厚めの物に替え、室の設えを冬支度へ変えていると言うのが日常だった。
だからこういう風に何でも珍しがる、たった葉の色が変わるくらいでうっとりと見惚れる少女に、呆れながらも色々と気付かされることは多い。
「ほらあの木なんて、もうすっかり黄色になってます」
「そんなに紅葉が珍しいか。毎年変わらぬだろう」
美しいと言うそれを否定しはしないが、文若にとっては目を奪われることのほどでもない。
「う~ん、同じように見えて、毎年やっぱり違いますよ。それに同じように見えて、毎年何もかも違いますからね」
「そういうものかな。私にとってはさしたる違いがないような気がするが」
「だって夏が猛暑だったか、それとも少し涼しかったとか、それだけでも違うんですよ」
花は得意そうに言うと、文若の顔を覗き込んだ。
「すいません。仕事中に不謹慎でしたね」
「少しぐらいなら構わぬが、解せぬな」
「何がですか?」
「仕事の途中でそう言うことを思う心持が分からぬ」
憮然と言うか、心底理解がつかないと言う感じで言われて花は小首を傾げた。
「文若さんは集中してるからそんなことがないんでしょうか?」
花だって回廊を歩きながら次の仕事の段取りなどを考えてはいるが、頬を撫でる風に何気なく顔を上げてしまえば、本当に鮮やかな紅葉に目を奪われる。
小鳥の高く鳴く声に耳を澄まし、つい見渡せば親鳥が雛に餌を運ぶ姿に微笑ましく見入ってしまう。
「私にはついぞ有り得ないな」
断言され、花はしゅんとなる。
「まあ……確かにいつもそうじゃないつもりですが、褒められたものじゃないですね」
言い訳がましいかなと思いながら呟けば、文若は何とも言い難い顔になる。
「悪いことではあるまい。それでお前のいう所の気分転換が出来るならば、有意義だろう」
それは花がよく文若に言っている言葉だ。
仕事となれば寝食を忘れ、根を詰め過ぎる文若が心配で余計なおせっかいと思いつつもついそう言わずにはいられなかった。
「ありがとうございます」
「おかしなやつだな。何を礼を言う」
「だっていつも流されてるかと思ってましたけど、ちゃんと覚えててくれてたんですね」
「流してはおらぬだろう」
思わず文若は苦笑を浮かべた。
一応生真面目な文若は、いつも分かったと返事はきちんとしてくれる。
ただ仕事に対する責任感が、花の忠告を聞き流す形にしてしまっているだけだ。
そして文若は先に立って回廊の階から、庭先へゆっくりと降り立った。
そのまま少し庭を進んで、まだ回廊にいる花を振り返った。
秋の穏やかな陽射しが振り注ぐ庭先で、佇む姿は静謐で厳しいが挙動は見惚れるほどに端正だ。
わずかに袖を上げ、いつもの口調で呼びかける。
「来ないのか?庭を散策したかったのだろう?」
「いいんですか?」
驚きながらも、花の顔が目に見えて嬉しそうに花が咲くように笑み綻んだ。
「たまには良い」
短く告げるけれど、素っ気ない言葉や口調とは裏腹に文若の耳が僅かに赤くなり、口元にごく淡く照れくさそうな微笑が浮かんでいる。
花の視線に気付いたのか、文若はさっと身を返すと「行くぞ」と告げる。
それでも歩き出さず、花が隣に来るのを待ってくれているから、花は小走りで走り寄る。
すると予想通り文若からお小言が降ってきた。
「花。年頃の娘が、そのように走るものではない。……お前はそそっかしいから危ないだろう」
文若に叱られたくて走ったと言ったら、たぶん眉間の皺を深くして怒られるだろう。
でも時々、花はこうして文若にお小言を貰えば、心がふわりと温かくなる。
それは花を叱る時だけ、文若がさっきのように普段見せない花だけに寄せる想いの片鱗を見せてくれるからだ。
「はい、文若さん」
花は素直にお小言を甘受すると、嬉しそうな顔をみられないように少しだけ俯く。
そして自分に合わせて、普段より随分とゆっくり歩いてくれる文若の横顔を盗み見た。
眉間の皺がないのは、花と歩いているせいだとすれば嬉しい。
二人はゆっくりと木々の間を歩いて行き、足元では風に落ちた葉がかさかさと音を立てる。
言葉がなくても、静かな時間は全然気づまりじゃなく、花にとっては心地いい。
けれど隣りを歩く文若は、少しだけ気になりだす。
文若は静寂と言うものを好ましく思ってはいたが、若い娘と言うのは無駄におしゃべりを好むものだ。
現に丞相の孟徳は、常に花を見つければ文若と恋仲であることを知っているにも関わらず、いそいそと寄って来てはこちらが恥ずかしくなるような甘い言葉をかけたり、他愛のないことでからかって笑わせている。
また花も、仕事中ですよとたしなめながらも決して嫌そうでもなく、迷惑だとも言わない。
それぐらい花の気持ちを疑うことはないが、そんな様子を見れば花もおしゃべりは嫌いじゃないのだろうと思う。
何より花と一緒にいるようになってから、文若自身おしゃべりが煩いと感じなくなったのだ。
いやそれは花に限ったことだけで、愛しい少女の声や笑い声だけは仕事に関係なかろうと、耳に心地よく響いた。
だから今、文若は静寂も悪くないが少女の声が聞きたいと思った。
が、そう思ってもすぐに気の利いた話題を出して、花と話せるわけでもない。
「あ、どんぐり」
そのとき隣りにいた花が、不意に大きな木の根元に近寄ってしゃがみこむと嬉しそうに実を拾って笑っている。
いつもそうだ。
花はまるで戸惑う文若の気持ちや行動の先を読むように、意識してではないだろうが助けとなる行動をとってくれる。
「それは椎だな。食べられるぞ」
「え?人間も食べれるんですか?」
「お前のいた場所では食べなかったのか?」
「う~ん、祖父母世代なら食べたかもしれないですけど、私は食べたことがありません」
言いながらも、花は食べれると知って嬉しそうに実を拾っている。
「少し甘いから、お前の好きな菓子にも使えるはずだ」
「うわ。嬉しいな。どんな味だろう」
とたんにもっと熱心に、まるで子供のように木の実を拾うのに夢中になっている。
さっきまで退屈ではないか、何か言葉を聞きたいと思っていたのが嘘のようだった。
花の小さな手にいっぱいになっていく木の実を見ながら、文若は自分の懐から大判な手巾を取り出して花に差し出した。
「これに移せ。そうすればまだ多く拾えるだろう」
「えっと、いいんですか?」
それは皺などなく、清潔そうで上質な布だとすぐにわかった。
「構わぬ。あまりゆっくりしている時間はないぞ」
言外に仕事が詰まっていると言われ、花はありがとうございますと受け取ってそれに実を移す。
文若は花の手元を覗き込みながら、自分も黙ってしゃがみ込むと拾い始めた。
花は少しびっくりして文若の横顔を見たけれど、ふわりと微笑んで黙って自分も作業に戻る。
どのくらいそうしていたのか、今度は言葉を交わすのも忘れるほどに二人は夢中になって拾っていたが、文若も今度は声が聞きたいとは思わなかった。
花の息遣い、衣擦れの音、気配、全てが優しく、言葉の代わりに文若を包んでくれている。
やがてどちらからともなく、二人は手を止めて立ち上がった。
文若は自分の掌にたまった実を花が広げた手巾に移すと、くすりと笑う。
「文若さん?」
「どんぐりを拾うなど、いつ以来だろうな?」
国のため、官吏に成ろうと思い立って以来、文若は学を身に付けることに熱心であまり子供らしい遊びをした記憶もない。
好きでやっていた勉学だったから嫌だったわけではないが、それでもこれは子供の遊びでやったのは驚くほど小さな頃だ。
こんなことも、花がいなければやろうとすら思わなかったろう。
「子供の頃は拾ってたんですか?」
「ああ……この実も炒って食べるが、生で食べれないこともない」
「生で食べるんですか?」
驚いて花が小さく叫べば、文若は黙って几帳面そうな指先で木の実を一つ摘まみ上げた。
無造作に自分の衣の袖で拭くと、それを口元に持って行く。
白くて健康そうなきれいな歯が、かりっと小気味いい音を立てて殻をわった。
それを掌に戻して、殻を爪で割ってしまうと渋皮を爪の先で削るように取ってくれる。
「たくさん食べ過ぎなければ、慣れてなくとも腹を壊すこともあるまい」
そして無意識なのだろうが、きれいに剥いた実を指先で摘まんで花の方へ差し出す。
花は少しだけ小首を傾げた。
いいのかなと思いつつも、文若に近付くと、ぱくりと木の実を口にした。
もちろん文若の指先ごとだ。
「あ、ほんとに優しい甘さがある」
花の口の中におさまった実は、花が前歯でカリッと噛めばほろっと崩れ少しくせがあるが淡い甘さが広がった。
「は、は、はな!」
一方、文若は数瞬固まっていた。
生真面目な文若には、まさか花の行動は思いもよらないことだったのだ。
もちろん花は、食べさせてもらったと思っているし、歯を立てたわけじゃない。
だから花は文若の狼狽ぶりが分からないが、文若とっては大きな衝撃だった。
花の柔らかな唇が自分の指先を優しく食み、最後に少し触れていったのはもしや……。
「食べちゃ、いけなかったですか?」
花は顔色を青、白、赤と目まぐるしく変える文若を見ながら、実に不思議そうに、いくらか心配そうに文若の顔を覗き込んだ。
本当に無邪気に、何の含みもなく訊き返されて、文若は海よりも深いため息をついた。
何だか自分が一瞬、こう考え過ぎたことに思わず脱力する。
が、自分にならまだいいが、こんなこと他の男になどやられてはたまらない。
もちろん文若の頭にあったのは、いかにもやりそうな上司の顔だ。
「食べたことはいけなくはない」
「はい?」
「だが……今の行為はいささか問題だ」
「行為ですか?やっぱり行儀悪かったですね」
「行儀ではない。いや、行儀もだが、私としては、歳頃の娘として慎みに欠けると思う」
「えっと?」
はっきりしない文若に花は実に不思議そうな顔で、言わんとする意味を汲んでくれるつもりはないらしい。
普段は察しが悪くないくせに、こういう時ばかり思い至ってくれない花に文若は意を決した。
「だから、間接的にも口付けであろう。他の者には決してせぬ様に!」
袖で顔を隠し、僅かに赤らんだ顔を見られないようについと顔を背けられた。
とたんに花も自分の行動を振り返ってみて、羞恥に一瞬にして顔に朱がのぼった。
本気で全然何も考えてなかったけれど、確かに思い返せば随分大胆な行為だったかもしれない。
間接……キスと思えば、口付けなんて実はもっときちんとしたものも経験済みだ。
でも文若の口から出るだけで、こんなに恥ずかしいのはなぜだろう。
同時に今度こそ自分の迂闊な行動に、今度こそ呆れられてしまったかもと思う。
見れば文若は、少し離れた位置で赤と黄の紅葉に色付いた木々の中、黒い衣装がかえって鮮やかな対比で、僅かにその木々の先の空を仰ぐように立っていた。
美しいけれど厳粛なその姿に、花は俯いてぎゅっと手を握り込んだ。
いつまでもこの大人の佇まいを身に付けた人に、追い付けずにこんな失敗ばかりをしてしまう。
「文若さん、ごめんなさい。気を付けます」
驚くほど落ち込んだ声が聞こえ、振り向けば花がしゅんと項垂れている。
文若は自分が思ったほど声を荒げたことに気付き、そっと花の傍に寄って肩を抱き寄せた。
「私も少し大人げなかった。年甲斐もなく、狼狽えたのだ」
「文若さん……」
すっかりその黒い衣に抱き込まれてしまっているので、顔をあげることもかなわない。
でも花は抗わず、その腕の中でじっと落ち着いた文若の声を聞いていた。
文若はこの花の無邪気な一面を、形に、身分に、様々に囚われぬ自由な心を愛したのだ。
自分に添い、この世界に馴染んでほしいが、決して形に嵌めてしまいたいわけではない。
だからそっと陽だまりの匂いのする髪を撫ぜて、真摯に告げる。
「お前と居ると本当に退屈はせぬな。だが、あまり無防備になるな。心配になる」
「そんなつもりはないんですけど」
「そう言う点が付け込まれる。わかっておらぬだろう?」
怒られたと感じたのか、花の身体がぴくりと小さく震えた。
「まあ心配せずとも、私が他の者など寄せ付けはしないがな」
珍しく独占欲を滲ませた言葉に、花は小さく身じろいだ。
「お前はお前らしく、ただ傍にいてくれればよい。ただし」
「ただし何ですか?」
「あのような不用意な行動は私の前にだけでしてくれ。心臓がもたぬ」
「文若さんの前でだったらいいんですか?」
ようやく顔を上げられた花に、文若は滅多に見せない柔らかで艶やかな笑みを浮かべる。
「色めいたお前を見られるのは、私だけの特権だろう」
そうして口付けが落とされ、それは吐息さえ奪うほどに激しく、花の頬を紅葉と同じく染め上げた。
<後書き>
実はもっと抒情的美しい(書けるかと言えばまあそこはおいといて)お話にする予定でした。
なのになんだか方向が違ったのは、やっぱり私だからですか?
しっとりしたお話のはずだったのに、天然花ちゃんと振り回される文若さん……^^;
今回流れたエピソードは、どこかで絶対リベンジしてやる(笑)
だって最初に考えてた話は、お相手は文若さん以外思い浮かばないwww
では文花の日スペシャル終了でした。