神奈川まちづかい塾

まちの歴史、自然、生活文化(家屋や庭も)を伝え続ける活動です。

土かべのはなし 都筑プロジェクト30

2014-09-21 | 都筑プロジェクト 山鳴庵便り
2014/9/14 定例清掃と「土かべの話」

定例清掃後、
第1回土かべ 左官の話 
 「山鳴庵の会」山口明さん


歴史と特色について
左官の語源は宮中の営繕を行う職人に与えられた官位(属:さくわんで左官はその当て字)です。
右官と左官があり、右官は木にかかわる職人、左官は土にかかわる職人と云われていますが文献にはありません。

漆喰は日本では大量に生産される石灰が原料であったが、高価な米粥糊を使用していたため宮中・寺社など限られた場所で使われていた。
しかし耐火性にすぐれたことで富裕層の住宅では蔵・土蔵などで使われた。

戦国時代に入り、鉄砲の伝来を契機に鉄砲でも貫通しない30cmの厚さの土壁が城郭に採用され、さらに耐火性の漆喰を上塗りしたが、安価にするため海藻糊が採用され飛躍的に漆喰の採用が増えた。

時代が下がり数寄屋つくりの茶室が興隆し、千利休が高級な紙・板内壁に替えて
ワビ・サビを表す土壁や大津壁(土と漆喰を混ぜた材料で最高の技能を必要とする工法)などを普及させた。
江戸時代には振袖大火等の大火が多発し、その対応のために庶民で採用することが許されなかった
その後土・漆喰内壁が茅製の壁に使用することが許可されて左官工法が隆盛し浮世絵にも左官が登場した。

明治時代には外来・産業革命で表層技術は多様化し、レンガやタイルなど職能の分化、
また輸入されたセメントを使用した洗い出しや外国の技術を応用した漆喰型抜きなど
新しい技術が登場した。

現在は、施工、完成に時間がかかることから工場で規格品をつくり現場で組み立てるだけのボード等の乾式の家づくりが主流となっているが、循環型環境やデザイン性を重視され土壁・漆喰など従来の工法を望む声も出てきた。

海藻のり、土かべの原料、コテ台、様々な「コテ」、磨き上げられた見本の壁、泥団子など初めて見るものばかり。
最後はおいしいお菓子で一服。

次回は、土壁の話後半とお待ちかね「泥団子つくり」の予定です。

             







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