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神木隊戊辰戦死之碑

2013-07-27 13:32:00 | くびき野
幕末の歴史に詳しい人でも、「神木隊」というものを知っている人は少ないのではないだろうか。神木隊は、戊辰戦争の際、幕府の恩に報いるためとして、越後高田藩の江戸藩邸の抗戦派藩士、86名が脱藩して結成した。高田藩主、榊原家の「榊」の字を分けて「神木」隊という隊の名前にしたという。結成された神木隊は、彰義隊に合流し上野戦争に参加、奮戦するも新政府軍との戦いに敗れた。その後、榎本武揚らと合流、五稜郭落城まで、旧幕府軍と行動をともにした(詳しくは下記参照)。

神木隊(wikipedia)

シリーズ「高田開府400年~第十三回 高田藩と維新の嵐―もうひとつの高田藩―~」『広報じょうえつ』№900(2011年5月15日発行)※PDF

この神木隊の碑が池袋にあると聞いて、先日、見に行ってきた。碑があるのは日蓮宗本立寺。下記サイトによると、本立寺は、元和4年(1618)の創建。榊原家の裏方菩提所(正室の菩提寺)となっていたという。

本立寺|豊島区南池袋にある日蓮宗寺院(猫の足あと)


池袋本立寺


本立寺本堂


本立寺の境内にある神木隊戊辰戦死之碑


碑の裏には戦死した隊士の名と建設者の名が刻まれている

ところで、この建設者の名前の筆頭に「橋本直義」という名が見える。


建設者の名前

この橋本直義とは明治時代に美人画を描いて活躍した浮世絵師、楊洲周延の本名で、彼は高田藩の藩士で、神木隊にも参加した人物であるという。

楊洲周延(wikipedia)

下記の文献によると、楊洲周延は、『夢もの語』という手記を残しており、そこでは江戸を脱出後、宮古湾海戦から箱館戦争に至るまでの神木隊の記録が残されている。

鈴木浩平「楊洲周延と神木隊について ─手記『夢もの語』に記された箱館戦争での記録」『浮世絵芸術』第157号 64-79頁(国際浮世絵学会、2009年:浮世絵芸術データベースで閲覧

幕末というと「維新の志士」や新撰組、会津白虎隊といったストーリーのみが語られがちだが、当然のことながらそれぞれの地域にそれぞれの歴史が残っていると改めて感じた。

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