夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

リュートは何故複弦か

2016年08月07日 06時33分12秒 | 日記
 西洋音楽の起源はグレゴリオ聖歌だと言われる。日本人が斉唱しか出来ないのに西洋人は合唱を容易に出来るのは多分この伝統だろう。2声、3声、4声の讃美歌。それがオルフェウスの楽器、ルネッサンスリュートに載ってポリフォニー(多声)音楽となった。リチェルカーレ、ファンタジア等がその典型か。その最終形がフーガ、対位法だろう。

 ポリフォニー、つまり異なる旋律が同時進行するその一瞬を切り出すと和声がある。そこから和声進行とその上を走る旋律の音楽が現われた。この節目に居るのがバッハだと思う。やがてハイドン、モーツアルト、ベートーベンを経て和声+旋律の西洋音楽はワグナーで頂点に達して後はそのヴァリエーションでしかない。ここに現代西洋音楽の退屈がある。

 ルネッサンスリュートがさらに弦の数が増えてバロックリュートとなり、バロックリュートの左手でフレットを押さえる代わりにもっと弦を増やして指の代わりに鍵盤を使うチェンバロが現われた。この最終形がピアノだ。

 リュートは上流階級に持てはやされたが調弦がややこしいい等の理由があってか、庶民にはもっと手軽なギターが使われるようになった。・・リュートの先祖はサラセン人のウードだがスペインは長らくサラセン人の支配下にあったのが理由か、その形状を避けて瓢箪型で背中が平らなヴィウェラを使った。ヴィエラは複弦楽器だったがこれを単弦にした、或は複弦4コースのルネッサンスギター、その後継の5コースバロックギターの簡素化発展型がギターの先祖だろう。

 考えるにヴィエラの子孫がスペインのギター、バロックギターの子孫がスペイン以外のギターではなかったか。で、現代のモダンクラシックギターの構造はスペインで完成された。その現代ギターと別の系で発展して19世紀で足踏みしていたのが所謂ロマンチックギター、婚礼に際して花嫁に持たせた半分は飾りの嫁入りギターであろう。

 私は長い間モダンギターを弾いていたが最終的に飽きた。和声+旋律に飽いた、飽いてルネッサンスリュートをやった。ところがこれにも飽いた。理由は、【歌】であって【内省・沈思】でないからだ。除夜の鐘を聴きながら来し方をじっと振り返る、考える、日本人である私にはただ朗々と歌う、ただ悲しみを綿々と呟く、風な音楽がピンと来ないのだ。

 そこで意を決してバロックリュートに移った。以前、フランスバロックリュートの音楽に感銘を受けていたからだ。概ね満足。人に聴かせる事に全く興味がなくただ弾きながら考える至高のひと時!

 ところがある日単弦リュートの情報に行きあたった。曰く、リュートなる楽器は既に廃れた楽器である。その理由は扱いが面倒、音楽表現がギターに劣る(両方やった者としてそのいう事には納得できる)。しかしギターの音は暗く、他の楽器との合奏不適、負ける、音響学上はリュートのあのボウル型が優る、そこで単弦リュート!!と言うわけだ。

 何事もsimple is the bestの自分としてはこの意見を看過できす試しに手持ちのリュートの2コースばかりを単弦にしてみた。弾いてみると複弦の時より劣るとは思えない。そこで総てのコースを単弦にしてみた。・・・興ざめ、がっかり、だった。何故だろう?と考え、思い当たることがあった。【響き】と言う要素が抜けてしまっている、大汗かいて半日がかりでまた複弦に戻した。

 考えてみればギターに飽いた理由、ルネッサンスリュートに飽い理由が、和声+旋律の音楽や歌に飽いた事が底にありさらにその下に【響き】のない音楽に興味が持てない、と言うことではなかったか?と今思う。バロックリュートはフランスで栄えドイツで終わって和声と旋律の音楽が古典派として興って来た。単純で理屈っぽいドイツ人の感性が複雑な感性のフランス音楽を咀嚼できなかった?!
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