ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

小さな威嚇者

2006-11-25 02:45:19 | アンプ
 Tiny Terrorときた。うわ、なんというネーミングだ。これはね、僕の愛するトルーマン・カポーティの渾名なのだ。近年映画やドキュメンタリーが盛り上がっているから、偶然の一致ではないと思う。ねえカポーティ、君は自分がギターアンプに生まれ変わるなんて想像したか?

 英国Orange社のアンプは、昔は記念写真を撮りたいほど珍しかった。生産国が東洋に移ってからはどんな楽器店にも置かれるようになった。
 タイニーテラーは同社の、15w/7w切替式ヘッドアンプだ。すなわちスピーカーは付いていない。しかしスピーカーだったらライヴハウスに在る。別のアンプシステムの下半分を使えばいい。
 この発想に僕はなかなか至れずにいた。一体型のいわゆるコンボアンプは、全体が共振して独特の音を発する。古いジュークボックスはハイファイではないが良い音がするでしょう。僕はあの感覚が好きだ。しかしながら先日のライヴで、クルーが慣れているキャビネットでなら、それなりの成果が得られるともわかった。
 タイニーテラーの重量は約6kg。片手で運べる。一方、現場でどんなスピーカーに出逢うかわからないというリスクもある。さて。

 工具箱のような形と大きさに興味を示していると、若い店員が寄ってきて「けっこう歪みますよ」と云う。薦めているんだかやめろと云っているんだか、よくわからない。試奏させたがっている様子から、貶していたのではないとわかった。
 店員はアンプをMesa/Boogieのキャビネットに繋いだのち、韓国製の初心者向けギターを手渡してきた。いきなりマスターボリュームを全開にしたら仰け反っていた。メイン管の歪み方を確かめるためで、その代わりゲイン・コントロールもギター側のボリュームも絞っている。ラヂデパの曲をラヂデパらしい音色で弾き、ときどき余韻のところですうっとボリュームを上げるのだ。上手くフィードバックが起きていつまでも音が続くなら、僕にとっては使い易いというか、なんとかなるアンプである。
 ゲインを半分まで上げると他の試奏者が迷惑そうに振り返るほどで、これで7w。ただし15wに切り替えても音量が倍になるわけではない。ワット数と音量は比例しない。
 屋根裏程度の規模、しかもPAがちゃんとしているハコでなら、7w側でも充分だと思う。ニール・ヤングの轟音だって、実は15wのフェンダー・アンプから発されているのだ(よく22wと記されているが、それは後継機種だと僕は認識している)。

 今様オレンジのアンプは何度も試奏して、自分には向かないと思ってきた。しかしこの度は目から鱗が落ちた。
 自分が選び、買い、使っている機材しか評さないのが、この種のブログの正しい在りようだと思うし、実践するつもりでもいたのだが、AC15の話題以降、原則が崩れてきた。特定の製品を貶してはいないから許されるだろう。そういやシム批判を批判したか。あれも非合理を非合理と書いただけだ。YCV20WRJだってラヂデパでは使いにくいだろう、せっかくお金を出すのだから「自分にぴったり」と公言できる物を買いたい、といった判断に過ぎず、決して悪いアンプではなかった。本当はあれでも困りはしないのだ。

 加齡と共に耳が悪くなってきたのか、要領が良くなったのか、ギターの手入れが的を射ているのか、いくらか歪むアンプさえあれば「これはこれでいいじゃないか」と思えるようになってきたのも、事実だ。僕はソロ奏者ではない。いかに繊細に音色を調整したところで、横で太朗が弾けば低音はマスキングされる。奥野がシンバルを叩けば高音がマスキングされる。
 レコーディングはもっと大雑把で、Logic Pro(録音ソフト)に附属しているアンプ・シミュレーターで構わないという程。すべての音が2チャンネルに押し込められる録音物においては、生演奏以上に錯覚が起きやすい。
 いや、そもそもエレキギターの音像も、PAを通した歌声も、聴力の弱い生物に特有の錯覚に過ぎないのだ。僕らが実際に聴いているのは、紙やアルミが揺れている音だ。

 むかしラヂオデパートには犬のメンバーがいた。本当だ。演奏はしなかったが、ローディでもマネージャーでもなかったからメンバーとしか云いようがない。舞台袖の、お客にも見える場所でじっと演奏に聴き入っていた。僕がPAスピーカーの中に居るなんて錯覚は一度も起こさなかった。
 すなわち彼が聴いていたのは轟音の中の僕の肉声であり、部屋でいつも聴き慣れている、棒に張られたワイヤーがちりちりと侘びしく鳴る音だったのだ。

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