ヌートリアス『きっと食べてね』の印刷関係の入稿が終わった。くどいようだがジャケット装画は金子國義、裏面の写真は横山孝一、グラフィックデザインは松木美紀、僭越ながらアートディレクションは津原泰水、そしてバンドのロゴマークは実弟・村田修に頼んだ。プロばっかり。出来の悪かろう筈がない。しかしそれ以前に、こういうコラボレーションの場を提供しえた事が嬉しい。
業界的には4パネルと呼ぶらしい、ブックレット型で、歌詞はそれを開くと内側に載っている、というスタイルを選んだ。プラスティックのCDケースは、嵩張るくせに割れやすいから好きではないのだ。
音の方を先刻また聴き返したが、こちらも良いと思う。少なくともB.G.M.になる。不出来な音楽は、胃の腑が捻れるようで、なかなかB.G.M.にならないものだ。
とはいえ僕には残念乍ら、音については「商品としての」優良可が判らない。小説を出版し始めたばかりの頃のように「市場的にどうかは判りませんが、最大限の事はやりました」というのが本音。だから音の面での最終判断は、プロであるビアンコに一任した。
「売るんだったら嘘でもいいから最高だと云え」と昔からよく説教されるのだが、この風潮のせいで世の中、右を向いても左を向いても宣伝宣伝で、実に喧しい。本気で取り組む程に当事者達は客観視できなくなるに決まっているのだから、お客さんにも気に入っていただけたら嬉しい、という程度でいいんじゃなかろうか。また武家の商法と嗤われるだろうか。
少なくとも「海外の一流スタジオで一流のスタジオメンと作りました」といった音を期待されては困る――誰も期待してないか。だけど「宅録と僅かなスタジオ録音と、パソコンによる疑似スタジオワークで、ここまでの表現が出来る」という勇気を、大勢に与えうる内容だと思う。僕が若い頃に涙した英米インディースのレコードと同様の、新しい何かへの希望に満ちていると思う。
音楽を囓ってこられた方なら、津原のコーラスがずいぶんフィーチュアされている事にも気付かれよう。我ながら美声。一応クラシック出身だしな。本当はビアンコの処理が巧いんだが。
最終段階、ミキシングに関してバンド内で紛糾した。僅か六人のメンバーでさえ、再生環境が全く違うのだと気づかされた。モニタースピーカーで聴く者、パソコンに繋いだヘッドフォンで聴く者、自動車の中で聴く者では、とうぜん所感が違ってくる。購買者の環境といったらそれどころのヴァリエーションではない訳で、この点には今も大いに恐怖している。
しかし紛糾も悪くはないと云うか、やがてバンド内に「歌を、詞を、重視する」という不文律が出来上がったように感じる。「多少失敗していても不自然な加工は施さない」というのも。歌曲を演っている以上、インストゥルメンタル部分が巧かろうが下手だろうが、最後に残るのは「うた」なのだ。息なのだ。ギターがどれほど美音でも逆にぺらぺらでも、それに絶望したり富士の樹海から戻ってくる人はいない。しかし息にはそれが出来る。息は「生き」だ。こじつけではなく、息という言葉には大昔から命という意味がある。
さて以前も書いたとおり、ヌートリアスとしての曲は、今回は〈きっと食べてね〉一曲。もっと新しい曲もあるけれど、今回はこれのみ。津原がやっているバンドというので、ホラー系プログレや山崎ハコの恐怖フォークみたいなものを期待されていたら、すまん。身売りしたのかというくらいポップな歌曲です。ギターにやや狂気が宿っている程度。僕はビートルズやゾンビーズが大好きなのだ。
以降、ミキコアラマータによるラヂオデパートのカヴァー、ラヂデパによるミキコのカヴァーと続く。
ミキコによる〈雲雀よ雲雀〉は浪漫ティックな人力ディスコ。奥野がゲストで叩いている。饒舌な詞は、もし間に合えば『綺譚集』に入れていたかも。
ラヂデパの〈カーブを描く〉は、ギターバンド、ライヴバンドらしい荒涼たる疾走感を愉しんでいただけたなら幸甚。
プレス業者からCDの詰まった箱が送られてくるであろう11/11をもって、発売日としている。1ばっかりで憶えやすいし。
販売に関しては、ラヂデパ、ミキコ、ヌートリアスのライヴ会場が中心だが、通信販売を請け負ってくださるお店があるので、遠方の方はそちらを御利用ください。近々http://www.tsuhara.net/内に立ち上げるヌートリアス公式サイトで、試聴も出来るようにしたうえ、詳細を発表します。
最初の本格的な販売は、11/17(月)代々木ブーガルでのレコ発ライヴ。ミキコ、ラヂデパ、そして融合したヌートリアスの全部が聴ける稀有なイヴェントなので、興味を持たれた方はぜひお運びください。そして一緒に飲みましょう。
http://www.bogaloo.net/main.html
業界的には4パネルと呼ぶらしい、ブックレット型で、歌詞はそれを開くと内側に載っている、というスタイルを選んだ。プラスティックのCDケースは、嵩張るくせに割れやすいから好きではないのだ。
音の方を先刻また聴き返したが、こちらも良いと思う。少なくともB.G.M.になる。不出来な音楽は、胃の腑が捻れるようで、なかなかB.G.M.にならないものだ。
とはいえ僕には残念乍ら、音については「商品としての」優良可が判らない。小説を出版し始めたばかりの頃のように「市場的にどうかは判りませんが、最大限の事はやりました」というのが本音。だから音の面での最終判断は、プロであるビアンコに一任した。
「売るんだったら嘘でもいいから最高だと云え」と昔からよく説教されるのだが、この風潮のせいで世の中、右を向いても左を向いても宣伝宣伝で、実に喧しい。本気で取り組む程に当事者達は客観視できなくなるに決まっているのだから、お客さんにも気に入っていただけたら嬉しい、という程度でいいんじゃなかろうか。また武家の商法と嗤われるだろうか。
少なくとも「海外の一流スタジオで一流のスタジオメンと作りました」といった音を期待されては困る――誰も期待してないか。だけど「宅録と僅かなスタジオ録音と、パソコンによる疑似スタジオワークで、ここまでの表現が出来る」という勇気を、大勢に与えうる内容だと思う。僕が若い頃に涙した英米インディースのレコードと同様の、新しい何かへの希望に満ちていると思う。
音楽を囓ってこられた方なら、津原のコーラスがずいぶんフィーチュアされている事にも気付かれよう。我ながら美声。一応クラシック出身だしな。本当はビアンコの処理が巧いんだが。
最終段階、ミキシングに関してバンド内で紛糾した。僅か六人のメンバーでさえ、再生環境が全く違うのだと気づかされた。モニタースピーカーで聴く者、パソコンに繋いだヘッドフォンで聴く者、自動車の中で聴く者では、とうぜん所感が違ってくる。購買者の環境といったらそれどころのヴァリエーションではない訳で、この点には今も大いに恐怖している。
しかし紛糾も悪くはないと云うか、やがてバンド内に「歌を、詞を、重視する」という不文律が出来上がったように感じる。「多少失敗していても不自然な加工は施さない」というのも。歌曲を演っている以上、インストゥルメンタル部分が巧かろうが下手だろうが、最後に残るのは「うた」なのだ。息なのだ。ギターがどれほど美音でも逆にぺらぺらでも、それに絶望したり富士の樹海から戻ってくる人はいない。しかし息にはそれが出来る。息は「生き」だ。こじつけではなく、息という言葉には大昔から命という意味がある。
さて以前も書いたとおり、ヌートリアスとしての曲は、今回は〈きっと食べてね〉一曲。もっと新しい曲もあるけれど、今回はこれのみ。津原がやっているバンドというので、ホラー系プログレや山崎ハコの恐怖フォークみたいなものを期待されていたら、すまん。身売りしたのかというくらいポップな歌曲です。ギターにやや狂気が宿っている程度。僕はビートルズやゾンビーズが大好きなのだ。
以降、ミキコアラマータによるラヂオデパートのカヴァー、ラヂデパによるミキコのカヴァーと続く。
ミキコによる〈雲雀よ雲雀〉は浪漫ティックな人力ディスコ。奥野がゲストで叩いている。饒舌な詞は、もし間に合えば『綺譚集』に入れていたかも。
ラヂデパの〈カーブを描く〉は、ギターバンド、ライヴバンドらしい荒涼たる疾走感を愉しんでいただけたなら幸甚。
プレス業者からCDの詰まった箱が送られてくるであろう11/11をもって、発売日としている。1ばっかりで憶えやすいし。
販売に関しては、ラヂデパ、ミキコ、ヌートリアスのライヴ会場が中心だが、通信販売を請け負ってくださるお店があるので、遠方の方はそちらを御利用ください。近々http://www.tsuhara.net/内に立ち上げるヌートリアス公式サイトで、試聴も出来るようにしたうえ、詳細を発表します。
最初の本格的な販売は、11/17(月)代々木ブーガルでのレコ発ライヴ。ミキコ、ラヂデパ、そして融合したヌートリアスの全部が聴ける稀有なイヴェントなので、興味を持たれた方はぜひお運びください。そして一緒に飲みましょう。
http://www.bogaloo.net/main.html
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