ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

My Life分析

2006-12-03 04:14:05 | 作詞作曲
 往年の曲をアレンジ変更せずそのまま演ってくれた、という点でも好感をいだいたジョエルのコンサートだったが、発表時の完成度が高すぎて手を加えようが無い、という事情もきっとあろう。

 個人的に印象ぶかかった〈My Life〉を分析してみる。
 基本的にミドルの八拍子なのだが、ピアノやベースがしきりにドンデンドンデン――とオクターヴ違いの音を発する。ディスコ音楽の影響というかパロディだろう。トッド・ラングレンも同じような採り入れ方をしていた。ピアノの練習か泥臭いディスコバンドのようで、ださいと云えばださいのだが、イントロのフレーズにぴったり合っているので外すに外せない。ジョー・ジャクスンの〈Steppin' Out〉もこういう構造だな、考えてみたら。

 歌そのものはキイDだが、聴き慣れないうちは調子っぱずれに聞えなくもない、どんどん陥没していくようなイントロのキイは、たぶんBbとして作曲されている。
 コード進行はD/C7/Ebmaj7/Bbだ。キイDと考えると異様な進行だが、キイBbと解釈すると、IIImの代わりにIIIが、IImの代わりにII7が使われているとして、理解しやすい。ジャジィというか、ちょっと冷たい感触を狙っている。エレクトリックピアノの音色も相俟ってスティーリィ・ダンを彷彿させる。

 歌い出しからいきなりサビに入る形式で、その部分はD、G、Aの3コード。やがて出てくる「泣かせ」の部分でBmに逃げるのは教科書どおり。
 しかしその後のコール&レスポンス的な進行が激しく浪漫チックだ。Bm/F#に対して、その後D7/E9でもほとんど同じメロディを歌っている。というより、恐らく同じメロディに対してまるで違う低音を付けたのち、コードとして辻褄を合わせている。ここが身も世もなく切ない。コーラスも凝っている。詞はこう歌っている。「俺は、自分を街の犠牲者だなんて云った覚えはない」(意訳です)。
 その後はダイアトニックな(ドレミ――に即した)進行で盛り上げて、またサビに戻る。

 コードの連続体として曲を捉えてしまいがちなギタリストに、こういう曲は作りにくい。専業ボーカリストやベーシストのほうが、近い発想で作れるかもしれない。
 エレクトリックピアノの音色や、それに寄り添うような(もしプロモーションヴィデオ通りだとしたら)ギブソンRDギターの鋭い音色も美しい。この魅力的だがまったく流行らなかったギターについては、きっと後述する。
 これまたヴィデオ通りだとしたら、ベースはリッケンバッカーだ。ウィングスっぽいニュアンスがあるから、きっとそうだと思う。ジョエルの指示じゃないかな。歌い方もポール・マッカートニィそっくりだし。

 ところで左手ばかりを動かしているこの曲の印象から、僕はジョエルを左利きだと思っていたのだが、ギターは右利き用のを弾いていた。左用のギターは少ないため最初から右用で覚える人も多いから、あまり当てにならないが。
 僕は実は両利きで、右手をポケットに入れ続けていても日常生活に困らない。パソコンのマウスは出来たら左側に置きたいという程だ。父が書家で左で筆や箸を持つなんて論外の家庭だった。しかし一度左利き用のギターを弾いた時、あれ? と思ったものだ。楽だった。
 今までの苦労を無駄にして一からやり直す気なんか無いし、昔は今よりいっそう左利き用のギターは少なく、あったとしても値段は三割増しだった。だから夢想に過ぎないのだけれど、もしそういう環境が得られていたなら、もうすこし進歩が早かったかも、と思わなくもない。

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