ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

Rickenbackerその3

2006-11-30 06:40:52 | ギター


 画像は某サイトから。今は僕のギターだから良いでしょう(こういうのばかりだな)。
 数年前しばらく広島に居た頃、何とはなしネットでリッケンバッカーの売値など調べていると、見覚えのある楽器の画像が出てきた。瑕物として安値が付いていた。
 なんであんな小さな画像で、と今も不思議なのだが、初めて人前で弾いたリッケンバッカー610/12だと確信した。売主に問い合わせた。勘は当たっており、売主は僕を憶えていた。僕に同楽器を貸し出してくれた社長その人だった。リッケンバッカーの輸入代理業からはすでに撤退しておられた。
 会社は神戸にあった。ボディに付いた瑕は、ショウルームが阪神大震災に見舞われた際、落下して付いたものだそうだ。「津原さんから返していただいた後、ずっとショウルームに飾っていました。津原さんしか弾いていないんです」と仰しゃる。無理してでも買わずにいられようか。

 のちに知ったのだが610/12というこのモデルは、どうも同社長が一ダースの注文をかける以前は、カタログ上には有りながら生産記録が無いという幻のモデルだったようだ。しかも僕に貸してくれた一本は、彼がパーツの大半を'60年代の物に交換した代物だった。しかしそれらの事実には触れず、津原さんになら、といっそう安く譲ってくれた。
 620/12あるいは660/12というモデルなら数多いのだが、610はより地味。具体的には、ボディやネックにバインディング(囲みの飾り)が無く、指板のポジションマークも質素だ。
 より安価な450というモデルの十二絃はよく見掛ける。すなわち620/12はショウマン向けであり、450/12は労働馬(ワークホース)という位置づけであり、どちらでもない610/12にニーズは無いと目されたのだろう。660/12はトム・ペティ・モデルがレギュラー化したもので、620/12より更にデラックスな仕様を誇る。

 約十五年ぶりに手にした「初めてのリッケンバッカー」の、弾きにくさに僕は驚いた。パーツの全てに見覚えがあり、ギターとしての状態も良好だ。僕の演奏が変わったのだ。昔の僕は、基本的なコードを掻き鳴らす程度の事しか出来なかった。そして'60年代のリッケンバッカーのパーツは、そういう演奏に特化している。絃を弾き分けることなどあまり考えられていない。
 こういう楽器を巧みに操っていた'60年代のミュージシャンの、繊細な巧さに感嘆する。同時に石黒くん、ゆえに云っておこう。'60年代の楽器のために長い長いローンを組めば、夢のトーンが手に入るなどと考えてはいけない。当時と今ではギター奏法が根本的に違う。
 もし君がリッケンバッカーを買うんだったら、近年設計された650シリーズがいいと僕は思うよ。技術者はちゃんと君のような若者たちのことを考えてくれてる。あれなら君の好きなB'zを演る時も困らない。

 四本めのリッケンバッカーはそれから間もなく、小金が入った時にふらふらと買った。381V69というモデルで、これにこれといった物語は無い。三本もリッケンバッカーを持っていながらどれも十二絃で、ライヴなどに持ち運ぶ時、常に「普通のもう一本」が必要だったので、六絃のリッケンバッカーがあれば両方を兼ねられるのではと甘い夢をみた。得られたのは、「どの曲も物足りない」という結果だった。
 悪いギターではない。見た目もたいへん美しい。これも中古で買ったのだが、試奏した時はこの値段で手に入るのかと昂奮した。たんに僕が使いこなせていないのだ。

 この敗北感が、気がつけばジャンクのようなギターが部屋に増えている、という長年の悪癖から僕を救ってくれている。ギター弾きはついギターを女性にたとえて「初恋の人」「今の妻」などと書いてしまいがちだが、こういう書きようは女性からたいへん嫌われる。だから美少年とか美青年としましょう。
 不意に転がり込んできて僕に強い印象を残し、のちにまたふと現れて違和感を与えた幻の美少年が610/12、病気がちにもかかわらず長年連れ添ってくれている少年が360/12V64、そのサポートを見事にこなしてきた有能な青年が370/12VP(これが正式名称)、すべてをこなせる理想の秘書だと思って雇い入れたら、ずけずけと見たくない現実を指摘してきて僕を落ち込ませる美青年が381V69。萌えましたか。駄目ですか。

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