Dの嵐 

だいさくな日々

背中が痛い( 涙)

2009-07-20 01:17:35 | Weblog
やはり 目が覚める理由はこれか!?的な
窓から外を見ると、西の空は稲光がしてる
昔 中一の夏前 幸崎中学校へ 野球の試合を自転車で見に行っての帰り道
野球部だった 僕と宮津くんは 西の空が真っ暗く成っていくのをみて、
試合も終わったから早々に自転車を三原に向けて走り始めた
自転車のスピードと黒い雲との追いかけっこ
しかし そのスピード競争に負けてしまったのは・・・
雄に10キロは帰って来てただろう 三原の海岸線 貝野に入った所だった
今の三菱和田沖工場の入り口辺り、今の様に信号も無ければ、歩道もない
僕ら二人は三原に向いて右側の白線の右を走っていた
体は雨に追い付かれ、ビシャンコで 体力的にもスピードについて行けなくなっていた
その時である、ピカッ と ガラガラドーーーン が同時に
僕らの近くの(30m位かなあ)木に直撃して 撃って来たのである。
と 同時に 僕と宮津くんは 更に右の下に有った 大きな溝に 落ちていったので有った。
確か 僕の記憶に依ると 爆風で飛ばされた様に記憶しているが
今 思うと 只単に爆音にビックリして 溝にはまったのに違いない!(笑)
溝から這い上がり 自転車の曲がったハンドルを 豪雨のなか 二人共、治した
そして 泥々に成って色の変わった、カッターシャツと制服ズボンを気にもしないで
後2キロ位で有った 宮津くんの家に向けて 二人は 泣きながら走って帰った。
懐かしい 青春のあの日の想い出である。
それ以来 雷鳴や稲光が怖くて仕方なくなった。
笑われるかもしれないが、オヘソ迄、真剣に取られるのではと考えても居た!
当時は雷が、近所の結婚式場の屋根に落ちたり
民家の屋根に落ちたりしていたのは、結構頻繁に有った。
他府県では解らないが、僕の親や近所の人達は 雷の事を・・・
「ドンドロさん」と 呼んで居た!
だから 鳴り始めると僕の場合、ヘソを手で隠し抑え 家の隅で小さくなって居る(笑)
大人に成ってもである。(笑)
何処に居たって安心なんか出来るものか と 考えている(笑)
僕の子供達にも 「ドンドロさん」は 引き継がれて居る

ちょっと長くなりました また後で

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2 コメント

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Unknown (くまきん)
2009-07-20 05:10:45
 それも青春の一ページ・・・。
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Unknown (メガネ屋のおっちゃん)
2009-07-20 10:14:57
ボクも昨夜はちょっと怖かったです。

ピカッ!の後の数秒経ってからの・・・
ドドドドドーンッ!

その数秒間で雷までの距離が解るそうですね。

ピカ!ドーン!が一番怖いですね。
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