Dの嵐 

だいさくな日々

40周年の続き

2014-07-11 16:37:09 | Weblog

昨日カキコしたことでかぞえで40周年を迎える「ある君セカンド」と言うバンドなのですが
何故ある君(アルクン)と言われ始めたのかという話ですが 先代に先ずは初代の「ある君」が居ました
この初代ある君はチューリップ等とNSP(ニューサディスティックピンク)のコピーをしていました
バンドのメンバーには 山田兄弟(兄はベースとハモリ、弟はアコギとボーカル)とリードギター横井君
ドラムは三原高校へ行っていた大門君(今は大学の先生をして居るとのこと)そしてキーボードが二人
一人はピアノで中谷さん そしてもう一人は森田さん そしてサイドギターとボーカルで私大作の7人バンドでした
真っ赤な車で~いつもやってくるとか おいらは生まれ付いての道化者とか やけにぃ真っ白な雪がフワフワとか
コピーをしていましたがある日僕も何故ある君なのか知らなくて 当時ある君を作った山田君に問い合わせたのでした
すると山田君はこう言ったのです
「ある日 ある時 彼女とデートをしていて 歩きつかれてベンチで休んでいた二人
 中々汗は止まらずに そして足もしんどかったけれど 彼は目的を持っていて・・・
 ベンチに腰掛けていたのだけれど 彼が彼女に言ったのです そろそろ行こうか
 すると彼女は (えっ 又 歩くン)と聞き返したのだそうですが・・・
 彼は臆せずに (そう又歩くンよっ)と言って立ち上がって歩き始めたのだ」と 山田君は説明をしてくれました
そして僕にこういったのです・・・「其の言葉からある君が出てきて バンド名に使おうと言う事である君になった」と
僕は其のある君へ 一メンバーとして入って居たのですが このバンドは2回ほど大きなコンサートに出て解散したのでした
メンバーの住んでいるところはそれぞれ別々でしたので 中々集まれないと思っていたのですが
尾道のますはら楽器店で 毎週の様に練習をして其々の腕前は中々のもの 只このときからルックスでは勝負できないバンドでしたが
そうして解散をしてある君と言う名前が 浮いたような形でもう忘れかけていた時でした
僕にコンサートに出ないかと言う話が三原の楽器店 ワタナベ楽器店の店長さんから依頼があったのです
僕はまだギターを弾き始めて2ヶ月と言う短い期間にも拘らず ワタナベで楽器を購入したのが運のつき
其の3ヵ月後には「花いっぱいフォークコンサート」と言うコンサートに瀬川氏デビューをしていたのでした
バンド名がない僕達はどうしようかと悩んで 簡単に考えて 前に僕が居たバンドがある君なので
二人居るし、二代目と言う事で セカンドをつけて 「ある君セカンド」と言うバンド名でデビューしたのでした
司会の人から どうしてある君と言う名前になったのですかとインタビューされて 山田が言った事を言うに言われず
ニュアンス的に ある人を想っている と言う表現を ある君を想っている と言う風に人を君に置き換えたのですが
と言う話で インタビューに答えていましたそして 華々しくデビューしたのでした

まっこんな感じでしたが 当時はこの瀬川氏は 照れたり喋らないというキャラで押し通していましたので
客席から「瀬川さん~」と言う 黄色い声なんぞ聞こえようものなら 瀬川氏は てれた表情をしていたのでした
しかし内情は照れては居ませんで 瀬川氏もあくまでキャラを作っての行動と言う事で
お客様にはばれないように 何度もコンサートをして行きましたがあ 歳と言うのは怖いものです
今最近の瀬川氏は 探偵ナイトスクープ出演以降は 僕以上に喋って滑って 一人ぼけ突込みをしています
まっ明日がホント楽しみですが さてどうなりますやらと言う事で 又カキコ致します

ではまたまた 



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