まこっちゃんのリフォームまでの軌跡

1人暮らしの我が家のリフォームといろんな事のブログ

音楽とは!50

2009-05-26 23:11:00 | 音楽
私の生活状況は、悪くなってきています。ネットの世界から消えるかもしれなくなってきました。早く書き上げてしまわなくてはいけない状況です。

でも心配しないで下さい。体の方は元気なので、ブログの中の経験は2001年の冬の事です。
福岡の某○立病院で手術の後、検査を終え、最終的な診断をされたのは退院の2日前でした。

循環器科の○村先生から、診察室に呼ばれてお話を聞くことになりました。
この同世代の先生は、私が、

「率直にすべてを話してください。」

と話していたので、入院中よく内容を話してくれました。
検査中も冗談ばかり話していたので、不真面目と思われていたかもしれませんが、私は、この先生の言う事は、静かに聞きました。

○村先生、

「○本さん、手術は成功です。発作はもう起こる事はありません。」

私、明るくなり、

「ありがとうございます。これも、○村先生と○生先生のおかげです!」
「看護師さん達も本当によくしてくれました。」

○村先生は、うなづいていました。

私、

「これからは、酒やタバコは辞めたほうがいいのでしょうか?」

先生、

「いえ、いままで通りで大丈夫です。」

私、

「えっ、そうなんですか?」(ハテ?)

先生、

「ええ、大丈夫です。ただ、激しい運動は控えてくだい。」

私、

「ええ、もうラグビーも引退しましたし、激しい運動はしませんよ。」

「先生、WPW症候群のほうも手術でなおったんですか?」

先生、

「・・・・・無言。」

ほんのちょっと時間をとって、先生はこう言いました。

「○本さん、これからはストレスを感じないような仕事についてください。」

私、

「えっ!それって治っていないって事ですか?」

先生、

「いえ、そうじゃないです。発作は絶対にもう起こりません。」
「手術は成功です。安心して下さい。」

私、

「先生、無理ですよ。今の私達世代でストレスを感じない仕事なんてないですよ。それに私の仕事は特に・・・」

先生、

「とにかくストレスを感じないように・・・」

また、しばしの沈黙の後、先生が、

「それと、3年間は○立病院から30分圏内の場所で仕事をして、一年に一度は検診にくるように御願いします。」


私は、

「30分圏内?それは救急車でって事ですか?」

「先生、はっきり言って下さい!治っていないんですか?」

先生、

「○本さん、落ち着いて!お酒も飲んでいいし、タバコも吸っていいです。今まで通りで構いません。発作も絶対に起きません・・・それしか言えないんです!」

先生は、そう言うと涙目になり、黙ってしまいました。

沈黙の後、私は、

「わかりました。」

とポツリと言いました。

(この先生は真剣に私の事を考えているのだ、しかし、医者の立場としてこの先は言えないのだ。)と察しました。

(こんな大きな病院の権威ある医者でさえ、私の心臓の未来ははっきりと言う事は出来ないんだ。)と・・・

私は、もう一度、

「わかりました。」

とつぶやきました。同世代の先生は、涙目で私を見つめ、こう言いました。

「○本さん・・・これから先・・・後悔、・・・・・後悔しないように・・生きて・・下さ・・い・。」

と、とぎれとぎれに私に言い、回転椅子を壁の方に回し、肩を震わせていました。泣いていたと思います。

私は、

「先生、わかりました。本当にありがとうございました。」

私は診察室を出ました。

私は、先生は真剣に私の事を考えてくれたんだ。でも、これから先の事なんて分かるもんじゃないんだ。先生は本当によくしてくれたんだ。手術室の音楽も、ひょっとしたら先生達が、私の為にプレゼントしてくれたのかもしれない。福井で血を5時間も吐き続け発作をおこした私の為に。

入院して、すぐの頃、ナースステーションの看護師さん達の、まるでバケモノでも見るような顔。

いや、ひょっとして・・・検査中も、大きな待合室でも、廊下でも同じ町内の人達に何人か出会った。町内の人は22で父親を亡くし兄弟で苦労して来た事は知ってるはずだ。なにがしらか話をした人がいるのかもしれない・・・

そんな、私の為に素晴らしいプレゼントじゃないか?音楽が好きな私の為に・・・

私は、そう思いました。



私は、○村先生のメガネ越しに涙を浮かべ

「○本さん・・・後悔、・・・・・後悔しないように・・生きて下さ・・い・。」

と、とぎれとぎれ言った顔を忘れた事はありません。

                      ・・・・・つづく