goo blog サービス終了のお知らせ 

まこっちゃんのリフォームまでの軌跡

1人暮らしの我が家のリフォームといろんな事のブログ

休日

2007-05-13 21:20:21 | ラグビー
今日は、息子のラグビーの練習試合でした。AM6:30に家を出て帰ってきたのはPM5:30でした。私が入っていた○津リトルラガーです。

息子は、一度、4年生の時に入部したのですが、何故か辞めてしまい、6年生になってからまたやりたいと言い出しました。同じ小学校にいる友達にもう一度やらないかと誘われたのが原因ですが、もう一度やりたいと言う気持ちは大切にしてやりたいのです。

辞める時は、後輩であるコーチに謝りに行き用意してくれたスパイクを磨いてお返しして、何度も謝り、やりきれない気持ちでした。当時、私は仕事が安定していませんでした。息子も私の不安定な暮らしぶりを薄々と感じ取り、これ以上しても良くないと思ったとのではないか?と思います。

私が、高校3年生の頃、家計が安定せずに、母親に相談してもスパイクが買えなくてチームメイトから非難されました。レギュラー争いをしていた時期でしたので、相当にツラく切ない思いをしました。練習の帰りのバス亭で○津の先輩で糸○高校から福大でラグビーをしていた先輩から、
「お前も、福大に来てラグビーばせんや?お前の先輩の○村も頑張りようぜ。」
と言ってくれました。
しかし、私はスパイクも買えない家庭の子供で、今日、キャプテンから、
「辞めるなら辞めれっ!」
と言われたばかりだったのです。この私を誘ってくれた○津の先輩は、後にサントリーに就職し日本代表になりスコットランド戦で大活躍をします。

後輩のコーチにスパイクを返しに行った時、俺も
(子供にスパイクを買ってやる事も出来ない親なんだ。)
と、一人で思って切なくなっていました。

中学校のコーチをしていた時、十分な才能を持っているのに家庭の事情で高校に行かずに働く子供を随分と見てきたし、高校に行っても、どまぐれて辞めていってしまった子供たちも随分と見てきた。よくよく考えてみるとつまらないコーチであったと思います。

息子の試合を見ていて、久しぶりに大きな熱い声を出していました。


本屋にて

2007-05-05 09:57:21 | ラグビー


昨日、息子と二人で本屋に行きました。息子は「ナルト」が欲しいので、本屋に連れて行ってくれということでしたので、本屋に行きました。本屋で30分ほど立ち読みをしていたら、ラグビーマガジンに協会の金野滋理事長(今は、離職されていたのでしょうが、私は金野理事長と憶えている。)が亡くなられたとの訃報が掲載されていました。

金野さんは、幼少の頃、イギリスで生活されていて英語が流暢で、イギリス流のマナーやスピーチ、ジョークが上手くて日本よりも海外での認知度が多いくらいです。特にスピーチは有名で、戦後すぐの代表戦、確か、ニュージーランドかオーストラリアとのテストマッチであったのでしょうが(ちょっと曖昧ですが、確かそうであったと思います。)のアフターファンクションでの有名なスピーチには、日本人関係者だけでなく、相手側の関係者から、拍手喝さいをもらった有名なスピーチを残されています。内容は、金野さんが戦争時代に特攻隊で、その戦争していた相手側とラグビーの試合が出来る幸せ、お互いを思いあえるラグビー精神とかの内容であったと思います。

日本のラグビー界が、海外で評価されているのは、協会での金野さんの人柄によるところが大きいとの記事も昔読んだことがあります。IRBではシギー・金野と呼ばれて親しまれていました。

ご冥福をお祈りします。


試合の感想

2007-01-10 19:43:34 | ラグビー
昨日の分です。(笑)

私は、元来、体が大きい方である。最近は、ちとメタボリック気味(爆笑)であるが、男の兄弟は、私よりもまだ大きいのであまり気にしなかった。(マヌケな話であるが)(笑)

兄も弟も私よりは、でかいのです。だから、男の兄弟で私が一番スリムなのです。(爆笑)
中学時代に友人からラグビーを進められた理由も、体が大きくて、フォワードが足りないからだったのです。

ラグビーの高校の決勝がテレビであっていたので、ちょっと見てみるかと思って見ていたらバックの音楽にユーミンの「ノーサイド」がかかっていました。歌っている人は別だったみたいでしたけれど。

あの曲は、私が、19歳の頃よく聞いていた曲で、当時、付き合っていた女の子から、入院した時にお見舞いでもらったテープに入っていたのでよく憶えています。

私と同学年の花園の決勝で、大分舞鶴と天理の試合で、このプレスキックが入ったら逆転して優勝というキックを、大分舞鶴のスタンドオフがはずしてしまって、試合終了のホイッスルがなってドラマチックに終わってしまう。この試合をユーミンが見ていて詩を書いた曲ですね。

個人的な話で申し訳ないのですが、私とこの歌の主人公は同い年で、高校2年生の時に大分舞鶴に遠征に行って一度だけ試合をした事があります。試合相手でまったく関係などないのですが、こういう風に、自分の青春時代とリンクした歌、しかも名曲があることは自分にとっても嬉しいし素晴らしい事です。

惜しくも優勝を逃した東福岡高校の皆さん、そして、優勝した東海大仰星のみなさん、素晴らしい試合、素晴らしいノーサイドでした。両フィフティーンに惜しみない拍手を送りました。平尾さんに解説してもらって、ユーミンのノーサイドが流れて、この経験は、人生のなかで素晴らしい1ページになります。本当に素晴らしい試合でした。

                            そんじゃ!