エチオピアエチオピア

代田橋からこんにちは

昔はねぇ(E410、DP1)

2010-01-24 07:33:32 | Weblog

エチオピア人の約9割がこういった家に住んでいると言われている。茅葺の様な屋根、土を固めた壁、外と地続きの床。


「昔は町にも馬車が走っててねぇ、タクシーの代わりに使ってたものよ」とか言われる時代が来るんだろうか?


でもエチオピアは圧倒的な自然の迫力がある。日本がたどったものとは違うものになるかもしれない。


物乞いをしてくる人達にお金を上げるべきか否か?僕はあげないことにしている。よっぽどのディスアビリティーの人を除いて。日本人は割りとあげない傾向が強く感じる。そしてヨーロッパ系は惜しげもなく配ったりしている。自分のお金が助けになるのならば、と言うけれども、もらえると分かった子供や貧しい人達は自分たちで努力するモチベーションをなくして「マニー、マニー」と乞う様になってしまう。人間の姿勢としてははっきり言って最悪だ。あげる人達が居なければ彼らもそんな風にはならなかっただろう。
もっともっと考えると援助って必要なんだろうか?って思う。エチオピアの現状は、困った国に対して外国が手を差し伸べて、道しるべを示してあげて、でもエチオピア人はそれに対して反応せず、甘んじている。実際かなりのお金持ちがエチオピアにはおり、そのバランスを直すだけでこの国は成り立つくらいの経済力はあるんじゃないか、と思ってしまう。
バランスを壊して格差を生み出したのは我々先進国なんじゃないか?と思う。
彼らは写真の通り余り発展しておらず、微量にも発展してきた背景には先進国の介入が大きく関わっているだろう。発展という言葉、これ自体が先進国化が発展であると前提とした言葉である。
発展と言っても文化発展だってあるし、学問の発展だってあるし、色々だと思う。ただ今は経済的に発展することが善とされ、その先に何があるのか誰も考えようとしていない。でもこの国は元々そういった「発展」を選択せずに時代を経てきたのではないかと思う。我々の介入が大事なものを実は壊しているんじゃないかと仮説を立ててたまに考えている。援助団体なんて全部居なくなれば良いのにと思ったり。彼らを翻弄しているのはいつも恐らく我々だ。
日本が大事なものを失いつつある、もしくは失ってしまったのはある意味同じ過程なのではないかとこの国に居ると強く感じる。