人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

小さな旅行から

2016年12月26日 | 旅行

小さな旅から帰ってきました

駅弁はウニ丼にしました

やはり・・・

そして家に着いてスーパーに行ったら

ずっとずっとましな

カキ弁当が390円

駅弁はもちろん1200円以上・・・

ま、それを言っても仕方ないですね。

新幹線のなかでは

車内で声を小さくもしないで

ケータイする人や

数時間ずーーーっと

しゃべり続けている

おばさんとか。

でも

下車するときに順を譲ろうとすると

黙って「どうぞ」と手を差し出して

くれた

紳士がいたりしたので

日本はまだ「紳士の国」かも・・・

と思ったり

しました。

 


危うい番組だけど・・・

2016年12月22日 | テレビ

NHKに

危うい番組がありますね、

「Family History」・・・

だって戸籍謄本をぱっと

写しだしたりしますよ

昨日はタケシさんでした。

先祖のルーツをたどるのは

私も決してきらいではなく

わが家も400年くらい

遡れます、

ここで明らかになるのが

「国籍」です。

タケシさんはれっきとした

「日本人」でしたから

そこをうたぐっていた人には

いい番組だったでしょうね。

それを言うなら

いま一番NHKにとりあげて

ほしいのは

蓮舫さんの「Family History」

ですね。

それをやれば

日本国民も

蓮舫さん自身もすっきり

するのではないですかね。

どっちみちメディアは

「あちら」に遠慮して

大きなことは言えないらしいですから

安心して

Familyを公開してはいかがですか

タケシさんのお母さんの姿に

涙しつつ

そんなことも

ちらと思ってしまいました・・・

 


そこへ

2016年12月21日 | 読書

ひとはある読書をして

その舞台へ行ってみたいと

思うもののようですね。

梨木香歩「家守綺譚」を読んだら

ここは全体どのあたりであろうかと

ーーすでにこの作品に同化した語り口ーー

思ったらすでに地図まで書いて

想定した人をネット上に見つけました。

想像したとおり

舞台は山科でありました。

内田百閒のときは麹町を歩き回って

ついに百閒の転々した住居跡

四箇所ほど突き止めましたぞ。

三四郎池なんぞはのべ何百何千人

跡を慕ってやってきたことでしょう。

というわけでヘッセだとドイツに飛びましたし

マルセル・パニョルのために

プロバンスに行った人も

いると思いますね。

どうしてそこへ行ってみたいのか

溢れる気持ちがあるのですね。

そこに漂うはずのある香気のようなもの

きっと求めて行くのでしょう。

うれしい話と思うのでした。

 

 


今日も・・・

2016年12月20日 | 日記

今日もある女性と食事です

一方通行代表選手です

一人でまくしたてて

同じセリフを十回くらい繰り返し

こちらの返事は無視

反応するのは

こちらが具体的な

質問をしたときだけで

あとはだれが何を語りかけようと

無視・・・

ただただしゃべってます

から

こちらはもう

だんまりを決め込んで

勝手にしゃべらせておけ

なります

そんな人でも

訪ねてきておしゃべりをしたいと

もちろん自分のことだけ

しゃべるためですが

それでも老婆は思ったのです

「はあ、はあ」と受け答えしているだけでも

いいじゃない

一日じゅう

だれも来なくてじっと

こたつにすくんでるより

だから

ありがたーいと

思えば?

でしょう?

しきりに言い聞かせてます・・・

それにつけても

一方通行人間はどうしてこんなに

多いの?


無縁墓

2016年12月19日 | 日記

東京や大阪のように

大空襲を受けた都市は別として

古い寺院の前を通ると

その古い床しさに思わず

足を止めてしまいます。

小さな祠一つにも

「年輪を刻み続けた時間」を

感じて足を止めます。

寺の裏などにある無縁墓が

山になって積み上げられている

風景を見ると

いつかは自分もその中に

埋もれているのだろうかと

想像して別の意味で足を止めます。

子孫が代々続くという

確信に満ちていた時代には

そして「先祖崇拝」が

どの家にも空気のように

存在していた時代には

墓もあって当然だったことでしょう

けれど子孫が絶えることが

確実な家庭は山ほどあるし

仏教による埋葬がすべてと

思っている家も減っています

海に流してほしい

とか

樹木葬がいいとか

多様化しています。

かくいう私も

墓は無用と遺言しています。

困るのは「骨」です

「遺骨」に霊魂が宿っていて

それを焼き場の人が

持ち帰れ、と

言うのを何度か聞きました、

織田信長だったら

「骨はただの骨ぞ」なんて

言いそうで

そうだよね、と

遺骨を墓に埋めるという

伝統を私は子どもたちに

強制するのをやめました。

無縁墓に眠る

無数の骨よ、

じゃない、

墓という「石」たちよ

そこに霊魂は宿っていますか?