人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

無縁墓

2016年12月19日 | 日記

東京や大阪のように

大空襲を受けた都市は別として

古い寺院の前を通ると

その古い床しさに思わず

足を止めてしまいます。

小さな祠一つにも

「年輪を刻み続けた時間」を

感じて足を止めます。

寺の裏などにある無縁墓が

山になって積み上げられている

風景を見ると

いつかは自分もその中に

埋もれているのだろうかと

想像して別の意味で足を止めます。

子孫が代々続くという

確信に満ちていた時代には

そして「先祖崇拝」が

どの家にも空気のように

存在していた時代には

墓もあって当然だったことでしょう

けれど子孫が絶えることが

確実な家庭は山ほどあるし

仏教による埋葬がすべてと

思っている家も減っています

海に流してほしい

とか

樹木葬がいいとか

多様化しています。

かくいう私も

墓は無用と遺言しています。

困るのは「骨」です

「遺骨」に霊魂が宿っていて

それを焼き場の人が

持ち帰れ、と

言うのを何度か聞きました、

織田信長だったら

「骨はただの骨ぞ」なんて

言いそうで

そうだよね、と

遺骨を墓に埋めるという

伝統を私は子どもたちに

強制するのをやめました。

無縁墓に眠る

無数の骨よ、

じゃない、

墓という「石」たちよ

そこに霊魂は宿っていますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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