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人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

流転の王妃

2015年11月23日 | 読書

泣きました

流転の王妃

愛親覚羅浩の自伝。

日本帝国が

満州という架空の国を作り

清朝最後の王の弟

溥傑に嫁がせ

そこに日本人の

血を混ぜ込もうという

完全な

政略結婚にもかかわらず

稀なる夫婦愛に生きた

激動の物語

とりわけ長女の悲劇

天城山中の心中と

騒がれた新聞の記憶は

私にもあるけれど

心中なんかじゃなく

変な学生に殺されたこと

彼女は東大哲学科を目指す

飛び抜けて優秀な

夫婦の宝物であったこと

を知ったことは

涙が溢れてやまぬ

事実なのでした。

それにしても

「関東軍」はいけなかった

敗戦となると

真っ先に逃げ出した

棄民・・・

夫婦は北京で

あの「文化大革命」に直面

そのとき先頭に立って

破壊しにやってきたのが

なんと元皇帝溥儀の孫

溥傑の甥だったという

皮肉・・・

周恩来が密かに

守ってくれなければ

夫婦ともにどうなっていたか。

浩の長女が生前

国交もないCHINAの

周恩来に直訴の手紙を

書いたその文面

筆跡、内容の高さに

周恩来は感動した

という事実。

もしこの長女が人生を全うしていれば

必ずや

日本とCHINAをつなぐ

立派な人材となっていたのは

間違いないことです。

それにしても

昭和、軍国主義、関東軍

この時代はやはり

いけません

いくら愚民政治と言えども

「民主国家」がいい・・・

と思ったのでした。

 

 

 

 


平塚神社

2015年10月20日 | 読書
内田康夫に

傾倒している昨今

とうとう西が原の平塚神社に

行ってきました。

もちろん平塚亭の饅頭も

餅も買いました。

光彦さんが打ち合わせに

使う店のちょっとした

お休み席も見てきました。

それがどうした

というわけでもないけれど

こないだ読んだのは

太宰治の「津軽」がベース

その前は「隠岐」で

後鳥羽天皇の遺跡が

ベース。

なにしろ

ベースになっているものに

惹かれてます。

西郷隆盛も一族という

菊池伝説や

その他その他

伝説や神話や由来や

土地柄などを

読みながら知る

楽しみで

飽きがきませんようにと

自分で祈ってます。

萩原朔太郎のもよかったなあ。

まだまだ書いてくださいませ。




役に立たない

2015年10月08日 | 読書
役に立たない

学問ってものが

この世にはいっぱい

あるのかもしれません

例えばある人は

ドイツ中世の詩の

研究をしていますが

それってなんの役にたつの

でしょうか。

って

尋ねる人も多いでしょうね。

こんな学問は役立たずです

今の世の中の

利益には

なんの貢献もありません。

にもかかわらず

そんなことを熱心に

研究したい人が

いるのはなぜ

でしょうか。

大学はこんな役立たずを

たくさん囲っていますが

逆に

すべての学問が

すぐ「役に立つ」ものばかりで

利益につながる

ものばかりだとしたら

そんな国は

味気ないですねぇ。

そして例えば

COREAの歴史を

まったく純粋学問的に

研究したら

今のCOREAの人たちが

仰天するかも知れない

けれど

だからこそ

ちょっと見には

役立たずに見えても

いつどんなとき

光を浴びるか

わかりませんよ。

一生日の目を見ないまま

逝ってしまう

学者たちの屍が

るいるいと

かさなっている

国には

文明と国柄の香りが

漂っています。

昔ある小さな家の二階で

ダンテのデスマスクなるものを

見たことがあります

二階は書物で倒れそうでした

亡きある学者の書斎でしたが

それがどうしたと

言わないでください

ただ

そんな陋屋に

ダンテのデスマスクが

あった

のです・・・



母よ

2015年10月07日 | 読書
96歳で

逝った母よ

ぎりぎりまで健康だった

けれど

最後は転倒して骨折して

入院してから

明るく開放的なあなたの

性格が

奇妙に歪んで

最後は病院中に

聞こえるような

あーあーと声をあげて

みんなに迷惑がられ

看護婦さんが

しもの世話をするとき

私らに出ていってと言ったのは

床ずれでお尻が

無残になっているのを

見られないためでした

母よ

あなたは明治から平成まで

苦労を重ねて生き抜いて

それでも幼児のように

明るく笑っていました

お茶目なあなたでした

そして人生の最後は

こんなになるんだよと

身を以て教えてくれました

明治43年からの

96年という歳月は

今の私らには

想像を絶するものでありました

そして私らは

あなたほどの

笑いと明るさを

持ってはいないのです

母よ

どうすれば

いいのでしょう

あなたの時代は暗黒だった

はずなのに

そして今はあの時よりずっと

「いい」はずなのに

母よ

私らは

あなたほどの

明るい笑いに

到達することが

できません・・・




蔡焜燦「台湾人と日本精神」

2015年10月01日 | 読書
蔡焜燦氏

人生の前半生は

日本人でした

そして日本が敗戦後

GHQの見事な教育によって

日本人が「日本精神」を

徹底的に否定し去った後も

台湾には

GHQが入らなかったので

「日本精神」は純粋な形で

残っていました

それは「公」の精神

しかしこの精神が

戦争中には

悲劇を生んだのではと

老婆は疑問にも思ったのですが・・・

もっと広い視野で

考えなければならないでしようね

そしてある知人が

この本を読んで

「右だ」と断じましたよ

え?と

老婆は驚きましたが

考えてみれば彼女は

小学校の教師で

「ニッキョーソ」の

優等生で

世の中「右か左か」で

判断するグループに

属していたのです

「公」か「私」か

わたしらはこの二元的な

世界を生きてゆく

生き物なのだと

そしてそれは

人間の宿命なのだと

諦めではなく

覚悟で生きてゆくしか

ないのだと

老婆は秋空を仰いで

思ったのでした