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人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

ある本から学ぶ

2017年09月05日 | 読書

井沢元彦「逆説の日本史」からは

学ぶことが多いので

今日は次の文を引用してみます。

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いかに政治的に条件が整ったとしても

国民レベルで「乱」が好まれない限り、

それは起こらない。(略)

これだけ日本の政治・経済・社会のシステムが

ボロボロになったにもかかわらず、

その事実が政治のリーダーシップの

欠如、金融不安、教育崩壊といった形

で国民の多くに認識されているにも

かかわらず、

人々は動こうとしない。

{逆説の日本史・室町文化と一揆の謎}

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そうなんですねぇ、まだまだ

日本人は断崖の淵にまで来ていない

ってことなんですね、

切羽詰まらないと国民は動かないと

井沢氏は書いています。

だからミサイルが日本の頭上を飛んでも

朝早くからうるさいぞ

あの政府警告に不満を訴える「文化人」や

「有名人」がいるんですねぇ・・・

 

 


やっぱり藤沢周平

2017年09月02日 | 読書

たまたま手元にあったので

三度読みの藤沢周平。

最初は「回天の門」

これは郷里の人「清河三郎」のこと。

次は「霧の果て」

これは娯楽性の高い推理小説もの。

藤沢周平、幅が広い。

「娯楽性」と言ったけれど

格調高い。

ちょっとした女の仕草や

男女のことでも

藤沢の手にかかると

生臭い匂いがしない。

女は女でありつつきりっとしている。

人物像が映画を見るように

はっきり見える。

あ、だからよく映像化されるんだな。

作品のなかでのもう一つの魅力は

ーーあまり注目されてないかもーー

ときに応じて

空の模様が描かれていること。

ふっと空模様の描写があり

そこから降ってくる光だの

風だのの描写が

作品のなかでまたひとしおの

味を加えている。

達人・藤沢周平の訃報を聞いたとき

涙にくれた読者は

私一人ではあるまいと思う・・・

 


残酷な命

2017年08月14日 | 読書

柳澤桂子「認められぬ病」は

病臥する多くの人にとって

希望と慰めの書だと思います。

あれほどの絶望的な状況にあって

氏はなおも「希望」を捨てずに

生きる意志を持つことができました。

また氏はこうも言います

若くして死ぬ命は残酷である

残酷を最後まで晒し続けてなお

生きねばならぬのもまた

同じく「残酷」であると。

そして残酷を氏は「生ききろう」と

決意する・・・

私はいま

幾つかの症状に直面していて

いつ「残酷なる命」と向き合うことに

なるか

というときです

このような覚悟があるかと言えば

ただおろおろしているだけなのです・・・


「草の花」

2017年07月14日 | 読書

福永武彦「草の花」を

改めて読んだけれど

昭和前期のあの凝縮された

知性の文章に触れると

この頃のややこしい文章が

軽薄でなんとも色あせて見える

と言えるほどには読んじゃいないけど

はなっから読む気が起こらないのは

なぜでしょうか。

「草の花」では

平気で文章の中にフランス語やドイツ語を

散りばめているけれど

けっして嫌味ではなく

あの旧制高校時代の

意気軒昂たる文体と

今は失われた知への冒険と

そして青春をかくほどまでに

謳歌し尽くして

主人公を聖なる孤独へと

到達させてしまった

この作品は

ドイツで思春期の子たちが

ヘッセの「車輪の下」を読む

ーー今はどうだかーー

ように

若者の聖書だったかもしれない。

けれど

今は「ハルキ」なのかしら。

人生の終わりを

目の前にしている老婆であってさえ

この青春の孤独の書を

読み直すと

滂沱の涙が溢れるのは

なぜ・・・


平和憲法

2017年07月04日 | 読書

ケント・ギルバート「米国人弁護士だから見抜けた日本国憲法の正体」

のなかで

これじゃね、と思った言葉

「平和憲法というのはアメリカの平和のための憲法」

そうでしょ、そうでしょ、

老婆は以前からずっとそうだろうと

思ってたんですよ。

そして憲法九条があってうれしいのは

隣国です・・・

あったりまえ。

でもね、金科玉条のごとく

「九条」を奉っている日本人のなかでも

知識人が多いのが謎・・・

なんですよね。

ケントはこの本でおしまいのほうに

日本はこのままだと50年か100したら

消滅する危険があると指摘しています、

それなんですよ

老婆の心配は愛する孫たちが

家を追われ

仕事を追われて

流民となって餓死していくような

いわばチベット族の悲劇と同じ

目に遭うのではないかと。

そうなる前にまず

沖縄がその実験場になるでしょうね。

そうして「本土」の人たちが

沖縄をC国にプレゼントしてしまって

やがては自分たちも

同じ運命をたどると気が付いた時は

もう遅いのです・・・