ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

口より現実

2021-04-11 | 口だけの知性・欺瞞

現実は要らないカルト思考    の続き。

支援や労組や社会運動を自己愛目的でやっていると、当事者や弱者が深刻な2次被害を被るのは

時間の問題。当事者をあなたの自慰的行為の道具に使わないでください。こういう分野は最も

そういう輩が紛れ込んではいけない分野なのに、おかしな原動力でこれらの活動をしている紛い者が

いて(リーダーや幹部だったりして)、色んな当事者や関係者達が、この当事者消費・当事者搾取

問題について語っている。私は、自分の欲望に忠実でごまかしのないネオリベ等よりこういう輩の方

が遥かに嫌い。いやらしいから。醜悪な自己愛でやっているのに「よきもの」という体裁で偽っている。

それによって当事者への更なる加害が生じる。これ以上傷つけてはいけない人達を、更に傷つける。

それをものともせずにやれると言うのは、ネオリベ系より良心の欠如は凄まじいと言える。

でも、そういう輩がこれらの分野に紛れ込んでいることは、私を含め色んな人が知っていることだ。


    



足元での現実が、本当のことを物語る。本をたくさん読んで知識が豊富で、紙面や論壇で知性的な

論評を発するが自分の所属集団や家庭では、凄惨な現実を垂れ流している人達。DV左翼、男尊左翼…

また、「根はいい人」っていうのは要注意。普段の行いがおかしいのを、この言葉で「でも」

「だけど」「きっと」と言って、真実は別にある、お前の俗的な目ではわからないだけとすることは

おかしなことをしている人にとって都合の良過ぎる考え方。根がいい人なら、枝も葉もいい人

なのが自然なのだから。それらは繋がっているもので、1つ1つ切れてはいない。足元で惨状を

垂れ流しておいて、「根はいい人」、それって物事を見極める判断力を鈍らせる、要注意な考え方。

DV被害者やパワハラ被害者がよく陥る心理。殴られているのに、加害されているのに「でも」

「だけど」「きっと」と言って、真実は別にあると言う。とことん加害者に都合がいい解釈。


平和・人権を唱える弁護士でも労組リーダーでも、目の前の相談者に対して高圧的なら、それが実態

だと思うのが賢明だと思う。その手の人達、普通にいて、体験談は色んな口から。依頼者にパワハラを

する人権弁護士やDV被害者側弁護士…HPや壇上や紙面で弱者の味方の立派なことを弁論している

から、目の前のこの横柄な態度はなにかの間違い、私の気のせいで、「でも」「きっと」この人は

すばらしい人だ、真の姿はもっと奥にあると解釈(願望を現実に被せる)することの危険性。

現実を願望で歪めるのは、無能で悪質なリーダーも、ふわふわしたお人よしも、やってしまう。


             


かれの普段掲げている理念と照らして、そのふるまいに「あれ?」となる違和感は、賢明なシグナル

だったことを後から振り返るとわかったりする。なんでこの人、ちょっと偉そうなのかなとか

俺様きどりなのなんでかなとか、one for all, all for oneと立派に言っているのに「してやってる」

意識がだだ漏れてる上から目線のふるまいなんでかなとか、「影の独裁者は〇〇さんですよ」と

阿呆に持ち上げられてご満悦なの、なんでかなとか、「俺の独裁っぷりはすごいよ。…まぁ冗談は

さておき」っていうカッコつけ、全然面白くないのなんでかなとか…。全部、なんでかな  じゃなくて

その人の正体を表していただけだった、という回顧。「あれ?」は的確なサイン。


好むと好まざるに関わらず、望むと望まざるに関わらず、現実をありのまま見るべきだ。

現実から目をつぶり、誤魔化し誤魔化し逃げ続けた結果、とんでもなく悲惨な現実が作られてしまう。

お花畑が好きならば、なおさら、目の前の不都合な現実を醒めた目で見るべきだ。

 

    


I  really love beautiful flower gardens.
            


 

 



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