アンドレア・ルケシーニ(伊)というピアニストの弾く「ショパン前奏曲集」(1988, 廃盤)のop.28-23は
朝露に濡れたバラの花が香ってくるような演奏で、非常に美しいです。
色んな弾き手のを聴いてみて、それぞれ個性が違うけど、この曲は彼の版が最も好きです。
弾き手の個性によって、当たり役とか外れ役があって、フジコ・ヘミングもそれが顕著に出ます。
彼女の弾く音がはまる曲と、全然ダメな曲があります。シルクのようになめらかに繊細に聴きたい曲は、
フジコの不安定に揺れるずんどこした演奏では全然ダメだと思います。
指がとても太くて体もずっしり重い彼女の出す音は、粒がまばらだから宝石箱をひっくり返したみたいに綺麗なのですが
華奢になめらかに聴きたい曲や、機敏に疾走感をもって弾いて欲しい曲だと、聞き苦しさを感じたりします。
当たり役だと、彼女の個性は強力な魅力となって発揮されます。La Campanellaやハンガリー狂詩曲 No.2、
パガニーニの主題による変奏曲第6番、リスト編シューベルトの「鱒」、ショパンのピアノ協奏曲No.1の2楽章
「ロマンツァ/ラルゲット」などもそうです。彼女の個性の数々が、いい方向に活きる曲と悪く出る曲があると思います。
指を支える彼女の重い体は、ピアノの鍵盤を弾くというよりピアノの器全体を鳴らす感じで、美しく響きます。
その個性の一長一短で、俊敏さや疾走感が期待される曲だとひどい演奏に思えたりもします。そういう曲でも、
フジコのずんどこした必死の演奏が無性によく思えて釘づけになるものと、ただただ聴くのが辛いものとあります。
ドビュッシーだとジャック・ルヴィエ(仏)の弾くのが好きです。私にとってドビュッシーの世界の真ん中だからです。
当たり役と外れ役ってありますよね…
彼女がはまり役に当たった時、すべてが彼女に味方します。立ち会った人は奇跡の目撃者となります。
こういうガソリンと火の出会いみたいな現象が、すべての人間に起こるといいのですが。
人と人の組み合わせにも、こういう現象があります。例えば甲本ヒロトさんと真島昌利さんの出会いもそうです。
The chemistry was right.