ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

私にとっての治療

2019-03-06 | 症状とともに生活する

ブリヂストンで起きたことを受けて、様々な症状を抱えて生活する療養中の身となってしまいました。(参照:私の症状

直後は精神の症状があまりにもひどいため、本当になにもできませんでした。現在も症状に苦しみながら生活していますが、書くことはできるようになったので始めました。書くことは私に起きたことを何度も思い出すことなので、ジレンマです。反対している人もいます。

では、起きたことから完全に離れて忘れ去って、治療ができるかと言うと、できないと思います。

生活苦の中で働きながらの介護疲れで精神病院に入院した高齢者が、医療従事者に「考えるな、心配事は忘れて治療に専念しろ」と言われるのをうけて「考えてはいけない考えてはいけないと思うんだけど、考えてしまう」と言っていたのですが、考えるのは当たり前のことだし、考えてはいけないことないと私は思います。

彼のような人が受けるべきは、精神医療(日本ではほぼ薬物療法になります)よりも、重くのしかかった介護負担を軽減する援助や、人との繋がり、貧困に対する経済的援助だと思います。それが、彼が必要とする治療であり、それらがなされれば彼の精神疾患は治るだろうと私は思います。「考えるな」と彼らに言って投薬をする医療従事者を見て、「いや考えるやろ」と思いました。

私にも言えます。自分に起きた酷いことをあまり考えていては精神が一層悪化します。楽しいことや愛でる対象に注意を向けて過ごすことは大事で、そうすることによって世の中に対する健康な感受性も保てます。

   

     

でも、私は自分が見たこと起きたこと(セクハラ、あらゆる嫌がらせ、障害者への予断と偏見と見下し、パワハラ、労務とコンプラによる否認、そして雇い止め)に向き合うことなしに目を逸らしたまま、治療などできないと思っています。

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また、ジレンマなのですが、書くことは私の精神を悪化させるという側面と、精神を安定させるという側面を併せもっています。思い出して書くのだから精神を悪化させるのは説明に及ばず、しかし書くことで精神が安定するという側面も確かにあります。滅茶苦茶すぎることがブリヂストンで私に起きて、精神的に耐えうる苦痛が極限にまで達して破綻して、今頭の中を整理整頓している作業なのかもしれません。

だから、これは自分のためにも書いています。


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