夕日が綺麗なので、子どもと毎晩散歩をしています。
近所の農家の前で、透明のひびガラスのソーラー外灯が土に挿してあり、とても綺麗なので
いつも立ち止まって見ています。
電気代0円
プラスチックじゃなくてガラス製でよかった。「なんだ偽物か」という落胆が多い、プラスチックに占拠された国ですが。
昼間、灯りが灯ってなくてもひびガラスはきれいです。欲しいな、とか思って見てました。
小屋か出てきた腰の曲がったおばちゃん「なんの~?」「…このガラスが綺麗やけん」「そげんつね」「うん綺麗」
散歩の時は、必ずそこを通っています。それで、思ったことは
外の風景を自分のものと思えば、所有しなくていい ということです。
他人の物は、自分の物… そう思えば、物を買わなくていい。
所有者はあの農家だけど、そんなの関係ない。外の世界ごと、私のものと思えばいい。
毎日散歩して鑑賞しているのだから、私が再度所有する必要はない。二つは要らない。
そう思いました。なんでも、いいと思ったら所有したくなるけど、
このアイデアは、私にとって大きな発想の転換です。
自分の家の中ですべて揃える必要はない。
人ん家の前にかかっている、鉄製の可愛い装飾とか、教会の黄色いステンドグラスとか
お寺の、いい音がする南部鉄の風鈴とか、私のものと思えばいい。
川沿いの真っ赤なカンナも、タチアオイも、人ん家の軒先の桔梗も、通り道のあじさいも、
グラジオラスも、薔薇畑も、外の世界ごと、私のもの。内と外で境界線を引く意味はない。
「お前はあほか。そんなことを言ったら、消費活動が落ち込んで、物が売れなくて、経済が回らないじゃないか」
物を過剰に作らなくていい なんでも買わなくていい
その為に 無駄に労働しなくていい
そう考えました。