フジコ・ヘミングのピアノが大好きです。
彼女は、闘っています。技術至上主義者たちからの激しいバッシングが吹きすさぶ中で。
私はフジコのピアノの素晴らしさがわかるから、彼女をずっと弁護していきたいです。
そのバッシングは激しいものがあります。躍起になって滅茶苦茶叩いてる。
他の著名なピアニストの演奏を聴いていて思いました。
多分、フジコは図らずも、破壊者 Breakerだからです。彼女がやっていることは、それまでの価値観を破壊するもの
という側面があります。技術至上主義の価値観を覆し、そうじゃなくてもっといいものを出してくるから
自分の信じてしがみついてきた価値観が覆される人達が、躍起になって叩いてるんだと思います。
嫉妬、やっかみに近いように思います… こうあるべきだとせっせと思ってきたものを
「そんなの大したことじゃない」と彼女の生き方が、言ってるから。我慢ができないのかも。
誰かが、フジコのピアノは「学芸会レベルだ」とネットで嘲笑していました。
でも私に言わせれば(多分フジコに言わせれば でもいいと思う)、そう言ってる人の方が、学芸会レベルなんです。
機械みたいに、間違えないで、ミスしないで、完璧に弾く そういう発想こそが、
「よ~でけた よ~でけた 上手よ 間違えんで、すごいね 偉いね~ お利口さんよ お~よちよち」レベルなんです。
彼女はピアニストとして練習の重要性を語っていますが、ミスなく弾くことよりもっと大事なことをとる と言っています。
つまり、ミスなく弾くこと、正確さ、巧みさにこだわることで失われるものの方が大きい。
音楽にとって遥かに重要なことに比べれば、細かなミスはとるに足らないと考えているのです。私はわかります。
(関連:安定した演奏が聴きたい時は フジコ・へミングのピアノ② フジコ・ヘミングのピアノ)
フジコが大事にして表現しているものが、彼女のピアノから伝わってきて、「ミス」に目くじら立てたりする気がしないです。
彼女にミスをするなと強迫すると、彼女にしかできないあの演奏が聴けなくなるように思います。
彼女の独創性溢れるピアノは、ミスしないという強迫観念をもっていないことに支えられています。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
私は、音楽に限らず仕事などのあらゆる場面で、「ミス」という言葉を安易に使う人に対して違和感がありました。
かみそりみたいな、カッターナイフみたいな言葉… 傲慢でやさしくない言葉
「ミス」という言葉を安易に振りかざして誰かを咎める人は、とても正しそうな佇まいをしているけれど、
偏った狭い限定的な発想の中にいて、そのことに気づかないで上から目線であり、教養が感じられない。
自分が優位に立って相手をやり込めたいだけの、幼稚な姿勢だと感じます。
例えば、誰かを傷つけることから避けるために、「ミス」と呼ばれるようなことを敢えてする方をとった場合
それは、瞬間的に短絡評価する人からは鬼の首とったみたいに「ミス」呼ばわりですが、誰かを傷つけることを避けた
ということが見えていれば、多大なGood Job、ファインプレイなのです。
音楽で言えば、「ミス」しないで、完璧に 精巧に 寸分の踏み外しもなく弾くことにこだわることで
大きなミスを犯している。
つまらない演奏 楽しくない演奏 心に響かない演奏 優しくない演奏 人を窒息させ不安にする演奏
を人に聴かせるという致命的なミスを。
このことは、絵の世界でもそうだし、仕事でも、色んな分野で言えることです。
フジコは、ミスタッチはしても、私や他の人達の心に沁みわたって響くピアノを弾くという輝かしいGood jobをしています。
彼女の音楽は、少なくとも私の生活に大きな影響を与えています。
私は今、BSでの苦痛過ぎる出来事をうけて、極度の不安と強迫症状が出てしまっていますが、
フジコ・ヘミングは色々なことを教えてくれます。ずっと長生きして欲しいです。私は陰の弁護人です。ずっと弁護します。