日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

宮城道雄 「声と性格」

2016-10-21 21:04:34 | 歴史上の人物


宮城道雄
  「声と性格」

            
             
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 私は盲人であるので、すべてのことを声で判断する。殊に婦人の美しさとか、若い乙女の純な心とかは、その声や言葉によって感じるわけである。従って、声が美しくて、発音が綺麗であると、話している間に、春の花の美しさとか、鳥の鳴き声をも想像する。

 それで、私はなるべく婦人の言葉は優しいことを希望する。あまり漢語などを沢山使わず、ごく平易な、女らしい言葉を用いて貰いたいと思うのである。 

 近ごろは言葉も複雑になって、同じ婦人のうちにも、職業や境遇の相違によって、いろいろ話す言葉も違っているらしい。また年齢によってかなり違うように思う。同じ家庭でも官吏であるとか、実業家であるとか、その他各々の勤めによって、家庭で用いる婦人令嬢の言葉が違うように思われる。また同じ土地のうちでも、場所によって言葉の使い方が違っている。東京を例にとっていえば、山の手と下町とを比較すると、山の手の言葉はどことなく気品があっておちつきがあるが、下町の言葉は多少砕けたところがある。 

 女学生の言葉には女学生特有のものがあるが、友達同志が打ちとけて話す場合の言葉はごく簡単で親しみがあり、しかも友情を表わしているものがある。例えば「どこそこに行ってよ」「何々してるわよ」とか、同じ返事をするのに「はい」とか「へい」とか言わずに、近ごろは「ええ」という返事をする。こういう言葉はざつのようであるが「よ」とか「ええ」とかいう言葉に、非常に親しみがこもっている。 

 そうかと思うと、言葉の途中を略して、頭と仕舞の言葉をくっつけて言ってしまうのがある。それも中には、耳だけで聞いて可愛らしい感じのするのもあるが、しかしいくらスピード時代でも、言葉全部を言ったところで、そんなに時間はかからないのだから、やはりまともに言って貰った方が、聞いていて気持がよい。 

 前にも一寸言ったが、年齢で言葉が違うように、同じ言葉でも年配の人が言って、似合うのと似合わないのとがある。学生の言葉を年輩の人が言ったら、聞いた感じが不似合いなものであろう。また、同じ婦人の中でも子供を持った人と、持たぬ人の言葉を聞いた感じは、どうしても相違があるようである。子供を持った人は、子供に対して情があるせいか、他人に対しても言葉に柔か味があるように思われる。これは一概に言えないが、持たぬ人の中には、同じ話をしていても、どこか言葉の途中に或る冷たさがある人もある。これが実子でなくても、自分の子供として教育した人は、実子を持った人と同様な結果になるわけで、親しみが持てるのである。 

 婦人の丁寧であることは望ましいことであるが、中には非常に言葉数が多くて、先がわかっているのに、廻りくどく話す人がある。そういう人に対しては、聞いている途中で、早く止めて貰いたいと思うことがよくある。ところがそれと反対に、言葉数が少くて、婦人であるのに無愛想な人がある。殊にこの頃の若い女学生たちは、あまり勉強に熱中しているせいか、お客とか、はじめて会った人に対しても、無愛想な場合があるように思われる。心にもない媚び諂いは気持が悪いが、婦人の声や言葉には多少の愛嬌とか潤いとかがありたいものである。 

 近ごろの世の中は生活においていろいろ苦労があることと思われるが、生活は荒まないようにありたいと思う。心が荒めば従って言葉までが荒んで来る。言葉なり声なりが荒めば、それによって心の荒みを他人に感じさせ、従って他人をも荒ませることになる。われわれは生活は荒んでも、心まで荒まないように心掛けたいものだと思う。 

 私は常に音楽を教育する立場として、歌わせていて、発音ということが非常に気になる。私の経験では、発音の綺麗なのは関西に多いと思う。もっとも関西もところや土地によって違うが、京、大阪はアクセントは別として、発音は綺麗なように思う。今の長唄、清元、常磐津その他、元は関西から来て長く江戸に流行って、俗に江戸唄と称せられるものの中に、その道の大家の唄われるのを聞くと、月とか花とか風とかいう言葉には関西のアクセントそのままのものが残っている。

 

 例えば、関東の方では「花」という言葉にしても、「は」よりも「な」の方を上げて発音し、関西の方は「は」よりも「な」の方を下げて発音する。そして、唄われる場合に「はー」と「は」を引張って「はーな」とか「つーき」とかそういう風に唄われるので、アクセントのことなどと一向気にならずに、花なら花の気分が出るように思われる。

 

 このほか、国々によって、婦人の声の出し方が違う。これは自分だけの感じか知らぬが、東北の方の寒い地方へ行くと、人々はあまり口を開かずに声を発する。また、極く南の暖かい方へ行くと、口を開いて話し、更に南洋の方へ行くと、裸体で生活しているように、どこか声に締りがないような気がする。


宮城道雄 「声と人柄」

2016-10-16 20:18:07 | 歴史上の人物


宮城道雄 「声と人柄」


               
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 或時、横須賀から東京に向う省線に逗子駅から乗ったことがあった。ところがその電車が非常に混んでいて、空いた座席が殆どなかった。丁度その時、どこかの地方の青年団の人々が乗っていたが、その中の一人が、私の乗り込んだのを見てか「おい、起て起て」と言ったら、腰かけていた人たちがみな起ちあがって、私たちに席を与えてくれた。

 もしその場合に、私が目が見えていたら辞退するのであるが、私は盲人なので折角の親切を無にしては悪いと思ったので、腰かけさせてもらった。
 私は初めその青年団の人たちが、つい近くへでも行くのかと思っていたら、やはり私たちと同様に東京へ行くらしいのである。そして、独り言のように「なあに、我々は起っていたっていいのだ」と言っていた。それからまた、自分たちが起っている苦痛をまぎらわすためか、元気よくお互に話し合っていた。そうかと思うと、何か手をまるめて、喇叭の真似を始めだした。
 そして、色々の節を吹いていたが、それがなかなか上手にやっていた。一節吹いては興じ合って、みんなが元気に笑っていた。私はそれを面白く感じた。


  私は人の言葉つきで、その人が今日自分に、どういう用向きで来たかということが、あらかじめわかる。

 その人がどういう態度をしているかということも、自然に感じられるのである。

  ある夏の暑い時であったが、或る人が尺八を合せに、私のところに来たことがある。その人とは心易い間柄だったし、丁度その時は誰も居合わせなかったので、その人が上著を脱ぎ、はだかになって尺八を吹き出した。私はそれを感じていたけれども黙って合奏をしたのであった。そしていよいよ済んだあとで、私が今日のような暑い日には、はだかでやると大変涼しいでしょうなあ、と言ったらその人は驚いて、這ほう這ほうの体で帰ってしまった。その人は別に私を誤魔化そうと思ってやったのではなく、心易さからのことだったろうが、私の言ったことが当たったのであった。


 とりわけ、声で、一番私の感ずることは、バスや円タクに乗った場合である。

 声を聞いただけで、今日は運転手が、疲れているなと思ったり、また賃銀でも値ぎられたのか、非常に憤慨した気持のままだとか、ちゃんと知ることができる。
 電車やバスなどの車掌が、わざわざ発車するのを遅らせても、私たち不自由な者の手を引いて、乗せてくれたりすることがある。こういう風に、道の途中を歩いていても、その人の声を聞いて、その人の人柄が知られるのであるが、私は心の持ちようで、声まで変わって来るものだということを信じている。

 そして、非常に感謝の気持で仕事をしている人と、疲れの工合か何か、非常に不愉快らしくしている人があるように思うが、その差は少しの心の持ちようで、どちらにもなるのであると私は思う。