goo blog サービス終了のお知らせ 

平和と人権、環境 資料 PT.1 アーカイブ

旧ブログ人で掲載された記事のアーカイブです。

3・11から3年を迎えて

2014-04-12 23:19:43 | 原発

3月9日 「原発ゼロ大統一行動」で坂本龍一さん
http://youtu.be/GXdh2sqQm-c

Img_52831

3月9日 東電本店前合同抗議
http://youtu.be/PEYp7ITSG3A

Img_52881

Img_52931

Img_53051

Img_53141

3・11天皇出席の震災3周年追悼式典 全国一斉黙祷反対!集会・デモ
http://youtu.be/9Q1jssRuDsA

Img_5316

Img_53181

Img_53341

Img_53351

Img_53401

3月15日 フクシマを忘れない!さよなら原発3 15 デモ
http://youtu.be/Kon9x8YXFWA

Img_53521

Img_53551

Img_53591

Img_53641

Img_53691

 


伊方原発の再稼働に反対! 12月1日「NO NUKES えひめ」

2013-11-30 22:38:15 | 原発

 

 

12月1日松山市の城山公園に、8,000人が結集。

Img_4941

20131201_1131241

2013120222575000021

2013120222575000011

山本太郎さん、三宅洋平さん

Img_4933

Img_4934

鎌田慧さん

Img_4942

伊方原発再稼動反対! 12月1日松山で行われた 「NO NUKES えひめ」
http://youtu.be/whi1vOGilAg

伊方原発再稼動に反対して、12月1日松山で行われた 「NO NUKES えひめ」に8,000名が参加、四国最大規模の集会・デモとなった。

集会での山本太郎さんのトーク、三宅洋平さんのライブとトーク、長年伊方原発に反対して闘ってこられた「八幡浜・原発から子どもを守る女の会」の斉間淳子さんのスピーチ(ぜひ聞いてください! 28分45秒から)など。

北と南2コースに分かれて行われたデモの南コース、途中「街宣車」の大音量の妨害活動など。

Img_4958

なぜか「右翼街宣車」は車道を堂々と行進し妨害活動、一方でデモは狭い「歩道」を歩かされる。 憲法に保障された表現の自由を全否定、これが「愛媛県警」方式なのか?

No_nukes

市内をデモ

Img_4963

12月2日 愛媛新聞
伊方原発再稼働にノー 松山で大規模イベント

Pic18739341

全国から集まった参加者が原発再稼働に反対の声を上げた「NO NUKES えひめ」=1日、松山市堀之内の城山公園  

原発の新規制基準施行後、最初の再稼働が有力視される四国電力伊方原発3号機が立地する愛媛で1日、原発のない社会を求めるイベント「NO NUKES えひめ」があった。主催団体「伊方原発をとめる会」の発表では四国で過去最大規模が集まったとし、伊方3号機の再稼働を止めようと声を上げた。 全国から約8千人が参加(主催者発表)。松山市堀之内の城山公園に設けたステージでは、脱原発を訴える作家や国会議員など9人が登壇した。ノンフィクション作家の広瀬隆氏は「東京電力福島第1原発では、地震で(原発の)機能が失われた」と主張。伊方原発敷地前面の中央構造線による地震を懸念し「伊方は絶対に動かしてはならない」と熱弁をふるった。

伊方原発再稼動反対訴え大規模集会・愛媛新聞 .
http://youtu.be/jv1NCvJiL7k

山本太郎さん、蒲田慧さん、広瀬隆さんらの挨拶。 デモの模様など。

原発の新規制基準施行後、最初の再稼働が有力視される四国電力伊方原発3号機が立地す?る愛媛で1日、原発のない社会を求めるイベント「NO NUKES えひめ」があった。主催団体「伊方原発をとめる会」の発表では四国で過去最大規模が集?まったとし、伊方3号機の再稼働を止めようと声を上げた。 http://www.ehime-np.co.jp/

Ehimesinbun2013_202

12月2日の愛媛新聞

12月2日毎日新聞
伊方原発:再稼働阻止の市民集会に8000人 松山

四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の再稼働阻止を訴える市民集会が1日、松山市堀之内の城山公園で開かれた。伊方原発3号機は原子力規制委員会による安全審査が先行し、再稼働の最有力候補と見られているが、集会には主催者発表で約8000人が集まった。

松山市を拠点とする市民団体「伊方原発をとめる会」が主催。東京電力福島第1原発事故後に福島県田村市から避難し、現在は京都府内に住む元宇宙飛行士の秋山豊寛さんは「福島の人は(放射線被害の)モルモットにされている。四国、瀬戸内の人がそうなるべきではない」と訴えた。ルポライターの鎌田慧(さとし)さんも、脱原発を呼びかけた。

約4時間の屋外集会は途中から雨になった。最後に「廃炉に向けて手を取り合って行動していく」といった内容の集会決議を採択。市内中心部をデモ行進し、「再稼働反対」「原発いらない」とシュプレヒコールを上げた。東京都日野市から駆けつけた主婦、斉藤俊子さん(61)は「ここで再稼働を認めれば、他もなし崩しに動かされてしまう」と危機感を募らせていた。

Mainichi2013_1202_3

12月2日の毎日新聞(大阪)

12月2日 朝日新聞
再稼働反対集会に8千人 愛媛・伊方原発、鎌田氏ら訴え

「安全な原発はない」――。国の安全審査が進む四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の再稼働に反対する集会が1日、松山市で開かれた。原発が立地する地域を中心に国内外から約8千人(主催者発表)が参加。ルポライターの鎌田慧(さとし)さん(75)らが原発の安全性や廃棄物処理の問題点などについて訴えた。

市民団体「伊方原発をとめる会」の主催。東京電力福島第一原発の事故が起きるまで福島県で農業に取り組んでいた元宇宙飛行士の秋山豊寛さん(71)も登壇し、「伊方で何かあれば瀬戸内海でつながる大阪を含めて汚染される」と語った。伊方原発から約10キロ離れた所に住む斉間(さいま)淳子さん(70)は「伊方を動かして古里を失いたくない」と訴えた。参加者らは「伊方をはじめ、すべての原発の再稼働を許さない」とする決議を採択し、市内を二手に分かれてデモ行進した。

Asahi2013_1202_3

12月2日の朝日新聞(大阪

12月2日 東京新聞
松山市で再稼働反対の8千人集会 「伊方原発をとめる会」

国の安全審査が進む四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の再稼働に反対を表明する市民集会が1日、松山市の城山公園で開かれた。主催する市民団体「伊方原発をとめる会」の発表で約8千人が集まり「再稼働を許すな」と声を上げた。山本太郎参院議員も参加し、ステージ代わりにしたトラックの荷台から「福島の原発事故は収束の仕方さえ分かっていない。(原発の)即時撤退以外、あり得るか」と呼び掛けた。とめる会の草薙順一事務局長は「伊方が再稼働1番手に挙がっていることはざんきに堪えない。全力で闘う」と語った。

Asahi2013_1201

12月1日の朝日新聞(大阪)

30日には「NO NUKES えひめ」に参加する、主に関東から結集した「再稼働阻止全国ネットワーク」メンバーが伊方原発へ。

伊方原発正門前で現地で長年反対運動をされている斎間淳子さん(八幡浜原発から子どもを守る女の会)のお話、以前米軍ヘリが原発からたった800mしか離れていない所に墜落した時のことや、多くの魚が大量に死に浮かば上がったことが7回にも及ぶ事などをお聞きした後、「再稼働反対」をシュプレヒコール!

11月30日「再稼働阻止全国ネットワーク」伊方原発正門前で「再稼働反対」をシュプレヒコール!
http://youtu.be/l6FW9pLLfhQ

伊方原発の全景

Img_4912

かって800m離れたところに米軍ヘリが墜落

Img_4911

「再稼働反対!」のシュプレヒコール

Img_4922

Img_4915

伊方半島の先端部の町「三崎町」でビラ各戸配布

Img_4925

美しい「三崎町」のサンセット

Sunset

  

 

伊方原発の特有の危険性について、

伊方原発反対八西連絡協議会会員 伊方原発1~3号炉運転差し止め請求訴訟原告
近藤誠さんの歓迎挨拶

2013年11月30日

皆さん、伊方へ良くいらっしゃいました。私は、現在入院のため、お会いできず残念です。皆さんは東京をはじめ、各地から参加され、これから伊方原発や伊方町内に行かれます。また 明日は、松山で集会にも参加されるということで、心から感謝と敬意を表します。

早速ですが、私からは、伊方原発の特有の危険性について簡単に報告させていただきます。先ず第一に、伊方原発のすぐ北側は瀬戸内海に面していますが、敷地からわずか6キロ足らずの海底に全長約1000キロにも達する日本で一番大きい活断層、中央構造線があります。松山から伊方にかけて、この断層が動くと地震のエネルギーの大きさを示すマグニチュード(M)で8クラス、あ るいはそれより大きい地震が起きる可能性があると政府の地震調査会が判定し、公表しています。 M8の地震でも水平方向で8メートル動き、垂直方向で6メートルの断層が生じた1891年の濃尾地震の実例もあります。このような大きな地層の変化や揺れが原子炉施設の真下や近くで起きれ ば、一瞬のうちに大きな地震波が襲い、施設は壊れ、原子炉の核燃料の核分裂を止めたり、冷やす機能が無くなり、核燃料が暴走したり、溶ける恐れがあります。このような大きな地震が原発近くで起きると高い津波が施設を襲います。高さ15メートルの津波が起きる可能性を指摘した地震の専門家もいます。また南海トラフの巨大地震による長い周期の揺れは、伊方原発の地盤の揺れの特性と同じであり、大きな揺れになり地滑りや崩壊を招く可能性もあります。

第二に、伊方原発の上空は山口県の米軍岩国基地と沖縳県普天間基地や、高知沖の軍事訓 練空域を結ぶ飛行ルートの真下に当たります。そのため米軍の飛行機やへリコプターの飛行ルートになっています。1988年には米軍の大型ヘリが原子炉のすぐ近くを飛んで、約1キロメートル東の尾根に衝突しました。原発ゲートの東に見える風力発電用の一番手前の風車(当時はありません)の根元近くの場所です。もし原子炉ドームや施設に衝突したらフクシマ事故を上回るような大事故になっていた可能性もありました。GE(ゼネラル?エレクトリック)の元技術者は原子力施設の屋根は無いも同然に脆弱に作られており、上空からボーリングの玉を落としただけでも壊れると証言しています。今年3月にも伊方原発上空を米軍機が飛行していたことが国会の質疑で明らかになっています。伊方町や愛媛県当局は原子力施設の上空の飛行を避けるよう米軍に求めることを 政府に要望していますが、米軍はそうした声を無視して飛行を続けているのです。米軍機の原子 炉施設への墜落という大事故が起こることを私たちは恐れています。

第三に現在、福島原発で続いている放射能汚染水の流出という問題です。同じ事態が伊方原発で起きると、湖と同じよう内海となっている瀬戸内海は全体が放射能で汚染されてしまいます。 瀬戸内海の水が入れ替わるのには約100年かかるとも言われています。海底に溜まった放射能 による汚染は数百年続くでしよう。その上にプルトニウムが加われば、数万年以上に亘って汚染が 続くのです。汚染水を溜める場所は狭い原発敷地にも半島のどこにもありません。数千年に亘って私たちに与えられていた瀬戸内海の海の幸を私たちは失ってしまいます。陸上も同じ事態にな ります。

第四に伊方原発への核燃料の持ち込みや使用済み核燃料の運び出しには、瀬戸内海と豊後 水道という狭い海や海峡を輸送ルートに使っています。しかし豊後水道は一日に千隻を超える船 が航行しており、衝突、沈没事故が起きる危険な海域です。さらに潜水艦の軍事訓練も頻繁に行 われていますが、誰も衝突事故に遭遇する時まで知ることはできません。私も漁業に従事していた時、この海域で潜水艦と出会い、衝突寸前の危ない体験をしました。四国の南海上で日本の潜水 艦と貨物船が衝突する事故が実際に起きています。

第五に、伊方原発は半島部に建設されています。放射能が外部に漏れ出る事故が起きると、原発から西に住んでいる約5000人の住民は原発に向かって逃げることはできません。三方は海 に取り囲まれています。船しか逃げる方法がありません。しかし、風が強ければ航行は難しくなり、船は岸に着けることもできず、避難者を乗せることはできません。ヘリコプターも同じです。地震が 加われば、道路は崩れ、寸断され、移動もできず、救援も困難になります。こうした事態について、住民の不安は大きいのです。今日、住民の方に出会う機会があれば、こうした意見や、感想もぜひ、聞いてみてください。事 故の時に屋内退避や、避難する地域と指定されている原発から30キロメートルの範囲には13万 人が住んでいます。大勢の人々が一斉に逃げることは不可能です。大事故が起きれば逃げること も、放射能被曝を避けることも困難になるのです。

同時に、運転すれば、使用済み核燃料という核廃棄物を作り出しています。危険な核廃棄物は 処理することも貯蔵する施設の見通しもありません。地震の多い日本に原発を造ったことが大きな 誤りだったのです。核兵器、核武装につながる恐れのある原子力の利用、開発も認めることはできません。私たちは、これから生きていく子供や子孫にきれいな空気や土地、海を守り、安心して暮らすこ とのできる平和な世を渡さなければなりません。そのために原発の運転を許さず、廃止する運動を続けていきます。そして、皆さんと手をつなぎ、力を合わせて再稼働を止め、すべての原発を廃炉にしたいと願っています。

皆さんのご健勝を心よりお祈りします。


No Nukes Day 「1013 原発ゼロ★統一行動」が行われ、延べ4万人が参加。

2013-10-14 21:02:21 | 原発

10月13日、首都圏反原発連合 ・ さようなら原発1000万人アクション ・ 原発をなくす全国連絡会の3団体により、

「1013 原発ゼロ★統一行動」が行われ、延べ4万人が参加。

1013chirasi1

1013chirasi2

1013 原発ゼロ★統一行動の「巨大デモ」 
http://youtu.be/-QwPvLU38WA

隊列を分断しようと一人頑張る若い「おまわりさん」、東電前の抗議シュプレヒコールとビデオ撮影に勤しむ「公安」刑事。講演会を終え沖縄へ帰る前に参加したいと沖縄平和運動センターの山城博治さんが新橋から飛び入り、解散地点の日比谷公園までともにデモ行進。

デモに出発

Img_45881

伊方原発再稼動に反対する漁民の「大漁旗」が

Img_45901

Img_45941

隊列の分断をしようとする警官

Img_45971

東電前で抗議

Img_46091

Img_46101

沖縄平和運動センターの山城さん

Img_46141

経産省前

Img_46181

日比谷公園に到着するデモ隊

Img_46221

川崎からの参加者

Img_46231

10月14日 東京新聞
「原発いらぬ」 4万人デモ

Pk2013101402100055_size0

国会議事堂前で原発の再稼働反対などを訴える大勢の人たち=13日、東京・永田町で

九月に国内の原発が全て停止状態となった中、原発再稼働を進める政府への大規模な抗議活動が十三日、東京・永田町の国会議事堂周辺で展開された。真夏を思わせる暑さの中、市民が「再稼働反対」を強く訴えた。 毎週金曜日に首相官邸前で抗議活動をしている「首都圏反原発連合」など三団体が共催し、約四万人(主催者発表)が参加した。

開会集会の後、参加者は日比谷公園を出発。霞が関の官庁街や東京電力本店前を通る約二・五キロをデモ行進し、プラカードやのぼり旗を手に「原発いらない」「大地を汚すな」と声を張り上げた。デモ後の国会前の集会では、各地の原発の地元住民も発言し、再稼働に前のめりな政府や電力会社を強く批判した。

10月13日 琉球新報
大江さんらが原発ゼロ統一行動 約2万人が都心練り歩く 

毎週金曜日に首相官邸周辺で脱原発を求める活動を続ける首都圏反原発連合など3団体は13日、「原発ゼロ統一行動」として東京都心で集会やデモ行進をした。主催者によると約2万人が参加。霞が関の官庁街や東京電力本店前を「原発いらない」「再稼働反対」と訴えながら歩いた。3団体の一つ「さようなら原発1000万人署名」運動に取り組む団体の呼び掛け人でノーベル賞作家の大江健三郎さんは「3・11の後、原発全廃が日本人の考えだと感じたが、今は正面に押し出す人が少ない。2年半前の決意が危うくなっているのではないか」と、集会で脱原発を訴え続ける重要性を強調した。

(共同通信)


空母母港化40周年・原子力空母母港5周年に抗議 9・25神奈川集会

2013-09-25 11:15:21 | 原発

原子力空母ジョージ・ワシントン、横須賀基地に強行配備から5年

「原子力空母配備撤回を求める」9・25神奈川集会

9月25日ヴェルニー公園に1,600名が参加して行われました。

Img_45261

Img_45271  

 

925chirasi1

925chirasi2

Img_45301

Img_45311

空母母港化40周年、原子力空母配備5周年抗議!原子力空母配備撒回を求める9??25全国集会

アビール

米海軍が横須賀基地に原子力空母ジョージ?ワシントンを配備して5年が経過しました。私たちは、基地機能の強化と首都圏一帯に及ぶ原子力事故の危険性の両面から、その配備に強く反対し、全国の仲間の支援のもと全力で運動を進めてきました。不発に終わったものの2度の住民投票条例直接請求など多様なとり組みは、多くの市民?県民の積極的な意思表示につながりました。しかし、日米両政府はその声を無視して配備を強行したのです。

2011年3月11日に起きた束日本大震災による東京電力福島第一原発の過酷事故は、空母原子炉の危険性を再認識させる事態となりましたが、政府も米軍も依然として情報を隠蔽し、 原子炉事故への対策は放棄しています。それどころか国内の原発全てが停止している今日でも、米艦船の原子炉は何の規制も受けず特別扱いとなっています。『米軍が安全と言ってい る』との無責任かつ非科学的な根拠は断じて許せません。

米国外で唯一の「空母の母港」は1973年のミツドウエー以来、40年問も続いています。日本政府は米空母の母港化に際して、「母港の年限」は3~4年程度と偽り、「核兵器の持込み」が指摘されると、米国との間での「核密約」で地元自治体や住民を騙してきました。

空母配備以来、横須賀港は「日米安保の最前線」であり、米軍の前方展開戦略の最大の拠点となったのです。空母戦闘団は湾岸戦争やイラク、アフガンへの攻撃の主力でした。私たちの意思とは関係なく米国の世界支配を実現するための40年であったとも言えます。

自民党安倍政権の誕生で『米国追従からの脱却?日米関係の見直し』の議論は全てが反故にされました。あからさまな米軍優遇の一方で、集団的自衛権行使や自衛隊の増強を企図し、 改憲?「戦争をできる国」への転換を強引に進めています。このままでは横須賀の街は「日米一体の軍都」に逆戻りし、旧軍港市転換法の趣旨とは相容れないものとなるでしょう。

憲法理念を無視し安保体制を優先する政策は、嘘と情報隠しで基地の機能を維持し、住民の生活と命を軽視する人権侵害そのもので、民主主義の否定です。欠陥輸送機オスプレイが配備された沖縄では、配備の前提とされた「日米合意」の飛行方法 が全く守られていない現実があります。米国内では中止に追い込まれたオスプレイの低空飛行訓練が普天間を拠点に全国で展開されようとしています。

空母艦載機の厚木基地での訓練は、突如として米軍の都合だけで実施され、現地住民や自治体の声は届きません。この訓練は最高裁で三度?違法と認定されているのです。

本集会に結集した私たちは、以下の点を確認しアピールとします。原子力空母ジョージ?ワシントンの母港撤回と脱原発社会の実現を一体的にすすめよう。 才スプレイの配備撤回を求め、沖縄への基地負担の押し付けをやめさせよう。米国の世界戦略?戦争政策への加担を拒否し、集団的自衛権の行使反対、「特定秘密保護法」 など民主主義破壊を許さず、避法改悪を阻止しよう。

2013年9月2 5日集会参加者一同

米軍基地ゲート前で

Img_45371

Img_45411

関連記事: 

9月25日横須賀で「原子力空母母港4周年抗議集会」
http://blog.goo.ne.jp/toyataan/d/20120926

福島原発だけじゃない! 東京、神奈川に住む私たちには横須賀の原子力空母はもっと危険
http://teyata.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/04/post_6586.html

工場内に微量のウラン漏れ、横須賀の核燃料製造会社
http://teyata.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/04/post_6b87.html

久里浜のGNF-j社正門前で、「STOP!核燃料棒操業」の申し入れ行動
http://blog.goo.ne.jp/toyataan/d/20130614

 

9月25日 東京新聞
原子力艦と原発は「兄弟」 横須賀の市民ら安全性問う

2013092599100557

原子力艦船の事故の年表や安全対策を求めるパンフレットを作成した市民団体メンバー=横須賀市で

米海軍の原子力空母「ジョージ・ワシントン」(GW)が米海軍横須賀基地に配備されて五年になるのを機に、市民団体「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」が、原子力艦船の安全性を問うパンフレットを作った。会の呉東正彦代表は「原発事故を機に原発政策が転換点を迎え、人々もリアリティーを持って考える中、原子力艦船の問題が取り残されないようにしたい」と話す。

「横須賀の軍港に浮かぶふたつの原子炉」と題し、昨年九月に作ったパンフを全面改訂した。今年は米海軍空母の横須賀配備から四十年でもあることを踏まえた歴史コラムを掲載。米国の新聞や市民団体による情報公開の内容から、原子力艦の放射能漏れ事故や不祥事約四十件をまとめた年表を作り、「原子力艦船の事故は日常的に起きている」と指摘した。

原子炉の仕組みを図にまとめて「原子力艦船の原子炉と原発は兄弟」と解説したり、NPO法人「原子力資料情報室」の「空母原子炉事故が起きれば三浦半島全域が致死し、神奈川県全域と東京、千葉の大部分が急性障害を起こす圏内に入る」との予測を地図に仕上げ、安全対策を求めた。

縦二十五センチ、横四十一センチの四つ折りで一万部作成。無料だが、十部以上は寄付金として一部二十円がかかる。問い合わせは、同会=電046(827)2713=へ。

9月25日 神奈川新聞
原子力空母GW配備から5年 全駐労「従業員の安全確保を」

9_231700

配備から5年がたった原子力空母ジョージ・ワシントン=8月23日、米海軍横須賀基地
 
在日米海軍横須賀基地(横須賀市)に原子力空母ジョージ・ワシントン(GW)が配備され、25日で5年を迎えた。2011年3月の東京電力福島第1原発の事故を受け、原子力規制委員会は原子力災害対策指針で原発事故などへの対応を新たに策定したが、原子力艦は対象外としている。「基地の街」が抱える原子力艦船の問題は、東日本大震災を経てもなお、取り残されたままだ。

11年3月11日。東日本大震災当日、原子力空母GWは在日米海軍横須賀基地に停泊していた。地震発生時に津波の引き潮の影響か、海面が約1メートル80センチ下がり、全長約333メートルの巨艦は大きく揺れた。岸壁に固定していた複数の「もやい」のうち1本が切れ、艦船と陸地をつなぐタラップが一時、岸から離れてしまったという。在日米軍基地で働く日本人労働者で構成する全駐留軍労働組合(全駐労)横須賀支部の乙川寛喜執行委員長(51)は「震災以降、安全対策をより強く意識するようになった」と振り返る。

横須賀基地では現在、艦船などの修理業務を中心に日本人約5千人が勤務し、うち約3千人が市内在住者だ。福島の原発事故を受け、全駐労は災害時の対応指針について国や横須賀市に働きかけてきた。推進力として原子炉を2基搭載するGW。「もし事故で被ばくすれば、最も被害を受けるのは基地内の従業員たちだ。補償問題にも関わる。安心して働けるようにしてほしい」(乙川委員長)。だが、震災後に原子力規制委員会が作成した、原発事故で放射能被害が出た際の避難基準などの指針と比べ、従来の原子力艦災害対策マニュアルは過小評価されたままだ。

海に面した同基地は内陸にある厚木基地などと比べ、出入り口のゲートが2本(緊急時は海側に2本増加)に限られている。そのため、災害時は従業員らが殺到し、素早く避難できるのかという重要な課題も解消されていない。しかし、日本人従業員が参加した大規模な避難訓練を実施したことはないのが実情という。昨年12月に基地内で一部の日本人従業員を交えた災害対策訓練があった。「少しずつ変化しているのも確か」。乙川委員長は改善に期待する。GW配備から5年。米軍側は当初から一貫して「安全だ」との姿勢を崩していない

9月23日 神奈川新聞
原子力空母 配備5年(上)地元は「通常艦」を要望

米海軍横須賀基地(横須賀市)に原子力空母「ジョージ・ワシントン」が配備されてから、25日で5年を迎える。米軍が海外に原子力空母を配備する唯一の拠点が横須賀に焦点を結ぶまで、どのような経緯をたどったのか。東京電力福島第1原発事故後、国民の「核」への関心はあらためて高まっている。関係者の証言や公開資料などをもとに当時の意思決定を再現し、横須賀に原子力空母がある大義と懸念について考える。

「変更あり得る」
2005年2月。離任を控えたベーカー駐日米大使が親交者を招いた晩餐会が、東京で予定されていた。「30分早く来てほしい」。招待客の一人だった沢田秀男横須賀市長は依頼を受けて、一足早く会場に向かう。別室で、ベーカー大使が待っていた。話題は、横須賀の米空母。蒸気タービンを動力とする通常型空母「キティホーク」が配備されていたが、08年ごろには退役することが固まっており、後継艦に注目が集まっていた。「近く議会上下両院の軍事委員会で、キティホークの後継艦について、政府側の証言がされる」

大使は沢田市長に説明する。そして、付け加えた。「政府側の発言内容がどうであろうと、主導権は連邦議会にある。いかなる変更もあり得る」沢田市長は、大使の説明の含意を読み取った。米政府の意向は「原子力空母」なのだろう。だが、ベーカー氏も共和党の上院院内総務を務めた実力者。「変更もあり得る」との発言を受け止めよう-。沢田市長は大使に、引き続き通常型空母を横須賀に配備するよう要望した。「通常型空母『ジョン・F・ケネディ』の配備が望ましい。予備の案として、キティホークの就役期間の延長も考慮してほしい」大使は「イングランド海軍長官とは親しいから、話しておく」と約束した。「30分間」は、大幅に過ぎていた。

最も能力高い船
かねて「いずれ原子力空母が問題になる」と覚悟していた沢田氏が「存在する限りは通常型空母の配備を求める」との姿勢を公にした契機は、04年3月の米下院軍事委員会。太平洋軍のファーゴ司令官が「横須賀の空母の後継には最も能力の高い船の配備を望む」と証言したことを、「原子力空母への反応を探る観測気球」と受け止めた。

横須賀に長年、通常型空母が配備されてきた歴史を沢田氏は、「原子力への忌避感を市民が抱いていることも背景にあったはず」と振り返る。米軍が保有する通常型空母は当時、横須賀のキティホークと、フロリダ州を母港とするケネディの2隻だけとなっていた。沢田市長と大使の会話から数日後の米ワシントン。海軍制服組トップのクラーク作戦部長が、上院軍事委員会で証言した。「キティホークの退役時には代わりの空母を配備する。当然、日本側との協議が必要になる」

沢田市長は外務省を訪れ、「通常型空母の配備の可能性を見いだすよう米側に求めてほしい」と要望した。町村信孝外相は「日米の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)で、ラムズフェルド国防長官に伝える」と答えた。この時期、ブッシュ政権は世界規模での米軍態勢の再編に着手していた。2プラス2では、在日米軍再編に向けた「共通戦略目標」を定める予定だった。

核好まない世論
2プラス2は05年2月19日、米ワシントンで開かれた。沢田市長のもとに後日、連絡が入った。要請を伝えられたラムズフェルド長官は「事情は承知している。後継艦は決まっていない」と答えたという。翌3月の上院軍事委員会。「日本は原子力艦の母港化を受け入れない方針だったと思うが」。海軍出身の重鎮、マケイン議員が、ファロン太平洋軍司令官に質問した。「核への関わりを好まない世論はある」。ファロン司令官は日本の敏感さを認めた上で、付言した。「キティホークの退役準備で起こることは、日本に説明しなければならない。早急に日本と協議する」

4月の委員会でも「日本政府や地元が原子力空母を拒んだ場合はどうするか」との質問に、文官トップのイングランド海軍長官は「ケネディを退役後も(使えるよう)保存状態にとどめることや、キティホークの退役延長も可能ではある」と答えている。だが、限られた選択肢に望みを託す地元の願いは思わぬ形で裏切られる。

9月24日 神奈川新聞
原子力空母 配備5年(下)選択肢ゼロ、やむを得ず入港容認

2005年6月、任期満了を控えた沢田秀男横須賀市長が、東京の米大使館を訪ねた。「良好な日米関係を維持するには、空母キティホークの後継艦を通常型空母にするのが重要」。既に引退の意向を表明していた沢田市長は、新任のシーファー大使に念を押した。後継を決める市長選は同月下旬に実施され、沢田市政で副市長だった蒲谷亮一氏が制する。就任した蒲谷市長は、沢田氏の姿勢を踏襲する形で、外務省に通常型空母の配備を求めた。蒲谷市長は後に、「(通常型空母の)可能性はあると考えていた」と周囲に明かしたという。

そのころ、日米政府間では在日米軍再編協議が大詰めを迎えていた。沖縄・普天間飛行場の機能移設や、キャンプ座間(座間、相模原市)の陸軍司令部改編、厚木基地(大和、綾瀬市)から岩国基地(山口県)への空母艦載機の移転などが焦点。日米の外務・防衛担当閣僚会議(2プラス2)を、米国で開く方向になっていた。そのさなか、日本政府に情報が入る。「キティホークの後継に原子力空母を配備することを、米側が公表したがっている」政府内には、基地の地元との交渉が複雑化するとの懸念も上がった。だが、結局は米側の意向が通った。日本の当局者は当時、「このタイミングでの公表に米側がこだわった」と明かしている。米軍再編の合意を好機に、併せて空母の決着も図ったとの見方がある。

不意打ちに絶句
「将来的にはすべての空母が原子力艦になる」。東京のシーファー大使のもとにも、海軍制服組トップのマレン作戦部長から連絡が入った。05年10月27日。シーファー大使は外務省に「キティホークを原子力空母と交代させる」と公式に伝える。翌28日には東京の米大使館で、大使自身が会見した。「沢田、蒲谷市長の要請を真剣に考慮し研究したが、結果的に要望に沿えなかった。米政府は横須賀市民の友情に深謝しており、今後もできる限りのことをする」

だが横須賀にとって、この決定は完全な不意打ちとなった。蒲谷市長はすぐさま「通知が事前に打ち合わせもなく突然行われたことは納得しがたい」と、外務省に抗議した。この時期に訪米していた松沢成文知事(現・参院議員)も、日本からの「原子力空母を配備」という連絡に絶句した。数日前に国務省と国防総省を訪ねて「地元の意見を聴いてほしい」と念を押していたからだ。夜の投宿先でソファに身を投げ出した松沢知事は、天井を仰いだ。「いやあ…。完全にほごにされたなあ」米国時間の10月29日。2プラス2に先立つ朝食会でラムズフェルド国防長官が原子力空母に言及し、「安全の責務はすべて果たす」と強調した。町村信孝外相が答えた。「横須賀市長から申し入れを受けた。地元は苦しい立場だ。理解を得るべく(米国と)連携したい」

各国は強い支持
地元では配備への反対が市民から高まったが、米海軍は05年12月、原子力空母「ジョージ・ワシントン」を横須賀に配備することを正式に発表した。蒲谷市長は訪米し、米政府に通常艦の配備を直訴した。だが、返答は「後継は原子力艦として予算も獲得し、日本政府も了承した。選択肢はない」と、にべもなかった。

翌06年春には、空母の安全性に関する説明文書(ファクト・シート)を米側が日本に提示。外務省も、原子力艦災害時の日米間の相互支援をめぐる協議に、前向きな姿勢を示した。「通常型空母の選択肢がゼロになった以上、やむを得ない」-。蒲谷市長は6月、原子力空母入港を容認する姿勢に転換した。同月下旬、米下院軍事委員会の公聴会。米統合参謀本部のサリバン副部長が答弁した。「日本は横須賀の港湾施設で原子力空母を扱えるよう努めている。この地域での米軍の能力強化について、地域の各国からは強い支持を得ている」空母ジョージ・ワシントンが横須賀に入港したのは、それから2年余りが経過した08年9月25日だった。=肩書はいずれも当時

安全確保との両立課題
「通常型空母の選択肢がなくなった以上、国家的要請が市民的要請より優先されたのはやむを得ない」。元横須賀市長の沢田秀男氏は今、原子力空母の配備を「政府が安全面の不安解消に努め、日米同盟の要としての横須賀の役割を市民が理解すれば、調和が果たされる」と総括している。

小谷哲男・日本国際問題研究所研究員は「1996年の台湾海峡危機で、冷戦後もアジア太平洋地域の安全保障に空母が戦力の柱であり続けることが示された時期と(横須賀の空母交代決定は)重なっていた」と分析する。配備決定後、横須賀では原子力空母配備の是非を問う住民投票の制定を求める動きが市民から上がったが、市議会で否決された。

原子力艦をめぐる地元の反対意見は主に、原子力推進機関の安全性に対する不安に基づいている。米軍の原子力艦の推進機関は能力の優位性に直結するため、関連情報は機密とされる。米軍は「原子力艦の安全管理は長年、高い実績を挙げている」として、事故が周辺環境に影響を与える可能性はないと説明してきた。

ただ、2007年からは原子力艦の事故を想定して連絡体制を確認する日米合同の防災訓練が始まっている。空母が世界で唯一前方展開しているという特別な事情が反映された。それでも、東京電力福島第1原発事故が、原子力への危機意識を高めたのは事実だ。住民投票の制定運動に関わった呉東正彦弁護士は「国内の原子力安全対策強化から原子力空母は取り残されている。防災の範囲をあいまいにしてはならない」と強調している。

9月20日 神奈川新聞
原子力空母配備 原発事故後「変化なし」70%、市民団体アンケート

7_230745

原子力空母に関する市民アンケートを行った市民団体と横須賀市議の有志ら=横須賀市役所
 
市民団体「非核市民宣言運動・ヨコスカ」と横須賀市議会議員の有志5人は19日、「原子力空母に関する市民アンケート」の調査結果を公表した。2011年3月の東京電力福島第1原発の事故などを受け、原子力空母をめぐる市民意識がどう変化したのかを調べるのが狙い。

同団体は六つある設問の一つ「福島の原発事故後、原子力空母が横須賀に配備されていることに対する不安は大きくなったか」に着目。全体千人(無回答91人)のうち、「不安は減った」「不安はやや減った」は1・5%。「不安は増した」「不安はやや増した」が28・8%。一方で多数を占めたのが「変化はない」で、69・9%に上った。

同団体の新倉裕史さんは「おそらく多くの市民が原発と原子力空母は別物という受け取り方をしている」と分析。「原発事故で原子力空母について考え方が変わったと思っていたが、あまり変化がなかった」と述べた。井坂新哉市議(共産)は「(原子力空母配備の賛成、反対の設問に)分からないと答えた人が多く、そこに市民が持つ複雑さが隠れていると思う」、山城保男市議(無所属)は「原子力空母が原発と同じ動力を持っているということを分かっていない人が結構いる」とそれぞれ話した。

同団体などは空母配備前の07年3月、08年6月に市民アンケートを実施しており、今回が3回目。8月23~25日に無作為で抽出した20~70代(男性595人、女性405人)の市民千人が対象で、インターネットリサーチ会社が調査した。結果は同団体のホームページなどに掲載する予定。


9.15再び原発ゼロに。 「9.14さよなら原発大集会in亀戸」 脱原発テント3年目「怒りのヒューマンチェーン」

2013-09-13 22:24:51 | 原発

 

9月14日 「9.14さよなら原発大集会 in亀戸」に9,000名

915chirasi

Img_43461

鎌田慧さん

Img_435611

押上・錦糸町2コースに分かれてパレード

Img_436411

Img_436111

 

9月11日、テント3年目「怒りのヒューマンチェーン」、続く12日は「脱原発テント裁判」第3回口頭弁論

911chirasi

関連記事: 9.11脱原発テント広場 一周年イベント&アクション
http://blog.goo.ne.jp/toyataan/d/20120912

Img_431411

制服向上委員会のみなさん

Img_432111

「さよなら原発神奈川」の松原さん

Img_432511

「怒りのヒューマンチェーン」 経産省を包囲

Img_433111

Img_433711

Img_434311

「脱原発テント裁判」東京地裁前での抗議集会

Img_434411

Img_434511