平和と人権、環境 資料 PT.1 アーカイブ

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脱原発を求めて続く、経産省前の座り込み

2011-10-30 02:42:48 | 原発

1月27日(金)経産省のテント撤去命令に怒りの抗議行動
 
経産省は、1月27日(金)17時までに経産省敷地からの退去及び「テント・持ち込み物等の撤去」命令を文書でもって通告。
それに抗議し、「再稼働阻止・脱原発のためにテントひろばを守り抜こう!」と750 名のみなさんが経産省前テント広場で集会をしました。

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11月11日 雨の中1,300名が経産省をキャンドル包囲

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11月11日 asahi.comより
脱原発訴え人間の鎖 1300人、経産省囲む

東日本大震災から8カ月となる11日、「脱原発」を目指す市民団体によるデモが東京都千代田区の霞が関周辺であった。主催者によると、インターネットなどの呼びかけに応じた1300人が参加。手をつないで「人間の鎖」をつくり、原発を所管する経済産業省を取り囲んだ。

 企画したのは、複数の市民団体などでつくる「11・11―12・11再稼働反対! 全国アクション実行委員会」。メンバーはこの日午後4時ごろから霞が関周辺で「全原発停止」などと書いたチラシを配った。午後6時には、集まった人たちが1周約900メートルある経産省の庁舎を約1時間半にわたって取り囲み、「原発いらない」「今すぐ止めよう」などと訴えた。

asahi.comの映像より

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神奈川-川崎・横浜からも

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「原発いらない福島の女たち」経産省前の座り込み

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10月27日より行われていた「原発いらない福島の女たち」の経産省前の座り込み最終日の29日には、「原発はいらない福島の女たち100人のデモ」が「福島の女たち」を先頭に、日比谷公園から東京電力本社前、銀座、東京駅、常盤公園まで約1,000名でパレード。

 

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終了後、霞が関に戻って、指編み「毛糸ロープ」による経産省の包囲に成功。

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その最中にはなんと、「右翼」では無く「ネットを見て集まった一般人」で「日本を心配する人」で(参加した人はそう言っています)日章旗を掲げた皆さんの、「原発賛成」ならぬ「TPP反対」のデモが経産省前を通る。

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原発いらない福島の女たち
http://youtu.be/RKMwn4ZHISg


★ 「今・川崎では」

2011-10-05 11:19:27 | インポート

 

「関東大震災での朝鮮人虐殺 犠牲者身元を初確認」 「韓国国家記録院は関東大震災の犠牲者名簿などを公開」 「犠牲者名簿から記録発見、関東大震災時に日本の憲兵も朝鮮人を虐殺」の記事は、「9月8日教育文化会館で、関東大震災90周年記念シンポジウム「関東大震災から学ぶ多民族共生への道」が行われました。」に掲載しました。

 

                                 

 

  

「多文化共生の川崎」の終焉を目論む、

福田川崎新市政の第1弾は「市内朝鮮学校への補助金交付の見送り」  

「求める会・川崎」の抗議文

2013年12月16日
川 崎 市 長
福田 紀彦 様

川崎から日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会
(「求める会・川崎」)

福田川崎市長による朝鮮学校への補助金交付見送りに抗議し、その撤回を求めます

報道によれば、福田紀彦川崎市長は、12月10日の川崎市議会本会議で、2013年度の市内の朝鮮学校への補助金交付を見送るとしたとのことです。理由として、神奈川県が朝鮮学校への予算計上を見送ったことを受けて、「県を補完する補助金の本来の考え方から、県が予算計上を見送っている状況を踏まえ、今年度の補助金交付は行わない。」と説明したとされています。また「来年度は改めて検討する。」としました。

川崎市は本年2013年度、市内にある朝鮮初級学校2校に対し、教材の購入のための整備等補助金、教職員向けの研修費の補助金、保護者に授業料のため月6,000円補助する児童等保護者補助金として計約840万円を計上しており、その交付は授業視察を行った上で判断するとしていました。

前年度、当時の阿部市長は、朝鮮学校への補助金の一部を削減し、川崎市に住む、朝鮮民主主義人民共和国に拉致された横田めぐみさんの両親の著書などを購入して朝鮮学校に「現物支給」とすることを決めたため、私たち「求める会」では、今年2月に当時の阿部市長に対し、強く抗議し撤回を求めてきたころです。阿部前市長は、それでも、「子供に責任はなく、川崎市民であるので教育の保障をしていくことは重要。(補助金を予算計上しない神奈川県などのように)教育そのものへの支援をやめるのは極端だ。」と述べてはいました。
 
これに対して、福田市長は、市として決めていた学校視察もしないまま、まったく一方的に補助金交付を見送ると明らかにしたのです。川崎市にある朝鮮初級学校では、「県から支給停止を受け教員の給与の減額という影響を受け、今回最後の頼みの綱も失うことに等しい。」と肩を落としているとのことです。

福田市長、あなたは「川崎の将来ビジョン」として、日本一幸せあふれる「最幸のまち」をつくると言って市長に当選したのではなかったのですか?そして「子どもたちの笑顔こそ、そのシンボル」とも言ったのでしたね?川崎に住む多くの在日の人々、みんなが地域の一員としてこの街を支えてきた在日の人々、そして、何よりもその子どもたちは、川崎市民ではないということでしょうか?朝鮮学校に通わせている保護者も、国や県そして川崎市へ税金を納めているのはもちろんです。

そして何よりも、福田市長は、これまで川崎市民が市に働きかけ、議論し、一緒に作り上げてきた条例などの積み重ねとその重み、市政の一貫性を、どう認識しているのでしょうか。
川崎市子どもの権利に関する条例」第16条の「(1)子ども又はその家族の国籍、民族、性別、言語、宗教、出身、財産、障害その他の置かれている状況を原因又は理由とした差別及び不利益を受けないこと。」をどう読んだのか明確にしてください。

また、「川崎市多文化共生社会推進指針」2(1)の「③外国人学校との交流を推進するとともに外国人学校への支援に努めます。」をどう読んだのか、また県の補助制度を補完するものといいますが、同指針5(3)の「①外国人市民の生活に関わる法や制度の改善を国・神奈川県へ要望します。」をどう読んだのか明確にしてください。

民族学校づくりとしての苦難の歴史を歩んできた朝鮮学校の子どもたちや保護者たちをこれ以上苦しめないでください。教育は政治に左右されず保障されなければならない、というのが国際的な人権基準です。「拉致問題と朝鮮学校の補助金は別問題、筋違い」と横田めぐみさんのご両親も再三おっしゃっています。福田市長の補助金見送りに強く抗議します。

直ちに撤回し、朝鮮学校への補助金を全額支給してください。

福田新市長は、市民との話し合いを何よりも重視していると発言していますね?
以上について、2013年12月24日までに文書で回答してください。

                
12月12日 東京新聞
朝鮮学校補助金問題「残念」「子ども無関係」
   
川崎市の福田紀彦市長が本年度の朝鮮学校補助金をとりやめる発表をしたことに波紋が広がっている。「子どもたちの笑顔あふれる最幸(さいこう)のまち」「対話と現場主義」。十一日の市議会でもそう言葉を連ねた福田市長だが、多彩な市民が批判的な見解を示している。 

「外国人市民とともに生きる地域社会を形成しよう」と、一九九六年に市がつくった市外国人市民代表者会議。王平(ワンピン)委員長(40)は「横浜市で中華学校には補助金が出ている。同じ外国人学校なのに…」と惜しむ。

母国語を残していくために、王さんらは中国語を、在日コリアンはハングルを勉強しているという。「北朝鮮のできごとは、日本で暮らす在日には関係ない。多文化共生からも残念」として、市が来年度から補助の在り方を検討するなら巻き返したいとする。

在日コリアンと結婚し、日本国籍の長男を朝鮮学校に通わせる日本人女性(37)は、この問題に「日本人として恥ずかしい」と言う。母国を離れて暮らす場合、自国のことを学び、学校があれば通いたいという気持ちは「そんなに不自然でしょうか」と問い掛ける。

最近、長男の交通安全の絵が佳作に入り、大型店で市立小の子どもたちの作品と一緒に展示され、うれしかった。「一部の差別的な人に反感を買うかもしれないのに飾ってくれた。子どもは関係ないと理解してくれる人たちはいる」と話す。

市内で沖縄料理店を営む木戸京子さん(57)は、韓国人の知り合いが多く「(家計などで)困るかもしれない」と心配する。

中学生のころ沖縄から川崎に来た。市には沖縄出身者コミュニティーも根付いている。「日本は島国だから、いろんな文化を採り入れる多文化共生には大賛成」であり、市が予定していた学校視察をしないままの決定を、「市長の独断かしらね」と残念がった。

12月11日 東京新聞
朝鮮学校補助金不交付 川崎市「共生」看板に曇り

川崎市の福田紀彦市長が十日、市議会で明らかにした市内二校の朝鮮学校への補助金の不交付決定。一九八〇年から継続してきた市にとって大きな方針転換となる。市長選で自ら「市民市長」を名乗った福田市長の下で、多彩な市民を尊重する市の「多文化共生」の一角が欠け落ちる。

臨海部に工場ができ始めた二十世紀初頭以降、国内外から多くの人が移り住んだ歴史を踏まえ「多文化共生」を掲げる川崎市。民族教育を認める立場などから、朝鮮学校への補助を続けてきた。

北朝鮮の核実験やミサイル発射などを背景に予算計上を見送った県に、市は市議会の求めに応じ学校視察後に計八百四十万円の予算の執行を判断するとしていた。しかし、福田市長は視察を行わず、「市は県の補助を補完する立場」として「県が計上を見送ったことを踏まえ交付は行わない」と決断を語った。

質問した自民党市議団の石田康博団長は、市議団の意向に沿う答弁を評価。一方、議会内には「頑張って財政再建した川崎が、財政難の緊急対策として補助金廃止を進める県に引きずられ、廃止などをまねる一歩か」と心配する声も出ている。

市長選で、その後継候補とともに「官僚天下り」と批判した阿部孝夫前市長は補助金継続の考えだった。議会後、報道陣に「補助金に一定の役割があったとみる人がいるのは否定しないが、なぜ補助金があるのか率直な疑問がある」との考えは示した福田市長。予算計上を見送った黒岩祐治知事の判断は「妥当性のある話」と語ったが、県の指示でなく市独自に始めた補助をやめる理由は「来年度予算編成の中では示したい」と先送りにした。

決定を受けて、川崎朝鮮初級学校の校長は「今は、ひいじいさんから川崎市民の四世が中心。国籍が違っても地域で仲良くやってこれた。急に『あなたたちは関係ない』と言われるようで言葉がない」と落胆の様子。

地域で継続を求める署名を集め、十三日に市に届ける準備をしていた一人、川崎区の元市立小学校PTA会長の設計業男性(64)は「国全体の雰囲気に『右にならえ』で、地域の思いはどうなるの。市も署名が届く日程を把握していて、先に決めるとは」と不信を語った。

12月11日 神奈川新聞
朝鮮学校補助金不交付、福田市長「県の見送り踏まえ」/川崎市

川崎市の福田紀彦市長は10日の同市議会定例会本会議で、本年度の市内の朝鮮学校への補助金交付を見送ることを明らかにした。県が本年度の朝鮮学校への予算計上を見送ったことを受け、福田市長は「県を補完する補助金の本来の考え方から、県が予算計上を見送っている状況を踏まえ、今年度の補助金の交付は行わない」と理由を説明した。来年度についてはあらためて検討するとしている。自民党の石田康博氏(宮前区)の代表質問に答えた。

川崎市は本年度、市内の初級学校2校に教材の購入に使える整備等補助金、教職員向けの研修費補助金、保護者に授業料のため月6千円補助する児童等保護者補助金として計約840万円を計上。交付は授業視察を行った上で判断するとしていた。

視察を実施していないことについて、岡本隆市民・こども局こども本部長は「県の予算が計上されていないことから市も補助金を交付する根拠がないと判断した。そのため視察の必要性はないと考えている」と答弁した。来年度の補助金交付については、福田市長は「予算編成のなかで、市の補助のあり方について検討していく」と答え、態度を保留した。

市はこれまで、「幼児や児童の健全育成や教育を保障する観点から交付している」「県が補助してきた学校運営に関わる経常的経費とは別に、補助を補完的に行ってきた」などとして、補助金交付を行ってきた。北朝鮮の核実験などを理由に、県は本年度、朝鮮学校への補助金の予算計上を見送り、横浜市もこれに続いている。福田市長は就任以降、朝鮮学校への補助金について言及を避けており、判断が注目されていた。

12月11日 神奈川新聞
朝鮮学校補助金不交付、福田市長の一問一答/川崎市

福田市長は10日の市議会本会議後、朝鮮学校への補助金不交付を決めたことについて、報道陣の取材に答えた。

-朝鮮学校補助金についてあらためて考えを。
「答弁した通り。県が支出を見送ったということに基づいて判断した」
-授業視察をした上で判断するとしていたが。
「前市長の判断だった。私は違った判断をした。視察するのが果たして効果的かというのもあると思う」
-補助金を出してきたことへの評価は。
「一定の役割があったのではなかろうかとの見方があるのは否定はしない。ただ、なぜこの補助金があるのかという率直な疑問はある。ある意味特別な感じなものがなぜあるのか、補助金としてはどうなのかなと思う。しっかり検証、検討したい」
-来年度予算については検討し直すのか。
「来年度は独自の主体的な判断をしたい。予算編成のなかで考え方をしっかり示したい。どういう補助金が適切なのか考えたい」
-弱い者いじめ、情がない判断ともいえるが。
「いずれにしても皆さん関心を持っている。出すにしろ、出さないにしてもいろいろ批判はあると思う」
「そう見られる方もいるかもしれないが、あらゆる施策でありえる。朝鮮学校であれ何であれ」
-県は核実験を理由にしているが。
「県知事が判断されたことと受け止めている」

12月11日 神奈川新聞
朝鮮学校補助金不交付、保護者ら「政治と切り離して」/川崎市

「学校の視察を行った上で判断すると聞いていたのに…」。福田紀彦市長が10日、補助金不交付の方針を打ち出したことを受け、朝鮮学校に通う児童の保護者らの間に動揺が広がった。

川崎朝鮮初級学校(川崎区)オモニ会会長の金(キム)春美(チュンミ)さんは「川崎には多くの在日コリアンが住んでおり、皆、地域の一員としてこの町を支えてきた。市長の決定はその思いを踏みにじるもの。朝鮮学校は自分たちのルーツの言葉や文化を学ぶ場所。市長には政治と教育を切り離して考えてほしい」と再考を求めた。

49人の園児児童が通う南武朝鮮初級学校(高津区)の彭(ペン)秀哲(スチョル)校長は「川崎市からは、保護者が負担する授業料の一部なども補助してもらっていた。学校運営に関わる県の補助金とは異なる部分もある」と指摘。県の支給停止によって教員には給与の減額といった影響が及び、今度は保護者に追い打ちがかかる。「朝鮮学校関係者にとって、最後の頼みの綱を失うことに等しい」と肩を落とした。

先月29日の施政方針演説で、福田市長は川崎の将来ビジョンとして、日本一幸せのあふれる「最幸(さいこう)のまち」にすると訴えた。そのシンボルに挙げたのが「子どもたちの笑顔」。彭校長は「補助金の不交付という市の方針転換は市長の方針に逆行する。朝鮮学校の子どもたちも川崎市民。その笑顔をなくしはしないか」と危惧する。

補助金支給を「県の事業を補完する事業」と捉える市の姿勢に対し、川崎区で補助金継続を求め、署名活動を行っている実行委員会のメンバーは「県を盾に取って市独自の判断を下すことから逃げている」と非難。市民から集まった千人分以上の署名を13日、福田市長に提出し、方針に抗議する予定だ。

12月7日 神奈川新聞
朝鮮学校補助金交付、見送りに転換/川崎市
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川崎市の福田紀彦市長が、市内の朝鮮学校への補助金交付を見送る方針を固めたことが6日、分かった。県が本年度の予算計上を見送ったのに加え、横浜市も凍結。川崎市は同学校への補助について、県を補完する事業と捉えており、県が見送ったことを踏まえて支給停止の判断をしたとみられる。福田市長は就任後、朝鮮学校への補助金について「別途、お話ししたい」と言及を避けていた。

川崎市市民・子ども局子ども本部子育て支援課によると、市は、市内の初級学校2校に教材の購入などに使える整備等補助金、教職員向けの研修費補助金、授業料のため保護者に月6千円補助する児童等保護者補助金を出しており、本年度は計約840万円を計上。本年度の補助金交付については議会の意見や他都市の状況を踏まえ、授業の視察を行った上で判断するとしていたが、現在まで視察は未実施で、保護者への上半期(4~9月分)の補助金はまだ支給されていない。

市は市議会答弁などで、「幼児や児童の健全育成や教育を保障する観点から交付している」「県がこれまで補助してきた学校運営に関わる経常的経費とは別に、保護者が負担する授業料の一部などの補助を補完的に行ってきた」などとしてきた。一方、北朝鮮の核実験などを理由に、県は朝鮮学校への補助金の予算計上を見送り、横浜市もこれに続いていた。

福田市長の前任の阿部孝夫前市長は、第2次世界大戦時の例を挙げ、「米国では日本人を強制収容して虐げ、後に大統領が謝罪した。仮に戦争状態の国であっても直接関係のない子どもに報復みたいなことをやるのが正しいのか疑問」との考えで、補助金を継続してきた。

 

                                 

 

11月15日 琉球新報
平和の大切さ学ぶ 神奈川の高校生2人、沖縄戦体験者を訪問

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伊藝清徳さん(左)の体験した沖縄戦の話を遠山里紗さん(右端)と吉田朱音さん(右から2番目)=10月27日、神奈川県川崎市の川崎沖縄県人会

沖縄戦について学ぼうと、神奈川県の横浜緑ケ丘高校の吉田朱音さん(17)と遠山里紗さん(16)がこのほど、川崎沖縄県人会を訪れ、戦時中に米軍の空襲から逃れるため金武町の壕(ごう)に身を隠して生き残った伊藝清徳さん(72)=神奈川県川崎市在住=の戦争体験を聞いた。吉田さんと遠山さんは、12月に修学旅行で沖縄を訪れる予定。事前学習の一環として戦争体験者の話を聞こうと、同校の川手徹教諭を通じ、戦争体験者の伊藝さんと面会した。
 
伊藝さんは金武村(現金武町)出身。5人兄弟の3番目の次男として生まれた。1945年に沖縄戦が始まり、戦火が激しくなると、自宅の近くにあった「メーカジメーヌガマ」という壕に家族全員で避難した。当時9歳だった伊藝さんは末っ子の弟をおぶって逃げたこともあったという。当時32歳だった父親は日本軍に召集される。南部で一緒に歩いたという人の話を聞いたが、現在も遺骨は見つかっていない。「遺品の代わりに行方が分からなくなった場所で石ころを拾った」(伊藝さん)。戦争中、一番怖かったのは壕の前にいた人たちが空襲で犠牲になったことだという。

熱心に話に聞き入る吉田さんと遠山さんに伊藝さんは眉間にしわを寄せながら話した。伊藝さんによると、集落の住民らと壕に避難していた際に、突然「ドーン」という衝撃音が壕の入り口付近で響いた。衝撃で壕の中の石油ランプが消えた。外には中部から避難してきた人たちがいた。「後で周囲を確認すると、石垣の上に人の手があったり、木の上にその人たちが使っていた布団や衣類が掛かっていたりしていた。戦争で人が死ぬんだと実感した瞬間だった」伊藝さんは一家は父親を除き、全員無事だった。母親の故・カナさんは朝から夜遅くまで毎日働きづめで5人の子どもを育てたという。伊藝さんは「政治や外交などでいろいろ難しいことはあるかもしれないが、平和な世の中を守ってほしい」と吉田さん、遠山さんに語り掛けた。
 
戦争体験を聞いた吉田さんは「本やメディアを通してだけでなく、実際の体験者から話を聞けてよかった。沖縄でもしっかり学習したい」、遠山さんは「私たちのような一般の住民がどんな思いだったのか少しは理解できた。平和や文化を大切にする沖縄のことをもっと知りたくなった」と話した。

 

                                 

 

11月10日川崎市平和館ホールで行われた

「シベリア抑留体験を語り継ぐ集い」から

11月10日のNHK「首都圏ニュース」

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11月11日のNHK「首都圏ニュース」

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満州第124師団追撃第13部隊、師団15,000名のうち生き残りは1,200名。シベリアコムソムリスク収容所で強制労働。

抑留体験者、松本茂雄さんのお話

「ソビエト侵攻の7日間」「シベリア移送と強制抑留」

NHKの報道ではほんの一部しか放映されていませんが、心を打つ、体験と思いを語られたすばらしいお話でした。 ぜひダウンロードしてお聞きください。

「2013_1110_matsumoto.mp3」をダウンロード

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松本さんの資料「15年戦争の歴史(敗北への道)

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平成22年9月21日に朝日新聞に掲載された松本さんの投書

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平成23年7月19日に朝日新聞に掲載された松本さんの投書

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11月2日(土)川崎市の高津市民館で、約100名のみなさんが参加されました。

「今こそ、日本軍『慰安婦』問題の解決を!上映と講演の夕べ」

主催:川崎から日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会(略称・求める会川崎)

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詳報は

レイバーネット:報告「今こそ、日本軍『慰安婦』問題の解決を!上映と講演の夕べ」
http://www.labornetjp.org/news/2013/1102kawasaki

ロシア・CIS・チェチェン:報告「今こそ、日本軍『慰安婦』問題の解決を!上映と講演の夕べ」
http://blogs.yahoo.co.jp/tocka_jikkoi/64744430.html

11月2日川崎市の高津市民館で行われた、梁澄子さんの講演。
http://youtu.be/ovn6I_AhiDA