妻とランチに行ったときのことである。料理屋さんの玄関を上がると6畳ほどの個室に通された。部屋を見回すと額縁が目についた。抽象画である。和室なのだが、椅子とテーブルが置かれている部屋なので絵に違和感はない。と、言うよりよくマッチしていた。前に立って見ると坂本善三のリトグラフであった。店の人に尋ねると、ほかにも飾っているとのこと。食事のあと見せていただいた。代表作といえる油彩画のほか、多くのリトグラフのコレクションは見応えがあった。
坂本善三は熊本出身の洋画家で「グレーの画家」と称されている。阿蘇郡小国町には坂本善三美術館がある。私も数回行ったことがある。ある時、善三さんのエピソードが書かれたパネルが目についた。誰の手記かは覚えていないが、記憶している範囲で概略書いてみる。
居間の前の広縁に先生はどっかりとあぐらをかいていらっしゃる。様子を見ようと立ち止まっていると、先生はある一点見るともなしに、しかも意識を確かにしてみておられる。その視線を追うと庭の端に山茶花と思われる木が一本立っていて、その横に一本の細い棒が地面に突きさされ、木と並行して立っているのが見えた。4、5分くらい待っただろうか、待ちきれなくなって私は先生におそるおそる尋ねた。 「先生何をしているんですか」先生は「ウン」と言ったままで視線は動かない。暫く沈黙が続いたあと、我に返った顔になられニコニコしながら言われた。「立っている線と立てた線の違いを見ていたのだよ」
写生とは、「物事を見たままに写し取る」事とある。善三さんの絵は、とても写生画とは言えないと思うのだが、目に見えたものを自分の感性で濾過しそれを表現しているのだろう。一見、無造作に引かれた様な一本の線にも、画家の精神が表現されているのだろう。私は絵画を論理的に解説できる訳ではない。しかし、感動を分かち合う気持ちは持っていたいと思っている。
山茶花に寄り添う棒の無表情
ありふれた景色の中で棒になる 陶次郎