なかはちエレジーⅡ
俳句や川柳を創作していれば、字余りの壁に突き当たります。特に中八は悩ましいものです。
何故嫌われるのか?入門書にも「リズムが崩れる」という理由だけで、それ以外は書いてありません。
句会で稀に中八の句が披講されると「初心者は真似しないように」とか「中八は絶対にダメ」とか指導されたものです。
そのせいか、川柳で中八の秀句と言われるものはないようです。
俳句は中八の秀句も多くあります。
水脈の果炎天の墓碑を置きて去る 金子兜太
585の中八の句です。この俳句を、「水脈の果炎天の墓碑置きて去る」にすると、575の定型に収めることができます。その代わりインパクトが弱くなり、幾人も戦死したであろう、兜太の戦友への痛恨の思いが表現しきれないのではないかと思います。
句の内容によっては中八にした方が効果を発揮しますが、安易に中八にすると散文的になりリズムを崩すだけの句にしかなりません。中八にするにはそれなりの必然性がなければならないと言うことです。ですから一般的には575の定型に作った方が佳句になりやすいのではないでしょうか。
このように考えると、俳句や川柳等の定型詩においては、「句またがり」、「字余り」、「字足らず」などの破調は、作句上のレトリックではないかと思うのです。メタファーのようにうまく使えば読み手の想像力を膨らませますが、喩えが離れすぎると、読み手に意味が伝わらず難解な独りよがり句になるのと同じです。
中八がそんなに憎いかさあ殺せ 川合大祐
どう評価すべきか字余りの一句 油谷克己
信念のある中八は目をつぶる 橋倉久美子
中八の闇は深いのです。
深い闇中八が孕むレトリック 陶次郎