川柳茶房 Toujirou

笑いの少ない川柳ですが・・・。

ノクターン 遺作

2022-09-25 12:23:26 | 日記

2021年第18回ショパン国際ピアノコンクールで4位に入賞した「小林愛実のピアノリサイタル」を鑑賞した。

バッハ:パルテイータ第2番ハ短調BWV826、ブラームス:4つの小品OP.119、ショパン:スケルッツオ第1番ロ短調OP20、第2番変ロ短調OP31、第3番嬰ハ短調OP39、第4番ホ長調OP54であった。

初心者の私には難しかったが、一生懸命拍手した。唯一聞き覚えがあったのが、アンコール3曲目のノクターン20番「遺作」だった。聴衆のレベルに合わせた気遣いだったのかもしれない。

目を閉じて夏の終わりのノクターン  陶次郎

 

 

 

 

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                


アダン~田中一村の画帖

2022-09-17 13:12:51 | 日記

友達夫婦に誘われ私たち夫婦も奄美大島を訪れた。以前から奄美には一度行きたいと思っていた。田中一村記念美術館を見ておきたかったからである。東京美術学校日本画科に入学。同期には東山魁夷らがいた。しかし2か月ほどで中退している。画壇からもほとんど評価されなか独自の画業を追究し、南の島へ向かった姿から「日本のゴーギャン」とも称された。絵は素人目にはルソーを感じさせる。一村には壮大な夢もあった。❝5年働いて3年間描き、2年働いて個展の費用をつくり、千葉で個展を開く❞というものだった。しかし、10年が過ぎても個展は開催できず、その後も働いては辞めて絵を描き、また働くということを繰り返した。

この、日本画に向き合う情熱と精神性の高さは何なのだろうか。

私がこの南の島へ来ているのは歓呼の声に送られて来ているのでもなければ人生修行や絵の勉強に来ているのでもありません。私のえかきとしての生涯の最後を飾る絵をかく為に来ていることがはっきりしました(昭和34年 知人への手紙より)

えかきは我儘勝手に描くところにえかきの値打ちがあるので、もし御客様の鼻息を窺って描くようになったときはそれは生活の爲の奴隷に轉落したものと信じます。(昭和40年頃 知人への手紙より)

私の絵の最終決定版の絵がヒューマニティであろうが悪魔的であろうが、絵の正道であろうとも邪道であろうとも何と批評されても私は満足なのです。それは見せるために描いたのではなく私の良心を納得させる為にやったのですから・・・・・(昭和43年 知人への手紙より)

熱砂の浜アダンの写生吾一人  一村

清貧に生き、自身の美学を貫いたした一村、ただただ、頭が下がる。

 

魂のおもむくままに南へ島へ                                           流れ着くアダンの浜は熱い砂浜                                           凝視するアダンの先の空は夢幻  陶次郎

 


剽窃の句?

2022-09-09 18:20:51 | 日記

人の説いて寂しくなっている

第26回国民文化祭川柳部門の文部科学大臣賞受賞作である。「この句どこかで・・・?」と思われる方も多いのではなかろうか?

やは肌のあつき血汐にふれもみでさびしからずや説く君                                与謝野晶子 

句の意味は全く違うし、短歌と川柳なので比較はできないが、この句を書いた作者は晶子のこの歌を下敷きにしたのではないかと思う。しかし「知らなかった」なら仕方ない。

川柳の実作者で、指導的立場にある選者が、晶子の代表作を「知らなかった」ではすまない。

この句が文部科学大臣賞?川柳の実作者を「雑俳屋」と罵る声が聞こえるようだ。

 


暗号句、剽窃句、オマージュ

2022-09-06 13:52:59 | 日記

暗号句= 偶然、作った句が他人の句と同想であったり、 同じであったりすることをいいます。俳句で言う「類想類句」(同類の発想・同類の句という意味です) 似たような発想の元に、似たような句ができるのは、短詩系文学の宿命です

剽窃句=他人の著作から、部分的に文章、語句、筋、思想などを盗み、自作の中に自分のものとして用いることです。 他人の作品をそっくりそのまま自分のものと偽る「盗作」とは異なります。

文芸にはオマージュとパロデイーという概念があります。

オマージュはオリジナルをリスペクトし、同様な描写・フレーズ・シチュエーションなどを、引用したり、匂わせたりといった形で創作されます。作品そのものがオマージュの性質を帯びているものは「オマージュ作品」と呼ばれることもあります。

パロデイーも既存の作品を引用し自分の作品に取り入れることであり、オマージュと共通する点はあります。ただ、パロデイーは風刺、批判が主眼になることが多く、必ずしもリスペクトが必要とされず、対象作品から敬意が欠落したものが多いようです。川柳という文芸はその性格上パロデイーは多くありますが、オマージュ作品はあまりないように思います。しかし、当然、読者の知識、感性、理解力によるものなので個人差はあると思います。

暗合句と剽窃句は取り下げもしくは辞退されるべきもので存在しないのが当然ですが、作者、選者、あるいは出版社の怠慢により残っているものもあります。

パロデイーの川柳

貸付けのかねは上野か浅草か  古川柳

花の雲鐘は上野か浅草か         芭蕉

煮うり屋の柱は馬に喰われけり 古川柳

煮うり屋とは飯とおかずの魚や野菜などの煮物を売る小さな店で中には酒を提供する店もあった。この句は馬方が煮うり屋に入り一杯やり出したのだろう。表に繋がれた馬が退屈そうに柱を舐めたり噛んだりしている場面を詠んだのだろう。

道のべのむくげは馬に喰はれけり  芭蕉