田中五呂八(1895~1937)は新興川柳の祖と言われている。小樽から川柳誌「氷原」を創刊した。伝統的川柳を批判し短詩型文芸としての、新しい川柳のあり方を主張し、それを「新興川柳」と名付けた。「新興川柳」という名称は五呂八が名づけたもので、のちの「新興短歌」「新興俳句」の先駆となった。五呂八は、芸術至上主義を貫き、難解な句も多いが、人間の生と死を深く見つめた詩情あふれる句を多く残している。
田中五呂八の『新興川柳論』に次のような一節がある。
「人間が、ただ単に喜怒哀楽のままに動いている間はまだ、自然の配下にある受動的な通俗生活に過ぎないのである。そうした受動的な他律生活から一歩踏み出して、能動的に人生を統一し、自然を理想化するのには、どうしても吾々は、自律的な思想を持たねばならないのである。そこに、思想の深さは自己の深さとなり、思想ににじみ出した感情の深さが詩の深さであり、それがやがて自然の深さであり宇宙の深さでもある。自然も人生も畢竟芸術家にとっては、自己の深さのままに改造し得る相対的な自己創造の対象に過ぎないのである。私達新興川柳家は、この信条の上に個々の思想を深化する事によって、最も近代的な日本の自由短詩を創造しなくてはならない」(「新興川柳への序曲」大正14年4月)
ひっ‐きょう【畢竟/必竟】
【一】[名]仏語。究極、至極、最終などの意。【二】[副]さまざまな経過を経ても最終的な結論としては。つまるところ。結局。(ことばの総泉挙/デジタル大辞泉より)
人の住む窓を出てゆく蝶一つ
この句は、窓から飛んでいく蝶を詠んだ句だが、この蝶とは誰のことだろうか。窓はいつも解放されており、入るのも、出ていくのも蝶の自由である。蝶が五呂八自身であれば。既存の川柳界から新しい川柳、「新興川柳」の世界へと飛び立つ自身決意を詠んだ句ではないかと考えている。もしくは、新興川柳運動を展開したが、後に対立した、鶴彬らのプロレタリア派との決別の句であろうか。
窓の灯にチラリ踊っただけの雪
雪が降り始めた。風にあおられて消えていく雪の情景を詠んだ句だろうか。「新興川柳」を唱えても、すべての柳人がその理論を受け入れてくれた訳ではなかったであろう。挫折感を味わった日の五呂八の心境とチラリ踊って消える雪の情景が重なって見える。
私個人の感想です。ご承知おきください。