川柳茶房 Toujirou

笑いの少ない川柳ですが・・・。

田中五呂八の川柳

2024-01-31 09:41:13 | 日記

田中五呂八(1895~1937)は新興川柳の祖と言われている。小樽から川柳誌「氷原」を創刊した。伝統的川柳を批判し短詩型文芸としての、新しい川柳のあり方を主張し、それを「新興川柳」と名付けた。「新興川柳」という名称は五呂八が名づけたもので、のちの「新興短歌」「新興俳句」の先駆となった。五呂八は、芸術至上主義を貫き、難解な句も多いが、人間の生と死を深く見つめた詩情あふれる句を多く残している。

田中五呂八の『新興川柳論』に次のような一節がある。

「人間が、ただ単に喜怒哀楽のままに動いている間はまだ、自然の配下にある受動的な通俗生活に過ぎないのである。そうした受動的な他律生活から一歩踏み出して、能動的に人生を統一し、自然を理想化するのには、どうしても吾々は、自律的な思想を持たねばならないのである。そこに、思想の深さは自己の深さとなり、思想ににじみ出した感情の深さが詩の深さであり、それがやがて自然の深さであり宇宙の深さでもある。自然も人生も畢竟芸術家にとっては、自己の深さのままに改造し得る相対的な自己創造の対象に過ぎないのである。私達新興川柳家は、この信条の上に個々の思想を深化する事によって、最も近代的な日本の自由短詩を創造しなくてはならない」(「新興川柳への序曲」大正14年4月)

ひっ‐きょう【畢竟/必竟】
【一】[名]仏語。究極、至極、最終などの意。【二】[副]さまざまな経過を経ても最終的な結論としては。つまるところ。結局。(ことばの総泉挙/デジタル大辞泉より)

人の住む窓を出てゆく蝶一つ

この句は、窓から飛んでいく蝶を詠んだ句だが、この蝶とは誰のことだろうか。窓はいつも解放されており、入るのも、出ていくのも蝶の自由である。蝶が五呂八自身であれば。既存の川柳界から新しい川柳、「新興川柳」の世界へと飛び立つ自身決意を詠んだ句ではないかと考えている。もしくは、新興川柳運動を展開したが、後に対立した、鶴彬らのプロレタリア派との決別の句であろうか。

窓の灯にチラリ踊っただけの雪

雪が降り始めた。風にあおられて消えていく雪の情景を詠んだ句だろうか。「新興川柳」を唱えても、すべての柳人がその理論を受け入れてくれた訳ではなかったであろう。挫折感を味わった日の五呂八の心境とチラリ踊って消える雪の情景が重なって見える。

私個人の感想です。ご承知おきください。


葦群68号

2024-01-05 20:25:47 | 日記

令和6年1月1日発行、川柳葦群「近詠 葦の原」掲載句。

花火消え虚しく人に群れている

ひまわりもうつむく長い夏終わる

異常気象為替相場が読みづらい

チャップリンに出くわしそうな街の灯よ

枯れ葉はらはらダム湖の底に子守唄

継ぎはぎの記憶繕う木綿針

遊歩道星のエールを受信せり


地震の記憶

2024-01-03 14:54:04 | 日記

正月早々とんでもない事態である。能登地震に羽田の航空機事故と立て続けに起こった。

一気に記憶が甦った。熊本地震も今年で8年になる。私の家も半壊の被害でしばらくは川柳も書けなかった。当時の熊本県川柳協会で句集「熊本地震の記憶」出版するにあたって、私も編集に携わった。その句集から数句。

私の句

生きる 一念だけで潜むテーブル  陶次郎

車中泊尿意の母につらい雨

避難所の笑顔僕より辛いのに

掲載句から

わたくしの小さきことを知る地震  慶之介

貰みい水しじみこんな良い言葉   茂緒

震度7それでも朝はちゃんと来る  良