省略するということ
川柳は17音字で詠みます。ですから、明確に伝えるために、ビジネス文書の、5W1Hの要領で、「いつ」「何処で」「誰が」「何を」「なぜ」「どのように」という風に具体的に書くと17音字に収まらなくなります。そこで、レトリックとしての省略が必要になります。
川柳を詠むには、まず、17音にまとめないといけません。しかし、川柳のレトリックとしての省略は、単に縮める事だけではありません。
例えば、スマートフォンをスマホと言ったり自動販売機を自販機と表記する「略語」ではありません。また、「笑っている」を「笑ってる」と縮める「い抜き言葉」、「見られる」を「見れる」と縮める「ら抜き言葉」でもありません。
番傘川柳本社編「楽しい川柳」に解説があります。
川柳は字数が少ないので、言葉をどのようにするかが大切。作句は足すことではなく、凝縮することです。
ぬぎすててうちが一番よいという 岸本水府
ぬぎすて「て」の上五で、「外出か帰って」「堅苦しい衣服」などの言葉が凝縮されています。(以下略)
また、川上三太郎は、単語抄の中で「省略」について次のように述べています。
句とは十七字にちぢめることではなく
十七字にふくらむ事である (昭和三十三年五月)
発車ベル子は子同士で惜しみ合ひ 川上三太郎
「久しぶりに遊びに来てくれた友を駅まで見送りに行った。ホームで再会を誓い合っていると、いよいよ発車ベルが鳴りひびいた。汽車に乗ろうとすると、滞在中に仲良くなった子供たちは子供たちで別れを惜しんでいた」 友に見送れたかもしれませんが、大まかにこのようなシチュエーションです。
「発車ベル」だけを書いて、駅のホームや汽車にのることを省略しています。「子同士で惜しみ合ひ」で(別れ)を省略し「子は子同士で」で(親同士の惜別)を裏に隠しています。
三太郎の言う「十七字にふくらむ事」とは、17音字に縮めることで意図や意味合いを「句の裏に隠す」事ではないでしょうか。従って、読む側は、いわゆる「行間を読む」ことで作者の心情や句の意味や意図を汲み取る事が出来るのです。
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