管理職も行政も教えてくれない 学校の「今のあたりまえ」 若い教師に伝えたいこと

今当たり前と思っていることも、よくよく考えてみれば、問題だらけ。若い人には、ぜひ読んで、考えてもらいたいものばかり。

通知表 「人数そろえましょう」

2018-01-14 10:22:17 | 先生たち
通知表の季節になると毎回見られる光景。

「人数、そろえましょう」
クラスは均等に分けたはずだから、通知表の評定に、クラスごとにアンバランスになるはずがない。
主観!を排して、より公正にしていきましょう。
そんな軽い気持ちなのだろう。

もともと通知表に、幻想を抱くほうがどうかなと、私は思っている。
いい加減にやっているという意味ではない。
そもそも厳格な評定など、現在の学校では土台無理な話だと言っているのだ。

たとえば、「ことばのきまりを正しく習得し、新しい漢字の読み書きができる」という項目があるとする。
ある子は、「お母さんわ」「けしごむおもらいました」と書く。しかし漢字は、書き取りは満点に近い。
さて、これをどう評定にむすびつけるか。さらに、その子は、宿題の漢字の練習ノートをほとんど提出していない。
頭が混乱するほどの計算式でも作るほかない。
結果オーライにするのか。提出物は加味するのか。授業中の態度はどうするか。漢字を80%にし、文法を20%にして
考えれば万全なのか。
こんなことを、緻密に議論していたら、通知表などできるわけがない。

「理科の学習に対して、興味・関心を持ち意欲的に学習する」といった「態度」の項目もしかり、教員がつまらない授業を
したときは、みな軒並み下がるものであるから、この項目について、子どもだけを評価することは、なんとも心苦しい。
まして子どもの「内面」などわかるはずもなく、活発に発言する子、提出物を真面目に出している子が、高い評定をいただくことになる。
しかし、これもよくよく考えれば、それが「興味・関心」と言えるのか、私にはよく分からない。

人数をそろえるよりも前に、「基準をしっかり揃える」ことが必要条件だ。
しかし、それはこの超過密・多忙の学校現場では、叶えられることはない。
そこそこ「じゃ、漢字は9割できていたら・・・言葉のきまりは、あまり極端に間違っていなければ、あえて評価には入れないで・・・」
といった、おおまかな妥協案で進むしかない。

さて、それが合意できているなら「人数調整」など無用だろうと思う。
あとは、担任の見ている範囲でのものだから、多くなるときも、少なくなるときもあり、そんな大雑把なスタンスでは、保護者は
不満、不安なのだろうか。

とにかく通知表は、担任のオリジナル作品である。
そう考えてるけどなあ。

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