仕事で出かけた金沢市内で発見した旧町名の標柱を撮って来たので由来を調べてみた。(写真)
先ずは桜町で見かけた「吹屋町」、連想したのがふいごだから鍛冶屋のまちかな?だった。
標柱の説明書きには鋳物師や職人が住んでいたとあるが藩政期の記録には「鎔屋(いがたや)町」と呼ばれていたとある。
兼六園下から旭町方面へ向かう宝町交差点近くにあり昔は銅器を造る職人町だったと推測した。
次は金沢大学宝町キャンパス前で見つけた「土取場」である。
説明によると藩政時代から、この近くの土を取って瓦を焼いたところからこの名が付いたとある。
氷柱の左側には金沢大学病院がある。
瓦に適する土があったのだろうが現在は石引1丁目・宝町あたりだとあった。
旧町名の復活が盛んになっているが調べてみると面白い。