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BLOG TOSHIBOUZ

大阪発全国向け。世の中を俺なりに分析させていただきます。同感するも良し反論するも良し。

朝からイライラする人

2005-06-14 14:21:56 | コラム・批評
う~ん、すっかり夏の気候ですねぇ。入梅して湿度も高くてジメジメしてますねぇ。ってか近鉄グループけち臭いねんって!なんでオフィス内で梅雨を感じないとダメやねん!ども、TOSHIBOUZです!

(しつこく書き出しをパクリで…「自分のだ!」と思った人はメッセください、愛をあげます。)

このブログを始めた当初にアップした記事で「小倉智昭のプロ性」というネタを取り上げた。ハイ、俺は朝は大概「フジテレビ系列」を見ている事が多いです。つまり出勤前には「とくダネ!」を見ているという事になります。

前回の記事ではメインキャスターである「小倉智昭」という人間が思っていたよりも「マトモ」な感性で「意外と一般人の認識」を持ちつつも「報道人としての実力」も備えているという「アゲ」記事でありました。この番組、なかなかコメンテーター陣も興味深くて、お決まりの芸能ネタこそベタなキャスティングだったりするけど、お堅いネタ担当のコメンテーター陣の「守備範囲」もなかなか広く個人的には面白いと思っている。小倉キャスターの両脇を固める笠井・佐々木のフジテレビアナ陣もソツが無いし、笠井アナなんかは「宝塚」「芝居」系のカルトなジャンルを持っていたりしてなかなか楽しい。

そんなお気に入りの「とくダネ!」に許せない人物が居る。それもなぜか露出頻度が結構高いのでイライラさせられる。それはいったい誰でしょう?

 ピーコ
  →たまにピントのずれた発言するけど、意外と正論だ。
 室井佑月
  →確かに暴言多いけど、ごもっともな発言多し。
 高木美保
  →「売れ残り」キャラは飽きてきたけどね!
 デーブ・スペクター
  →面白くないけどくだらない海外ネタは彼でこそ成り立つ。
 佐藤江梨子
  →なぜここにいるのか疑問だがイライラするほどではない。
 前田忠明
  →芸能コーナーも必要だと思うから、誰かは居ないとね!

そう、コメンテーター陣ではないのです。レポーターなのです。その名は、、、

 「大村正樹」

う~ん、イライラする。何がっても~レポーターとしての基礎が成り立っていないし、モノの見方が断片的だし、調査力も洞察力もなし。すぐに「一般視聴者と同じ感覚になって舞い上がる」風だけど、視聴者もそれほどアフォぢゃないってば。全然「レポートになってない」事多し。勝手に自分の意見を「万人の気持ち」に置き換えて話しては小倉キャスターに突っ込まれてタジタジ。女性のアナなら「あたしバカなんですぅ!」で逃げれるかもしれないが、彼は新人でもなければ別に可愛げがある訳でもない、いい加減オッサンなので許しがたい。

調べてみると「麻木久仁子」と同じ事務所に所属している模様。うむうむ、なんとなく分かるぞ、意味の無いテンションの高さが類似してる気がする。でも麻木はそれなりにバランス感覚があるので許すけれど、大村は「番組の構成とか雰囲気」が掴めてない。スベってることに気付いてない芸人のように「イタイ」。それでも一応「鹿児島放送」というれっきとした放送局出身のようだ。

あのイタさには本当に朝からイライラさせられます。

危険回避したかな?

2005-06-13 10:44:28 | 恋バナ
ゆれる~、おも~い~、から~だじゅ~、か~んじ~て~! ども、TOSHIBOUZです!


少し前から仲良くしていただいているT君について気持ちの整理がつきました。残念ですが今回は見送る事にしました。決してT君が悪い訳ではないんだけど、多分俺は好きと言ってくれるT君が心地よかっただけだと気付いたからです。いや、もちろんT君は今でもカワイイと思うし、いいお友達で居たいとも思うけど、基本的にはこちらから追いかけないとダメみたい、俺って(汗)。

でも追いかけても追いかけても追いつかないのは、ちょっとなぁ~、と思ってる自分も居ます(泣)。

ヒデイズム

2005-06-10 11:20:41 | コラム・批評
2日続けてサッカー関連な話題です。あんまし興味ないとか言ってると世間から取り残されるよ!などとわめいてみる32歳、TOSHIBOUZです。

(この書き出しは某友人のを真似てみました、ウヒヒッ!)

サッカー関連とは言っても今回はヒデこと「中田英寿」選手についてです。言うまでも無く日本のサッカー選手のクオリティを世界に広めた偉人なのですが、彼はサッカー選手というよりもホントにセルフプロデュースが上手いなぁ、と思う。というか、ゲイにも多く見受けられる「自己陶酔型」な感じが強い人物です。第一人者としての責任感がそうさせるのか、もともと持っていた素質なのか、単にナルシストなのか、とにかく話題の尽きない(わざわざ創出してる)人です。この前のバンコクでの代表戦の後も、試合に出ていないにもかかわらず、観戦シーンを何度もカメラで抜かれ、試合後インタビューを受け、挙句の果てには「バスに乗り込みさりげなく窓側の席に座りイヤホンを装着した上で本を読む」という徹底振り。メディアをここまで意識しなくとも…と思いながらしっかりとフジテレビが「中田選手の姿が見えました!あ~、あれはなんでしょうねぇ、本ですね。一体何の本なのでしょう?」などと見事に踊らされておりました(汗)。大体ホテルに移動するだけのバスなんかでそんなに本が読みたいのか?と突っ込みたい(笑)。

中田英寿選手に関する肩書きは一杯あるけれど、「完全無欠でスタイリッシュな人間」「サッカーだけにとどまらない聡明な人間」という部分と「年頃の普通の青年」「ただのスポーツバカ」を完全に使い分けているのが特徴だと思う。前者の部分は演出するのは結構簡単だけれど、やり続けるのは正直疲れる(笑)。ただ後者の部分は演出方法を間違うとバリューを下げる。「最新ファッションに身を包み」「サッカー以外の文化人と幅広く交流を持ち」「映画祭に登場し」「CMの演出は自ら行い」「ホームページで自らの言葉を発信し」「わざわざイタリア語で会見し」「東ハトの社外取締役を務める」反面、「野菜が大嫌いで」「スナック菓子が大好きで」「マンガを愛し」「ホームページでおよそたくさんの人が見ているとは意識していると思えない語り口で日記を書く」という「アタマの弱い」部分もさりげなくさらけ出す。誠に巧みな戦術だ。

これらの彼の行動の基盤となっているのは「ホームページ」というセルフメディアなのだとも思う。およそスポーツ選手のオフィシャルホームページブームはヒデに始まったといっても差し支えないと思う。彼はこのツールを完全に自分のモノにしていて「ナマの言葉」を使いながら自己演出すると共に、メディアを通じて伝えられる都合の悪いイメージを巧みに否定したり煽ったりシンパシーを得ている。ともすれば「孤高の人」として近寄りがたい雰囲気を作ってしまいそうなところを、絶妙なタイミングと「ガス抜き」で親近感を産み出している。

サッカー選手としての彼のバリューは実力云々を別にして一時期のピークよりは弱体化してるけれど、彼はすでにコアなファン層のハートをガッチリつかんでしまっているので、揺ぎ無い地位を獲得していると言える。ある意味末恐ろしい「若干28歳」だと思う。

ウルトラス主義

2005-06-09 10:22:46 | コラム・批評
サッカー日本代表W杯出場決定おめでとうございます。。。

今回はとてもヘンな感じやったね、観客無しの第3国での開催で。それなのにバンコクまでサポーターが応援に駆けつけてて、テレビの音声にも「外の声」としてオンエアされるという奇妙な感じ。当然スタジアムの外に居る人にはリアルタイムの情報が無いから、歓声とかにはタイムラグが…いびつな空間でしたね。

えーっと以前にも書いたかもしれませんが、俺はサッカー好きではありますがあまり日本代表には興味ありません。というか、サッカーというスポーツの質としてそんなに高いものと思えないからです。チームスポーツなのに「連携」が不足しているものなんて面白くありません。もちろん、それでもオランダとかブラジルみたいに個々の技術がハイレベルならば、即興でもJリーグ以上のハイクオリティの連携プレイが産まれる事はありますが、代表戦は結局「個人の打開力」がモノを言う事が多い。だから、あまり興味なし。純粋にサッカーというスポーツが好きだから。

そんな俺にとって長らく「日本代表サポーター」という人達を理解できずにいました。この人達はサッカー好きなのではなく、単に誰かと一緒に騒ぎたいのだろう、と。ナショナリズムの台頭という考え方もあるのですが、日本は基本的に単一民族国家な訳ですから別に無理矢理国粋主義に走る必要性も無いはず。。。と。しかも今回のように「試合を見る事が出来ない場合でも騒げる」感覚にはかなりの違和感がありました。(埼玉とかならまだしも「バンコク」だぜぇ?ヘンだよ!)

サッカー先進国では代表戦はあんまし人気が無いそうです。つまり「オラが町のヒーローが代表に選ばれて試合してるだべサ」的なローカル感でもない限り感情移入できないのでしょう。特にヨーロッパでは「国家単位」というより「中世時代の都市国家単位」ぐらいのスケールが、人にとっての最大の「壁」なんでしょう。だからその「壁」を超えて結成された代表など愛着が無い。考えてみればその通りだ。日本人だって自分の住んでいる都道府県ぐらいだったら、割と「どこそこ小学校に居た○○ちゃんの中学の同級生のお母さんの妹の旦那の息子さん」ぐらいの関係値でカテゴライズできそうだけれど、日本全国ともなるとほぼ関係無い人の方が多いはず。だったらあの「ウルトラス主義」は一体何をモチベーションに発生するのだろうか?

「東京の寂しき上京者」のせいと思う。いわゆる日本は東京に一極集中しているので生まれ育った土地のルーツを絶った「おのぼりさん」が多い。だから「ナショナリズム」の発生する環境として結構恵まれているのかも。だから「強い日本代表」を求めるし「勝利」や「安心感」を求める。拠り所になってるから。この意味においては「阪神タイガースファン」とは大いに違う。阪神はファンの拠り所ではなくて、ファンが阪神の母体だ。

でもね、最終予選の苦戦具合を見ているうちに俺にも代表に対して別の感情は産まれてきました。決してウルトラス的な妄信ではないのだけれど、彼らにも同様の感情はあるのかもしれない。それはね…

「日本人的マゾヒズム」。だって苦しんでるの見れば応援したくなるもの(汗)。

今更感アリアリなんですが…

2005-06-08 09:51:52 | コラム・批評
知ってました?アバクロ、日本法人出来てるって。2007年目処で直営店出そうとしてるって。

以前にも書いたことあるけど、アバクロはいわゆるカジュアルウェアブランドな訳で「GAP」「エディ・バウワー」と同じカテゴリーな訳で日本で言うと「ユニクロ」と同じ扱いな訳ですから、もちろん価格帯も「ヴィトン」や「ブルックス」の様にはいかないから、何気に小さな小さなニュース記事でした(日経新聞)。ただ、ネット通販での流通量なんかは相当なものでベスト10に入る活躍ですから、アバクロとは無縁そうな新聞記者経済担当(←偏見)の中にも少しは気になる人も居たようです(というかひょっとしてゲイかもね、汗)。

で、直営店どうよっ!って訳です。アバクロ人気は確かにデザイン性がウケてるところも大いにあるとは思うのだけれども、直営店が無くて流通量・供給体制が脆弱な為サイズやデザインが限定されてしまうという「希少性」がある意味ブランドバリューの構築に役立っていると思う。にもかかわらずゲイシーンでは「制服化」してる訳だから、直営店が出来ても「値段が安い」「新着が早い」くらいしかストロングポイントは無いだろう。むしろ希少性が無くなって「飽きられる」可能性も高い(ってかすでに違うのみんな探してるし…と言いながらパッとしないので結局アバクロに…)。

ま、そんな事はどうでも良いのですが、2007年アバクロ日本上陸だそうです。(「へぇ」3つ)

サランラップの不思議

2005-06-06 17:19:44 | コラム・批評
「サランラップ」がお気に入りである。「サランラップ」とは旭化成が製造販売する食材用ラップフィルムの商品名であるが、なぜか他社製品と比較して高性能だと思う。成分としては「ポリ塩化ビニリデン」というものらしく、世の中で販売されている多くの食材用ラップフィルムはこの「ポリ塩化ビニリデン」が使用されている。にもかかわらず、旭化成の「サランラップ」は出色の出来のような気がする。大手の競合としては呉羽化学の「Newクレラップ」があるけれど、保温性・保湿性等は匹敵するものの、取り扱いの良さに関しては大きな差を感じる。「Newクレラップ」のCMこそなかなか楽しいとは思うけれど、性能では「サランラップ」に軍配が上がる。俺は化学の事には大して強くないのでわからないけれど、同じ成分でなぜあれほど性能に差異が出るんだろうか?とても不思議。

それでも「Newクレラップ」はまだ良い。ケチって100円ショップとかでノーブランド製品を購入したときなどヒドイ目に会う。ラップはうまく切れないし、電子レンジに入れたらブニャブニャになるし、容器には上手く張り付いてくれないし…。なまじ上手く切れないものだから、セロテープ(これも商標だな)とかトイレットペーパーにも起こる「端っこだけが剥けてだんだんヒドイ状態」になる確率も高くて、大変むずがゆい思いをする事になる。成分も一緒だし恐らく大した差があるわけでもなかろうに…と思う。ま、このあたりが企業の開発力の差という事になるのだろうが、「サランラップ」は割高なんだよねぇ、スーパーでもセールとかあんまししないし。

あ、ちなみに同じような性能の差異というのは「コンドーム」でも感じるね(汗)。配ってくれる「ハッテンセット」の奴はどうもイマイチだ!やはり「快楽」に投資を惜しんではならないのかな(爆)?

都心回帰現象に伴う不思議

2005-06-05 16:01:22 | コラム・批評
先日ライブがありまして、その関係で神戸市灘区の水道橋筋商店街といういわゆるレトロな駅前商店街を散策しました(リハーサルと本番の間にね!)。これが驚き、活気があるのです。最寄り駅は阪急王子公園駅になり、決して県庁所在地や行政機関が集まる場所でもなく、特に大学や企業など人が集積する施設も無い「中途半端な都市住宅地」でごくごく普通の下町で、近年のマーケティング要素として「すたれるハズの立地」にもかかわらず活況を示しているのです。もちろん「人ごみでごったがえす」とかではないのですが、「それなりに普通にはやっている」のです。軒先に野菜や果物を並べる八百屋やトロ箱に入ったままの鮮魚を売る魚屋をはじめ、乾物屋さんや街の電気屋さんや瀬戸物屋さんや氷屋さんなど今や死に絶えてしまった業態が息づいていました(なぜか「さん」付けしたくなるよね)。もちろん時代の趨勢に押されてかファストフードや家電量販・カラオケ店といった業態もあるにはあるのですが、むしろ少数派だしイマイチ流行っていない。非常に奇妙な光景でした。

少子高齢化社会の進行に伴って近年は「都心回帰現象」が起こっていると言います。「庭付き一戸建て」を求めて郊外のニュータウンへこぞって移転した時期は過ぎ、どんどん利便性の高い都心へと回帰している訳です。ニュータウンではある意味「見せかけのご近所付き合い」がはびこり、交通便の良い郊外型のショッピングセンターが人気を博し、休日には都心に遊びに出て「流行を感じる」…そんなライフスタイルが一般的でした。それが都心回帰現象により都市部在住の住民が増えてきた…というのは分かるのですが、その都心回帰住民のイメージは「モダンでアーバンな暮らしを送る層」という認識でした。実際六本木ヒルズや汐溜なんかはそういうイメージでしょう。でも俺が見た「水道橋筋商店街」は全く違う。昔からある(あったはず)の商店とチェーンストアではない新しい店舗が入り混じっている不思議な空間。

俺の認識は間違っていたかもしれない。この商店街には俺が知っているケーススタディには存在しない何かがあるに違いない。ひどく「地域密着型」である。ひょっとすると商店街の組合が「先見の明」に長けていて、「若いオーナーを応援する」「チェーンストアを出来る限り排除する」「休業するならやる気のある地元民に賃貸して商店街を殺さない」などといった方針で、きわめて計画的なリーシングを行ったのかもしれない。だとすれば間違いなく新しい商業開発モデルだ。未だにその正しい理由は分からないけど、とても興味深い町並みだった。

男女雇用機会均等法の矛盾

2005-06-02 15:19:46 | コラム・批評
出生率がすげぇ落ちてるんだそうな。その上晩婚率もどんどん高くなっているそうな。おかげで少子高齢化も加速だそうだ。(我々はさらにその速度を加速させてるかもね)その原因の一つに「男女雇用機会均等法」による「職業女性の増加とニート男性の増加」が挙げられるらしいです。んで、この「男女雇用機会均等法」というものはとても共産主義的な発想のような気がしてきたわけです。つまり人間の「向き・不向き」を全くないがしろにしている、と。

確かに法制定以前は「家長制度」だったし「男子厨房に入らず」だったし「昼は家政婦、夜は娼婦」だった訳で、一家の経済を創出するのは男性の役目で、女性は「嫁いで産む」為の存在だった。それが民主化に伴いウーマンリブも発達し「女性が社会進出する事はおかしい」という観念はなくなってきた。そしてその最たるものがこの「男女雇用機会均等法」なのだろう。この法律では事業主が女性を待遇面で差別したり雇用機会を奪ったりできない事になっている。というか、「なんでもかんでも男女平等に扱わなければならない」ように定められている。これはある意味とてもヘンだ。

女性の社会的地位が「全体的に」低かった以前ならともかく、全てが同じ扱いというのは個性の無視ではないのか?世の中には「女性特有のしなやかな感性が活きる」職業や「人当たりの優しい女性の方が向いている」職業だってある。医療現場やサービス市場なんかでは女性の方が向いている場合も多いはずだ。大体、キャバクラがキャバ嬢の採用で「男子も可」にするわけが無い。つまり「女性だから成立する職業」も世の中には多く存在する訳だ。つまり「性別による特徴は存在せず単なる労働力として同じ人間である」という前提に基づいている法律なので、そこには「向き・不向き」「得手・不得手」が全く考慮されていない。共産主義的な発想だ。

第2次産業が産業構成の主役を担っていた時代ならともかく、現代はさまざまな消費者のニーズに細やかに対応していく事が求められる第3次産業中心の社会。この社会では個々の特性をいかに活かすかという事が重要なハズである。人間を単純な単位労働力とは計算できない。そういう意味で「なんでもかんでも男女一緒」というこの法律は既に時代遅れな感がある。

そういう意味で男性でありながら女性の感性をもったトランスジェンダーな人種は、実はもっと利用価値が高いような気がする。事実ホテルマンやツーリストやヘルパーやスタイリストといった職業に俺たちの仲間が多いのもうなずける事実だ。もちろん社会がその異端を受け入れられる許容力を持つ事と我々が社会に適合するようにもっと努力する事が大前提ではあるが…。

誕生日占い本の価値

2005-06-01 14:45:41 | コラム・批評
え~知り合いのカワイ子ちゃんのブログに「占い本を買ったぁ!」みたいな事が書かれてましたので触発されてのネタです。個人的にあんまし占いとかは信用してませんが、まぁ雑誌に載っていたり出勤前の朝のテレビぐらいは見ますよ、程度で。で、そのカワイ子ちゃんが買ったのは「誕生日占い」とやららしくて、少々考えさせられたのですよ。一体「誕生日占い本」にはどれほどの価値があるのだろう?と。

例えば120頁建で¥1000の占い本を買ったと仮定します。自分に直接関係があるのは

 誕生日占いの場合:1/365
 血液型占いの場合:1/4
 星座占いの場合 :1/12

20頁は「占いの見方」とか「解説」とか「相関関係」だったとして、

 誕生日占いの場合:1000×(20/120+100/120×1/365)=168.95
 血液型占いの場合:1000×(20/120+100/120×1/4)=375
 星座占いの場合 :1000×(20/120+100/120×1/12)=236.11

自分だけの事を考えるならばこれだけの価値と言う事になります。しかも再利用は皆無に等しい。もちろん「友達も占ってあげる」事も可能ですがその場合あなたは、

 誕生日占いの場合:1000×(100/120×1/365)=2.28
 血液型占いの場合:1000×(100/120×1/4)=208
 星座占いの場合 :1000×(100/120×1/12)=69.44

以上の価値の情報提供を友人一人当たりに「施している」訳です。ちなみに占いの内容が「重複」する可能性もありますが、情報を提供した事実には変わらないのでこの価値は不変のものとして考える事が出来ます。

それではこれだけの情報提供(投資)を行って得られる対価はどれほどでしょうか?例えばそれぞれの占いを使って10人の友人を占ってあげたとします。

 誕生日占いの場合:2.28×10人=22.8の投資見合い
 血液型占いの場合:208×10人=2080の投資見合い
 星座占いの場合 :69.44×10人=694.4の投資見合い

つまり元本投資額が1000な訳ですから、10人の友人を占ってあげたとすると自己消化分も合わせて血液型占いの場合は約2.2倍の再投資を行っている事になります。それに対して誕生日占いの方は17%程度の再投資でしかありません。

ちなみにこの投資行動によって色々な付加価値も生まれます。代表的なのは「誕生日が分かる」「血液型が分かる」「星座が分かる」という事ですが、それによって「より対象者と親密な関係になれる」とか「親近感が生まれる」といった付随効果も現れる事になります。ただしこの確率は当然母数の小さい「血液型」が一番適合する可能性が高いわけで、「誕生日占い」は最も整合率の低い占いでしょうから、この「効果面」についてもパフォーマンスが劣ります。(但し整合した場合の心理的な満足感は誕生日占いが最大です)さらに「誕生日占い」にはマイナス効果も発生します。誕生日を知る事により「プレゼントをねだられる」等の欠損機会を10回生む事になります。


結論から申し上げますと以下のとおりになります。

 ・誕生日占いは他の占いと比較して再投資効率が低い(約17%)
 ・投資に対する対価を得るチャンスが極端に少ない
 ・但し少ないチャンスを活かす事が出来れば最大利益に近づく

ですので「誕生日占い本」を買うには以下の事に注意しましょう。

 ・なるべく多数の友人を占って再投資効率を向上させましょう
 ・欠損分を補填する為に、必ずこちらも誕生日を相手に教えましょう
 ・可能ならば「誕生日占いをしてあげる」事をプレゼントにしましょう

よく理解できましたか?