3週間程帰省して来ました。
梅雨入りしていたので雨ばっかりかなと思いきや、傘が必要だったのは最初の数日だけでその後はずっと五月晴れ。運が良かったと思いますがそれにしても暑かった。この歳になるとあの気温は体にこたえます。
アメリカでは珍しいフェリーに乗って海水浴へ。海開き前日というタイミングでしたので人はまばら。海の家もいくつかは営業していましたがまだほとんどは閉まっていた状態で、従業員さんに声をかけてみるとどの人もとても気持ち良い対応、さすがは日本の接客だなと感心。
妻の実家は名古屋だったのでそちらにも1週間。大江時計台航空資料室へ零戦見学に。
事前に予約が必要です。それと館内での写真撮影は玄関ロビー以外認められておりません。
戦前にはここで航空機と発動機の生産が行われていたと思うとしみじみ。複葉機時代には工場裏の空き地を滑走路にしていたそうですが機体が高速化、大型化するに従って船に積んで対岸の広い場所に移動してテスト飛行を行なっていたそうな。実際に展示されているエンジンを見ても非常に精巧にできていて当時のエンジニア達の熱い情熱が伝わってくるよう。
今回も思い出深い旅となりました。
梅雨入りしていたので雨ばっかりかなと思いきや、傘が必要だったのは最初の数日だけでその後はずっと五月晴れ。運が良かったと思いますがそれにしても暑かった。この歳になるとあの気温は体にこたえます。
アメリカでは珍しいフェリーに乗って海水浴へ。海開き前日というタイミングでしたので人はまばら。海の家もいくつかは営業していましたがまだほとんどは閉まっていた状態で、従業員さんに声をかけてみるとどの人もとても気持ち良い対応、さすがは日本の接客だなと感心。
妻の実家は名古屋だったのでそちらにも1週間。大江時計台航空資料室へ零戦見学に。
事前に予約が必要です。それと館内での写真撮影は玄関ロビー以外認められておりません。
戦前にはここで航空機と発動機の生産が行われていたと思うとしみじみ。複葉機時代には工場裏の空き地を滑走路にしていたそうですが機体が高速化、大型化するに従って船に積んで対岸の広い場所に移動してテスト飛行を行なっていたそうな。実際に展示されているエンジンを見ても非常に精巧にできていて当時のエンジニア達の熱い情熱が伝わってくるよう。
今回も思い出深い旅となりました。
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