ちょっとだけ時間があるので、自分自身のメモのつもりで更新
(ここでは、まちづくり、むらづくりに関する日々の取り組みの他、技術ストックのつもりでちょくちょく技術論にも触れていますので、よろしければ参考にしていただければ幸いです。)
なぜ僕たち技術者は日々研鑽しないといけないのか・・・
僕なんかからすると、「そんなの当たり前!」的な感覚を持っていますが、意外とそうでもないのが仕事人の悪いところ。
忙しさのあまり、そして年齢的体力的なものもあり、勉強がおろそかになりがち・・・
前にも触れましたが、私事で恐縮ですが、技術士という資格の筆記試験に合格しており、年明けに口頭試験が待っています。今回が4本目です。(最初が建設部門の建設環境、次が総合技術監理部門、そして農業部門の農村環境、今回は建設部門の都市及び地方計画。これが最後です!!)
この口頭試験では、いろいろ技術者としての人物にフォーカスして、倫理的なこと、日々の研鑽のことなども聞かれるのですが、多くの受験者が意外とステレオタイプな回答、マニュアル的な回答しかしていないようで、それも如何なものかと考えるところです。
まぁ僕自身も聞かれたらたぶん、
『社会は、日々変化しています。少なくとも社会資本整備に関わっている技術者としては、次代のニーズにあった技術を提供し、最適な社会資本整備に貢献することが公益確保の上からも求められており、その意味では常に自らの技術を研鑽し、時代遅れとならないようにすることが重要ですから、継続的な研鑽、技術の向上が必要です。』
といったマニュアル的な回答をすると思いますが、肝心なのはその裏側にある本質的なものだと思っています。
これも以前に触れた僕の師匠であるS氏から学んだことですが、技術者=実務者は、
『如何にチープ(安価)に、しかもできる限り簡単に使える技術を提供できるか』
これができそうで、できない高度な技術であると・・・
そうなんです、少なくとも僕なんかは研究者ではなく、あくまで技術者・実務者です。
たとえ高度な技術を持っていても、それが社会に還元されない、使われない、使いにくいものであると、全く意味をなさない。
クライアントの多くが行政(多くの公共事業に携わっている関係で)で、彼らに如何に使ってもらえるか、これが勝負ですね。
僕が常日頃考えているのは、
・研究者(大学の先生など)は普遍的な技術や理論を研究、探求し、導き出す、世に送り出すのが仕事
・実務者、技術者は、その理論なり考え方なりを使いながら、次代にあった技術に再編、加工し(陳腐化させずに)、実際の現場で使いこなして、エンドユーザーである国民、納税者に最適な環境を提供する(ために貢献する)のが仕事
ということ。この違いを意識しながら、日々の仕事に当たっています。
(大学で学生たちに講義する機会がある度に、このようなことを伝えています。)
すると研究者の方でも、自分自身が導き出した理論なりを、日々、様々な現場に適用し、その普遍性を検証しているのですから、僕のような技術者は、それ以上に日々研鑽しないと、その存在意義が無くなってしまう。
使い物にならない陳腐な技術ストックしか持たない、一昔前の技術しか語れないつまらない技術者になってしまう。
たいへん失礼とは思いますが、ほんとうにこんな技術者が周りに増殖しているのが現状・・・たいへん憂うべき事態ですね。
技術者はたいへんなのですよ。
そんなワンパターンな技術がいつまでも通用するような時代じゃなくなってきている。
だから、しんどくても現場を数多く抱えるし、より一層勉強にも励むし。
そんな想いを持ちながら、日々研鑽しています。
ほんとうに技術者の宿命ですね。
たぶん口頭試験なんかでは、そんなことを日々意識している人間が語るのと、そんなこと考えていなくて試験対策として回答する人間と、たとえ同じことを言っても、伝わり方は違うのではないでしょうか。
ということで、口頭試験を前にして、改めて自分自身の考えを整理する意味で書き綴ってみました。
ご覧になり、何かございましたら、ぜひコメント欄に。
では、よいお年をお迎えください。僕もがんばります。。。
(ここでは、まちづくり、むらづくりに関する日々の取り組みの他、技術ストックのつもりでちょくちょく技術論にも触れていますので、よろしければ参考にしていただければ幸いです。)
なぜ僕たち技術者は日々研鑽しないといけないのか・・・
僕なんかからすると、「そんなの当たり前!」的な感覚を持っていますが、意外とそうでもないのが仕事人の悪いところ。
忙しさのあまり、そして年齢的体力的なものもあり、勉強がおろそかになりがち・・・
前にも触れましたが、私事で恐縮ですが、技術士という資格の筆記試験に合格しており、年明けに口頭試験が待っています。今回が4本目です。(最初が建設部門の建設環境、次が総合技術監理部門、そして農業部門の農村環境、今回は建設部門の都市及び地方計画。これが最後です!!)
この口頭試験では、いろいろ技術者としての人物にフォーカスして、倫理的なこと、日々の研鑽のことなども聞かれるのですが、多くの受験者が意外とステレオタイプな回答、マニュアル的な回答しかしていないようで、それも如何なものかと考えるところです。
まぁ僕自身も聞かれたらたぶん、
『社会は、日々変化しています。少なくとも社会資本整備に関わっている技術者としては、次代のニーズにあった技術を提供し、最適な社会資本整備に貢献することが公益確保の上からも求められており、その意味では常に自らの技術を研鑽し、時代遅れとならないようにすることが重要ですから、継続的な研鑽、技術の向上が必要です。』
といったマニュアル的な回答をすると思いますが、肝心なのはその裏側にある本質的なものだと思っています。
これも以前に触れた僕の師匠であるS氏から学んだことですが、技術者=実務者は、
『如何にチープ(安価)に、しかもできる限り簡単に使える技術を提供できるか』
これができそうで、できない高度な技術であると・・・
そうなんです、少なくとも僕なんかは研究者ではなく、あくまで技術者・実務者です。
たとえ高度な技術を持っていても、それが社会に還元されない、使われない、使いにくいものであると、全く意味をなさない。
クライアントの多くが行政(多くの公共事業に携わっている関係で)で、彼らに如何に使ってもらえるか、これが勝負ですね。
僕が常日頃考えているのは、
・研究者(大学の先生など)は普遍的な技術や理論を研究、探求し、導き出す、世に送り出すのが仕事
・実務者、技術者は、その理論なり考え方なりを使いながら、次代にあった技術に再編、加工し(陳腐化させずに)、実際の現場で使いこなして、エンドユーザーである国民、納税者に最適な環境を提供する(ために貢献する)のが仕事
ということ。この違いを意識しながら、日々の仕事に当たっています。
(大学で学生たちに講義する機会がある度に、このようなことを伝えています。)
すると研究者の方でも、自分自身が導き出した理論なりを、日々、様々な現場に適用し、その普遍性を検証しているのですから、僕のような技術者は、それ以上に日々研鑽しないと、その存在意義が無くなってしまう。
使い物にならない陳腐な技術ストックしか持たない、一昔前の技術しか語れないつまらない技術者になってしまう。
たいへん失礼とは思いますが、ほんとうにこんな技術者が周りに増殖しているのが現状・・・たいへん憂うべき事態ですね。
技術者はたいへんなのですよ。
そんなワンパターンな技術がいつまでも通用するような時代じゃなくなってきている。
だから、しんどくても現場を数多く抱えるし、より一層勉強にも励むし。
そんな想いを持ちながら、日々研鑽しています。
ほんとうに技術者の宿命ですね。
たぶん口頭試験なんかでは、そんなことを日々意識している人間が語るのと、そんなこと考えていなくて試験対策として回答する人間と、たとえ同じことを言っても、伝わり方は違うのではないでしょうか。
ということで、口頭試験を前にして、改めて自分自身の考えを整理する意味で書き綴ってみました。
ご覧になり、何かございましたら、ぜひコメント欄に。
では、よいお年をお迎えください。僕もがんばります。。。
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