萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

晦、綴ったものは

2012-12-31 23:58:21 | 雑談
ことば、描いていく色彩



こんばんわ、あと数分で年あらたまる時間です。
今朝UPした第58話を加筆校正を年内に終えたいなあと。笑
写真は今年、いちばん印象が深く感慨を想った秩父の黄昏です。

このサイトを初めて1年と4ヶ月、毎日書いてきました。
1万文字前後を日々綴っていますが、読んで下さる方がいるなと思うと書こうってなりますね。
いつも読んで下さる方、本当にありがとうございます。たまにでも読んで下さる方にも感謝です。
すこしは何か、あったかい気持ちになるような寄すがになっていますか?

こんなふうに毎日小説を書いていると、作中の人物と向き合う日々になります。
現実に触れられる人物たちではありません、けれど文章の中で泣いて笑って彼らは生きています。
そんな彼らのモデルは実在の人たちです、だから敬意を持って書きたいなあと日々想い、何度も読み直し描きます。
だからこそ、読んでだ方のメッセージを頂けると、なんだかときめきます。笑

物語も次の佳境へと向かっていきますが、彼らもまた互いの関係に変化を起こしながら成長しています。
第59話から新しい人物や環境へと変りながら、今まで描いてきた伏線の意味が明らかになると思います。
どんな展開になるな、とか読み手の方は予想ってされるのでしょうか?

今年も読んで頂いて、感謝です。
あと2分で新しい年ですが、より良い文章書けたら嬉しいですね。

明日朝、またUPの予定です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第58話 双壁side K2 act.18

2012-12-31 05:40:07 | side K2
「宝」秘すること、その真実 



第58話 双壁side K2 act.18

桜の香が靄となって、視界を朧に誘っていく。

湯を張ったバスタブに浸かりながら頭からシャワーの湯も被る、天辺からつま先まで湯が染みていく。
ほんの数時間前に北壁で得た昂揚を残しながら、疲労だけが湯へと解けて消えていくのが心地良い。
立ち昇る湯気は入浴剤が桜に香り、そっと閉じた瞳に幼い日の幸福が肌と香から蘇えりだす。
いつも雅樹と風呂へ入るたび馥郁とくるんだ桜の香、あれは雅樹が生来もっていた香だった。

「いい匂いだね、雅樹さんってさ。山桜が満開のときと、同じ匂いがするね?」

この香が自分は大好き、そして香の主はもっと大好きだ。
想い素直に笑って湯のなか抱きついた、そんな自分を抱きとめて雅樹は笑ってくれた。

「そうかな?僕はよく解らないんだけど。光一こそ佳い匂いがするよ、」
「雅樹さんがいい匂いって言ってくれんなら、俺は嬉しいよ?ね、もっとくっついてよ、」

もっと近づきたい、この大好きな人と離れたくない。
そう願うまま湯船に浸かり裸で抱きしめた、そんな風呂の時間は幸せでずっと習慣だった。
習慣と想うほど自然だった、けれど8歳の夏、自分の中で「幸せ」は色彩を深く変えたと自覚した。

―あの夏は特別だったね、俺にも雅樹さんにも…俺はあの夏から大人になったね、

穂高連峰を雅樹と縦走した、8歳のきらめく夏の記憶。
あの夏休みは殆ど毎日を雅樹と過ごし、吉村の家と国村の家を泊まりっこした。
そして穂高の他にも山に登った、奥多摩の山々を縦走し、北岳も谷川岳も、剱岳にも登りテント泊を楽しんだ。
沢で水遊びして、魚を釣って焚火して食べた。木の実も摘んで食べた、ブナの森で清水を飲んで、あの山桜の森でキャンプした。
そんな幸福が永遠に続くと自分は曇りなく信じて、信じた分だけ尚更に美しい山ヤの医学生を慕い、恋して、愛してしまった。

「…本気で惚れてるよ、あの時からずっと…だから本気でセックスしたかったんだ、」

湯のなか呟いて、シャワーの湯に涙が融けていく。
あの夏に自分が心から望んだ願いが今、異国の湯を浴びながら涙に変る。
あのとき8歳で体は子供だった、けれど恋慕の心は今と何も変わっていない。
だから言える、あのとき自分は本気で23歳の雅樹と体を交わしたいと願い、行動した。

「雅樹さん、俺とセックスして?」

そんなストレートな告白に雅樹は、屋根裏部屋のベッドのなか瞬きひとつした。
あのとき両親は山岳会の講習会に出掛け、祖父母は町内会の旅行にいき、雅樹とふたり3日間の留守番だった。
その初日の夜、早速に自分は告白をして雅樹を見つめ、梓川の時と同じよう唇を重ねあわせキスをした。

―大好き、大好き大好き、お願いだから自分と体ごと愛しあって?大好きだから、

重ねた唇に想いをこめて、白皙の頬を両掌にくるみこんでキスをして、そっと離れて見つめ合った。
見つめた切長い目は真直ぐ見つめ受けとめて、静かに微笑むと光一を抱きしめ優しいキスが唇ふれた。
やわらかな唇ふれる吐息は桜の香あまく熱い、大切に抱き寄せてくれる掌もすこし熱くて鼓動が早くなる。
今から全てを赦しあい繋がれる、そんな幸福の予兆に微笑んで離れて、けれど雅樹は起きあがってしまった。

「光一、今から話すことをよく聴いてくれるかな?そして僕と約束をしてほしいんだ、」

そう言ってベッドの上、向きあい座ってくれた。
いつものよう微笑んだ白皙の顔、けれど切長い目は真摯に真直ぐ見つめて常と違う。
その眼差しは、梓川で初めてのキスをしてくれた時と同じで、何を言われるのか見当がついて自分は言った。

「俺のこと、絶対に子ども扱いしないなら聴くよ。俺が本気でセックスしたいって言ってるコト、解かってくれるんなら約束する、」

自分は本気だ、もう自分は子供じゃない。
そう宣言して見あげた美しい瞳は、すこし困ったよう微笑んだ。
そして決心したよう頷いて雅樹は、ひとつずつ質問してくれた。

「光一、セックスの事をどうやって知ったの?」
「オヤジの本棚にある小説だよ、フランスの恋愛小説とかにセックスのことシッカリ書いてあるね。男同士ってのも読んだから安心して?」

正直に答えた光一に、切長の目が笑んで雅樹は笑ってしまった。
何をそんなに笑うのだろう?そう首傾げた自分に愉しそうな声は答えてくれた。

「明広さんらしいね、そういう本を堂々と本棚に置いちゃってるって、」
「あれって普通は隠すもんなワケ?」
「その人によるけど、隠す人の方が多いかな?でね、それは恋愛小説と少し違うかも?」
「へえ?でもね、どれも男女だろうが男同士だろうが、Je t'aime って言ってたよ?愛してますってさ、」
「うん、だけどセックスのシーンが多かったんだろ?そういうのってね、恋愛小説の中でも特殊なジャンルって言うか、ね?」

答えながら雅樹は頬染めて笑っている、可笑しくて堪らないと言う貌にこっちも楽しくなってくる。
そんなにも父がああいう小説を本棚に置いている事は可笑しいんだな?
そう感心していると雅樹は笑いを納めて、また質問してくれた。

「いま、男同士のセックスも読んだ、って言ったよね?具体的に何をするのか、光一はどこまで知っているの?」
「まず裸でお互い、抱きあってキスするね。そのキスが舌を使うようになってさ、」

そんなふう小説で読んだ知識に口を開き、知っている限りを話した。
話しながら雅樹はきちんと聴いて頷いてくれる、その顔がすこし恥ずかしそうに赤い。
つい含羞が現れる初心な様子に、雅樹がまだ未体験で自分以外とは想い交していないと解って嬉しかった。
自分より15歳上の雅樹、けれど自分と変らない経験値なのだと思うと嬉しくて、笑って話し終えた光一に雅樹は微笑んだ。

「うん、光一はセックスのこと、大体は解かっているね?でも大切なことを解かっていないんだ、聴いてくれるかな?」
「うん、聴くよ?俺を子ども扱いしないんならね、」

条件付きの承諾に頷いた前、赤い頬で雅樹が微笑んだ。
そして穏やかな決意が真直ぐ見つめて、誠実に自分と向き合ってくれた。

「光一の心は僕と同じで対等だ、でも光一の体はまだ成長途中だからセックスするのは難しいんだ。きっと無理にしたら光一の体を傷付ける。
だから解ってほしい、僕は光一のこと本当に大切で大好きだから、今の光一の体とはセックスが出来ない。光一を少しも傷付けたくないから、」

今の自分とは出来ない?
そう言われた言葉たちに納得は出来る、けれど心は頷けない。
頷けない心のまま正直に雅樹へ抱きついて、大好きな瞳を見つめ自分は訴えた。

「決めつけないでよ?俺の体がホントにまだセックス出来ないか、やりもしないで決めないでよね?俺のこと、ちゃんと見てよ?」

自分をちゃんと見てほしい、そう告げて腕を解きベッドから降りた。
そして雅樹の目の前で、パジャマから全てを床に落とすと素肌をさらした。

「見てよ、俺はまだ8歳のガキだけどね、身長だって普通よりずっとデカいんだ。ココだって釣合う位には成長してるだろ、解かってよ?
俺も山ヤだ、体が山ヤにとって大切だってコトよく解ってるから、無茶なんかする気が無いんだ。ちゃんと出来るって思ったから言ったね。
それに俺、ちゃんと知ってるよ?ガキを相手にセックスする趣味の大人もいるんだ、だからガキでもセックス出来ないってコトも無い筈だね、」

言ってフロアーランプを点け、体を全てオレンジの光に見せる。
こんなことをするほど自分は本気だ、そう目で告げながら雅樹を見つめ、ベッドに上がった。

「雅樹さん、俺はこの1週間で考えて決心して、セックスしようって言ってるんだ。俺は雅樹さんの一番になりたい、だから今したいんだよ。
俺が初めてのキスなんだから、雅樹さんって俺と同じで童貞なんだろ?お互いの初めてを今したい、キスと同じに初めての一番になりたい、」

この願い、どうか応えてよ?
どうか自分を拒絶しないで、この想い受け留めて?
そう見つめた想いの真中、切長い目は真直ぐ光一を見つめて、そして微笑んだ。

「ありがとう、そんなに僕を好きでいてくれて…本気なんだね、光一は、」
「本気だね、でなきゃこんなカッコ見せないよ、」

即答して笑いかける、その裸の肩をそっと抱きしめてくれる。
優しい抱擁に包んでくれながら、無垢な眼差しは光一を見つめて深い声は言ってくれた。

「光一、ふたつ約束してほしいんだ。ひとつめはセックスしていて少しでも嫌って感じたら、すぐに言うこと。もう1つはね、」

言いかけて、深い溜息ひとつ吐く。
なにか言い難いことなのだろうか?そう見つめた光一に雅樹は、困ったよう微笑んだ。

「あのね、18歳にならない人とセックスすることは、条例で禁止されてるんだ。だから僕、今の光一とセックスすると犯罪者になるんだよ?
それを解かって約束してほしい、今夜の次は10年後まで待つことを僕に約束してほしいんだ。それまで僕は、他の誰とも絶対にしないから、」

自分と雅樹が体ごと愛しあうことは、今の自分の年齢では禁じられている。
それでも雅樹は光一に選択を委ねてくれた、そうやって本気なのだと伝えてくれる。
本当は生真面目な雅樹にとって辛いことだろう、それでも自分を望んでくれる想いへ幸せに微笑んだ。

「うん、約束する。今夜の次は、俺の18歳の誕生日だね?それまで俺も誰とも絶対にしない、キスも雅樹さんだけだよ?だから、」

だから今夜、あなたを自分に下さい。

そう言いたくて、けれど声が熱に詰まった。
心深くから込みあげる熱は昇り瞳の奥から零れ、涙ひとつ墜ちる。
その涙を長い指がそっと拭って、切長い目が見つめて困ったよう微笑んでくれた。

「光一、やっぱり怖い?」
「…っ、ちが、うね…うれしくて泣いてる、ね…」

あふれる涙に微笑んで、大好きな人を見つめて伝える。
こんなに真剣に向き合ってくれる事が嬉しい、こんなに大切にしてくれることが嬉しい。
そう見つめた想いに綺麗な笑顔が応えて、そっと光一を抱き上げると雅樹はベッドから降りた。

「光一、男同士でセックスするなら準備が必要なんだ。だからお風呂、もう一回入るよ?」
「…あ、そうだったんだね?」

涙のまま首傾げて、大好きな人を見上げ笑いかける。
準備のことまでは小説に描いていなかったな?そう思った額に優しい額ふれて、深い声は言ってくれた。

「この準備がね、ちょっと恥ずかしいし手間が掛かるんだ。嫌だったら途中でもすぐ言ってね、ちゃんと止めるから、」
「絶対に止めるなんて言わないね、」

きっぱり自分は断言した通り、風呂場で施される支度を全て受けた。
体の奥深くから洗ってくれる、その初めての感覚に心が悶えて体の芯から熱が起きあがる。
あまやかな微熱に火照った体をバスタオルごと雅樹は抱きあげて、大切に抱えられて戻ったベッドに再び向きあうと言ってくれた。

「光一、今から光一を僕に下さい。僕の全部を光一に上げるから、体も心も全てを僕に赦してくれるかな?」

さっき自分が言えなかった言葉を、言ってくれる。
嬉しくて幸せで、幸せな想い素直に笑って自分も告白をした。

「俺も全部を雅樹さんにあげるね、だから雅樹さんを全部、俺に下さい。俺を雅樹さんの一番で初めてで、唯ひとりにして?」
「うん、光一は僕の唯ひとりだよ?梓川で言った通りにね、」

そう言って幸せに綺麗な笑顔ほころんで、そっとバスタオルを脱がせてくれる。
お互い素肌を見つめ合って、長い腕が優しく抱きよせると、静かに瞳を閉じて唇が重なった。
ふれあうキスは穏やかに甘く幸せで、温かな感覚に抱きあうままシーツの上に横たわる。
それからの時間は、ただ幸せで温かくて、あまい微かな痛みと深い共鳴に充たされた。

「雅樹さん、幸せだったよ?あの夜の俺は、…生きていて一番に幸せなのは、あの夜だ、」

そっと記憶に言葉こぼれて、涙あふれだす。
もうあんな幸せな瞬間は二度と自分には無い、そう解っている。
今夜、この数時間後に自分は英二に抱かれるだろう。それでもあの夏の幸福以上だと想えない。
だって英二にとって自分は絶対に「一番」には成り得ない、そして「初めて」にもなる事は出来ないから。

―だから英二、ごめんね?俺は嘘を吐かなきゃいけないんだ、雅樹さんのこと大切だから言えないよ、おまえにもね?

16年前、自分は雅樹と体を重ねあった。それが自分の初体験だった。
このことは決して誰にも言えないと、年経るごとに思い知らされて秘密は深くなる。
そして深まるほどに嬉しいと幸せ抱きしめる、これほどの秘密と知って雅樹が自分を愛してくれた真実が誇らしい。
だって自分は知っている、雅樹は生真面目で倫理観が強くて少年趣味も性的倒錯も無い、それなのに禁を犯しても一夜を選んでくれた。
あの一夜がどれほどの覚悟と愛情から生まれたものなのか?それを自分は誰よりも一番に知って、何よりも幸せだと誇りに想っている。

―これは俺と雅樹さんだけの宝物だ、だから英二にも言えない…アンザイレンパートナーで『血の契』でも、恋人でも言えないね、 

絶対に言わない、そう微笑んで秘密を抱きしめる。
この秘密を抱いたまま自分は今夜、英二との一夜を選ぶだろうか?
それとも敵前逃亡して止めるだろうか?そんな予想を自分に笑いながら光一は、浴槽の栓を抜いて立ち上がった。



グリンデルワルトのホテルで着いた夕食は、遠征訓練チームの全員が揃った。
ミッテルレギ稜を登った6人も予定通りに下山が出来ている、この互いの無事が素直に嬉しい。
本当に良かった、この想い微笑んで光一は後藤からの伝言を伝えた。

「全員無事に帰還ですね、後藤副隊長も喜んでいました。予備日の明日は休暇扱いですし、羽を伸ばせと伝言です、」
「連絡ありがとうございます、それと記録おめでとうございます。3時間切るなんて後藤さん、喜んだでしょう?」

第七機動隊の加藤が率直に祝辞を言うと、他の皆も祝福の言葉を掛けてくれる。
ひとめぐり祝いの言葉を聴き終えて、光一はグラスを持って機嫌よく笑った。

「はい、よくやったって泣いていました。まずは無事に乾杯しましょう?で、食いながら話しましょう、」

後藤らしい人柄のエピソードが食卓を和ませる、それくらい後藤は人望が厚い。
山ヤの警察官なら誰もが後藤を慕うのは、ただクライマーとしての技量だけでは無いと今の場にも解る。
そんな後藤の後継として自分は相応しく成れるだろうか?そう考え廻らせながら食事していると七機所属の村木が尋ねてきた。

「後藤副隊長、記録の事とか他に何か仰っていましたか?」

記録よりも後藤が大切にしていることがある。
この「大切」をちらり見遣って光一は、言葉を再現した。

「よくやったな、羽を伸ばせと伝言しろ、の次はね?宮田に替れって言われちゃったんです、あの方は宮田を大好きなんでね、」

本当に後藤は英二を大好きだな?そんな納得の向こう愉快に笑いだす。
後藤も雅樹を嘱望した1人だった、その想いの分も籠めて英二を愛し息子のよう大切にしている。
けれど言われた本人は困ったよう微笑んで、そんな奥ゆかしさに高尾署の三枝が笑いかけてくれた。

「後藤さんが宮田さんを好きなのって、解かります。前に講習会でお会いした時、帰りの電車で嬉しそうに話してくれましたよ。
山のセンスもあって努力家で真面目、息子ならいいのにって仰ってました。その通りだなって今回、一緒のチームになって思いますね、」

もし後藤が本当に英二の父親だったら、どうなっていたのだろう?
そんな考えにふっと、幼い日に後藤から聴いた言葉を思い、心が小さく傷む。
あの話を聴いたのは、両親と一緒に初めて雲取山をピークハントした5歳の時だった。

「さすが明広と奏子ちゃんの息子だな?いいぞ、光一。おまえさんなら最高のクライマーになれる、俺の息子の分も登ってくれよ?」

そう言って笑った深い眼差しが、嬉しそうでも泣きそうに見えた。
それが不思議で、奥多摩交番を後にした四駆の車内、父の明広に訊いてみた。

「後藤のおじさんトコってさ、子供は紫乃さんだけだよね?なのになんで、俺の息子の分までって言うワケ?」
「うん…本当はいたんだよね、」

静かに答えた声が、少し悲しそうに微笑んでくれる。
どういう意味だろう?そう見つめた先で父は教えてくれた。

「紫乃ちゃんが5つの時だったかな、息子さんが生まれたんだよ。ずっと息子さんが欲しかったからね、そりゃ後藤さんは喜んだよ、
でも生まれて一週間で亡くなってね…生まれつき体が弱かったそうだよ。それでも後藤さんは笑ったね、この一週間は本当に幸せだったって、」

そんなことがあったんだ?
この知らなかった事実に息を飲む、そして後藤の「幸せ」が不思議になる。
どうして待望の息子との生活が一週間だけでも「幸せだった」と言えるのだろう?この疑問への答えに父は微笑んだ。

「いつか息子とアンザイレンザイル繋いで最高峰を登る、そんな夢を見させてもらって幸せだったって、泣きながら幸せそうに笑ってた。
俺ね、あのときの後藤さんの顔って一生忘れらんないね。だから俺もさ、光一が生まれて元気なのって、ホントに幸せだなって思ってるよ?」

そんなふう笑ってくれた父の目には、フロントガラスの光が煌めいていた。
あのときの父が見せた涙と、後藤と息子の物語は今も心の深くに輝いて「体」への感謝が温かい。
そして想ってしまう、もし本当に英二が後藤の息子だったなら、どんな記録が山岳史に生まれていたのだろう?

―なによりね、きっと本当に幸せだったろうね、後藤のおじさんも英二も…いつも山の話で笑いあって一緒に救助隊やって、最高の山ヤ親子だね?

本当に後藤が英二の父親なら良いのにと、自分の方こそ思ってしまう。
もし英二が後藤の息子なら自分たちは、もっと早くに出逢ってザイルパートナーを組めた。
そうしていたら英二と自分の道も今と少し違っていたのだろうか?こんな仮定を垣間見る隣で英二が微笑んだ。

「褒めて下さって、ありがとうございます。でも、恐縮で困りそうです、」
「そんな困らないで下さい、それで電話では何て話したんですか?」

笑って三枝が訊いてくれる質問に、端正な顔はすこし首傾げこんだ。
生真面目な英二らしく正確に後藤の言葉を話すだろうな?そう見た隣で綺麗な低い声は言った。

「どこも怪我は無いか、体調はどうだ、って最初に訊かれました。あと風呂でしっかりマッサージして、明日はきちんと休むんだぞ。
気持ちは元気でも体は疲れている、そこらの山を登ったりするな、国村が言いだしたらブレーキかけてくれ。そんなふうに釘刺されました」

記録よりも体調を気遣う、そんな後藤の想いが温かい。
そして自分たちの行動を読んでくれる、それが可笑しくて笑ってしまう。
いま話した英二が笑いだし皆も笑いだして、七機の加藤が隣から訊いてきた。

「国村さん?もしかして明日の予備日は宮田さんと、メンヒかユングフラウに登るつもりでした?」
「あれ、ばれちゃいました?」

答えながら愉快に笑ってグラスに口付け、酒の馥郁を飲みこむ。
明日はどこか登りに行くのなら、それを言い訳にして「今夜」を止められる。
そんな逃げも本当は考えていた、けれど後藤の言葉で退路を断たれていくのが可笑しい。

―後藤のおじさん、逆に俺のブレーキを外しちゃってるよ?

本人は全く意図していないことなのに?
こんな偶然の顔した引金が可笑しくて笑ってしまう、そんな前から高尾署の松山が愉しげに尋ねた。

「本当にタフですね、明日は登るんですか?だったら全員で箝口令しますよ、」

登る、そう答えようか?
そんな逃げをまた考える、けれど観念したい気持ちが微笑んだ。

「宮田にお目付け役が言い渡されちゃいましたからね、もうダメです。宮田は真面目で堅物なんですよ、ね?」

この男には敵わないね?
そんな本音のまま笑った先、綺麗な笑顔ほころんでくれる。
穏やかで優しい眼差しで此方を見、綺麗な低い声が笑ってくれた。

「はい、堅物です。だから明日は、副隊長の言葉に従ってくださいね?俺に実力行使はさせないで下さい、」
「はいはい、明日はノンビリ昼寝と散歩にしますよ、」

明日はのんびり昼寝、そう言いながら「今夜」に覚悟が観念する。
それでも逃げたい気持ちに未練思いながらグラスに口付ける、そんな向かいから五日市署の佐久間が訊いてきた。

「宮田さんの実力行使って、どんなですか?」

訊かれて、ひと呼吸を英二は考えこんだ。
すぐ白皙の貌は穏やかに笑って、可笑しそうに綺麗な低い声が言った。

「たぶん、登山靴を隠しても脱出するでしょうしね?酒を呑ませながら一日中、抱え込むしかないでしょうね、」

一日中、抱え込む。

そんな言葉に鼓動が跳ねた。
そんな自分に「意識しすぎだ」と笑いとばそうとして、けれど出来ない。






(to be continued)

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Lettre de la memoire、永遠の雪―side K2

2012-12-31 00:39:13 | side K2
結晶、永遠の雪に言伝を 



Lettre de la memoire、永遠の雪―side K2

雪ふる夜、窓に六弁の花が幾つも咲いていく。

ほの明るいランプのオレンジいろに花は煌めく、小さな光がガラスを彩らす。
白銀に凍れる雪の華、その数と形を訊いて共に笑いあえた温もりは、もういない。
この輝く空の水の結晶になら、空の彼方へ逝った願いも祈りも籠もっているだろうか?

「…どうして?」

ぽつん、ひとりごと零れて涙あふれて落ちる。
誰もいない静かな屋根裏部屋、ただ独りで窓辺に雪を見つめて座りこむ。
パジャマ一枚を透かす夜気に肩は冷えていく、それすら自分でもう、どうでもいい。
今この瞬間、クリスマスイヴの深夜に世界は眠って幸せな夢を見る。
けれど自分だけは眠れない、幸せな夢が怖いから。

「帰ってきてよ?ねえ…雅樹さん…今日は終業式でクリスマスイヴだよ?帰ってき、て…ぅ、ぅっ」

ひとりごとも涙も零れて、今日という日が哀しくなる。
去年の今は温かい腕のなかに眠り、優しい香に幸せな夢を見ていた。
生まれた時から毎年ずっと「今日」大好きな笑顔は自分の元に帰ってきた、でも、その腕は逝ってしまった。
唯ひとつ、失いたくないと願ったのに消えてしまった温もり恋しくて、去年の自分の声と懐かしい声が蘇える。

  約束してよ?何があっても絶対に俺のとこ帰ってきて、ずっと一緒にいて?雅樹さんがいたら俺、来年からクリスマスプレゼント無くっていい
  約束するよ、光一。必ず君と一緒に生きるよ、一緒に夢も叶えるよ?だから僕ね、卒業したら此処で開業医するって決めてるんだ

ふたり結んだ約束、教えてくれた夢と幸せな日々の予告。
けれど、夢も約束も消えてしまった、幸せな日々は予告されたままもう永遠に訪れない。
一年前の今日は通信簿を見て笑ってくれた、あの山ヤの医学生の笑顔はもう、山から帰らない。
そんな絶望に膝を抱えて涙こみあげる、この今と去年の落差に傷は抉られ深くなって、孤独が痛い。

「約束、したのにね?…もうなんにもいらないって言った、のに…っぅ…ぅ」

嗚咽が喉を詰まらせ、顔をパジャマの膝に埋めこむ。
この2ヶ月ずっと自分はすこしも笑えない、顔だけ笑って心は笑えない。
もう永遠に笑うことなんか出来ない?そんな想いと少し顔あげたとき、視界の端に紙袋が映りこんだ。

―あの紙袋、何が入ってるんだろう?

ふと思いだし立ち上がると、大きな紙袋の傍らに座りこむ。
2ヶ月前、葬儀の帰りに老夫婦から渡された紙袋をまだ開いていない。
あのとき二人に何か言われて、けれど呆然とした心は何も聴こえないまま、顔だけ微笑んで頷いた。
二人は一体なんて言ってこの紙袋をくれたのだろう?そう考えながら開いた紙袋から、雪空色の生地が広がった。

「…このダッフルコート、」

明るい、白に近いグレーのダッフルコートに呼吸が止まる。
毎年ずっと晩秋から春3月まで、いつも大好きな人が着ていたコート。
いつも見るたびに雪空と似てると想って、白皙の肌と黒髪には似合って綺麗で、長身に映えていた。
あのコートが自分の手元に帰ってきた?驚きと喜びに抱きしめた温もりに、ふわり山桜の花が香った。

「…ん、いい匂いだね?…帰ってきてくれたんだ、ね、」

大好きな人の香が、こうして帰ってきた。
いつも大切に着ていたダッフルコート、何度も自分を抱き上げてくれた腕を包んでいた袖。
幾度も自分をおんぶした背中を覆い、健やかな鼓動を温かく守り、大好きな香を移しこんだコート。
そして、いつも手を繋いでは温めてくれたポケットに、そっと手を入れてみると小さな包みが出てきた。

「…なんだろ?」

不思議なままに小さな紙包みを開いて見る。
そこに小さな箱が現われて、上げた蓋に透明が輝いた。

「あ、」

小さなガラス細工の、雪の結晶。

初めて見た時には愛用のショルダーバッグに付いていた。
その後に見た時には常携する救命救急セットのケースに付いていた。
あれと同じガラス細工の雪の結晶が、新しい輝きにランプへきらめいて今、ここにある。

「…俺に、くれるつもりだった?同じの見つけてくれて…」

ひとりごとに微笑んで、そっと掌に載せてみる。
普通の雪ならば掌の体温に消えてしまう、けれどこの雪は消えることは無い。
いま掌にある雪の結晶と同じよう、あなたの想いも消えることなく永遠だと伝えてくれるの?

「きっとそうだね?…だって約束したんだ、何があっても帰ってくるって…だからきっと帰ってきてくれる、ね?」

消えない雪に微笑んで、雪空色のコートにパジャマの袖を通す。
冬夜の冷気に凍えたパジャマ一枚の体が、ふわり桜の香と温もりにくるまれ安堵の吐息こぼれる。
まだ子供の自分には大きすぎる大人用のダッフルコート、この大きさに逝った人の大らかな心が懐かしい。
たった2ヶ月前には自分を抱きしめ眠ってくれた、あの大好きな笑顔と気配が今、再び自分を抱きしめていく。

―幸せだ、寂しくて哀しいけど、でも…夢みたいに儚くってもね、この香と温もりが幸せだ、ずっと、

心リフレインする、この今に帰ってきた香と温もりに心が微笑む。
そっと掌の雪の結晶を握りしめて、静かに立ち上がって大きなコートに包まれたままベッドに入る。
そうして置きっぱなしの絵本を開いて、大好きな俤を映したイラストと歌詞のページに笑いかけ、そっと瞳を閉じた。
このベッドでふたり抱きあった幸福と、夢と約束を数え、残り香に抱きしめられながら。



夢のごと 君を相見て 天霧らし 降りくる雪の 消ぬべく思ほゆ  詠人不知




【引用詩歌:『万葉集』より作者未詳歌】

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする