ともぶたったら!

2011/11/27(日)5:51am、待望の息子ミライ(※コードネーム)誕生♪

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旅行って…

2007-09-15 18:32:55 | Guam ひとりごと

とあるお客様のお話。


共に85歳を越えたご高齢のご夫妻、50代の娘さん、お孫さんの
日本人4人組みのお客様がみえました
おっとりした旦那さまと品のいい奥さま、微笑ましいお二人です

到着翌日から、ご夫妻と他2名様は完全別行動
行動派らしい2名様は、観光ツアー参加後もバスを駆使してお買い物、
当初予定のなかった明日も、海のアクティビティを追加申し込みされたり、
とてもアクティブに南国を満喫して過ごされているようです。
それはそれで、嬉しいこと。
ですが…
ご高齢のご夫妻は、完全フリーの明日をどうしたものか考えあぐね
ともぶたのいるセクションにご相談にみえました。

「 これを娘から渡されてるんですけど… 」 とは、
街中をあちこち行き来できるフリーパスのバスチケットと路線図。
乗り継げば便利ですが、日本語表記とは言え横文字も多く、
ご高齢の方には、ただ渡されてもすぐに理解はできないでしょう。
(勿論、質問されれば説明させて頂くのもともぶたの仕事です。)

明日一日、ホテルでじっとしていても仕方ないので、
お買い物にでも出てみましょうか、と最初は思われたようで、
バスの路線や乗換えのご説明をしたのですが、
やはり、それぞれ運行間隔の違うバスに不安があるご様子
そこでホテル送迎付の自然派オプショナルツアーをお勧めしたところ、
ご夫妻でご参加されることになりました。

明日のご予定は決まっても、他2名様はまだ街中に出られていて
合流できるまでおそらく数時間あります。
4人揃ってご予約頂いている夕食も遅めのお時間。
それまでの時間すらも、どうしたものか…とお困りのお二人。
旦那さまは足もお悪い様子だったので、ホテル内でお茶を飲める場所など
お勧めはしたものの、有り余る時間。。。

「 明日何をするかは、アナタの好きなようになさいな 」 と、
ほんわ~かと奥さんを尊重(便乗?)される旦那さま。
「 あぁ、決まってよかった。どうもありがとうございます 」 と、
ともぶたに微笑んでくださる奥さま。
最後、お部屋に戻って行かれる時、奥様が
ここは若い人が楽しむ所なんですね… 」 と、
寂しそうに微笑みながら、ポツリ、と言われました。

  奥さま、ちがいますよ~
  ご高齢の方でも、
  ちゃーんと楽しめるんですよ~


せっかく4人で来た旅行なのに、
自分たちが 「 置いてきぼり 」 にされているかも…という感覚が、
ご夫妻の雰囲気を寂しそうなものにしてしまっているように見えました。

  明日のツアー、楽しんで頂きたいな...
  お二人がもう寂しそうな顔をしないで、
  気持ちよく帰国して頂きたいな...


旅行するなら、皆が楽しめるような日程を組みたいものですね。
敬老の日を前に、ちょっと切なくなったともぶたでした。


悲しいなぁ。

2007-08-26 23:55:39 | Guam ひとりごと

最近ニュースで流れている、ギリシャの状況が悲しいです。。。

ギリシャ。
昨年5月の新婚旅行に選んだ地でした。
丁度花咲く時期のステキな自然と遺跡の景色、神話、歴史の重み、
そういった異国の雰囲気に満たされて、写真も思いでも沢山残った地。
(興味のある方は、左欄カテゴリ 「ギリシャ旅行」 を見てください。)


そんなギリシャで、空前の規模の山火事
それも、土地開発目的の 放火 っていう話じゃないですか。
何でそんなことしちゃうかなぁぁぁ。。。
確かギリシャって、国土の70%が山地なんだそうです。
30%の平野部に住んでいる人もいるだろうけれど、
バスで巡った山道沿いにも、沢山の家々と素敵な街並みを見ました。
ああいう所で生活している人たちが、今、危険にさらされているのかな。

それに、オリンピア遺跡のすぐ近くでも山火事が発生しているとか。
オリンピアは紀元前に見舞われた大地震のせいで、
ゼウス神殿はじめ、その一帯全ての建物が崩れていました。
去年私たちが見たときには、「自然の驚異もあっての遺跡か…」 と
倒れた柱たちを見て残念に思いつつも、納得できるところがあったけれど、
100年後に訪れる旅行者は、黒焦げた横倒しの柱を見てどう思うんだろう。

ちょっと、悲しくなた気持ちも、南の島からお送りしちゃいました。


3年目。

2007-07-04 18:07:20 | Guam ひとりごと
今日、7月4日

米国にとっては大事な祝日、独立記念日ですね。
そして、我が家にとってもひとつの節目の日なのです。

昨年の7月4日にも話題にさせてもらったのですが、、、
一昨年のこの日は、さるくんが一人でこの南の島に赴任した日なんです
       【 波乱の門出 : 『 旅立ちの日 』 Jul.04-2006

あれから丸2年が経ち…、今日から3年目 というわけです。


最後はちゃんと自分で決断した赴任で、日本人慣れしている土地とはいえ、
自分はほんとロクに英語もしゃべれないのに、ポンと飛び込んだ異国。
そして部下はインドネシア人(ものすごい巻き舌英語
…そんな中、よくまぁ頑張ってるものです。
日頃、ブログのネタ (…オチ) にさせてもらったりしてるけれど、
実はともぶた、かなりすごいことだわ…と、こっそり尊敬しています


昨年度、職場のリゾート施設では諸事情によりワケの分からない企画が乱発。
その都度お手伝いに日本人スタッフが総がかりで借り出されてしまったりして、
心身ともに厳しく、そして悩ましい一年だったと思います。
でも、そんな中でも、この南の島へ赴任したからこ発生する諸々の仕事を通して
学ぶべきものを掴んで取り込んで行ったんじゃないかな、さるくん。


今年度は、そんな余計な(←と言ってしまってはナンですが…)負担も軽減。
プライベートでもダイビングを始めたし、ゴルフもベストスコアが出たし、
最近になってやっと、心から南の島の生活を楽しめる余裕ができたような
そんな気がします。



『 ひとりごと 』 カテゴリーなので、こそばゆいことを書いてしまいますが、

    きっとこれからも毎年この7月4日、1年に一度、
    さるくんに惚れ直す記念日になるだろうな。


.........はい、失礼しました

         (注 : さるくんはこのブログを知ってるけど読んでませんよー)



叔父のこと

2007-03-25 23:58:37 | Guam ひとりごと

ただいま、です。
エアが取れなくて、結局今日(25日)帰島しました。
さるくんは、休みを必死で掻き集めました。


叔父(さるくん側、享年62歳)の葬儀、無事に終わりました。
社葬ではなく個人葬だったのに、本当に沢山の方が来てくれて
ご家族もご兄姉もみんな、悲しくて泣きながらも喜んでいました。
そんな叔父のことを、今回もう一回だけ、日記にさせてください。

さるくんと結婚したから親戚になった、というだけではなく、
私自身も、これまで公私共にお世話になっていたし、
また、家が近所でずっと家族ぐるみの行き来をしていたさるくんのご両親が
最後まで叔父の看病を手伝っていて、とても身近な親戚でもあったので、
最近の私にとって、ただの 『 義理の叔父 』 ではない人でした。

会社&人付き合い大好き人間で、今までずっと家族を 『放置』 していた叔父。
そんな姿しか知らなかった結婚前の頃は、
ご家族がかわいそうだなぁとか、しょうがない人だなぁ、としか思えなかった。
仕事に没頭する男の人の家庭はこうなるしかないのかなぁ、、、と。
実際、ご家族は 『 病気になるまで家族の写真がなくて…』 と寂しそうでした。
そう、これから家族の時間を作ろうとしていたのにね…。

反対に、会社での夫(父)の姿を全く知らないご家族にとっては、
人生の最後の最後、『 葬儀 』 という儀式に
延べ1,300人以上という沢山の人が来てくれたという事実を通して
『 夫(お父さん)がやってきたこと 』 を感じ、時間の穴を埋めているようでした。
その姿を見て涙が止まらなくなったのは、きっとご家族、特に奥様(叔母)が
どれ程叔父を大事に思っていたかが、痛いほど伝わってきたから。

   今までは、待っていればいつかは帰って来てくれたのにね…

   どんどん 『 過去の人 』 になって行っちゃうのね…

   私が逝くまで待っていてね…

体格も良く、実際、お骨も普通(?)の3倍近くしっかり残っていた叔父。
60歳そこそこで逝ってしまった無念さは本人だけじゃない…。
東北の田舎から駆けつけた叔父のご兄姉に対して
『 申し訳ありません… 』 と言って号泣してしまった叔母の気持ち、
今、私自身結婚した身として、コトバにならない悔しさが分かる気がしました。
(食べ物が原因になるような病気じゃないから、全く叔母のせいじゃないのです。)


ストイックなほどの会社人間(遊び人?)でも、人生の最後、闘病期間の数ヶ月で
家族に囲まれる時間の幸せを心底感じていたようです。
あんなにめちゃくちゃしていても、ちゃんと帰る場所を作って待っていてくれた妻。
叔母の優しい性格だからできたのかもしれないけれど、
今回、悲しいけれど違う角度から 『 家族 』 っていうものを考えさせられました。


自分たち夫婦だけじゃなくて、両親・兄弟など、そして大事な友人たち、
身近な人たちの今後の人生に、悲しいことが少なければいいな…、
相手のためにしてあげられること、相手にしてもらっていることへの感謝、
もう一度ちゃんと考えてみないといけないな…、
そう思わずにはいられない1週間の臨時帰国でした。


公私共に 『 内輪 』 の話になっちゃってごめんなさい。



追悼

2007-03-18 09:55:10 | Guam ひとりごと

公私共にお世話になり、実は身内でもある方が
今朝、亡くなりました。

一気に容態が悪化したと連絡があったのが2日前。
数ヶ月加療中だったとは言え、事故かと思うほどあっという間の日々でした…。

近い近いと言われつつも、でもやはりここは海外。
すぐに飛んでいけるわけではありません。
こういうのが、一番辛い、ですね。
(勿論、同じ日本国内にいても、すぐに駆けつけられないことも多々ありますが。)


私の父と同じくらいの年齢。
まだまだ仕事に意欲もあって、奥さん孝行もこれからという時。
孫もだけど、お嬢さん達の花嫁姿もまだ見ていない。
やっておきたいことがまだ沢山あっただろうな…。
年を重ねて行って初めて楽しめることだってあったはず。
「人って、こんなに簡単に死んじゃうんだね…」
家がご近所で、小さい頃からかわいがってもらっていたさるくんが呟きました。


エアチケットの空き状況によりますが(今、この島はトップシーズン)、
明日までには確実に日本に戻ります。
なので、暫くの間、ブログはお休みさせてくださいね。

荷造りが進みません。。。


JAM

2007-03-05 14:52:08 | Guam ひとりごと

    Good Night …

     素敵なものが 欲しいけど あんまり 売ってないから
     好きな歌を 歌う…


The Yellow Monkey のヒット曲、『 JAM 』 。( 歌詞全体はこちら

ここ数日、日本からさるくんの会社の方がイベント出張にいらしてました。
で、彼らの帰国前夜の昨夜、さるくんと同じこの島の出向社員も一緒に、
久しぶりにカラオケしました。 懐メロ・演歌・最近の歌・初対面の方、ごちゃまぜで
その時さるくんが熱唱したのが、上記、『 JAM 』。

思わず 歌詞に実感をこめてうなづいてしまった 出向社員たちでした
(別にさるくん自身はこの歌詞を意図して歌っていたわけではないのですが…)



この先、『 ひとりごと 』 です。 ご注意ください(笑)

さるくんを出向させた元部署での上司(ともぶたもお世話になった)や役員の方もいらしたので
食事の際やその他時々、『 えー、そろそろ、帰国のお話を…
と話題に出してみました。
…んが、冗談 で返され。 まぁ、こちらもジャブ程度だったのでいいんですがw
正式なお話の際には、きっと社会人としてきちんとコトを運んでくださるでしょう。

元々提示されてた お約束の出向期間はとうに過ぎている ので、
いつ帰国しても文句(?)を言われることはありえない。
勿論、部署としても交代要員やその他色々渡航準備が必要なのも分かります。
でも、帰る時の障害にならないように、ともぶたは少々悔しい思いをしつつも、
仕事をアルバイト程度に抑えているわけですし、
実際、面接時には「私が働くことを、主人の帰国の障害理由にしないでください」と
当たり前すぎることですが、ちゃんと一言断っておいたし、
GMと人事責任者にも 「当然です」 とのお返事も頂きました。
(社外の方には状況が分かりにくくてごめんなさい
ってことで、帰国が決まれば、私たちはフットワーク軽く、ひょっこり帰れます。

でも、ともぶたがこの島に来たことで、さるくんの出向期間が延びた、と
結果論的に言われることがよーくあります。
実際延びている要因のひとつだとは自分でも分かっていますが、
実のところ、そう言われるのはあまり気分よくないです。
だって、
  私が来なかったら本当に約束の期限通りさるくんを返してくれたのか、
  未だ嘗て、行かせた責任者を含めて誰も言い切ってくれたことはない。
だから、結局ね、来てよかったと思ってるんです。

それに 『事なかれ主義』で、一度送った人間がそのままい続けてくれたら…と
この状態の存続をただ願うだけで、敢えて触れないようにしてるんだろうと
邪推以上の確信に近いものを感じています。
本当は誰にとっても結構いい経験になると思うんだけどなぁ…。(試練も含めて。)
実際、社内の別セクションでは、この島に出向したがっている人たちって
結構多いんだと聞きました。 今となってはその方が理解できる。



とにかく、この南の島の生活、あとどれくらい続くかまだ分からないけれど、
人生の中でいい経験であることは間違いない(エンドレスは勘弁だけど
日本に一時帰国したことで、「やっぱり日本っていいなぁ」と実感しちゃったけど、
でもこの島にいる今までと今をイヤイヤ過ごしてきたつもりはないし、
いる間は 絶対前向きに楽しんでやるっ
っと気合を入れつつ、やはり外に出るのが億劫だったりもする
矛盾した、かつ、めんどくさがりのともぶたであります


12年

2007-01-17 11:04:32 | Guam ひとりごと

今日、1月17日。

12年前の今朝、大地震があったんですよね…。
阪神淡路大震災


あの当時、ともぶたは東海圏に住む受験生(一浪中)でした。(← あ、年がバレた)
1/14(土)、15(日)がセンター試験。
翌日の朝刊に掲載される大手予備校による回答速報を元に
カツカツと自己採点をし、まずは第一志望校への最初の関門を突破できたと
半分ホッとし、改めて闘志を燃やしていたのが16(月)。
その翌朝、ニュースを見た母親の悲鳴のような声で起こされました。
ともぶたが志望していた学校…、神戸にあったんです。

その後、心配する両親に改めてお願いをして、志望通り二次試験を受験。
でも試験会場は大阪にある他大学のキャンパスを間借りでした。
初めて神戸の地に足を踏み入れたのは、合格の後、3月。
入学書類を学校に受取にいく、そして住む部屋を探す為でした。



その時、初めて実際に目の当たりにした震災の爪あと…。
とは言っても、地震発生から2ヶ月の間に、
倒壊家屋が片付けられて既に更地になっていたり、
水光熱設備が復旧して、ある程度普通の生活に戻っている様子もありました。
勿論、仮設住宅や学校の体育館に避難という不便な生活も真横にある状態。
(その後1年くらい、ともぶたの通った学校の体育館にも
 避難された方々が住んでらしたと記憶しています。)
そして、既に道路や鉄道も、逞しく復旧の一歩一歩を進んでいる段階でした。
ともぶたが見たのはあくまで 『爪あと』。
被災直後の壮絶な様子を想像できた、なんて軽々しく言えません。


でも、JR神戸線で当時大阪方面から繋がっていた住吉駅まで向かう途中、
電車の中から見えたのは、青いビニールシートが続く景色と
自分の平衡感覚を失うような、傾いたビルたち。
そして、JR住吉駅から、阪急に乗り換える為に歩いた住宅街の道のりの途中、
ある更地の角に立てられた板の文字は…

    『 ここに母が眠っています。
     ゴミを捨てないでください。』


ゴミを捨てるという日常で普通に行う動作(勿論、決められた方法で…)
想像を絶する程の悲しい現実が、これほどまでの近さで隣あわせにされて…



あの震災で、家族や友人など、身近で大事な人を亡くしたわけじゃない、
ただ4年間、復興していくあの街に、一方的にお世話になって、
感激や悔しさ、人のあったかさや自分の弱さを教えられ、
恋や友情、小さな人情、掛け替えのない思い出を沢山もらったともぶた。

何かあの街に恩返しができるとしたら、
今後の人生でも街を訪れ、活気の小さな一要素となる元気なファンでいること。
あの街が出会わせてくれた友人やお世話になった方を、大事にしていくこと。
そして、もうひとつ、
あと何十年経っても、あの板に書かれた黒い文字を忘れないこと。


遠く離れても、どれだけ時間が経っても、帰る実家があるわけじゃなくても、
あの街はともぶたに大人になる為の色んな気持ちをもたらしてくれた
大事な大事な 故郷 のひとつです。



皆さんの故郷、元気ですか?


こんな時もある

2007-01-13 19:11:50 | Guam ひとりごと

最近、NHKのトーク番組に、俳優の宝田明さんが出演していました。
日本を代表するいぶし銀俳優の一人だとは思うのですが、
ともぶた、恥ずかしながら彼の代表作品やその他詳細はよく存じ上げません…。
(初回『ゴジラ』の主役(主役はゴジラ?)だったそうですね。)
でも、昨年NHKで放送されていた 『サラリーマンNEO』 は時々見ていて、
オープニングの、飄々として笑いを誘いつつ、でもどこか凛とした気品のある
何とも言えない彼のダンスが魅力的で、記憶に残っていました。


そのトーク番組の中で、宝田さんがこれまでの数十年に渡って渡り合ってきた
ミュージカルや映画、舞台への気持ち(向き合い方?)について、
こんなことを仰ってました。

    小さな役はあっても
    小さな役者はいないんです

全体の中のチョイ役だからと言って、それを演じる役者が小さいわけじゃない。
役者は自分の全てをその小さな役につぎ込むからこそ役者なんだ。

当たり前のようですけど、何かとても暖かい励ましの言葉をもらったような気がして
ずきゅん、 っと、ともぶたの胸に残りました。


例えば、目の前の現実が例え望んだようにうまく行ってなくても、
時には、誰かと比べて自分が小さく見えてしまうようなことがあっても、
目に見えて、お金や地位とかいう何かしらの『物差し』で計れるような
そういう視点とは別の次元で、『自分』 がちゃんと存在してるはず。


丁度、You Tube で映画 『嫌われ松子の一生』 を見終えたというタイミングもあり
(著作権的にどうか、、、というお話もありますが…)
今、思いがけない方向にに進んでいるように見える自分の状況や今後の人生、
焦らず、もうちょっとゆっくりとした気持ちで考えてみないとな…。

そんな、ちょっとおセンチになった南国での風の強い夜なのでした。


それはいかんだろう...

2007-01-07 12:00:15 | Guam ひとりごと

昨日のことです。

家で愛用していたミキサーが年末に壊れてしまったので、
この島の 何でもスーパー(食品・衣類・日用品・電化製品・スポーツ用品・お土産、等々)までお買い物に。
このスーパーは観光客もローカルもよく利用します。


ミキサー以外にも必要なものを探してウロウロしていると、
日本人の観光客らしい親子 に出会いました。
お父さん(30代)、お兄ちゃん(小学校低学年)、ボクちゃん(4歳くらい)。
彼ら、結構豪快に 鬼ごっこ?かくれんぼ? をしていたんです。

こちらではスーパーは全般的に通路が広いし(カートも人もデカいからw)
特にこのスーパーは系列店の中でも「世界最大」の面積なんだそうです。(CMより)
また、商品棚も高く、床に直置きで陳列されていたりもして
走り回って遊ぶには、結構恵まれた(?)ところ。 危ない から勿論禁止ですけど


そんな中、どうやらお父さんがかなり 『ノッちゃった んでしょうね。
小さなボクちゃんが既に遊びを通り越して 不安に思って泣いている というのに、
まだそのボクちゃんから、逃げては隠れ、隠れては逃げ…
相当楽しんじゃって いたのです。

お兄ちゃんはちゃんと 『遊び』 だと理解していたのでしょう。
ササっとお父さんの姿を確認しては、ご満悦の様子でした。
でも、小さなボクちゃんにとっては 地獄 です。

   見ず知らずの、慣れない大きな世界(?)で、
   お父さんの顔を遠くに見つけて駆け寄るのに
   あと少しのところでお父さんは自分から離れて
   またどこかに行ってしまう…。


ひょっとして、このまま置いていかれちゃうんじゃないかとか、
小さなココロは 相当大きな不安でいっぱい だったと思うんです。


ともぶた、思わず 『これって、虐待なんじゃないの 』 と
横にいたさるくんに言いました。
すると、私達の前を嬉々として通り抜けようとしたお父さんに
その声が聞こえたらしいのです。(正直、聞こえてもいいと思ってました。)
少し間を置いて、お父さんがやっと、
烈火のごとく泣き喚いているボクちゃんを抱き上げ
何だよー、泣くなよー』 と…。


その後、別行動でお買い物中だったらしいお母さんと合流して抱っこされても
ボクちゃんは泣き止む様子がありませんでした。
離れた一角にいても聞こえる切ないほどの泣き声が、暫くずっと聞こえていました



きっと、あのボクちゃん、せっかく家族でリゾートに来たどこかのホテルで
昨夜は 悪夢 を見たんじゃないかと思います…。

   お父さん......、悪ノリ しすぎです。

今度からはもっと早く気づいてあげてくださいね、子供の不安。。。


♪新しい朝

2006-11-09 05:59:06 | Guam ひとりごと
何だか、全然眠れなくて…。 ドシタンダロ…

朝っぱらからPC立ち上げて、久しぶりのブログ更新です。


最近長文が多かったので(それもコーフン気味、今回はさくっと。


         ベランダからの朝日

          あた~らし~ぃ~ あ~さが来たっ


今日も一日、頑張りましょ~っ