いえ、天気大丈夫、と言っていても、突然雷が聞こえてきたりするので
油断できません。パソコンも洗濯物も、眼と耳を研ぎ澄まして守るっ?!
さて、写真の説明、「張巧器」てナニ?
まんま「巧く張れるモノ」簡易湯のし器です。
伸子張りをしようかなーと思っても、空を見上げて「やめとこー」の日々。
そこで先日、「簡易湯のし器」があるのを思い出しまして…。
上に置いてあるんだよなぁ…と思い出し、
えっちらおっちらと二階からもってきたんです。
しかし箱は汚いわ、場所はとるわで、そのまま玄関先におきっぱ…。
手に入れてからも、伸子張りでナントカなってましたから、
ついついザッと説明書を読んだだけで、そのままになってました。
だしてみましたがな…ついに。
はい、これが「簡易湯のし器」です。
なんか昔の和文タイプライターみたいですねぇ。
横の重し(あとで説明します)を包んであった新聞紙は、黄色くなって…どころか
真っ茶色に変色しています。でも、まだ新しいですよ昭和32年。
50年前の新聞ですね。(新しいというのか?)
こんなです。
一度もつかわれていない、とのことでしたが、さてどんなものか。
箱の裏の説明書きを写しました。
すみません、字が読めるところまで大きくできなくて…。
でも、使い方はこれでなんとなくわかりますね。
ちょっと横から見たところ。
これ、筒の部分が外れるようになっているのですが、
そこに熱湯を注ぎ込んで使います。うまく考えたものですね。
筒の部分はこんな作り、赤いのが「栓」です。
白い木綿がはりつけてあるのですが、すっかり糊浮きで、模様になってます。
さっき書いた重しは、上の図だと下段の右から二番目の図のように、
布をひっぱるために置くもの。
布や目的によってなにやら意味があるらしく、
重石の胴体の「削り込んだ形」の場所を変えて使うようです。
わかりにくいので赤い線で「くぼみ」の形を描きました。
本体の使い方にも、目的で布の通し方が違うため丁寧な説明図があります。
上は単純に乾かすとき、下はちりめんなど幅だしをするとき。
とりあえず、説明書き読んで首ひねってるより、実践あるのみ、
図にしたがって布を通してみました。
ふむふむなるほど、こーなるわけね。乾かすためのほうです。
写真の右上にむかって引っ張ります。
こうしてみると、なるほどねぇとわかりますが、
次は実際にお湯をいれてみなきゃねぇ。
実家にはこの道具はありませんでしたが、母がこれを見たときに、
「なんとまぁ懐かしもんがあるなぁ。ばぁば(私の祖母)がよう使うてたわ」と
言いました。せっせとこれをして、それから夜なべで縫い始めるのだそうです。
大晦日の晩まで針仕事をしていて、元旦は、朝眼がさめると
枕元に仕立てあがった着物がたたんで置いてあったそうです。
「いつ寝てんねん」と思うくらい働き者だったと。
今のように、なんでもスイッチポンでできる時代ではありませんから、
なんでも手間隙かけて、それを繰り返していたんですね。
説明書を見ると、「糊」も、糊を薄めた液を霧吹きで拭いて湿らせて、
それでこれにかけるようですね。いろいろ考えてあるんですねぇ。
私は洋服も和服も、糊がパリッときいてる、というのが苦手でして…。
人のを見るのはいいんですけど、自分はできるだけやわらかいのが着たい…。
バリバリゆかたが嫌いで、柔軟剤使って母にしかられてました。
バリバリで思い出しましたが、亡くなった母方の伯母は、
性格的にもシャキーンとした人だったんですが、
だからというわけでもなかろうに、
洗濯物には全部糊づけをするという人で(それも全部固目)、
シーツや枕カバーはともかく、バスタオルまで糊付けでして、
毎度お風呂の時間は、まずバスタオルをもみもみしてから…。
「パンツなんか、はくのがイタイねんでぇ、手ぇの上でパンツが立つねん」と、
いとこが言ってました。母から聞いていたので、いつも下着は
「それくらい自分でやらなきゃ悪いから」とお風呂で洗ってましたっけ。
ふんわりさせても乾かなきゃ…関西まで梅雨が明けたようですね。
こちらは来週ですかねぇ。昔は天気予報で「梅雨が明けました」といましたが、
最近は「いついつ明けたようだと発表が…」と、事後報告?
なんか益々頼りない感じがします。
梅雨明けは、自分で決めよう この時代…
《本日のおまけ》
「古い新聞」ですが、昭和32年9月27日の新聞で、
「全国学力テスト」の解答…。私、一年生でしたー。
こちらは「不動産の広告」、京浜急行沿いらしいのですが、
坪1700円、一区画30坪…51000円?
それだけ物価も給料も安かったってことですね。
油断できません。パソコンも洗濯物も、眼と耳を研ぎ澄まして守るっ?!
さて、写真の説明、「張巧器」てナニ?
まんま「巧く張れるモノ」簡易湯のし器です。
伸子張りをしようかなーと思っても、空を見上げて「やめとこー」の日々。
そこで先日、「簡易湯のし器」があるのを思い出しまして…。
上に置いてあるんだよなぁ…と思い出し、
えっちらおっちらと二階からもってきたんです。
しかし箱は汚いわ、場所はとるわで、そのまま玄関先におきっぱ…。
手に入れてからも、伸子張りでナントカなってましたから、
ついついザッと説明書を読んだだけで、そのままになってました。
だしてみましたがな…ついに。
はい、これが「簡易湯のし器」です。
なんか昔の和文タイプライターみたいですねぇ。
横の重し(あとで説明します)を包んであった新聞紙は、黄色くなって…どころか
真っ茶色に変色しています。でも、まだ新しいですよ昭和32年。
50年前の新聞ですね。(新しいというのか?)
こんなです。
一度もつかわれていない、とのことでしたが、さてどんなものか。
箱の裏の説明書きを写しました。
すみません、字が読めるところまで大きくできなくて…。
でも、使い方はこれでなんとなくわかりますね。
ちょっと横から見たところ。
これ、筒の部分が外れるようになっているのですが、
そこに熱湯を注ぎ込んで使います。うまく考えたものですね。
筒の部分はこんな作り、赤いのが「栓」です。
白い木綿がはりつけてあるのですが、すっかり糊浮きで、模様になってます。
さっき書いた重しは、上の図だと下段の右から二番目の図のように、
布をひっぱるために置くもの。
布や目的によってなにやら意味があるらしく、
重石の胴体の「削り込んだ形」の場所を変えて使うようです。
わかりにくいので赤い線で「くぼみ」の形を描きました。
本体の使い方にも、目的で布の通し方が違うため丁寧な説明図があります。
上は単純に乾かすとき、下はちりめんなど幅だしをするとき。
とりあえず、説明書き読んで首ひねってるより、実践あるのみ、
図にしたがって布を通してみました。
ふむふむなるほど、こーなるわけね。乾かすためのほうです。
写真の右上にむかって引っ張ります。
こうしてみると、なるほどねぇとわかりますが、
次は実際にお湯をいれてみなきゃねぇ。
実家にはこの道具はありませんでしたが、母がこれを見たときに、
「なんとまぁ懐かしもんがあるなぁ。ばぁば(私の祖母)がよう使うてたわ」と
言いました。せっせとこれをして、それから夜なべで縫い始めるのだそうです。
大晦日の晩まで針仕事をしていて、元旦は、朝眼がさめると
枕元に仕立てあがった着物がたたんで置いてあったそうです。
「いつ寝てんねん」と思うくらい働き者だったと。
今のように、なんでもスイッチポンでできる時代ではありませんから、
なんでも手間隙かけて、それを繰り返していたんですね。
説明書を見ると、「糊」も、糊を薄めた液を霧吹きで拭いて湿らせて、
それでこれにかけるようですね。いろいろ考えてあるんですねぇ。
私は洋服も和服も、糊がパリッときいてる、というのが苦手でして…。
人のを見るのはいいんですけど、自分はできるだけやわらかいのが着たい…。
バリバリゆかたが嫌いで、柔軟剤使って母にしかられてました。
バリバリで思い出しましたが、亡くなった母方の伯母は、
性格的にもシャキーンとした人だったんですが、
だからというわけでもなかろうに、
洗濯物には全部糊づけをするという人で(それも全部固目)、
シーツや枕カバーはともかく、バスタオルまで糊付けでして、
毎度お風呂の時間は、まずバスタオルをもみもみしてから…。
「パンツなんか、はくのがイタイねんでぇ、手ぇの上でパンツが立つねん」と、
いとこが言ってました。母から聞いていたので、いつも下着は
「それくらい自分でやらなきゃ悪いから」とお風呂で洗ってましたっけ。
ふんわりさせても乾かなきゃ…関西まで梅雨が明けたようですね。
こちらは来週ですかねぇ。昔は天気予報で「梅雨が明けました」といましたが、
最近は「いついつ明けたようだと発表が…」と、事後報告?
なんか益々頼りない感じがします。
梅雨明けは、自分で決めよう この時代…
《本日のおまけ》
「古い新聞」ですが、昭和32年9月27日の新聞で、
「全国学力テスト」の解答…。私、一年生でしたー。
こちらは「不動産の広告」、京浜急行沿いらしいのですが、
坪1700円、一区画30坪…51000円?
それだけ物価も給料も安かったってことですね。
田園都市KK、今も溝ノ口にあるみたいですね。この新聞、お見せしたら喜ばれるかも??
炭を入れて使うアイロンを見たかすかな記憶がある年代です。今後とも、よろしくお願いいたします。
家庭用のそんな道具もあるんですね~
こういう道具ってどこにでもあるものじゃないですから、本当に珍しい物を見せて頂きました。
ゆのし器に掛かっている反物もステキな柄ですね。
す。
それにしても、よくまあ色んなものを手に入れ
てしまってあるもんですねぇ。打出の小槌の様
に何でも出てきそうな気がしてきました。
「湯のし」って言葉を聞いたことがあるだけで
実際何をするのか知りませんでした。
義母も持っているのかしら。
今度話を聞いてみます!
おばあさまのお話、感動しました。
お正月に新しい着物を娘に着せたくて
がんばられたのでしょうね。
着物って、すてきですね。
はじめまして、
ようこそおいでくださいました。
お誕生日の新聞でしたか。
昔の新聞っておもしろいですね。
私は炭アイロン、リアルに使っているのは
みたことがないんですが、現物は持ってます。
重いですよねぇ。
陽花様
さすがに実家にもありませんでした。
便利なものをそれなりに考えていたんですね。
思えば使うのはお湯だけで、エコですよー。
この布はハギレでして、向こうが見えるほど
薄いんですよ。でもきれいですよねぇ。
うんちく様
骨董集めの趣味はないんですが、
ひとつずつくらい、今は使われていないものを
残しておきたいと思いましてね。
特に和裁関係のものなどを探していますが、
なかなかありません。
zizi様
電化製品もなく、来る日も来る日も、
アナログな道具で…すごいですよね。
ついつい文句いってる自分を、
私も恥てます。やっぱ母には勝てまへん。
てまりばな様
こういうものがあったのは、
私も最近知ったのですが、自分で着物が
縫える人にはアイロンよりいいのかなーと
思っています。
母方の祖母は、存命なら120を越えていますが
まだみんな着物の時代に、母や母の兄弟に
着せるために洋裁も毛糸編みも、
独学でマスターしたそうです。
昔の人はすごいですね。
ネズミ退治をするために天袋から天井裏に入ろうと
押入れ整理をしていて出てきた箱が、まさしくとんぼ様の掲載している写真と同じもので。
母から、亡くなった祖母が若い頃に使っていたものだと聞きました。
それにしても、着物を解いて反物の状態に戻してから洗濯し、
伸ばしてまた縫って着物に仕立てるとは、当時の人は
本当にモノを大切にしていたのだな、と深く感心しました。
こちらこそ、はじめまして。
ようこそおいでくださいました。
私は母のやっていたことの見よう見まねで
伸子張りまではいたしますが、
それだけでも、ほんとに手間がかかります。
この道具も、きっと当時の人には
今風に言うなら「超便利道具」、
だったのでしょうね。
おば浅間の残されたもの、
どうか大切に取って置いてください。